2012年6月25日(月)
完走記「第27回サロマ湖100kmウルトラマラソン」
ランニング、スポーツ×86
↑私にとっては実際以上に重みを感じる「完走メダル」
やりました。ホッとしました。
6月24日の「第27回サロマ湖100kmウルトラマラソン」を完走することができました。
時間は、12時間28分27秒(腕時計計測)でした。
今回は14年ぶり2回目の挑戦。前回は12時間35分16秒でしたので、少しの自己記録更新となりました。
大会前日の23日に、スタート場所の湧別町に到着。
受付でゼッケンを受け取り、前夜祭に参加したあと、翌日朝5時のスタートまで車内で宿泊しました。
しかし、それが眠れないのです。
受付でゼッケンを受け取る
大会の開会式・前夜祭
車内に泊まるのに慣れていないことと、スペースが狭いため服にゼッケンを付けるなどの作業がやりづらく、明日への準備も何だか不安なのです。
55キロ地点とゴールに運ぶ着替えなどの2つの荷物の内容を考え、赤と青のビニール袋に分けて用意しなければなりません。
寝ていても、何か忘れていないか、朝にすべきことは何かなどが頭を駆け巡ります。
おまけに、車内は寒くなってくるし、寒いので周りの車が暖気のためエンジンをかける音が気になります。
シートも寝心地が悪く、結局ほとんど一睡もできないまま朝を迎えてしまったのです。
近くの公園にテントを張っている方も多くいました。
立ち並ぶテント
朝の天気は小雨。低温と相まって、私の気持ちは100キロを走ることに不安が募り、すっかり自信がなくなっていました。
狭い車内で着替えてスタート地点に向かうと、多くのランナーは雨の対策として外側にビニール袋のポンチョを身につけていました。
ベテランランナーはあらゆる天気を想定して準備をしているもので、私は雨対策が不十分だったことを思い知らされました。
幸運なことに、その後天気は改善し、ゴールでは晴れでした。
ランナーを多くはスタートの前にトイレを済ませます。
スタート地点にも仮設トイレが多く備えてあるのですが、今回は私はトイレ待ちの列に加わるのが遅すぎました。
列に並んでいると思いのほかその進みが遅く、私の前があと2
人というところでスタート3分前のアナウンスが。
13時間走るのだから数分ぐらい…と一瞬思いましたが、その数分で泣くかもしれないことを思い、向きを変えてスタート位置へ。
すでに多くのランナーが並んでいるため、脇の歩道で待ち、朝5時にスタートしたランナー集団の横から入り、最後尾近くから私の100キロの旅が始まりました。
これから長いのですから、スタートのまえ・うしろは気にしても仕方ありません。
それよりもトイレが心配です。
これまで平日の練習は十分とは言えないまでも、「洞爺湖マラソン」「千歳JAL国際マラソン」「鹿追高校完歩大会(然別湖まで26キロ)」と週末の練習を兼ねた大会出場を続けてきました。
きっと走りきれるはずと自分に言い聞かせて臨んだ100キロマラソンでした。
スタート直後は、まだ調子は分かりません。
まずまずの悪くない調子。
しかし、35キロ地点を過ぎた辺りから足に違和感が出始めてきました。
しかも、下腹部にも違和感が。
そうです。その時点ですでにコースを外れて3回も小さいほうのトイレを済ませていたのです。
幸いそれ以降はゴールまでトイレに寄ることはありませんでした。
こんなに早い時点で足に異変が出るとは予想外でした。
今年はすでにフルマラソンを2回経験し、ある程度は耐久力は付いていると思っていたからです。
フルマラソンの距離の地点では、足のシビレが大きくなっていました。
14年前の記憶では、この地点ではまだ余裕があったはずです。
私は気持ちがすっかり弱気になり、もしかして今回は100キロは無理かも、途中の関門でとめられるかもと、悪いことばかり走りながら考えるようになっていました。
少しでも時間の浪費できないと思い、給水所でも水を飲むと足を止めずにそのまま走り続ける、そんなことを繰り返しました。
前回は1箇所1箇所で数分の時間を使っていて、100キロトータルすると馬鹿にならない長さになっていたからです。
