2012年6月10日(日)
標高差600m無事完走「鹿追高校完歩大会」
イベント×80
↑然別湖畔のゴール地点
6月9日(土)に実施された「第33回鹿追高校完歩大会」に参加してきました。
北海道鹿追町にある鹿追高等学校の伝統行事である「完歩大会」は、毎年一般参加を受け入れて地域住民と共に実施されています。
運営には多くの父母や交通指導員などが協力し、交通整理や関門での通過チェック、水や飴の提供など、さまざまな面で生徒の挑戦をバックアップしています。
私は、一度10年ほど前に参加したことがありますが、その時は途中で強い雨が降り出し、惜しくも中止になりました。
それ以来、私が毎年参加していた「yosakoiソーラン祭り」と日程が重なるようになり、大会に参加できませんでしたが、昨年を最後にyosakoiを卒業したことに伴い、今回の参加となりました。
参加の目的の一つには、6月24日に開催される「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に向けてのトレーニングがあります。もちろん歩かず走ります。
「洞爺湖マラソン」「千歳JAL国際マラソン」に続いて、この「完歩大会」。サロマ湖マラソンまで、体に無理をかけるトレーニングはこれを最後にする計画でいました。
朝8時45分に鹿追高校に集合し、出発式、ラジオ体操のあと9時30分に然別湖へ出発。
出発式のあと、一般参加者で記念撮影
然別湖までの道のりは26km。
標高はスタートの鹿追市街が200m、然別湖は800mなので、600mを登ることになります。
最初は、スタートダッシュした4人ほどの生徒の背中を遠くに見ながら、マイペースに走行。
6日前の千歳マラソンの疲れが抜けきっておらず、体調に不安があったため、体の状況を見ながらの走りとなりました。
やはり、約10km走ったころから足に違和感を感じ始め、最後まで走り続けられるか不安がよぎりました。
特に坂道を走り続けることは無理かと思われました。
徐々に前の生徒たちのスピードが鈍りだし、私が先頭となりましたが、それもつかの間、然別湖までの上り坂の始まりとなる「坂下」地点で、生徒たちに追いつかれてしまいました。
「坂下」チェックポイントを出発してまもなく、上り坂で追い抜かれましたが、生徒たちの走りが止まって歩き出し、再び私が先頭に。その後、1人の生徒がふたたび私を抜かしていきました。
もう私の足の筋肉ははみるみる硬直していきます。周りの人は関係なく、自分自身との戦いです。
足の筋肉が麻痺して動かなくなっていく中、「せめて歩かないようにしよう」と自分に言い聞かせながらのランニング。
本当に精神的にも肉体的にもつらいものとなりました。
長く続く上り坂。走っても走っても終わりません。
ようやく「扇が原展望台」に到着しても、時間を惜しみチェックカードにスタンプを押してもらい麦茶をいただいて、すぐに走り始めました。
登りはもう少しで終わるということは分かっていました。
早くその場所を過ぎ、楽をしたいという気持ちがあり自分自身を励まし続けました。
鹿追町のシンボルである「夫婦山」。
鹿追から大雪山方面を望むと見える「西ヌプカウシヌプリ」と「東ヌプカウシヌプリ」の2つの山を地元では親しみを込めてそう呼んでいます。
その夫婦山の間の部分「白樺峠」がコースの最高点で約900m。
この峠を過ぎると然別湖まで下りとなります。
いつもは車ではあっさり通り過ぎる場所。走りながら「なんでこんなに遠いんだ」と走りをやめたくなる気持ちに。
しかし、歩くようなスピードながら、かろうじて走り続けました。
白樺峠の最後の関門を過ぎてからは、気持ちのよいほどの下り道。ゴールを目の前にして、思ったより足は動きました。
先頭の生徒を約100mメートル先に見ながら、最後のトンネルをくぐると然別湖畔温泉。ようやくゴールです。
時間は2時間28分。
ゴール地点でスタンプカードに最後のチェックをしてもらったあと、豚汁が用意されているテントに移動。
お母さん方の作った豚汁は格別なものでした。
走り終えたあとは、来年も走る気持ちは正直湧いてくる余裕はありませんでした。
しかし、今は来年も挑戦したい気持ちが少しだけ芽生え始めています。少しだけですが。
2週間後には「サロマ湖100kmウルトラマラソン」が開催されます。
今回まで自分のできることはやってきたつもりです。
あとは、体の疲労を取りながら体調を整え、サロマ湖を走ってこようと思います。
↓今日6月10日はレイ・チャールズの命日です。
この曲は1979年にアメリカ・ジョージア州歌となりました。
