ランニング、スポーツ(86)
2012年8月24日(金)
いよいよ日曜は「北海道マラソン」
ランニング、スポーツ×86
↑北海道マラソンコース図
いよいよ2日後、8月26日(日)は「2012北海道マラソン」です。
私も出場します。
今日午後5時時点での天気予報では、大会当日の札幌市の最高気温は28℃となっていました。
これまでの予想より1℃上がりました。
北海道マラソンは、涼しくなるような期待を持たせておいて、当日は猛暑になることが多いです。
ですから、期待はしません。
「暑くなれ、それが北海道マラソンなのだ」の気持ちでいきます。
そういう私は暑さに弱いのです。
口にするとますます弱くなりそうなので言いたくないのですが、弱いです。
フルマラソンは普通で行くと4時間を超えることはないのですが、一昨年は4時間12分。サブ4を目指して臨んだ昨年は途中で足が止まり4時間42分、ゴール後、救護テントへ担架で運ばれるという散々な結果に終わりました。
スタート後の序盤から、日差しと暑さで体の調子がおかしくなり、中間地点で限界がきて、残りは満足に走れなくなるという感じです。
そのあとは、地獄のようなつらさと、いつまでたってもゴールに近づけない惨めさのみです。
今年も、無理はしませんが4時間以内でゴールすることを目標にしようと思います。
いや、最後まで無難に走りたいですね。
そのために、30キロまではウオーミングアップの気持ちで走りたいと思います。
今年から、大きな変更点として次の3つが挙げられます。
・スタート地点が大通公園に変更
・前日までのナンバーカード引換会場がパークホテルから
グランドホテルに変更
・EXPO会場が地下歩道空間に
スタートが大通公園になったことで、駅前通りを南へ向かいススキノ、中島公園という賑やかな場所を最初に通ります。
沿道の応援もたくさんいることでしょう。
スタートの興奮と相まって、ハイペースになってしまわないよう要注意です。
地下歩道空間から出入りできるグランドホテル地下が大会受付場所になり、その周辺でEXPOが行われるということで、どんな雰囲気なのか楽しみです。
今日は5キロを軽く走ってきました。
明日は札幌に向かい、走るのはお休み。美味しいものを食べ、ビールを1・2杯飲んで当日に備えたいと思います。
これから、荷物を整えなければ…
「2012北海道マラソン」ホームページ
いよいよ2日後、8月26日(日)は「2012北海道マラソン」です。
私も出場します。
今日午後5時時点での天気予報では、大会当日の札幌市の最高気温は28℃となっていました。
これまでの予想より1℃上がりました。
北海道マラソンは、涼しくなるような期待を持たせておいて、当日は猛暑になることが多いです。
ですから、期待はしません。
「暑くなれ、それが北海道マラソンなのだ」の気持ちでいきます。
そういう私は暑さに弱いのです。
口にするとますます弱くなりそうなので言いたくないのですが、弱いです。
フルマラソンは普通で行くと4時間を超えることはないのですが、一昨年は4時間12分。サブ4を目指して臨んだ昨年は途中で足が止まり4時間42分、ゴール後、救護テントへ担架で運ばれるという散々な結果に終わりました。
スタート後の序盤から、日差しと暑さで体の調子がおかしくなり、中間地点で限界がきて、残りは満足に走れなくなるという感じです。
そのあとは、地獄のようなつらさと、いつまでたってもゴールに近づけない惨めさのみです。
今年も、無理はしませんが4時間以内でゴールすることを目標にしようと思います。
いや、最後まで無難に走りたいですね。
そのために、30キロまではウオーミングアップの気持ちで走りたいと思います。
今年から、大きな変更点として次の3つが挙げられます。
・スタート地点が大通公園に変更
・前日までのナンバーカード引換会場がパークホテルから
グランドホテルに変更
・EXPO会場が地下歩道空間に
スタートが大通公園になったことで、駅前通りを南へ向かいススキノ、中島公園という賑やかな場所を最初に通ります。
沿道の応援もたくさんいることでしょう。
スタートの興奮と相まって、ハイペースになってしまわないよう要注意です。
地下歩道空間から出入りできるグランドホテル地下が大会受付場所になり、その周辺でEXPOが行われるということで、どんな雰囲気なのか楽しみです。
今日は5キロを軽く走ってきました。
明日は札幌に向かい、走るのはお休み。美味しいものを食べ、ビールを1・2杯飲んで当日に備えたいと思います。
これから、荷物を整えなければ…
「2012北海道マラソン」ホームページ
2012年8月23日(木)
ゲストランナー決定「2012フードバレーとかちマラソン」
ランニング、スポーツ×86
今年11月4日(日)に北海道十勝・帯広市で開催される「2012フードバレーとかちマラソン」のゲストランナーが決定したようです。