55キロ地点の休憩場所では、多くのランナーが預けてあった荷物を受け取り、着替えや軽食などを行ったあとに再出発するのですが、今回私は給水とおにぎりを口に運んで着替えもせずに、すぐ出発することを選択しました。
休憩場所での足の状態は、前回参加と同じように筋肉が硬直してしゃがめない状態でした。
しかし、前回と違う点は、ここまで一度も歩かず走ってきたということです。
その分給水所での時間節約と合わせて、前回よりも時間の貯金は多くできている感触はありました。
しかし、無理して頑張った分、このあと足の状態がますます悪くなってきたのでした。
55キロの休憩地点からの再出発。
しかし、残り45キロ。
フルマラソン以上の距離です。
私は再出発してまもなく、ついに初めて歩いてしまったのです。
しかし、フルマラソンの距離を残して歩き始めては、時間内のゴールはまず無理です。
どうか70キロ地点までは、歩かず走り続けようと心に決めながら、我慢ができず少し歩いては長く走るの繰り返しで70キロ地点に到着しました。
歩きをはさみながらのランニングは当然進みが遅く、これまでの1キロが10キロにも感じられるほど、通過するのに時間がかかるようになっていました。
しかし、どんなに遅くても進み続けている限りは間違いなくゴールは近づいてきます。
私は再び、一つのコースの節目となる80キロ地点のワッカ原生花園の入り口までを目標に定め、走り続けようという意志と気持ちを切らさないようにしながら、前に進み続けたのです。
80キロ地点はゴールまであと2キロぐらいの場所なのですが、ここからワッカ原生花園内に入り約20キロを走ってまた戻ってくる走路となっています。
私は、これまで我慢してきた足の状態が限界に近づいてきたことに加えて、この地点でゴールの制限時間まで3時間30分の余裕があったために、心の弱さを一気に露呈することになったのです。
これまで少し歩いては長く走ることの繰り返しでしたが、ほとんど歩いて少し走る状態になっていました。
歩いていると体を冷えてきます。また、多くのランナーが私を追い抜いていきます。
頑張っているランナーと比べて私は何て恥ずかしい人間なんだ、こんなことでいつゴールにたどり着けるのだろうと心細い思いでいっぱいでした。
すべてを歩いていては、いくら何でも時間の余裕を食いつぶしてしまいます。
再び時間に追われ、ゴール間近でタイムオーバーということになっては、悔やんでも悔やみきれません。
私の心の中で、恐怖心が大きくふくらみだし、再び痛い足を動かして走り始めました。
しかし、もう足は短時間しか走れない状態になっていました。
走っては歩く、歩いては走る、その何度とない繰り返し、それが少しずつでもゴールまでの時間の短縮になってくれれば、そう願うばかりでした。
ワッカを出てゴールまであと2キロ。
やはり走れません。
あと1キロ。
いつもなら、周りにも自分にもいい格好をしようと、必ず走り出してゴールを迎えます。
しかし、走れません。
でも、多くの人々が待つゴールを歩いてくぐることはできません。その瞬間だけでも走って完走を迎えたいです。
あと800メートルぐらいから「よし、行くぞ」と声を張り上げながら、その勢いで私は再び走り始めました。しかも普段のスピードで。
不思議と足の苦痛が感じませんでした。
いや、目の前のゴールに気を取られていたのかもしれません。
そのまま、道路から右に曲がり、北見市常呂スポーツセンター敷地内のゴールアーチをくぐったのです。大きく両手を挙げて。
笑顔でゴールに到着するランナー
ゴールの瞬間は、喜びと合わせて、完走できてホッとした気持ちでいっぱいでした。
そして、早く北見市のホテルに行って、温泉につかりたい思いで頭がいっぱいでした。
車をスタート地点に置いてあるので、予約していたツアーバスで再び湧別町に戻ります。
1時間間隔で運行するバスの出発時間が近づいていたため、完走の余韻に浸る暇もなくバス乗り場へ。
このバスが4000円の運賃で、私の生涯でおそらく一番高級なバスではないかと思います。
バスに乗ってからは、周りの方と少し話をして互いの健闘をたたえ合い、それからは知らないうちに寝てしまっていました。
一度目覚めてもまだ湧別町に着かない、また起きてもまだ着かない。
