2012年11月14日(水)
ローストビーフ最高! 赤肉の時代が来た
食の楽しみ×31
ブラウンスイスを飼っていて一番の問題は、オスが生まれたときに出口がなかったことでした。それで、自分で肥育して自家消費したこともありました。ロースステーキ、ヒレカツ、ジャーキーと、赤肉が生きる調理法を試してきましたが、ローストビーフが最高でした。
現在は、ブラウンスイスのオスを買い取ってくれる肉牛農家も現れ、自分で育てて食べる必要はなくなりました。
去る8月26日には、JA十勝清水町の十勝若牛ローストビーフにぎりが牛肉サミットでグランプリに輝くなど、赤肉にも追い風が吹いているように感じます。
脂肪交雑のたっぷり入った肉を使ったすき焼きやしゃぶしゃぶもいいですが、食べなれると赤肉のほうが飽きも来ないし、おいしく感じます。
放牧と自給乾草とわずかな穀類でも太る牛は、輸入穀類多給で長期間肥育した牛に比べて、環境負荷もずっと軽いよなぁとつぶやいているのは、ローストビーフがうまくてワインを飲みすぎたからか・・・。
現在は、ブラウンスイスのオスを買い取ってくれる肉牛農家も現れ、自分で育てて食べる必要はなくなりました。
去る8月26日には、JA十勝清水町の十勝若牛ローストビーフにぎりが牛肉サミットでグランプリに輝くなど、赤肉にも追い風が吹いているように感じます。
脂肪交雑のたっぷり入った肉を使ったすき焼きやしゃぶしゃぶもいいですが、食べなれると赤肉のほうが飽きも来ないし、おいしく感じます。
放牧と自給乾草とわずかな穀類でも太る牛は、輸入穀類多給で長期間肥育した牛に比べて、環境負荷もずっと軽いよなぁとつぶやいているのは、ローストビーフがうまくてワインを飲みすぎたからか・・・。
2012年2月17日(金)
放牧に適した牛群改良
放牧・酪農・農業×84
1月12日、西十勝放牧研究会1月例会に合わせて、日本ホルスタイン登録協会主催の放牧推進研修会がJA十勝清水町の会議室で開催されました。
毎年約100kgの乳量増(遺伝評価値)を進めてきたホル協が、なぜ一般的には乳量水準が低い放牧を推進するのか疑問に思う方も多いと思います。しかし、関係機関などでは、世界的な飼料高騰に対処するため、輸入濃厚飼料主体から粗飼料基盤に立脚した乳牛飼養管理に転換を図ることが重要課題となっているのです。
これまでは1頭当たりの乳量を上げることで生産コストの低減を図ってきたため、放牧や粗飼料主体の経営はマイナー的存在でした。今後は、放牧主体などの濃厚飼料多給に依存しない粗飼料主体の飼養管理への転換を急ぎ、その経営の安定を図るため、飼養管理技術とともに乳牛改良の面でも関係機関のバックアップが強化されることになります。
ホル協は、濃厚飼料多給に依存しない飼養管理方式を推進するため、放牧に適した乳牛改良体制の構築を図る必要があるとしていますが、具体策として決定打といえるものはなさそうです。
まず、放牧主体の酪農経営について、飼養管理、血統、体型などの実態調査を行い、そこで求められている形質を明らかにし、放牧に適した牛群づくりのための交配システムを開発したとしています。
体型で放牧酪農家の牛群の特徴は、肢蹄の良さと乳房の浅さでした。そして、この2つは放牧酪農家が求めている形質でもあります。さらに、放牧酪農家が望んでいる放牧期間中の乳脂率の低下防止を加えた3つの形質を備えた牛群が放牧に適したものということとするとのことです。
乳用牛群改良交配システムは、酪農家が望む形質と、雌牛の血統、能力・体型データを入力し、主にNTP上位40位以内の種牛の中から検索・選定するものです。
要するに、NTP上位40位以内の種牛の中から、肢蹄がよくて乳房が浅く、乳脂率の高いもので近交系数の低いものを見つけ出すというものです。
実際には、NTP上位40位までの種牛で乳脂率を上げるものはそういませんし、そういう種牛は乳量増の評価値は高くないので、濃厚飼料多給でなくても飼えるのではないかということでした。
しかし、こういう方法で、本当に放牧に適した、粗飼料の利用性が高い牛群ができるのだろうかという疑問は残ります。
