2012年12月19日(水)
毒ばぁちゃんにありがとう
ひとりごと×66
お久しブログなのにちょっと悲しい話題でごめんなさい。
16日の夜、私の母方の祖母、「毒ばぁちゃん」が88歳でこの世にさよならして行きました。
まぁまぁせっかちなばぁちゃんだっただけに、さよならするのもあっという間。
15日の夜にお腹が痛いと特老から病院へ、16日の午後危篤の連絡を受け急いで病院へ。
病室に入ると苦しそうに肩で息をするばぁちゃん・・・。
ママン「ばぁちゃん?わかる?」と聞くとしっかりと頷いてくれた。
一時血圧が下がり危ない状態だったばぁちゃんは、みんなの顔を見たせいか少し落ち着いたように見えた。
大丈夫そうだからと私たち一家は一度帰宅。
ママン「ばぁちゃん、頑張れ!また来るからね?」の言葉にかすかな声で、
ばぁちゃん「気をつけて帰れ・・・」
ママン「うん、バイバイ」
凄く辛いだろうに、ばぁちゃんは手を振ろうと手を動かしてくれました。
それから5時間後、ばぁちゃんは本当にバイバイして行ってしまった・・・。
母からの電話「やっぱりもうダメみたい・・・あんたどうする?子供達いるから無理して来なくても・・・」
ママン「いや、ばぁちゃんは私のお母さんみたいなもんだもん行く!」とパパンに子供たちを任せて病院へ、その日はどこもかしこも凄く濃い霧・・・恐る恐る車を走らせながらばぁちゃんの事考える・・・。
本当に最後かもしれない・・・ちゃんと沢山ありがとう言わなきゃ、どうしよう・・・どうしよう・・・ばぁちゃん・・。
病院に着いた、ばぁちゃん危いんじゃないじゃん・・・もう死んじゃったんじゃん・・・。
もう連絡が来た30分くらい前にばぁちゃんは一人で行っちゃった。
オデコをなでるとまだ温かった、沢山のお疲れ様と沢山のありがとうを頭を撫でながら伝えました。
弟夫婦も駆けつけて弟とばぁちゃんのそばで沢山思い出話しました。
毒ばぁちゃん、早くにじぃちゃんが亡くなり8人の子供たちを必死で育ててきた、一人暮らしも長く、いつの日が我が強すぎるばぁちゃんに(笑)
父と母の離婚後、週に3回は幕別から電車で私たちのいる豊頃へ電車で通い面倒を見に来てくれていたばぁちゃん。
運動会・参観日・看護師をしている忙しい母親の代わりに何でも出てくれていたばぁちゃん。登山学習では60過ぎて弟と一緒に山登り!新聞にも載った元気ばぁちゃん!
たっくさん怒られたし、たっくさん喧嘩した(笑)
中学生になり、遊びに来ていた友達に、
「ちょっとあんた!!布団の上に乗るな!綿がちぎれる!」
「お邪魔しますも言わんのか?」
「早く帰れ!」
空気をまったく読まず怒り散らす毒ばぁちゃんとのバトルは毎日の様にあったなぁ(笑)
その反面、ばぁちゃんの笑い声はみんなも笑わせる魔法の笑い。
笑い方が面白くて、ばぁちゃん笑うと絶対私も笑っちゃう。
一緒に暮らしていた頃は良く3歳の長女とかるたをしていた。そのおかげで長女は文字を覚えたよ♪
ばぁちゃんもボケ防止だねって毎日やってた。
孫の中で一番沢山の迷惑や心配をかけてしまった。
孫の中で一番ばぁちゃんとの時間が沢山あった。
もっともっとしてあげられる事あった、もっともっと優しく出来た。
ばぁちゃんがなくなってから何度も何度も思い出すのは笑い顔・・・。
赤茶色の丹前を着て、正座をして、手に絶対食べ物持って笑ってるばぁちゃん。
小学生の頃、何度も弟と三人で行き来した幕別の駅からの並木道・・・風呂敷を背負って二人の手を取り長い道のりを良く歩いたね。
汽車の待ち時間、「ほれ!アメ舐めるか?」と出されるのは必ずといっていい程長方形のでっかなハッカ飴・・・。
食べられないの知ってて意地悪ばぁちゃん、自分だけうまそうに口の中でコロンコロン。
そういえばその後ちゃんとカンロ飴くれてたね(笑)
沢山のありがとう、沢山のごめんね・・・言い足りないなぁ。
まだまだ実感はないんだけど何だかポッカリと穴が空いてます。
最後は毒を吐かず「気をつけて帰れ」とてを振ってくれたばぁちゃん、私は頑張るからね♪
笑って見ててよ?
いや毒ばぁちゃんでいいや(*´∀`*)
本当に、本当にありがとう!
お疲れ様でした!!
