環境・ミューア製品(78)
2011年12月8日(木)
チェルノブイリからの警告・・・
2011年4月17日(日)
問われる日本のエネルギー将来像
環境・ミューア製品×78
昨日、こんなニュースを見ました。
「問われる日本のエネルギー将来像(1)」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000001-wsj-bus_all
こんなふうになっていけたらいいな~と思いました。
たくさんの痛みを、日本、世界が前進していくことに向けていかなくちゃとおもいます。
過去へ戻るのではなく、今を捨てるのもでなく、未来に生かしていくことで、大きな大きな転機になるかもしれませんね~・・
昨日はちょこッと十勝プラザへ出向き、生「YUIさん」と生「ヒールスペースさん」にお会いできました。「ねこまたやさん」も勝手に遠くから見させていただきました。忙しそうでした(笑)あ、宇井農場の宇井さんにもお会いできました。蕎麦の実を落とす道具の名前を教えていただいたのに、記憶失いました><ごめんなさい。。
お会いして・・縁遠くなりませんように~(*^^*)
「問われる日本のエネルギー将来像(1)」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000001-wsj-bus_all
こんなふうになっていけたらいいな~と思いました。
たくさんの痛みを、日本、世界が前進していくことに向けていかなくちゃとおもいます。
過去へ戻るのではなく、今を捨てるのもでなく、未来に生かしていくことで、大きな大きな転機になるかもしれませんね~・・
昨日はちょこッと十勝プラザへ出向き、生「YUIさん」と生「ヒールスペースさん」にお会いできました。「ねこまたやさん」も勝手に遠くから見させていただきました。忙しそうでした(笑)あ、宇井農場の宇井さんにもお会いできました。蕎麦の実を落とす道具の名前を教えていただいたのに、記憶失いました><ごめんなさい。。
お会いして・・縁遠くなりませんように~(*^^*)
2011年4月12日(火)
13人のグランマザー クララさんのお話
2011年4月10日(日)
放射能と原子力発電に向かい合う
環境・ミューア製品×78
田中優さん緊急講演会
「今、放射能と原子力発電に向かい合い語り合う電気と僕たちの新しい未来」
http://www.ustream.tv/recorded/13789149
を見ていました。
全てが正しいかどうか私には分かりませんが、
時間をかけて、分かりやすく話されていました。
放射能の対策にも触れていました。
長いですが、興味があれば情報の一つとして見てみてください。私自身は、得たいの知れない不安や疑問の中にいるより、ずっといいかなと思いました。
食に関してもそうですが、全く正反対の情報が流れたりすることは多々あります。どちらも正しいかもしれないし、どちらも違っているかもしれない。時代のながれで変化していくこともあるかもしれない。無関心にはなりたくないので、自分で得られる情報から自分が選んで行くしかないですね・・。
コメント欄にワンクリックで見られるようにアドレス入れます。
「今、放射能と原子力発電に向かい合い語り合う電気と僕たちの新しい未来」
http://www.ustream.tv/recorded/13789149
を見ていました。
全てが正しいかどうか私には分かりませんが、
時間をかけて、分かりやすく話されていました。
放射能の対策にも触れていました。
長いですが、興味があれば情報の一つとして見てみてください。私自身は、得たいの知れない不安や疑問の中にいるより、ずっといいかなと思いました。
食に関してもそうですが、全く正反対の情報が流れたりすることは多々あります。どちらも正しいかもしれないし、どちらも違っているかもしれない。時代のながれで変化していくこともあるかもしれない。無関心にはなりたくないので、自分で得られる情報から自分が選んで行くしかないですね・・。
コメント欄にワンクリックで見られるようにアドレス入れます。
2011年4月8日(金)
原発のない日本へ! 2
環境・ミューア製品×78
2年ほど前このサイトを見る機会があり、とても衝撃を覚えました。
転載続き・・・
<追伸>
この呼びかけを進めると同時に、共鳴してくれた有志の協力で情報収集を
進めてきました。
そして、平井憲夫さんの「原発がどんなものか知って欲しい」という
サイトを発見しました。
20年間原発の現場で働いてきた平井さんが語る原発のほんとうの姿1~21。
知ろう!の第一歩として知るべき基本情報です。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/page20.html
--------------------------------------------------------------------------------
平井憲夫 原発がどんなものか知ってほしい20 より
http://www.iam-t.jp/HIRAI/page20.html
私、子ども生んでも大丈夫ですか。
たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、
教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。 どこへ行っても、必ずこの
お話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけは
ぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人く
らいの人が来ていました。 その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人
の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。
話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が
泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。
私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特に
ここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもた
ちのためにと言って、運動するふりばかりしている。
私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。 原子力発電所
の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いという
のは、本を読んで知っている。 私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。
私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞い
ているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命
反対してくれなかったのか。 まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせ
たじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。
ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもが
いたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃
げない」って、泣きながら訴えました。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、
「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らな
かったそうです。
これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇
キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。 そういう悩みを今の中学生、
高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者「平井憲夫さん」について:
1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター
代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原
発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、
本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言って
いたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。
原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。
平井憲夫
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追伸 ここまで>
転載続き・・・
<追伸>
この呼びかけを進めると同時に、共鳴してくれた有志の協力で情報収集を
進めてきました。
そして、平井憲夫さんの「原発がどんなものか知って欲しい」という
サイトを発見しました。
20年間原発の現場で働いてきた平井さんが語る原発のほんとうの姿1~21。
知ろう!の第一歩として知るべき基本情報です。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/page20.html
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平井憲夫 原発がどんなものか知ってほしい20 より
http://www.iam-t.jp/HIRAI/page20.html
私、子ども生んでも大丈夫ですか。
たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、
教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。 どこへ行っても、必ずこの
お話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけは
ぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人く
らいの人が来ていました。 その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人
の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。
話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が
泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。
私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特に
ここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもた
ちのためにと言って、運動するふりばかりしている。
私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。 原子力発電所
の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いという
のは、本を読んで知っている。 私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。
私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞い
ているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命
反対してくれなかったのか。 まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせ
たじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。
ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもが
いたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃
げない」って、泣きながら訴えました。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、
「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らな
かったそうです。
これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇
キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。 そういう悩みを今の中学生、
高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者「平井憲夫さん」について:
1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター
代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原
発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。
私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、
本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言って
いたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。
原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。
平井憲夫
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追伸 ここまで>