濃厚飼料多給飼養の下で採られたデータによって選抜された種牛の中から、濃厚飼料多給に依存しない牛群づくりのための種牛を検索することには多少無理があると感じます。
乳量の評価値が低い牛を選ぶことが放牧に向いた牛を作ることになることにならないはずです。それだと改良することの必要性にすら疑問がわいてきます。特に最近は、繁殖成績を犠牲にして乳量を追求しているとの思いが酪農家の中でくすぶっています。
粗飼料の利用性が高い牛とは、濃厚飼料多給下であまり乳の出ない牛ではなくて、粗飼料主体の飼養下で乳の出る牛であるべきです。ニュージーランドからの精液輸入が求められ、行われるようになったのも、そこにあると思います。
毎年約100kgの乳量増(遺伝評価値)を進めてきたホル協が、なぜ一般的には乳量水準が低い放牧を推進するのか疑問に思う方も多いと思います。しかし、関係機関などでは、世界的な飼料高騰に対処するため、輸入濃厚飼料主体から粗飼料基盤に立脚した乳牛飼養管理に転換を図ることが重要課題となっているのです。
これまでは1頭当たりの乳量を上げることで生産コストの低減を図ってきたため、放牧や粗飼料主体の経営はマイナー的存在でした。今後は、放牧主体などの濃厚飼料多給に依存しない粗飼料主体の飼養管理への転換を急ぎ、その経営の安定を図るため、飼養管理技術とともに乳牛改良の面でも関係機関のバックアップが強化されることになります。
ホル協は、濃厚飼料多給に依存しない飼養管理方式を推進するため、放牧に適した乳牛改良体制の構築を図る必要があるとしていますが、具体策として決定打といえるものはなさそうです。
まず、放牧主体の酪農経営について、飼養管理、血統、体型などの実態調査を行い、そこで求められている形質を明らかにし、放牧に適した牛群づくりのための交配システムを開発したとしています。
体型で放牧酪農家の牛群の特徴は、肢蹄の良さと乳房の浅さでした。そして、この2つは放牧酪農家が求めている形質でもあります。さらに、放牧酪農家が望んでいる放牧期間中の乳脂率の低下防止を加えた3つの形質を備えた牛群が放牧に適したものということとするとのことです。
乳用牛群改良交配システムは、酪農家が望む形質と、雌牛の血統、能力・体型データを入力し、主にNTP上位40位以内の種牛の中から検索・選定するものです。
要するに、NTP上位40位以内の種牛の中から、肢蹄がよくて乳房が浅く、乳脂率の高いもので近交系数の低いものを見つけ出すというものです。
実際には、NTP上位40位までの種牛で乳脂率を上げるものはそういませんし、そういう種牛は乳量増の評価値は高くないので、濃厚飼料多給でなくても飼えるのではないかということでした。
しかし、こういう方法で、本当に放牧に適した、粗飼料の利用性が高い牛群ができるのだろうかという疑問は残ります。
濃厚飼料多給飼養の下で採られたデータによって選抜された種牛の中から、濃厚飼料多給に依存しない牛群づくりのための種牛を検索することには多少無理があると感じます。
乳量の評価値が低い牛を選ぶことが放牧に向いた牛を作ることになることにならないはずです。それだと改良することの必要性にすら疑問がわいてきます。特に最近は、繁殖成績を犠牲にして乳量を追求しているとの思いが酪農家の中でくすぶっています。
粗飼料の利用性が高い牛とは、濃厚飼料多給下であまり乳の出ない牛ではなくて、粗飼料主体の飼養下で乳の出る牛であるべきです。ニュージーランドからの精液輸入が求められ、行われるようになったのも、そこにあると思います。
2011年12月31日(土)
都市との交流がテーマだったこの一年
放牧・酪農・農業×84
今年の最大の出来事はやはり東日本大震災でした。あまりに悲惨な映像を目にし、被災された方々の苦痛はいかばかりかと思ったとき、私の牧場が牛舎火災の際に助けられたお返しをするのは今しかないと思い、身の丈を超えた額の募金をさせていただきました。そして、それを取り返すべく経営でのミスを最小化するのが今年の課題でした。おかげさまで、今年は草で乳を搾ったと実感でき、技術経営的にはまあまあの結果を残すことができたと思っています。自然の恵みと怖さ両方を味わった年でした。