これからは心の中でばぁちゃんと思い出話しようね♪
読んでて気を悪くされた方がいたらごめんなさい・・・ここを通して、自分なりの気持ちの整理と思い出の整理がしたくて(´∀`*)
お待たせしてしまっているビンゴナンバー発表は次のブログからさせてもらいますね(n‘∀‘)η
16日の夜、私の母方の祖母、「毒ばぁちゃん」が88歳でこの世にさよならして行きました。
まぁまぁせっかちなばぁちゃんだっただけに、さよならするのもあっという間。
15日の夜にお腹が痛いと特老から病院へ、16日の午後危篤の連絡を受け急いで病院へ。
病室に入ると苦しそうに肩で息をするばぁちゃん・・・。
ママン「ばぁちゃん?わかる?」と聞くとしっかりと頷いてくれた。
一時血圧が下がり危ない状態だったばぁちゃんは、みんなの顔を見たせいか少し落ち着いたように見えた。
大丈夫そうだからと私たち一家は一度帰宅。
ママン「ばぁちゃん、頑張れ!また来るからね?」の言葉にかすかな声で、
ばぁちゃん「気をつけて帰れ・・・」
ママン「うん、バイバイ」
凄く辛いだろうに、ばぁちゃんは手を振ろうと手を動かしてくれました。
それから5時間後、ばぁちゃんは本当にバイバイして行ってしまった・・・。
母からの電話「やっぱりもうダメみたい・・・あんたどうする?子供達いるから無理して来なくても・・・」
ママン「いや、ばぁちゃんは私のお母さんみたいなもんだもん行く!」とパパンに子供たちを任せて病院へ、その日はどこもかしこも凄く濃い霧・・・恐る恐る車を走らせながらばぁちゃんの事考える・・・。
本当に最後かもしれない・・・ちゃんと沢山ありがとう言わなきゃ、どうしよう・・・どうしよう・・・ばぁちゃん・・。
病院に着いた、ばぁちゃん危いんじゃないじゃん・・・もう死んじゃったんじゃん・・・。
もう連絡が来た30分くらい前にばぁちゃんは一人で行っちゃった。
オデコをなでるとまだ温かった、沢山のお疲れ様と沢山のありがとうを頭を撫でながら伝えました。
弟夫婦も駆けつけて弟とばぁちゃんのそばで沢山思い出話しました。
毒ばぁちゃん、早くにじぃちゃんが亡くなり8人の子供たちを必死で育ててきた、一人暮らしも長く、いつの日が我が強すぎるばぁちゃんに(笑)
父と母の離婚後、週に3回は幕別から電車で私たちのいる豊頃へ電車で通い面倒を見に来てくれていたばぁちゃん。
運動会・参観日・看護師をしている忙しい母親の代わりに何でも出てくれていたばぁちゃん。登山学習では60過ぎて弟と一緒に山登り!新聞にも載った元気ばぁちゃん!
たっくさん怒られたし、たっくさん喧嘩した(笑)
中学生になり、遊びに来ていた友達に、
「ちょっとあんた!!布団の上に乗るな!綿がちぎれる!」
「お邪魔しますも言わんのか?」
「早く帰れ!」
空気をまったく読まず怒り散らす毒ばぁちゃんとのバトルは毎日の様にあったなぁ(笑)
その反面、ばぁちゃんの笑い声はみんなも笑わせる魔法の笑い。
笑い方が面白くて、ばぁちゃん笑うと絶対私も笑っちゃう。
一緒に暮らしていた頃は良く3歳の長女とかるたをしていた。そのおかげで長女は文字を覚えたよ♪
ばぁちゃんもボケ防止だねって毎日やってた。
孫の中で一番沢山の迷惑や心配をかけてしまった。
孫の中で一番ばぁちゃんとの時間が沢山あった。
もっともっとしてあげられる事あった、もっともっと優しく出来た。
ばぁちゃんがなくなってから何度も何度も思い出すのは笑い顔・・・。
赤茶色の丹前を着て、正座をして、手に絶対食べ物持って笑ってるばぁちゃん。
小学生の頃、何度も弟と三人で行き来した幕別の駅からの並木道・・・風呂敷を背負って二人の手を取り長い道のりを良く歩いたね。
汽車の待ち時間、「ほれ!アメ舐めるか?」と出されるのは必ずといっていい程長方形のでっかなハッカ飴・・・。
食べられないの知ってて意地悪ばぁちゃん、自分だけうまそうに口の中でコロンコロン。
そういえばその後ちゃんとカンロ飴くれてたね(笑)
沢山のありがとう、沢山のごめんね・・・言い足りないなぁ。
まだまだ実感はないんだけど何だかポッカリと穴が空いてます。
最後は毒を吐かず「気をつけて帰れ」とてを振ってくれたばぁちゃん、私は頑張るからね♪
笑って見ててよ?
いや毒ばぁちゃんでいいや(*´∀`*)
本当に、本当にありがとう!
お疲れ様でした!!
これからは心の中でばぁちゃんと思い出話しようね♪
読んでて気を悪くされた方がいたらごめんなさい・・・ここを通して、自分なりの気持ちの整理と思い出の整理がしたくて(´∀`*)
お待たせしてしまっているビンゴナンバー発表は次のブログからさせてもらいますね(n‘∀‘)η
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