2009年11月13日(金)
WWOOFer受け入れで気持ちいい農業をめざそう
放牧・酪農・農業×84
先日、ウーファーとして、2人の学生さんが牧場の生活を体験していかれました。私の牧場もウーフ・ホストとして登録したばかりで、彼女たちは記念すべき1号と2号です。
WWOOF(ウーフ)の仕組みは、ホストが食事と宿泊場所+αを、ウーファーは労力+αを提供し合うというもので、お金のやり取りはありません。ホストはオーガニック志向であることが基本です。※詳しくはWWOOF ジャパンのHPをご覧ください。http://www.wwoofjapan.com/
私は、機械化や大型化など装備の近代化だけが農業技術の進歩ではなくて、土、そしてその本質である土壌微生物の力を借りるのが本来の農業の姿だということを、都会の人たちにも知ってもらいたいと思っています。もちろん、私たちの牧場も経営を成り立たせるために多くの妥協はしていますが、基本理念は忘れないようにと思っています。
彼女たちは、搾乳作業はもちろん、牛に触るのも初めてでしたが、動物が好きで、すすんで何でも引き受けてくれて、とても助かりました。彼女たちはさすがに自らの意思で来ただけのことはあって、短期間に驚くほど仕事ぶりも進歩しました。
おかげで、いつもより早く牛舎が終わり、食事の時間がたっぷりとれて、彼女たちともよい会話ができました(と思っているのは私だけか?)。
家庭菜園でとれた野菜を中心にした食事も、ご飯をお代わりしながら、おいしそうに食べてくれました。自家用チーズ作りもキャーキャー言いながら手伝ってくれました。
労働すれば疲れるけど、おなかが減って食事がおいしい。仕事の合間に草地や畑で深呼吸すると気持ちいい。そんな体験をしてもらえれば、農業や田舎暮らしが魅力あるものに位置付けられていくのではないかと期待しています。
そして、そんな場所を提供できるように努力していきたいと思います。
WWOOF(ウーフ)の仕組みは、ホストが食事と宿泊場所+αを、ウーファーは労力+αを提供し合うというもので、お金のやり取りはありません。ホストはオーガニック志向であることが基本です。※詳しくはWWOOF ジャパンのHPをご覧ください。http://www.wwoofjapan.com/
私は、機械化や大型化など装備の近代化だけが農業技術の進歩ではなくて、土、そしてその本質である土壌微生物の力を借りるのが本来の農業の姿だということを、都会の人たちにも知ってもらいたいと思っています。もちろん、私たちの牧場も経営を成り立たせるために多くの妥協はしていますが、基本理念は忘れないようにと思っています。
彼女たちは、搾乳作業はもちろん、牛に触るのも初めてでしたが、動物が好きで、すすんで何でも引き受けてくれて、とても助かりました。彼女たちはさすがに自らの意思で来ただけのことはあって、短期間に驚くほど仕事ぶりも進歩しました。
おかげで、いつもより早く牛舎が終わり、食事の時間がたっぷりとれて、彼女たちともよい会話ができました(と思っているのは私だけか?)。
家庭菜園でとれた野菜を中心にした食事も、ご飯をお代わりしながら、おいしそうに食べてくれました。自家用チーズ作りもキャーキャー言いながら手伝ってくれました。
労働すれば疲れるけど、おなかが減って食事がおいしい。仕事の合間に草地や畑で深呼吸すると気持ちいい。そんな体験をしてもらえれば、農業や田舎暮らしが魅力あるものに位置付けられていくのではないかと期待しています。
そして、そんな場所を提供できるように努力していきたいと思います。
2009年11月8日(日)
永年草地を支えるミミズたち
放牧・酪農・農業×84
放牧地をスコップで掘ってみると、団粒構造がよくできていて、根が深く入っているのがわかります。
視察に来られる方々から例外なく質問されるのが、「放牧地は何年で草地更新するのか」ということ。
しかし、放牧地は本来、年々良くなりこそすれ、更新が必要になるようなことにはなりません。
もともと、牛と草・土は一体であり、放牧システムは生態系として成立するからです。
更新もしない草地の土の中で一所懸命に土を耕しているのがミミズです。
ミミズがいるから土がよくなるのか、土がよくなるとミミズも増えるのか、鶏か卵かみたいな話ですが、要は良い循環に入ることなんでしょうね。
視察に来られる方々から例外なく質問されるのが、「放牧地は何年で草地更新するのか」ということ。
しかし、放牧地は本来、年々良くなりこそすれ、更新が必要になるようなことにはなりません。
もともと、牛と草・土は一体であり、放牧システムは生態系として成立するからです。
更新もしない草地の土の中で一所懸命に土を耕しているのがミミズです。
ミミズがいるから土がよくなるのか、土がよくなるとミミズも増えるのか、鶏か卵かみたいな話ですが、要は良い循環に入ることなんでしょうね。
2009年11月8日(日)
道の駅って何だろう?