ハーフマラソンには、シドニーオリンピック女子マラソン代表の市橋有里さん、2.5kmには水泳の田中雅美さんとサッカーの曽田雄志さんといった道産子アスリートが参加するようです。
また、主催者の発表では、8月15日の時点で申込者が1,000人を超え、ハーフ907人、5km97人、2.5km59人、合計1,063人がエントリーを完了されています。
実に85%あまりの方がハーフマラソンを走られるということです。割合でいうと、他の大会と比べて多いのではないでしょうか。
9月28日まで申込期間があり、まだ期間の中間を過ぎたばかりですから、まだまだ人数は増えるでしょう。
定員の2000人にどれだけ近づくかが楽しみです。
参加者には、大会に合わせて行われるイベントでスイーツが食べられるチケットも配られるようなので、ケーキ好きの私にはたまりません。
走ってエネルギーを使い果たしたあとのスイーツは、体も大喜びです。
私の知人でも、遠方の稚内市から参加する方もいますから、ランナーを引きつける魅力的な大会であることは間違いないようです。
沿道からランナーに大きな声援を送っていただきたいのはもちろんですが、どうせですから、皆さんも大会で走りませんか?
帯広市ホームページ「2012フードバレーとかちマラソン」
ハーフマラソンには、シドニーオリンピック女子マラソン代表の市橋有里さん、2.5kmには水泳の田中雅美さんとサッカーの曽田雄志さんといった道産子アスリートが参加するようです。
また、主催者の発表では、8月15日の時点で申込者が1,000人を超え、ハーフ907人、5km97人、2.5km59人、合計1,063人がエントリーを完了されています。
実に85%あまりの方がハーフマラソンを走られるということです。割合でいうと、他の大会と比べて多いのではないでしょうか。
9月28日まで申込期間があり、まだ期間の中間を過ぎたばかりですから、まだまだ人数は増えるでしょう。
定員の2000人にどれだけ近づくかが楽しみです。
参加者には、大会に合わせて行われるイベントでスイーツが食べられるチケットも配られるようなので、ケーキ好きの私にはたまりません。
走ってエネルギーを使い果たしたあとのスイーツは、体も大喜びです。
私の知人でも、遠方の稚内市から参加する方もいますから、ランナーを引きつける魅力的な大会であることは間違いないようです。
沿道からランナーに大きな声援を送っていただきたいのはもちろんですが、どうせですから、皆さんも大会で走りませんか?
帯広市ホームページ「2012フードバレーとかちマラソン」
2012年7月31日(火)
暑かったぁ~「第40回釧路湿原マラソン」
ランニング、スポーツ×86
走ってきましたよ。
7月29日(日)に行われた「第40回釧路湿原マラソン」。
何がどうしたって、暑かったぁ~
こんなはずじゃなかったはずなんです…。
事前の天気予報では他の地域では30℃を示している中、釧路は22℃。
さすが釧路は涼しいなぁ。快適に走れそうだ。などと安心していました。
それが、朝8時過ぎに会場に着いてみると、すでに蒸し暑い。
スタート時間の午前9時30分までには、日差しも強く、タイムどころか完走すら危ぶまれるような気温でした。
気温が高いことが恒例な「北海道マラソン」に匹敵する、悪条件です。いやそれ以上かもしれません。
30キロと少し距離が短いことが幸いでした。
スタートして5キロしか過ぎていないのに、練習の疲れが抜けきっていない足がだるくなってきて、その上高い気温。
私の心は早くも折れかかっていました。
太陽が高くなるにしたがってさらに気温が上がり、最終的にはおそらく30℃近くまでいったと思います。
幸いにも、風が吹いてくれていて、かすかに涼しかったのが完走への希望となりました。
湿原のなかを走っていると折り返してきたランナーとすれ違うようになります。
トップのランナーは昨年に引き続いて参加されていた、市民ランナーの星、あの川内選手です。
もう、ぶっちぎり、他のランナーに大差をつけての走りでした。
オリンピックで川内さんの走りを見たかったです。
ぜひ、次のオリンピックで実現してほしいです。
20キロを過ぎると歩くランナーも見え始め、リタイヤされた方も多くいたと聞いています。
初めて30キロという距離に挑戦した私の友人も、20キロ地点で棄権してしまいました。
初めての30キロが、スタート前から走るのをやめたくなるような気象状況なんて、棄権もしかたないと思います。
25キロ地点ぐらいから釧路市街の中に戻ってきます。
一番辛い場所なのですが、応援に助けられました。
沿道の市民の皆さんの応援が素晴らしい。
どこの誰かも知らない私に、力一杯応援してくれます。
「がんばって~」「もう少しだよ~」
表情で分かります。おじさん、おばさん、小さなお子さん…などなど、本気で心から応援してくれるのです。
走ることに何の意味があるのでしょうか?