その時、改めて自分が走った100キロという距離を実感しました。
湧別町から北見市の宿泊ホテルに向かいました。
予約するときに惹かれたのが「天然温泉」の文字。
北見市に到着し、駐車場から足を引きづりながら、何とかホテルにチェックイン。
私の他にも多くのお客さんがきましたが、ほとんどすべて100キロマラソンに参加した方だと思います。
服装や荷物、つらそうな歩き方で分かります。
おそらく、北見市のホテルはランナーとその家族で埋まっているのでしょうね。
部屋に着くなり服を脱ぎ、温泉着姿でお目当ての天然温泉へ。
完走できたあとに温泉に浸かれて、本当によかったです。
もしかすると、失意のなかホテルにいたかもしれないのですから。
温泉を出て、このホテル名物の無料の夜鳴きそば(ラーメン)をいただき、部屋へ。
完走の余韻に浸ろう、できれば北見の夜を楽しみたい。
そんな思いとは裏腹に、知らないうちに寝付いてしまい、気付けば朝。
起き上がろうとしましたが、体中の筋肉が痛くて動かないのです。昨晩に比較できないほど動きません。
それでも朝食に向かおうと、ゆっくりと体を動かすと、徐々にその痛みも和らぎ、歩けるようになってきました。
昨日のゴールのあと、初めての食事らしい食事をおなかいっぱいいただいて、栄養補給。
あとは体の自然治癒力にまかせるしかありません。
「マラソンはスタートが始まりではなく、ゴールで終わるものでもない…」
その言葉のとおり、もっと前から試練が始まっていますし、ゴールしてもまた次が続きます。
2回目の100キロを走ってみて感じることは、とてもつらい競技ですし、完走のためには多くのトレーニングを積まなければなりません。
今、来年も参加するかと問われれば即答はできませんが、おそらく次回も参加していることでしょう。
いや、3回目の完走に向けて、ほぼ間違いなくサロマを走っていることでしょう。
同じコースを一緒に走った多くの仲間が、来年も再びサロマに集うなら、私もその場にいたい。
やりました。ホッとしました。
6月24日の「第27回サロマ湖100kmウルトラマラソン」を完走することができました。
時間は、12時間28分27秒(腕時計計測)でした。
今回は14年ぶり2回目の挑戦。前回は12時間35分16秒でしたので、少しの自己記録更新となりました。
車内で宿泊
大会前日の23日に、スタート場所の湧別町に到着。
受付でゼッケンを受け取り、前夜祭に参加したあと、翌日朝5時のスタートまで車内で宿泊しました。
しかし、それが眠れないのです。
受付でゼッケンを受け取る
大会の開会式・前夜祭
車内に泊まるのに慣れていないことと、スペースが狭いため服にゼッケンを付けるなどの作業がやりづらく、明日への準備も何だか不安なのです。
55キロ地点とゴールに運ぶ着替えなどの2つの荷物の内容を考え、赤と青のビニール袋に分けて用意しなければなりません。
寝ていても、何か忘れていないか、朝にすべきことは何かなどが頭を駆け巡ります。
おまけに、車内は寒くなってくるし、寒いので周りの車が暖気のためエンジンをかける音が気になります。
シートも寝心地が悪く、結局ほとんど一睡もできないまま朝を迎えてしまったのです。
近くの公園にテントを張っている方も多くいました。
立ち並ぶテント
朝5時スタート
朝の天気は小雨。低温と相まって、私の気持ちは100キロを走ることに不安が募り、すっかり自信がなくなっていました。
狭い車内で着替えてスタート地点に向かうと、多くのランナーは雨の対策として外側にビニール袋のポンチョを身につけていました。
ベテランランナーはあらゆる天気を想定して準備をしているもので、私は雨対策が不十分だったことを思い知らされました。
幸運なことに、その後天気は改善し、ゴールでは晴れでした。
ランナーを多くはスタートの前にトイレを済ませます。
スタート地点にも仮設トイレが多く備えてあるのですが、今回は私はトイレ待ちの列に加わるのが遅すぎました。
列に並んでいると思いのほかその進みが遅く、私の前があと2
人というところでスタート3分前のアナウンスが。
13時間走るのだから数分ぐらい…と一瞬思いましたが、その数分で泣くかもしれないことを思い、向きを変えてスタート位置へ。