まちづくり・政治×59
「国道が2本も通っているのになぜうちの町には道の駅がないんだろう」という声をよく聞きます。
一方、町としては、「道の駅で採算の取れているところはほとんどない」、「高速道路の週末1000円で管内の道の駅はどこも苦戦している」として、道の駅設置については慎重に検討するとしています。つまりは、当面、取り組むつもりはないとの考えです。
町の考えも一見もっともらしく思えますが、道の駅をほしがる町民の声とは全くかみ合っていません。
採算が合えば取り組むが、赤字になりそうなのにそんなことはできない。まして、財政が厳しいときに。そんなところでしょうか。
ここに2つの問題が見出せます。ひとつは、いまだに町が自ら経営し採算性を気にしなければならないという発想。もうひとつは、もし財政が豊かだったら町民の強い要望にこたえて赤字でも設置するのかということです。
道の駅をひとつの経営ととらえれば、うまくいくかいかないかは、それぞれのやり方次第であって、確実にうまくいきそうだからやるということなら永遠に実現は難しいでしょう。だからこそ、民間の力が必要なのです。
最も大きな問題は、道の駅が果たす役割についての考え方が整理されていないことだと思います。
道の駅がほしいと思っている町民が求めているのは、町の顔、看板としての施設、町のアイデンティティや町民の活動(経済・文化)の表現の場、町の経済への波及効果ではないでしょうか。
ただ施設を作って、どこにでもあるみやげものを並べるだけの道の駅なら、私もいらないと思います。
しかし、道の駅を否定することが、町民のまちづくりへの思い、特産品づくり、経済の活性化まであきらめることにつながれば、町民の町に対する誇りはずたずたです。
一方、町としては、「道の駅で採算の取れているところはほとんどない」、「高速道路の週末1000円で管内の道の駅はどこも苦戦している」として、道の駅設置については慎重に検討するとしています。つまりは、当面、取り組むつもりはないとの考えです。
町の考えも一見もっともらしく思えますが、道の駅をほしがる町民の声とは全くかみ合っていません。
採算が合えば取り組むが、赤字になりそうなのにそんなことはできない。まして、財政が厳しいときに。そんなところでしょうか。
ここに2つの問題が見出せます。ひとつは、いまだに町が自ら経営し採算性を気にしなければならないという発想。もうひとつは、もし財政が豊かだったら町民の強い要望にこたえて赤字でも設置するのかということです。
道の駅をひとつの経営ととらえれば、うまくいくかいかないかは、それぞれのやり方次第であって、確実にうまくいきそうだからやるということなら永遠に実現は難しいでしょう。だからこそ、民間の力が必要なのです。
最も大きな問題は、道の駅が果たす役割についての考え方が整理されていないことだと思います。
道の駅がほしいと思っている町民が求めているのは、町の顔、看板としての施設、町のアイデンティティや町民の活動(経済・文化)の表現の場、町の経済への波及効果ではないでしょうか。
ただ施設を作って、どこにでもあるみやげものを並べるだけの道の駅なら、私もいらないと思います。
しかし、道の駅を否定することが、町民のまちづくりへの思い、特産品づくり、経済の活性化まであきらめることにつながれば、町民の町に対する誇りはずたずたです。
2009年11月2日(月)
粉砂糖をまぶしたような草地に 初雪
2009年11月2日(月)
誰のための資料?~役場流儀の町民参加
まちづくり・政治×59