その答えもはっきりしない中、ランナーに一生懸命応援してくれる子どもたち。
これは素晴らしい教育ではないでしょうか。
人の気持ちを感じられる素晴らしい人に成長してくれることだと思います。
走り始めたすぐそばからやめたくなるようなコンディションでしたが、何とかゴール。
足の状態が良くなく全体的にスピードは遅かったのですが、最後まで粘って走り通し、2時間44分21秒というタイムでゴールすることができました。
会場ですぐに発行してくれる「完走証」
帰りはお楽しみのスーパー銭湯に寄って、汗の塩分でジャリジャリの体をきれいサッパリ。
もちろん天然温泉にこだわります。
温泉に入る前に体重を量ると67.5キロ。
いつもは69キロほどですので、だいぶん体重が減っています。
走っているときも給水所では意識して必ず水分を補給していましたし、ゴール後も配られた500mlのスポーツドリンクをがぶ飲みしたのにもかかわらずです。
いかに体の水分が失われたかが分かります。
温泉のあとに食事をしようと思ったのですが、過酷な条件でのランニングで内蔵も弱ってしまって、食欲がありません。
さらに入浴後ということで眠気も襲ってきて、ショッピングセンターの駐車場で、1時間ほど車内で睡眠をとりました。
午後3時ごろになると、外はあの暑さが嘘だったように涼しく気持ちのいい風が吹き、快適に。
食欲も戻って、毎年この大会で走ったあとに食べている「泉屋」さんの「スパカツ」をいただきました。
釧路のソウルフード、泉屋の「スパカツ」
釧路に来て、走って、温泉に入り、美味しいものをいただいて、やり残したことはない満足感と共に、帰宅の途についたのでした。
2012年7月2日(月)
エントリー完了「2012フードバレーとかちマラソン」
ランニング、スポーツ×86
本日7月2日から「2012フードバレーとかちマラソン」のエントリ受付が開始されました。
私は早速、エントリーを完了しましたよ。
この大会ですが、当初昨年実施の予定でしたが、諸事情で中止になり、今年ようやく実現することになりました。
内容が新聞などで発表されるたびに、気になって注目していました。
開催日は平成24年11月4日(日)。
帯広市の中心街を発着とするコースで行われます。
コースマップ
時季的に、参加するときには防寒対策が必要になると思います。
帽子に手袋、長袖シャツにタイツ…。
走り初めは、ビニール袋のポンチョを羽織る人もいるかもしれません。
早速コースを試走された方もいて、お話だと「折り返し前の坂がキツかった」そうです。
きっと、帯広の森運動公園に向かう手前の丘を登る坂だと思います。
それまでは、コースは比較的フラットで、直線が長く続く部分がほとんどです。
丘を登るといったん帯広の森運動公園に入り、その後折り返し地点を回ってくるのですが、丘から見下ろす西帯広市街や坂を上り下りするランナーの姿は絶景でしょうね。
詳しい内容は「大会公式ホームページ」が立ち上がっていますので、詳しくはそちらをご覧ください。
「2012フードバレーとかちマラソン」公式ホームページ
2012年6月25日(月)
完走記「第27回サロマ湖100kmウルトラマラソン」
ランニング、スポーツ×86
↑私にとっては実際以上に重みを感じる「完走メダル」
やりました。ホッとしました。
6月24日の「第27回サロマ湖100kmウルトラマラソン」を完走することができました。
時間は、12時間28分27秒(腕時計計測)でした。
今回は14年ぶり2回目の挑戦。前回は12時間35分16秒でしたので、少しの自己記録更新となりました。
大会前日の23日に、スタート場所の湧別町に到着。
受付でゼッケンを受け取り、前夜祭に参加したあと、翌日朝5時のスタートまで車内で宿泊しました。
しかし、それが眠れないのです。
受付でゼッケンを受け取る
大会の開会式・前夜祭
車内に泊まるのに慣れていないことと、スペースが狭いため服にゼッケンを付けるなどの作業がやりづらく、明日への準備も何だか不安なのです。
