2011年3月18日(金)
3.11 東京出張 備忘録
日々の出来事×1
“ | 2011.03.11 震災の日の事を覚えておく為の、 |
グランドハイアット東京にて開催された
「西川チェーン総会」に出席し、
翌日 3月11日(金) 東京出張最終日、
14:00頃まで、西川産業 本社にて商談。
JAL最終便まで時間があるので、羽田に向かう前に
北千住駅ビルの「 富澤商店 」と「 成城石井 」に寄ることにする。
東京メトロ 人形町駅のコインロッカーに、手荷物を入れ
地下鉄 日比谷線 に乗車。
北千住駅手前で、地震発生。緊急停車。
車内の雰囲気は意外と落ち着いていて、
「まもなく運転再開」と、楽観的なアナウンスが流れる。
携帯は既に繋がらず、妻にメールで現状を連絡。14:56
間を空けずに、強い余震が発生、電車もグラグラと揺れる。
携帯のワンセグ放送で、地震速報を見る。
太平洋沿岸に大津波注意報発令。
間もなく、電車が時速 5kmの徐行運転開始。
速度が遅すぎて、ガックンガックンとノックするような走り方。
やっと北千住駅に到着。
速やかに駅構内から非難するよう誘導され、外に出ると、
高架歩道には沢山の人々。大型モニタに写る地震報道を
見上げている。
やがて、駅舎、駅ビルのシャッターが閉まり始める。
妻に、連絡メール(今日は帰れんかもね)15:31
警察官の誘導に従い、荒川の土手まで避難しながら、
これからどうするか考える。
公園の公衆電話には、長蛇の列。携帯は発信すら出来ない。
高架下は人があふれている。しばらく様子を見ていたが、タクシーもバスもなかなか来ない。
荒川の土手まで続く人々の列
二駅隣りの亀有に兄が住んでいるので、
先方に連絡出来ない状態だが、タクシーで行くことにする。
高い建物を避け、商店街を通り、駅へ引き返すが、
駅前は既に人であふれ、タクシーが来る気配すらない。
避難所(小学校)は定員に達したとの放送が聞こえる。
周辺のホテルも満室らしい。
徒歩で亀有まで行くことに決めた。
幸いなことに、iPadだけは、コインロッカーに入れずに、
持ち出していたので、グーグルマップで経路を調べる。
wifiモデルと迷って購入したwifi + 3GモデルのiPadだったが、
GPS機能が、こんな事態で役に立つとは思わなかった。
妻から固定電話からの着信あり。16:12
固定電話から携帯へ着信は可能なようだ、
それでも、何十回もリダイヤルしてくれたらしい。
亀有までの経路(再現画像)
亀有まで5km弱。大した距離ではないが、
iPadが無かったら迷子になっていたか、タクシーを捜し続けていたかもしれない。
吉野家で急いで腹ごしらえして出発。
荒川の堀切橋 交差点に来ると、帰宅を急ぐ人たちで一杯だ。
風が強く吹き始めて寒くなってきた。
皆、無言で長い橋を渡っている。
約1時間後、西亀有の兄の家に到着。
インターホンを鳴らすが不在。誰かが被災したのか?