すでに多くのランナーが並んでいるため、脇の歩道で待ち、朝5時にスタートしたランナー集団の横から入り、最後尾近くから私の100キロの旅が始まりました。
これから長いのですから、スタートのまえ・うしろは気にしても仕方ありません。
それよりもトイレが心配です。
100キロの旅
これまで平日の練習は十分とは言えないまでも、「洞爺湖マラソン」「千歳JAL国際マラソン」「鹿追高校完歩大会(然別湖まで26キロ)」と週末の練習を兼ねた大会出場を続けてきました。
きっと走りきれるはずと自分に言い聞かせて臨んだ100キロマラソンでした。
スタート直後は、まだ調子は分かりません。
まずまずの悪くない調子。
しかし、35キロ地点を過ぎた辺りから足に違和感が出始めてきました。
しかも、下腹部にも違和感が。
そうです。その時点ですでにコースを外れて3回も小さいほうのトイレを済ませていたのです。
幸いそれ以降はゴールまでトイレに寄ることはありませんでした。
こんなに早い時点で足に異変が出るとは予想外でした。
今年はすでにフルマラソンを2回経験し、ある程度は耐久力は付いていると思っていたからです。
フルマラソンの距離の地点では、足のシビレが大きくなっていました。
14年前の記憶では、この地点ではまだ余裕があったはずです。
私は気持ちがすっかり弱気になり、もしかして今回は100キロは無理かも、途中の関門でとめられるかもと、悪いことばかり走りながら考えるようになっていました。
少しでも時間の浪費できないと思い、給水所でも水を飲むと足を止めずにそのまま走り続ける、そんなことを繰り返しました。
前回は1箇所1箇所で数分の時間を使っていて、100キロトータルすると馬鹿にならない長さになっていたからです。
55キロの休憩場所
55キロ地点の休憩場所では、多くのランナーが預けてあった荷物を受け取り、着替えや軽食などを行ったあとに再出発するのですが、今回私は給水とおにぎりを口に運んで着替えもせずに、すぐ出発することを選択しました。
休憩場所での足の状態は、前回参加と同じように筋肉が硬直してしゃがめない状態でした。
しかし、前回と違う点は、ここまで一度も歩かず走ってきたということです。
その分給水所での時間節約と合わせて、前回よりも時間の貯金は多くできている感触はありました。
しかし、無理して頑張った分、このあと足の状態がますます悪くなってきたのでした。
まだフルマラソン分を走る
55キロの休憩地点からの再出発。
しかし、残り45キロ。
フルマラソン以上の距離です。
私は再出発してまもなく、ついに初めて歩いてしまったのです。
しかし、フルマラソンの距離を残して歩き始めては、時間内のゴールはまず無理です。
どうか70キロ地点までは、歩かず走り続けようと心に決めながら、我慢ができず少し歩いては長く走るの繰り返しで70キロ地点に到着しました。
歩きをはさみながらのランニングは当然進みが遅く、これまでの1キロが10キロにも感じられるほど、通過するのに時間がかかるようになっていました。
しかし、どんなに遅くても進み続けている限りは間違いなくゴールは近づいてきます。
私は再び、一つのコースの節目となる80キロ地点のワッカ原生花園の入り口までを目標に定め、走り続けようという意志と気持ちを切らさないようにしながら、前に進み続けたのです。
ようやくワッカ原生花園
80キロ地点はゴールまであと2キロぐらいの場所なのですが、ここからワッカ原生花園内に入り約20キロを走ってまた戻ってくる走路となっています。
私は、これまで我慢してきた足の状態が限界に近づいてきたことに加えて、この地点でゴールの制限時間まで3時間30分の余裕があったために、心の弱さを一気に露呈することになったのです。
これまで少し歩いては長く走ることの繰り返しでしたが、ほとんど歩いて少し走る状態になっていました。
歩いていると体を冷えてきます。また、多くのランナーが私を追い抜いていきます。
頑張っているランナーと比べて私は何て恥ずかしい人間なんだ、こんなことでいつゴールにたどり着けるのだろうと心細い思いでいっぱいでした。