55キロ地点とゴールに運ぶ着替えなどの2つの荷物の内容を考え、赤と青のビニール袋に分けて用意しなければなりません。
寝ていても、何か忘れていないか、朝にすべきことは何かなどが頭を駆け巡ります。
おまけに、車内は寒くなってくるし、寒いので周りの車が暖気のためエンジンをかける音が気になります。
シートも寝心地が悪く、結局ほとんど一睡もできないまま朝を迎えてしまったのです。
近くの公園にテントを張っている方も多くいました。
立ち並ぶテント
朝の天気は小雨。低温と相まって、私の気持ちは100キロを走ることに不安が募り、すっかり自信がなくなっていました。
狭い車内で着替えてスタート地点に向かうと、多くのランナーは雨の対策として外側にビニール袋のポンチョを身につけていました。
ベテランランナーはあらゆる天気を想定して準備をしているもので、私は雨対策が不十分だったことを思い知らされました。
幸運なことに、その後天気は改善し、ゴールでは晴れでした。
ランナーを多くはスタートの前にトイレを済ませます。
スタート地点にも仮設トイレが多く備えてあるのですが、今回は私はトイレ待ちの列に加わるのが遅すぎました。
列に並んでいると思いのほかその進みが遅く、私の前があと2
人というところでスタート3分前のアナウンスが。
13時間走るのだから数分ぐらい…と一瞬思いましたが、その数分で泣くかもしれないことを思い、向きを変えてスタート位置へ。
すでに多くのランナーが並んでいるため、脇の歩道で待ち、朝5時にスタートしたランナー集団の横から入り、最後尾近くから私の100キロの旅が始まりました。
これから長いのですから、スタートのまえ・うしろは気にしても仕方ありません。
それよりもトイレが心配です。
これまで平日の練習は十分とは言えないまでも、「洞爺湖マラソン」「千歳JAL国際マラソン」「鹿追高校完歩大会(然別湖まで26キロ)」と週末の練習を兼ねた大会出場を続けてきました。
きっと走りきれるはずと自分に言い聞かせて臨んだ100キロマラソンでした。
スタート直後は、まだ調子は分かりません。
まずまずの悪くない調子。
しかし、35キロ地点を過ぎた辺りから足に違和感が出始めてきました。
しかも、下腹部にも違和感が。
そうです。その時点ですでにコースを外れて3回も小さいほうのトイレを済ませていたのです。
幸いそれ以降はゴールまでトイレに寄ることはありませんでした。
こんなに早い時点で足に異変が出るとは予想外でした。
今年はすでにフルマラソンを2回経験し、ある程度は耐久力は付いていると思っていたからです。
フルマラソンの距離の地点では、足のシビレが大きくなっていました。
14年前の記憶では、この地点ではまだ余裕があったはずです。
私は気持ちがすっかり弱気になり、もしかして今回は100キロは無理かも、途中の関門でとめられるかもと、悪いことばかり走りながら考えるようになっていました。
少しでも時間の浪費できないと思い、給水所でも水を飲むと足を止めずにそのまま走り続ける、そんなことを繰り返しました。
前回は1箇所1箇所で数分の時間を使っていて、100キロトータルすると馬鹿にならない長さになっていたからです。
55キロ地点の休憩場所では、多くのランナーが預けてあった荷物を受け取り、着替えや軽食などを行ったあとに再出発するのですが、今回私は給水とおにぎりを口に運んで着替えもせずに、すぐ出発することを選択しました。
休憩場所での足の状態は、前回参加と同じように筋肉が硬直してしゃがめない状態でした。
しかし、前回と違う点は、ここまで一度も歩かず走ってきたということです。
その分給水所での時間節約と合わせて、前回よりも時間の貯金は多くできている感触はありました。
しかし、無理して頑張った分、このあと足の状態がますます悪くなってきたのでした。
55キロの休憩地点からの再出発。
しかし、残り45キロ。
フルマラソン以上の距離です。