今年から本格的に始めたファームインは、「わざわざ田舎にやってきて泊まろうとする人に悪い人なんかいないのよ」というファームインの先輩の言葉どおり素敵なお客様に恵まれて、都市の人々との良い交流ができたと思っています。震災の影響か、こどもを自由に遊ばせてあげたいというファミリーのお客様が多かったようにも思いましたが、どんな人にも心休まる場所になり、また、食と農への理解を進める機会となるように務めました。私たちのファームインの名前‘Kuhnel’は、kuh(牛)に関係あるドイツ語のようですが、単純に「食う」「寝る」を横文字にしたものです。牛にとって、食うことと寝ることは生理生態上最も基本的なことです。歩きながら草をむしっているときはもちろん、寝そべって反芻しているときも、牛にとっては食べている時間です。そんな牛にとって自然で大切な生活の場である放牧地をながめながらのんびりと過ごし、そして、ここがミルクの生まれるところなんだと感じてもらえたらとの思いをこめてあります。
修学旅行高校生や大手企業幹部研修の受入れを引き受けたのも、同様に農業への理解を言葉ではなく実体験を通して推進しようという主催者の意図に共感したからです。私たちがいかに真剣に生産活動に取組んでも、都市の消費者や中央の影響力のある人々が誤った農業・農村のイメージを持ったままでは、食と農の大事さを尊重し、国民に支持される農業・農村を作っていくことはできません。都会で生まれ育ったこどもたちにとって農産物はスーパーで並んでいるものであって、野菜が畑になっているのを見るのが初めてだった生徒たちもいました。分業化が進む中で、自分たちが食べるものがどうやって育てられ収穫されるか考えるきっかけになったと思います。大人も同様です。大手企業の部長クラスの研修生達も多くが、家族酪農では5、6頭の牛を手搾りするするイメージを持っていました。それが35~1000頭もの牛を機械搾乳し、高度で複合的な知識と技術によって成り立ち、しかし、重労働によって支えられている現実を目の当たりにして、ずいぶんと驚いていたようでした。この研修によって、彼らは「農家は努力不足で競争力がなく保護されている」との認識を改め、「牛乳は安すぎる」との声も聞かせてくれました。
TPPには、おそらく、いくら反対しても突っ込んでいくのだろうと思います。問題は、農業が受けるダメージを所得補償によって解決できるとしていることです。農業のあるべき姿が共有されていればそれもありですが、どんな農業・農家に対して直接支払いしていくのかほとんど議論されていないのが現実ではないでしょうか。規模を拡大して競争力ある経営体を育てていくのか、環境重視の持続的農業を理想とするのか、そこが不明のままでは農家は先が見えません。国の中長期の農業ビジョンには、持続的な農業を重視する記述がありますが、実際に貿易自由化が問題になると規模拡大のみが注目されます。食と農の大事さを、農家や一部の消費者団体役員が訴えるのではなく、国民全体の関心事として共有できるようにするため、草の根での都市と農村の交流を続けていくことが非常に重要であると感じています。
いろいろあった一年でしたが、農業サイドからの発信と都市との交流の大事さを感じた年でした。
今年から本格的に始めたファームインは、「わざわざ田舎にやってきて泊まろうとする人に悪い人なんかいないのよ」というファームインの先輩の言葉どおり素敵なお客様に恵まれて、都市の人々との良い交流ができたと思っています。震災の影響か、こどもを自由に遊ばせてあげたいというファミリーのお客様が多かったようにも思いましたが、どんな人にも心休まる場所になり、また、食と農への理解を進める機会となるように務めました。私たちのファームインの名前‘Kuhnel’は、kuh(牛)に関係あるドイツ語のようですが、単純に「食う」「寝る」を横文字にしたものです。牛にとって、食うことと寝ることは生理生態上最も基本的なことです。歩きながら草をむしっているときはもちろん、寝そべって反芻しているときも、牛にとっては食べている時間です。そんな牛にとって自然で大切な生活の場である放牧地をながめながらのんびりと過ごし、そして、ここがミルクの生まれるところなんだと感じてもらえたらとの思いをこめてあります。