平成23年からの第5期清水町総合計画を策定する「清水町新たなまちづくり計画策定委員会」の会議が4回終了しました。
毎回、共通しているのは、時間切れ、あるいは消化不良で終わってしまうことです。説明を聞いている時間が長くて十分な議論ができなかったり、配布された資料が役場の内部資料をそのままとじた分厚いもので容易に理解できないことが、その原因だと思います。
今回の計画策定に当たっては、まちづくり基本条例の趣旨に沿って町民参加を得て行う方針が示されていますが、形だけ整えればよいと考えているのではないかと思われかねない進め方といわざるを得ません。
まちづくり基本条例の条文中に明文化された町民参加の具体的要素は、審議会等における委員の公募と住民意見提出制度などですが、条例の趣旨に沿って町民参加を進めるならば、役場の外の町民にもわかりやすい資料を作り、わかってもらうための説明を行い、理解を共有することが、まず求められます。
また、会議を重ねるうち、役場の仕事の流儀が一般のそれと違うことも、次第に委員たちにわかってきました。
先日の会議でも、第4期の総合計画の評価について、行政の自己評価と町民が感じている町政の満足度にギャップがある、役場で「ちゃんとやってます」ということが町民の身近なところでの結果につながっていないと、委員から鋭い指摘がありました。
そもそも、策定委員会そのものが町民参加のアリバイ作りのためのものだとの指摘もあります。「町民参加」ということは行政主導、行政中心が前提であるともいえます。
これが「町民参加」の限界なのか。
いや、私たちは、町民自らが10年後の清水町を照らす灯台のような計画を作るんだという、今回の計画策定の原点を忘れてはいけません。
そのためには仕事の流儀を変えることが必要かもしれません。そして、それが新たなまちづくりの第一歩かもしれません。
毎回、共通しているのは、時間切れ、あるいは消化不良で終わってしまうことです。説明を聞いている時間が長くて十分な議論ができなかったり、配布された資料が役場の内部資料をそのままとじた分厚いもので容易に理解できないことが、その原因だと思います。
今回の計画策定に当たっては、まちづくり基本条例の趣旨に沿って町民参加を得て行う方針が示されていますが、形だけ整えればよいと考えているのではないかと思われかねない進め方といわざるを得ません。
まちづくり基本条例の条文中に明文化された町民参加の具体的要素は、審議会等における委員の公募と住民意見提出制度などですが、条例の趣旨に沿って町民参加を進めるならば、役場の外の町民にもわかりやすい資料を作り、わかってもらうための説明を行い、理解を共有することが、まず求められます。
また、会議を重ねるうち、役場の仕事の流儀が一般のそれと違うことも、次第に委員たちにわかってきました。
先日の会議でも、第4期の総合計画の評価について、行政の自己評価と町民が感じている町政の満足度にギャップがある、役場で「ちゃんとやってます」ということが町民の身近なところでの結果につながっていないと、委員から鋭い指摘がありました。
そもそも、策定委員会そのものが町民参加のアリバイ作りのためのものだとの指摘もあります。「町民参加」ということは行政主導、行政中心が前提であるともいえます。
これが「町民参加」の限界なのか。
いや、私たちは、町民自らが10年後の清水町を照らす灯台のような計画を作るんだという、今回の計画策定の原点を忘れてはいけません。
そのためには仕事の流儀を変えることが必要かもしれません。そして、それが新たなまちづくりの第一歩かもしれません。