私は再出発してまもなく、ついに初めて歩いてしまったのです。
しかし、フルマラソンの距離を残して歩き始めては、時間内のゴールはまず無理です。
どうか70キロ地点までは、歩かず走り続けようと心に決めながら、我慢ができず少し歩いては長く走るの繰り返しで70キロ地点に到着しました。
歩きをはさみながらのランニングは当然進みが遅く、これまでの1キロが10キロにも感じられるほど、通過するのに時間がかかるようになっていました。
しかし、どんなに遅くても進み続けている限りは間違いなくゴールは近づいてきます。
私は再び、一つのコースの節目となる80キロ地点のワッカ原生花園の入り口までを目標に定め、走り続けようという意志と気持ちを切らさないようにしながら、前に進み続けたのです。
80キロ地点はゴールまであと2キロぐらいの場所なのですが、ここからワッカ原生花園内に入り約20キロを走ってまた戻ってくる走路となっています。
私は、これまで我慢してきた足の状態が限界に近づいてきたことに加えて、この地点でゴールの制限時間まで3時間30分の余裕があったために、心の弱さを一気に露呈することになったのです。
これまで少し歩いては長く走ることの繰り返しでしたが、ほとんど歩いて少し走る状態になっていました。
歩いていると体を冷えてきます。また、多くのランナーが私を追い抜いていきます。
頑張っているランナーと比べて私は何て恥ずかしい人間なんだ、こんなことでいつゴールにたどり着けるのだろうと心細い思いでいっぱいでした。
すべてを歩いていては、いくら何でも時間の余裕を食いつぶしてしまいます。
再び時間に追われ、ゴール間近でタイムオーバーということになっては、悔やんでも悔やみきれません。
私の心の中で、恐怖心が大きくふくらみだし、再び痛い足を動かして走り始めました。
しかし、もう足は短時間しか走れない状態になっていました。
走っては歩く、歩いては走る、その何度とない繰り返し、それが少しずつでもゴールまでの時間の短縮になってくれれば、そう願うばかりでした。
ワッカを出てゴールまであと2キロ。
やはり走れません。
あと1キロ。
いつもなら、周りにも自分にもいい格好をしようと、必ず走り出してゴールを迎えます。
しかし、走れません。
でも、多くの人々が待つゴールを歩いてくぐることはできません。その瞬間だけでも走って完走を迎えたいです。
あと800メートルぐらいから「よし、行くぞ」と声を張り上げながら、その勢いで私は再び走り始めました。しかも普段のスピードで。
不思議と足の苦痛が感じませんでした。
いや、目の前のゴールに気を取られていたのかもしれません。
そのまま、道路から右に曲がり、北見市常呂スポーツセンター敷地内のゴールアーチをくぐったのです。大きく両手を挙げて。
笑顔でゴールに到着するランナー
ゴールの瞬間は、喜びと合わせて、完走できてホッとした気持ちでいっぱいでした。
そして、早く北見市のホテルに行って、温泉につかりたい思いで頭がいっぱいでした。
車をスタート地点に置いてあるので、予約していたツアーバスで再び湧別町に戻ります。
1時間間隔で運行するバスの出発時間が近づいていたため、完走の余韻に浸る暇もなくバス乗り場へ。
このバスが4000円の運賃で、私の生涯でおそらく一番高級なバスではないかと思います。
バスに乗ってからは、周りの方と少し話をして互いの健闘をたたえ合い、それからは知らないうちに寝てしまっていました。
一度目覚めてもまだ湧別町に着かない、また起きてもまだ着かない。
その時、改めて自分が走った100キロという距離を実感しました。
湧別町から北見市の宿泊ホテルに向かいました。
予約するときに惹かれたのが「天然温泉」の文字。
北見市に到着し、駐車場から足を引きづりながら、何とかホテルにチェックイン。
私の他にも多くのお客さんがきましたが、ほとんどすべて100キロマラソンに参加した方だと思います。
服装や荷物、つらそうな歩き方で分かります。