修学旅行高校生や大手企業幹部研修の受入れを引き受けたのも、同様に農業への理解を言葉ではなく実体験を通して推進しようという主催者の意図に共感したからです。私たちがいかに真剣に生産活動に取組んでも、都市の消費者や中央の影響力のある人々が誤った農業・農村のイメージを持ったままでは、食と農の大事さを尊重し、国民に支持される農業・農村を作っていくことはできません。都会で生まれ育ったこどもたちにとって農産物はスーパーで並んでいるものであって、野菜が畑になっているのを見るのが初めてだった生徒たちもいました。分業化が進む中で、自分たちが食べるものがどうやって育てられ収穫されるか考えるきっかけになったと思います。大人も同様です。大手企業の部長クラスの研修生達も多くが、家族酪農では5、6頭の牛を手搾りするするイメージを持っていました。それが35~1000頭もの牛を機械搾乳し、高度で複合的な知識と技術によって成り立ち、しかし、重労働によって支えられている現実を目の当たりにして、ずいぶんと驚いていたようでした。この研修によって、彼らは「農家は努力不足で競争力がなく保護されている」との認識を改め、「牛乳は安すぎる」との声も聞かせてくれました。
TPPには、おそらく、いくら反対しても突っ込んでいくのだろうと思います。問題は、農業が受けるダメージを所得補償によって解決できるとしていることです。農業のあるべき姿が共有されていればそれもありですが、どんな農業・農家に対して直接支払いしていくのかほとんど議論されていないのが現実ではないでしょうか。規模を拡大して競争力ある経営体を育てていくのか、環境重視の持続的農業を理想とするのか、そこが不明のままでは農家は先が見えません。国の中長期の農業ビジョンには、持続的な農業を重視する記述がありますが、実際に貿易自由化が問題になると規模拡大のみが注目されます。食と農の大事さを、農家や一部の消費者団体役員が訴えるのではなく、国民全体の関心事として共有できるようにするため、草の根での都市と農村の交流を続けていくことが非常に重要であると感じています。
いろいろあった一年でしたが、農業サイドからの発信と都市との交流の大事さを感じた年でした。
2011年10月20日(木)
岩田牧場で見つけた放牧のエッセンス
放牧・酪農・農業×84
日勝峠から清水町に下りてきてすぐの地区、石山で酪農をしている岩田さんの牧場を訪問しました。
牧場の中には開墾時に掘り出された巨石が転がっていますが、いくつかの石には碑文が刻まれ、記念碑になっています。
「酪農 乳牛 放牧 開拓 笹 柏」と刻まれたこの石の南側には「土 木 山 水 川 どん底 有無」、北側には「草 感謝」とあり、戦後開拓の苦労と放牧での営農継続の自信がうかがわれます。
また、北側下部には
「草は早期に利用すべきもの この機を逸し古くせば 苦を招くものなり
牧草は如何なる条件下にでも生育不可能地なく踏圧に耐え再生力も旺盛にて頗る逞しき草なり
この価値高き牧草を家畜が食む時 そこには人間の命の糧となる限り無き数多の自然の恵みを与えられるものなり
この牧草地の乳牛の放し飼いの風景は素晴らしく 同時に牛は健康にして 飼育法の原点なり
この牛飼いの基本理念により営みを重ねる時知らずして そこには豊かな富をも蓄え得られるものなり
この自然よりの偉大なる恵みには唯々感謝の念にて掌を合せる思いあるのみ」
という放牧の心得ともいうべき岩田さんの思いも刻まれています。
まさに放牧酪農のエッセンスであり、科学的な論文にも劣らないものであると思います。
牧場の中には開墾時に掘り出された巨石が転がっていますが、いくつかの石には碑文が刻まれ、記念碑になっています。
