2008年4月21日(月)
誕生日は・・・
自己紹介×45

マザコン?
先ほど、帯広の実家に戻りました~
東京にいる頃からここ数年は「誕生日は母の傍で」としております
ということで、東京の仕事を早々に切り上げて、またゴボウまみれの生活に戻りました
それと、念願の農地での作業が出来ることになりました
先ずは以前畑だった荒地の開墾から・・・
こちらもとても楽しみです♪
さて、この土日の夜は西麻布のライブハウスで友人のお手伝いという名目でただ、飲んで踊っておりました
メインの写真は、同伴する方と待ち合わせに使った有楽町駅の改札で・・・
蒲田駅のリニューアルに続いての驚きの丸井のデパートが出来ていました
この地下にあるフランス製のオーガニックのハーブを扱うお店で十勝ゴボウ珈琲を熱く語ってきました(笑)
そして、ライブハウスのリハーサル風景と本番の様子です


いや~ かなり発散しました♪
この記事のURL|2008-04-21 20:52:38
2008年4月20日(日)
料理は楽しい♪
スイーツ×23

男子、厨房に・・・
実家にいるときは父親が全ての料理を作るので、台所に立つことができないんです
居候の身ですので、彼の楽しみ?を奪うことは出来ずにただ出てくる料理を「美味い!」を連呼
合間に「これはどうやって作るの?」などと問いかけ笑顔を誘う気の使いよう^^;
久々に自宅で、誰にも気兼ねなく料理を出来る幸せを感じています(笑)
先ほど、ゴボウ珈琲の愛用者から教えてもらった「炊飯器で作るケーキ」ということで
ホットケーキミックスの粉を使い、「ゴボウ珈琲ケーキ」を作ってみました
簡単で、かなりイケています♪
<レシピ>
ホットケーキミックス 350g
卵 2個
牛乳200ccくらい(適当です)
オリーブオイル 大さじ2くらい(適当です バターでもGood)
「十勝ごぼう珈琲」の出がらし(20gくらいを使ったもの)
今回は、初挑戦で生地はホットケーキよりも柔らかめで炊飯スイッチON!
これにホイップクリームやジャムなどを付け合せると見栄えが良さそう♪
この記事のURL|2008-04-20 12:02:21
2008年4月19日(土)
グランデュオ蒲田
街角トピ×17

やっと晴れ間が・・・
2日続いた東京の雨も上がり、先ほど晴れ間が出てきましたまたちょっと風が強く吹いていますが空が青くなってきました~
さて、今回の東京に帰ってきてまず驚いたのは蒲田駅の改装がちょうど終わっていて、すごく綺麗になっていたんです
自宅に帰ったらその案内が・・・
その名も「グランデュオ蒲田」
いや~それにしても綺麗になりました
蒲田駅といえば映画で松坂慶子さんが叫ぶシーンが鮮烈な“銀ちゃ~ん”の蒲田行進曲♪がホームのチャイム代わりに鳴り、駅前の雑多な商店街にピンクなお店のイメージが・・・
昨年の夏過ぎ頃からの大規模改装で、ここまで綺麗になるとは正直驚きです
店の配置もガラリと変わり
中央口正面には「みどりの窓口」に代わり“スタバ”が・・・
さすが勢いがある企業は違いますね♪
そして、東急線に乗り換える通路にあった「たこ焼き屋」さんがなくなって、「プチ鯛焼き?」のお店になっていました
毎日終電まで働いていたあのオジサンのお店はどこに行ったのか・・・
などと思いながら、人形焼みたいな鯛焼きに行列が出来ているのを写真に撮りました


これ、いつまで人気があるのでしょうか~
鯛焼きは、職人がシッポまで餡を入れてパリっと焼かないとね
なんで頑固親父的な気持ちで、無くなった前のお店のオヤジさんを思いながら家路につきました
前にも地元の人気店、大判焼きの高まんさんの記事で
今川焼き(神田)→人形焼(浅草)→鯛焼き→(麻布十番)
といった店頭実演焼きの歴史を紹介したものですから・・・
とはいえ、今度買ってみようかな・・・なんて(笑)
この記事のURL|2008-04-19 12:59:13
2008年4月17日(木)
UVケア
2008年4月15日(火)
津田公園
お勧めスペース×73

西帯広の開拓のフロンティア
昨日は、友人の母親の告別式のあと1月に亡くなった友人の父親と自分の母親が働いていた帯広第二中学校付近の散策をしてきました
もともと小さな駅は無人駅になており、駅前には昔の面影が少しだけ残っているような感じでした
確か、線路脇に沼があり、冬になるとスケートリンクとなったいた場所があったはずですが、発見できず・・・
それにしても当時とは違い、沢山の家が建っていました
そんな中、とても素敵な公園をみつけました
津田公園
葬儀のあとなのか、ザゼンソウを発見

メイン画像のアヅマイチゲはもう少しで可憐んな花が咲き乱れそうです
そして人工的に作られたような小川が流れ、ちょっとした散策にはとても良い環境にあるようです
公園の入口には由来がわかる石碑と説明看板が

宮崎濁卑
明治18年から、この西帯広地区の農業開発の担当役員として赴任し、退職後は津田禎次郎氏らと開発の組合を作り、出身の富山県から開拓の人材を募集してこの西帯広の農地開発に寄与された方のようです
公園の名は、ここに出てくる「津田」という方の名前が由来かも
葬儀のあとということもあり、亡くなっても尚みんなの記憶の残るような先人達の足跡を知りとても神妙な気持ちになる1日でした
この公園、お勧めです(^^♪
この記事のURL|2008-04-15 10:56:30