おそらく、北見市のホテルはランナーとその家族で埋まっているのでしょうね。
部屋に着くなり服を脱ぎ、温泉着姿でお目当ての天然温泉へ。
完走できたあとに温泉に浸かれて、本当によかったです。
もしかすると、失意のなかホテルにいたかもしれないのですから。
温泉を出て、このホテル名物の無料の夜鳴きそば(ラーメン)をいただき、部屋へ。
完走の余韻に浸ろう、できれば北見の夜を楽しみたい。
そんな思いとは裏腹に、知らないうちに寝付いてしまい、気付けば朝。
起き上がろうとしましたが、体中の筋肉が痛くて動かないのです。昨晩に比較できないほど動きません。
それでも朝食に向かおうと、ゆっくりと体を動かすと、徐々にその痛みも和らぎ、歩けるようになってきました。
昨日のゴールのあと、初めての食事らしい食事をおなかいっぱいいただいて、栄養補給。
あとは体の自然治癒力にまかせるしかありません。
「マラソンはスタートが始まりではなく、ゴールで終わるものでもない…」
その言葉のとおり、もっと前から試練が始まっていますし、ゴールしてもまた次が続きます。
2回目の100キロを走ってみて感じることは、とてもつらい競技ですし、完走のためには多くのトレーニングを積まなければなりません。
今、来年も参加するかと問われれば即答はできませんが、おそらく次回も参加していることでしょう。
いや、3回目の完走に向けて、ほぼ間違いなくサロマを走っていることでしょう。
同じコースを一緒に走った多くの仲間が、来年も再びサロマに集うなら、私もその場にいたい。
やりました。ホッとしました。
6月24日の「第27回サロマ湖100kmウルトラマラソン」を完走することができました。
時間は、12時間28分27秒(腕時計計測)でした。
今回は14年ぶり2回目の挑戦。前回は12時間35分16秒でしたので、少しの自己記録更新となりました。
車内で宿泊
大会前日の23日に、スタート場所の湧別町に到着。
受付でゼッケンを受け取り、前夜祭に参加したあと、翌日朝5時のスタートまで車内で宿泊しました。
しかし、それが眠れないのです。
受付でゼッケンを受け取る
大会の開会式・前夜祭
車内に泊まるのに慣れていないことと、スペースが狭いため服にゼッケンを付けるなどの作業がやりづらく、明日への準備も何だか不安なのです。
55キロ地点とゴールに運ぶ着替えなどの2つの荷物の内容を考え、赤と青のビニール袋に分けて用意しなければなりません。
寝ていても、何か忘れていないか、朝にすべきことは何かなどが頭を駆け巡ります。
おまけに、車内は寒くなってくるし、寒いので周りの車が暖気のためエンジンをかける音が気になります。
シートも寝心地が悪く、結局ほとんど一睡もできないまま朝を迎えてしまったのです。
近くの公園にテントを張っている方も多くいました。
立ち並ぶテント
朝5時スタート
朝の天気は小雨。低温と相まって、私の気持ちは100キロを走ることに不安が募り、すっかり自信がなくなっていました。
狭い車内で着替えてスタート地点に向かうと、多くのランナーは雨の対策として外側にビニール袋のポンチョを身につけていました。
ベテランランナーはあらゆる天気を想定して準備をしているもので、私は雨対策が不十分だったことを思い知らされました。
幸運なことに、その後天気は改善し、ゴールでは晴れでした。
ランナーを多くはスタートの前にトイレを済ませます。
スタート地点にも仮設トイレが多く備えてあるのですが、今回は私はトイレ待ちの列に加わるのが遅すぎました。
列に並んでいると思いのほかその進みが遅く、私の前があと2
人というところでスタート3分前のアナウンスが。
13時間走るのだから数分ぐらい…と一瞬思いましたが、その数分で泣くかもしれないことを思い、向きを変えてスタート位置へ。
すでに多くのランナーが並んでいるため、脇の歩道で待ち、朝5時にスタートしたランナー集団の横から入り、最後尾近くから私の100キロの旅が始まりました。
