2012年1月13日(金)
経験の弊害
ランニング、スポーツ×86
昨年最後の出場大会となった10月の「北見ハーフマラソン」に出場して以来、気持ちもゆるんで、すっかり走り込みもサボり気味になっていました。
これではいけないと、年末になって走り込みを再開したものの、忘年会などで走る日にちの間隔が開いたり、走れても前日のアルコールの影響で本調子が出ないなど、まったく生活リズムに乗れない日が続いていました。
それでも、正月休みにも2日ばかりジムに通って走ったりはしたのですが、おせち料理のカロリーが勝って、夏の体重68kgが、年末には体重71.9kg、体脂肪率12.5%までにたるみ、黄色信号がともったのでした。
仕事始めの翌日1月7日、新年会の余韻の残る体を発奮し、本格的にトレーニングを開始。
4日前からは30分走を1時間走にレベルアップすることができ、体重69.4km、体脂肪10.6%まで戻すことができました。
先日無謀にも「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に申し込んでしまいましたし、まだ練習量を増やさなければなりません。先はまだまだ長いです…。
思えば、約20年前に初めてフルマラソンを走ろうと決めたのも無謀でした。
テレビで「ホノルルマラソン」の特集番組を見て「自分も走ってみたい」と思ったことで、1年後の「ホノルルマラソン」出場になったのでした。
それまでのトレーニングもひたすら走って、ひたすら練習。
初めてとなったフルマラソンもペース配分など考えず、前半から飛ばし、後半はエネルギー切れ。足もしびれて、ヨレヨレになってのゴールとなったのでした。
ゴールした人が進む誘導路の真ん中に座り込んでしまい、そのまま立つことができず、多くの人に迷惑を掛けてしました。
しかし、今は毎年多くのハーフマラソン、フルマラソンに出場。そして14年前にはあこがれの「サロマ湖100kmウルトラマラソン」も完走することができ、経験を積んだ分ペース配分も考えることもできるようになりました。
以前はフルマラソンを走り終えると体全体が疲れ果て、車で家に帰るのも疲労と苦痛で大変でしたが、今では体は疲れているものの、少し休めばごく普通に運転して帰ってくることができるようになりました。
次の日の仕事も問題はありません。
その理由は、事前にどれだけ辛いのかが分かっているので、距離に対する恐怖が薄くなったこと、そして前半に力を温存するなどペース配分がうまくなったことが考えられます。
忙しい日常の中で工夫してトレーニングの時間を作っていくために時間をやりくりする訓練や、マラソンを走りきる経験を積むと、仕事の計画などにも生かされます。
どれだけの負荷で業務をしていくと安全・確実に期限までに完了することができるかを的確に考えられるようになります。
当然、ある程度、保険のため余裕を持たせた計画を立てることになります。
しかし、最近思います。
この無難なペース配分や計画はいいことなのだろうか…と。
いいことでもあるかもしれないが、ある意味面白みのないことではないか…と。
私が初めてマラソンに取り組んだときの、無鉄砲さと、未知の領域に飛び込むわくわく感。ゴールでの達成感と燃え尽き感。
あれはあれでいいのではないかと、非常に懐かしい思いに駆られるのです。
私が年を取ったのでしょう。
経験に乏しく、先を読むことは苦手だけど、情熱とチャレンジで物事に取り組めるのは、若い頃だけの特権だと思うのです。
いろいろなことを経験してしまった今の私に、若い頃と同じ心持ちと情熱で物事に取り組め言われても、非常に難しい話です。
今回14年ぶりに「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に申し込んだのも、自分の限界ぎりぎりに追い込み、再び無鉄砲なことに挑戦したかったこともあるのです。
はたして、どうなることでしょうか…。
考えすぎない。本番はなるようになる。
まずは日々の行動だ。
これではいけないと、年末になって走り込みを再開したものの、忘年会などで走る日にちの間隔が開いたり、走れても前日のアルコールの影響で本調子が出ないなど、まったく生活リズムに乗れない日が続いていました。
それでも、正月休みにも2日ばかりジムに通って走ったりはしたのですが、おせち料理のカロリーが勝って、夏の体重68kgが、年末には体重71.9kg、体脂肪率12.5%までにたるみ、黄色信号がともったのでした。
仕事始めの翌日1月7日、新年会の余韻の残る体を発奮し、本格的にトレーニングを開始。
4日前からは30分走を1時間走にレベルアップすることができ、体重69.4km、体脂肪10.6%まで戻すことができました。
先日無謀にも「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に申し込んでしまいましたし、まだ練習量を増やさなければなりません。先はまだまだ長いです…。
思えば、約20年前に初めてフルマラソンを走ろうと決めたのも無謀でした。
テレビで「ホノルルマラソン」の特集番組を見て「自分も走ってみたい」と思ったことで、1年後の「ホノルルマラソン」出場になったのでした。
それまでのトレーニングもひたすら走って、ひたすら練習。
初めてとなったフルマラソンもペース配分など考えず、前半から飛ばし、後半はエネルギー切れ。足もしびれて、ヨレヨレになってのゴールとなったのでした。
ゴールした人が進む誘導路の真ん中に座り込んでしまい、そのまま立つことができず、多くの人に迷惑を掛けてしました。
しかし、今は毎年多くのハーフマラソン、フルマラソンに出場。そして14年前にはあこがれの「サロマ湖100kmウルトラマラソン」も完走することができ、経験を積んだ分ペース配分も考えることもできるようになりました。
以前はフルマラソンを走り終えると体全体が疲れ果て、車で家に帰るのも疲労と苦痛で大変でしたが、今では体は疲れているものの、少し休めばごく普通に運転して帰ってくることができるようになりました。
次の日の仕事も問題はありません。
その理由は、事前にどれだけ辛いのかが分かっているので、距離に対する恐怖が薄くなったこと、そして前半に力を温存するなどペース配分がうまくなったことが考えられます。
忙しい日常の中で工夫してトレーニングの時間を作っていくために時間をやりくりする訓練や、マラソンを走りきる経験を積むと、仕事の計画などにも生かされます。
どれだけの負荷で業務をしていくと安全・確実に期限までに完了することができるかを的確に考えられるようになります。
当然、ある程度、保険のため余裕を持たせた計画を立てることになります。
しかし、最近思います。
この無難なペース配分や計画はいいことなのだろうか…と。
いいことでもあるかもしれないが、ある意味面白みのないことではないか…と。
私が初めてマラソンに取り組んだときの、無鉄砲さと、未知の領域に飛び込むわくわく感。ゴールでの達成感と燃え尽き感。
あれはあれでいいのではないかと、非常に懐かしい思いに駆られるのです。
私が年を取ったのでしょう。
経験に乏しく、先を読むことは苦手だけど、情熱とチャレンジで物事に取り組めるのは、若い頃だけの特権だと思うのです。
いろいろなことを経験してしまった今の私に、若い頃と同じ心持ちと情熱で物事に取り組め言われても、非常に難しい話です。
今回14年ぶりに「サロマ湖100kmウルトラマラソン」に申し込んだのも、自分の限界ぎりぎりに追い込み、再び無鉄砲なことに挑戦したかったこともあるのです。
はたして、どうなることでしょうか…。
考えすぎない。本番はなるようになる。
まずは日々の行動だ。
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