6月9日(土)に実施された「第33回鹿追高校完歩大会」に参加してきました。
北海道鹿追町にある鹿追高等学校の伝統行事である「完歩大会」は、毎年一般参加を受け入れて地域住民と共に実施されています。
運営には多くの父母や交通指導員などが協力し、交通整理や関門での通過チェック、水や飴の提供など、さまざまな面で生徒の挑戦をバックアップしています。
私は、一度10年ほど前に参加したことがありますが、その時は途中で強い雨が降り出し、惜しくも中止になりました。
それ以来、私が毎年参加していた「yosakoiソーラン祭り」と日程が重なるようになり、大会に参加できませんでしたが、昨年を最後にyosakoiを卒業したことに伴い、今回の参加となりました。
参加の目的の一つには、6月24日に開催される「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に向けてのトレーニングがあります。もちろん歩かず走ります。
「洞爺湖マラソン」「千歳JAL国際マラソン」に続いて、この「完歩大会」。サロマ湖マラソンまで、体に無理をかけるトレーニングはこれを最後にする計画でいました。
朝8時45分に鹿追高校に集合し、出発式、ラジオ体操のあと9時30分に然別湖へ出発。
出発式のあと、一般参加者で記念撮影
然別湖までの道のりは26km。
標高はスタートの鹿追市街が200m、然別湖は800mなので、600mを登ることになります。
最初は、スタートダッシュした4人ほどの生徒の背中を遠くに見ながら、マイペースに走行。
6日前の千歳マラソンの疲れが抜けきっておらず、体調に不安があったため、体の状況を見ながらの走りとなりました。
やはり、約10km走ったころから足に違和感を感じ始め、最後まで走り続けられるか不安がよぎりました。
特に坂道を走り続けることは無理かと思われました。
徐々に前の生徒たちのスピードが鈍りだし、私が先頭となりましたが、それもつかの間、然別湖までの上り坂の始まりとなる「坂下」地点で、生徒たちに追いつかれてしまいました。
「坂下」チェックポイントを出発してまもなく、上り坂で追い抜かれましたが、生徒たちの走りが止まって歩き出し、再び私が先頭に。その後、1人の生徒がふたたび私を抜かしていきました。
もう私の足の筋肉ははみるみる硬直していきます。周りの人は関係なく、自分自身との戦いです。
足の筋肉が麻痺して動かなくなっていく中、「せめて歩かないようにしよう」と自分に言い聞かせながらのランニング。
本当に精神的にも肉体的にもつらいものとなりました。
長く続く上り坂。走っても走っても終わりません。
ようやく「扇が原展望台」に到着しても、時間を惜しみチェックカードにスタンプを押してもらい麦茶をいただいて、すぐに走り始めました。
登りはもう少しで終わるということは分かっていました。
早くその場所を過ぎ、楽をしたいという気持ちがあり自分自身を励まし続けました。
鹿追町のシンボルである「夫婦山」。
鹿追から大雪山方面を望むと見える「西ヌプカウシヌプリ」と「東ヌプカウシヌプリ」の2つの山を地元では親しみを込めてそう呼んでいます。
その夫婦山の間の部分「白樺峠」がコースの最高点で約900m。
この峠を過ぎると然別湖まで下りとなります。
いつもは車ではあっさり通り過ぎる場所。走りながら「なんでこんなに遠いんだ」と走りをやめたくなる気持ちに。
しかし、歩くようなスピードながら、かろうじて走り続けました。
白樺峠の最後の関門を過ぎてからは、気持ちのよいほどの下り道。ゴールを目の前にして、思ったより足は動きました。
先頭の生徒を約100mメートル先に見ながら、最後のトンネルをくぐると然別湖畔温泉。ようやくゴールです。
時間は2時間28分。
ゴール地点でスタンプカードに最後のチェックをしてもらったあと、豚汁が用意されているテントに移動。
お母さん方の作った豚汁は格別なものでした。
走り終えたあとは、来年も走る気持ちは正直湧いてくる余裕はありませんでした。
しかし、今は来年も挑戦したい気持ちが少しだけ芽生え始めています。少しだけですが。
2週間後には「サロマ湖100kmウルトラマラソン」が開催されます。
今回まで自分のできることはやってきたつもりです。
あとは、体の疲労を取りながら体調を整え、サロマ湖を走ってこようと思います。
↓今日6月10日はレイ・チャールズの命日です。
この曲は1979年にアメリカ・ジョージア州歌となりました。
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