これから長いのですから、スタートのまえ・うしろは気にしても仕方ありません。
それよりもトイレが心配です。
100キロの旅
これまで平日の練習は十分とは言えないまでも、「洞爺湖マラソン」「千歳JAL国際マラソン」「鹿追高校完歩大会(然別湖まで26キロ)」と週末の練習を兼ねた大会出場を続けてきました。
きっと走りきれるはずと自分に言い聞かせて臨んだ100キロマラソンでした。
スタート直後は、まだ調子は分かりません。
まずまずの悪くない調子。
しかし、35キロ地点を過ぎた辺りから足に違和感が出始めてきました。
しかも、下腹部にも違和感が。
そうです。その時点ですでにコースを外れて3回も小さいほうのトイレを済ませていたのです。
幸いそれ以降はゴールまでトイレに寄ることはありませんでした。
こんなに早い時点で足に異変が出るとは予想外でした。
今年はすでにフルマラソンを2回経験し、ある程度は耐久力は付いていると思っていたからです。
フルマラソンの距離の地点では、足のシビレが大きくなっていました。
14年前の記憶では、この地点ではまだ余裕があったはずです。
私は気持ちがすっかり弱気になり、もしかして今回は100キロは無理かも、途中の関門でとめられるかもと、悪いことばかり走りながら考えるようになっていました。
少しでも時間の浪費できないと思い、給水所でも水を飲むと足を止めずにそのまま走り続ける、そんなことを繰り返しました。
前回は1箇所1箇所で数分の時間を使っていて、100キロトータルすると馬鹿にならない長さになっていたからです。
55キロの休憩場所
55キロ地点の休憩場所では、多くのランナーが預けてあった荷物を受け取り、着替えや軽食などを行ったあとに再出発するのですが、今回私は給水とおにぎりを口に運んで着替えもせずに、すぐ出発することを選択しました。
休憩場所での足の状態は、前回参加と同じように筋肉が硬直してしゃがめない状態でした。
しかし、前回と違う点は、ここまで一度も歩かず走ってきたということです。
その分給水所での時間節約と合わせて、前回よりも時間の貯金は多くできている感触はありました。
しかし、無理して頑張った分、このあと足の状態がますます悪くなってきたのでした。
まだフルマラソン分を走る
55キロの休憩地点からの再出発。
しかし、残り45キロ。
フルマラソン以上の距離です。
私は再出発してまもなく、ついに初めて歩いてしまったのです。
しかし、フルマラソンの距離を残して歩き始めては、時間内のゴールはまず無理です。
どうか70キロ地点までは、歩かず走り続けようと心に決めながら、我慢ができず少し歩いては長く走るの繰り返しで70キロ地点に到着しました。
歩きをはさみながらのランニングは当然進みが遅く、これまでの1キロが10キロにも感じられるほど、通過するのに時間がかかるようになっていました。
しかし、どんなに遅くても進み続けている限りは間違いなくゴールは近づいてきます。
私は再び、一つのコースの節目となる80キロ地点のワッカ原生花園の入り口までを目標に定め、走り続けようという意志と気持ちを切らさないようにしながら、前に進み続けたのです。
ようやくワッカ原生花園
80キロ地点はゴールまであと2キロぐらいの場所なのですが、ここからワッカ原生花園内に入り約20キロを走ってまた戻ってくる走路となっています。
私は、これまで我慢してきた足の状態が限界に近づいてきたことに加えて、この地点でゴールの制限時間まで3時間30分の余裕があったために、心の弱さを一気に露呈することになったのです。
これまで少し歩いては長く走ることの繰り返しでしたが、ほとんど歩いて少し走る状態になっていました。
歩いていると体を冷えてきます。また、多くのランナーが私を追い抜いていきます。
頑張っているランナーと比べて私は何て恥ずかしい人間なんだ、こんなことでいつゴールにたどり着けるのだろうと心細い思いでいっぱいでした。
すべてを歩いていては、いくら何でも時間の余裕を食いつぶしてしまいます。