8歳の甥っ子の通う小学校を訪ね、事情を話すと、
甥っ子は、おばあちゃんが迎えに来たとの事。
お嫁さんの実家に避難しているのは分かったが、
住所が分からず、妻にメール(住所教えて~)
30分遅れで返信メール到着→目的住所へ向かう。19:01
お嫁さんの実家 到着。
いきなりの訪問で驚かせてしまったが、快く迎えて頂いた。
夕食に作って頂いた 温かいおうどんで身も心も温まった。
兄は、大阪出張中。お嫁さんは赤坂の勤務先で足止め。
姪っ子は、今夜は千葉の中学校で宿泊との事。
甥っ子だけが、亀有にいた(本人1人で不安だっただろうなぁ)
その夜は、兄の家で、甥っ子と、ペットのコーギー犬と
留守番。朝まで余震が絶えなかった。
翌日(12日)は、帯広行きJAL便は全て満席。
翌々日(13日) 13:00羽田発の便で帯広へ帰る。
------------------------------------------------------
とにかく、東京の親戚の皆さんに感謝です。お世話になりました。
比較的、軽い帰宅困難だったけど、慣れない土地で、
携帯が全く使えない中、帯広から電話してくれた妻の声にも
励まされました。ありがとう。
私を亀有まで導いてくれたiPad君、大切にします。
とかち帯広空港からの帰路にて。
いつになく安らぐ風景でした。
「西川チェーン総会」に出席し、
翌日 3月11日(金) 東京出張最終日、
14:00頃まで、西川産業 本社にて商談。
JAL最終便まで時間があるので、羽田に向かう前に
北千住駅ビルの「 富澤商店 」と「 成城石井 」に寄ることにする。
東京メトロ 人形町駅のコインロッカーに、手荷物を入れ
地下鉄 日比谷線 に乗車。
北千住駅手前で、地震発生。緊急停車。
車内の雰囲気は意外と落ち着いていて、
「まもなく運転再開」と、楽観的なアナウンスが流れる。
携帯は既に繋がらず、妻にメールで現状を連絡。14:56
間を空けずに、強い余震が発生、電車もグラグラと揺れる。
携帯のワンセグ放送で、地震速報を見る。
太平洋沿岸に大津波注意報発令。
間もなく、電車が時速 5kmの徐行運転開始。
速度が遅すぎて、ガックンガックンとノックするような走り方。
やっと北千住駅に到着。
速やかに駅構内から非難するよう誘導され、外に出ると、
高架歩道には沢山の人々。大型モニタに写る地震報道を
見上げている。
やがて、駅舎、駅ビルのシャッターが閉まり始める。
妻に、連絡メール(今日は帰れんかもね)15:31
警察官の誘導に従い、荒川の土手まで避難しながら、
これからどうするか考える。
公園の公衆電話には、長蛇の列。携帯は発信すら出来ない。
高架下は人があふれている。しばらく様子を見ていたが、タクシーもバスもなかなか来ない。
荒川の土手まで続く人々の列
二駅隣りの亀有に兄が住んでいるので、
先方に連絡出来ない状態だが、タクシーで行くことにする。
高い建物を避け、商店街を通り、駅へ引き返すが、
駅前は既に人であふれ、タクシーが来る気配すらない。
避難所(小学校)は定員に達したとの放送が聞こえる。
周辺のホテルも満室らしい。
徒歩で亀有まで行くことに決めた。
幸いなことに、iPadだけは、コインロッカーに入れずに、
持ち出していたので、グーグルマップで経路を調べる。
wifiモデルと迷って購入したwifi + 3GモデルのiPadだったが、
GPS機能が、こんな事態で役に立つとは思わなかった。
妻から固定電話からの着信あり。16:12
固定電話から携帯へ着信は可能なようだ、
それでも、何十回もリダイヤルしてくれたらしい。
亀有までの経路(再現画像)
亀有まで5km弱。大した距離ではないが、
iPadが無かったら迷子になっていたか、タクシーを捜し続けていたかもしれない。
吉野家で急いで腹ごしらえして出発。
荒川の堀切橋 交差点に来ると、帰宅を急ぐ人たちで一杯だ。
風が強く吹き始めて寒くなってきた。
皆、無言で長い橋を渡っている。
約1時間後、西亀有の兄の家に到着。
インターホンを鳴らすが不在。誰かが被災したのか?
8歳の甥っ子の通う小学校を訪ね、事情を話すと、
甥っ子は、おばあちゃんが迎えに来たとの事。
お嫁さんの実家に避難しているのは分かったが、
住所が分からず、妻にメール(住所教えて~)
30分遅れで返信メール到着→目的住所へ向かう。19:01
お嫁さんの実家 到着。
いきなりの訪問で驚かせてしまったが、快く迎えて頂いた。
夕食に作って頂いた 温かいおうどんで身も心も温まった。
兄は、大阪出張中。お嫁さんは赤坂の勤務先で足止め。
姪っ子は、今夜は千葉の中学校で宿泊との事。
甥っ子だけが、亀有にいた(本人1人で不安だっただろうなぁ)
その夜は、兄の家で、甥っ子と、ペットのコーギー犬と
留守番。朝まで余震が絶えなかった。
翌日(12日)は、帯広行きJAL便は全て満席。
翌々日(13日) 13:00羽田発の便で帯広へ帰る。
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とにかく、東京の親戚の皆さんに感謝です。お世話になりました。
比較的、軽い帰宅困難だったけど、慣れない土地で、
携帯が全く使えない中、帯広から電話してくれた妻の声にも
励まされました。ありがとう。
私を亀有まで導いてくれたiPad君、大切にします。
とかち帯広空港からの帰路にて。
いつになく安らぐ風景でした。
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