「酪農 乳牛 放牧 開拓 笹 柏」と刻まれたこの石の南側には「土 木 山 水 川 どん底 有無」、北側には「草 感謝」とあり、戦後開拓の苦労と放牧での営農継続の自信がうかがわれます。
また、北側下部には
「草は早期に利用すべきもの この機を逸し古くせば 苦を招くものなり
牧草は如何なる条件下にでも生育不可能地なく踏圧に耐え再生力も旺盛にて頗る逞しき草なり
この価値高き牧草を家畜が食む時 そこには人間の命の糧となる限り無き数多の自然の恵みを与えられるものなり
この牧草地の乳牛の放し飼いの風景は素晴らしく 同時に牛は健康にして 飼育法の原点なり
この牛飼いの基本理念により営みを重ねる時知らずして そこには豊かな富をも蓄え得られるものなり
この自然よりの偉大なる恵みには唯々感謝の念にて掌を合せる思いあるのみ」
という放牧の心得ともいうべき岩田さんの思いも刻まれています。
まさに放牧酪農のエッセンスであり、科学的な論文にも劣らないものであると思います。
2011年10月20日(木)
修学旅行受入は生徒達のためならず
まちづくり・政治×59
今年、26戸の農家で十勝清水農村ホームステイ協議会を立ち上げ、年度途中からではありましたが、本州の高校の修学旅行の受入れをさせていただきました。
最初はホスト農家との対面に緊張していた生徒たちも、作業体験、一緒の食事、おしゃべりをして1泊のホームステイを終え、集合場所の文化センターに戻ってきたときには、すっかり笑顔になっていました。そして、別れの時には目を潤ませてバスに乗り込んでいき、いつまでも手を振っていました。
最後のあいさつで自分の体験したことを一つ一つあげて感謝の言葉を話す生徒たちの姿に、私たちも「本当にいい子ども達だなぁ」と、じーんと来ていました。
生徒たちは、初めてづくしの体験とホストの親切に感動し感謝してくれていましたが、感謝しなければいけないのは私たちも同じです。
自然環境の素晴らしさや農業・農村の価値を、生徒たちの驚きを通して再認識することができました。ベテラン農家であるほど忘れてしまっていた当たり前のことを思い出させてくれました。都会的な刺激にあこがれる若い農家に農業の楽しさを気付かせてくれました。
協議会設立に賛同しホストとして参加している農家には、農業が嫌でたまらないとか、この町が嫌いだとかいうメンバーはいません。都会の子ども達に食と農の大切さ、農業・農村の価値を知ってもらいたい、伝えたいという思いがあるから、この協議会に参加しているのだと信じています。
この事業を継続していくことが、都市の人々を変え、農村も変わることにつながるのではないかと考えています。
最初はホスト農家との対面に緊張していた生徒たちも、作業体験、一緒の食事、おしゃべりをして1泊のホームステイを終え、集合場所の文化センターに戻ってきたときには、すっかり笑顔になっていました。そして、別れの時には目を潤ませてバスに乗り込んでいき、いつまでも手を振っていました。
最後のあいさつで自分の体験したことを一つ一つあげて感謝の言葉を話す生徒たちの姿に、私たちも「本当にいい子ども達だなぁ」と、じーんと来ていました。
生徒たちは、初めてづくしの体験とホストの親切に感動し感謝してくれていましたが、感謝しなければいけないのは私たちも同じです。
自然環境の素晴らしさや農業・農村の価値を、生徒たちの驚きを通して再認識することができました。ベテラン農家であるほど忘れてしまっていた当たり前のことを思い出させてくれました。都会的な刺激にあこがれる若い農家に農業の楽しさを気付かせてくれました。
協議会設立に賛同しホストとして参加している農家には、農業が嫌でたまらないとか、この町が嫌いだとかいうメンバーはいません。都会の子ども達に食と農の大切さ、農業・農村の価値を知ってもらいたい、伝えたいという思いがあるから、この協議会に参加しているのだと信じています。
この事業を継続していくことが、都市の人々を変え、農村も変わることにつながるのではないかと考えています。