再び時間に追われ、ゴール間近でタイムオーバーということになっては、悔やんでも悔やみきれません。
私の心の中で、恐怖心が大きくふくらみだし、再び痛い足を動かして走り始めました。
しかし、もう足は短時間しか走れない状態になっていました。
走っては歩く、歩いては走る、その何度とない繰り返し、それが少しずつでもゴールまでの時間の短縮になってくれれば、そう願うばかりでした。
ワッカを出てゴールへ
ワッカを出てゴールまであと2キロ。
やはり走れません。
あと1キロ。
いつもなら、周りにも自分にもいい格好をしようと、必ず走り出してゴールを迎えます。
しかし、走れません。
でも、多くの人々が待つゴールを歩いてくぐることはできません。その瞬間だけでも走って完走を迎えたいです。
あと800メートルぐらいから「よし、行くぞ」と声を張り上げながら、その勢いで私は再び走り始めました。しかも普段のスピードで。
不思議と足の苦痛が感じませんでした。
いや、目の前のゴールに気を取られていたのかもしれません。
そのまま、道路から右に曲がり、北見市常呂スポーツセンター敷地内のゴールアーチをくぐったのです。大きく両手を挙げて。
笑顔でゴールに到着するランナー
ゴールの瞬間は、喜びと合わせて、完走できてホッとした気持ちでいっぱいでした。
そして、早く北見市のホテルに行って、温泉につかりたい思いで頭がいっぱいでした。
再びスタート地点へ
車をスタート地点に置いてあるので、予約していたツアーバスで再び湧別町に戻ります。
1時間間隔で運行するバスの出発時間が近づいていたため、完走の余韻に浸る暇もなくバス乗り場へ。
このバスが4000円の運賃で、私の生涯でおそらく一番高級なバスではないかと思います。
バスに乗ってからは、周りの方と少し話をして互いの健闘をたたえ合い、それからは知らないうちに寝てしまっていました。
一度目覚めてもまだ湧別町に着かない、また起きてもまだ着かない。
その時、改めて自分が走った100キロという距離を実感しました。
北見市のホテルへ
湧別町から北見市の宿泊ホテルに向かいました。
予約するときに惹かれたのが「天然温泉」の文字。
北見市に到着し、駐車場から足を引きづりながら、何とかホテルにチェックイン。
私の他にも多くのお客さんがきましたが、ほとんどすべて100キロマラソンに参加した方だと思います。
服装や荷物、つらそうな歩き方で分かります。
おそらく、北見市のホテルはランナーとその家族で埋まっているのでしょうね。
部屋に着くなり服を脱ぎ、温泉着姿でお目当ての天然温泉へ。
完走できたあとに温泉に浸かれて、本当によかったです。
もしかすると、失意のなかホテルにいたかもしれないのですから。
温泉を出て、このホテル名物の無料の夜鳴きそば(ラーメン)をいただき、部屋へ。
完走の余韻に浸ろう、できれば北見の夜を楽しみたい。
そんな思いとは裏腹に、知らないうちに寝付いてしまい、気付けば朝。
起き上がろうとしましたが、体中の筋肉が痛くて動かないのです。昨晩に比較できないほど動きません。
それでも朝食に向かおうと、ゆっくりと体を動かすと、徐々にその痛みも和らぎ、歩けるようになってきました。
昨日のゴールのあと、初めての食事らしい食事をおなかいっぱいいただいて、栄養補給。
あとは体の自然治癒力にまかせるしかありません。
来年は…
「マラソンはスタートが始まりではなく、ゴールで終わるものでもない…」
その言葉のとおり、もっと前から試練が始まっていますし、ゴールしてもまた次が続きます。
2回目の100キロを走ってみて感じることは、とてもつらい競技ですし、完走のためには多くのトレーニングを積まなければなりません。
今、来年も参加するかと問われれば即答はできませんが、おそらく次回も参加していることでしょう。
いや、3回目の完走に向けて、ほぼ間違いなくサロマを走っていることでしょう。
同じコースを一緒に走った多くの仲間が、来年も再びサロマに集うなら、私もその場にいたい。