すべてを歩いていては、いくら何でも時間の余裕を食いつぶしてしまいます。
再び時間に追われ、ゴール間近でタイムオーバーということになっては、悔やんでも悔やみきれません。
私の心の中で、恐怖心が大きくふくらみだし、再び痛い足を動かして走り始めました。
しかし、もう足は短時間しか走れない状態になっていました。
走っては歩く、歩いては走る、その何度とない繰り返し、それが少しずつでもゴールまでの時間の短縮になってくれれば、そう願うばかりでした。
ワッカを出てゴールへ
ワッカを出てゴールまであと2キロ。
やはり走れません。
あと1キロ。
いつもなら、周りにも自分にもいい格好をしようと、必ず走り出してゴールを迎えます。
しかし、走れません。
でも、多くの人々が待つゴールを歩いてくぐることはできません。その瞬間だけでも走って完走を迎えたいです。
あと800メートルぐらいから「よし、行くぞ」と声を張り上げながら、その勢いで私は再び走り始めました。しかも普段のスピードで。
不思議と足の苦痛が感じませんでした。
いや、目の前のゴールに気を取られていたのかもしれません。
そのまま、道路から右に曲がり、北見市常呂スポーツセンター敷地内のゴールアーチをくぐったのです。大きく両手を挙げて。
笑顔でゴールに到着するランナー
ゴールの瞬間は、喜びと合わせて、完走できてホッとした気持ちでいっぱいでした。
そして、早く北見市のホテルに行って、温泉につかりたい思いで頭がいっぱいでした。
再びスタート地点へ
車をスタート地点に置いてあるので、予約していたツアーバスで再び湧別町に戻ります。
1時間間隔で運行するバスの出発時間が近づいていたため、完走の余韻に浸る暇もなくバス乗り場へ。
このバスが4000円の運賃で、私の生涯でおそらく一番高級なバスではないかと思います。
バスに乗ってからは、周りの方と少し話をして互いの健闘をたたえ合い、それからは知らないうちに寝てしまっていました。
一度目覚めてもまだ湧別町に着かない、また起きてもまだ着かない。
その時、改めて自分が走った100キロという距離を実感しました。
北見市のホテルへ
湧別町から北見市の宿泊ホテルに向かいました。
予約するときに惹かれたのが「天然温泉」の文字。
北見市に到着し、駐車場から足を引きづりながら、何とかホテルにチェックイン。
私の他にも多くのお客さんがきましたが、ほとんどすべて100キロマラソンに参加した方だと思います。
服装や荷物、つらそうな歩き方で分かります。
おそらく、北見市のホテルはランナーとその家族で埋まっているのでしょうね。
部屋に着くなり服を脱ぎ、温泉着姿でお目当ての天然温泉へ。
完走できたあとに温泉に浸かれて、本当によかったです。
もしかすると、失意のなかホテルにいたかもしれないのですから。
温泉を出て、このホテル名物の無料の夜鳴きそば(ラーメン)をいただき、部屋へ。
完走の余韻に浸ろう、できれば北見の夜を楽しみたい。
そんな思いとは裏腹に、知らないうちに寝付いてしまい、気付けば朝。
起き上がろうとしましたが、体中の筋肉が痛くて動かないのです。昨晩に比較できないほど動きません。
それでも朝食に向かおうと、ゆっくりと体を動かすと、徐々にその痛みも和らぎ、歩けるようになってきました。
昨日のゴールのあと、初めての食事らしい食事をおなかいっぱいいただいて、栄養補給。
あとは体の自然治癒力にまかせるしかありません。
来年は…
「マラソンはスタートが始まりではなく、ゴールで終わるものでもない…」
その言葉のとおり、もっと前から試練が始まっていますし、ゴールしてもまた次が続きます。
2回目の100キロを走ってみて感じることは、とてもつらい競技ですし、完走のためには多くのトレーニングを積まなければなりません。
今、来年も参加するかと問われれば即答はできませんが、おそらく次回も参加していることでしょう。
いや、3回目の完走に向けて、ほぼ間違いなくサロマを走っていることでしょう。
同じコースを一緒に走った多くの仲間が、来年も再びサロマに集うなら、私もその場にいたい。
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