2007年8月8日(水)
2007年の真夏に想う
社会生活×51
毎年夏休みのこの時期になると、広島・長崎の原爆投下慰霊の日を迎えます。
この日は、色々な考え方の人達が、平和について、過去の戦争や今起きている紛争に対して意見を述べ合うのですが、それぞれが思い思いの方向を向いて発言するだけで、何一つ意見の集約を見ないまま、返って虚脱感を感じてしまうのです。
今の日本人は、経験にも歴史にも学ぶことが出来るはずなのに。
テレビの向こう側で見守っている私を含めた多くの人々が、これと信ずる何かを自ら見つけ出さなければ、いつの日にか降りかかるかもしれない戦争に直面した時、再び誤った方向へ向うかもしれない。
ここ数年、アメリカ9.11危機以来の、世界を巻き込んだ対テロ・宗教国家に対する西側諸国を中心とした軍事介入が当たり前のようになりました。
9.11における犠牲者約3000人に対して、8月6日現在の米国側死者数3659人、米軍以外の有志連合軍を含めた数は3964人となっている。
http://www.econ.keio.ac.jp/staff/nobu/iraq/casualty.htm
これだけの数の死者を出した米国を中心とした「戦争」は、米国民を始めとした日本を含む西側諸国全ての国民にとって、新しい世紀に過去のおぞましい2度の大戦を思い起こさせるに充分なものだと思う。
イスラエルを中心にくすぶり続ける中東危機も、
イラン・イラクを中心に起きている対宗教国家戦争も予断を許さぬ状況に変わりありません。
さらに、ここから遠くない北東アジアに北朝鮮を中心とした戦争状態があるのですから。
6ヶ国協議も、結局は朝鮮戦争の当事者国である韓国・北朝鮮とその後方支援国中国・米国の4カ国の話し合いで収束するでしょう。日本とロシアは蚊帳の外。
結局拉致問題は6ヶ国協議で解決できない事を、外務省は認識していながら国民をだまし続けた事になります。
これは戦時下の大本営発表で国民をだました事に等しい。
これ一つ採っても、日本は独自の見解をしっかりと持った国にならなければ将来が危ういと考えます。
世界唯一の被爆国、そして敗戦国。
戦争に勝者・敗者がある以上、戦争犯罪の加害者としての立場は否応にも押しつけられます。
アメリカは本土を戦場としていません。
その一面だけ採っても、アメリカは戦争を利用した国益の拡大を図ったというそしりは免れない。
その事を帝国主義と呼ばれても反論できない。
このように、戦争は見る側によって裏表が一変するのです。
原爆の投下が、北海道にソ連が入るのを止めたという理屈がある。
十勝のみなさんは、それを鵜呑みに出来ますか?
そこまで自由な議論が認められるなら、
全く違う視点で日本を見たとき、沖縄戦の悲惨さは、なぜか広島・長崎のそれとは、同一視されていないと思うのです。同じように空襲で焦土と化した日本中の市民は、手段と方法が違うとは言え、沖縄のそれとは同じに扱われません。
人の死やその過程に歴史的評価の格差を国民自身が生んでしまったように思われます。
激戦地で亡くなった人達がやたらとクローズアップされる。
戦争における人の死はいついかなる場合でも等しく悲しいものなのに。
原因を作ったアメリカによる巧みな情報操作が、日本国民に違う戦争体験を作り出したように思うのです。
被爆した人、そうでない人。
上陸戦に巻き込まれた人、そうでない人。
私たち日本人は、心をアメリカ政府に操作されすぎてはいまいか?
6ヶ国協議のヒル次官のように、何かとイチローや松坂の話題で日本国民を煙に巻くやり方は、彼個人の手法ではなく、アメリカそのものと考えなければおかしい。
アメリカは一度も国土を戦場としていない。だからへらへらしていられる。
政府は基地問題の見返りに、沖縄と北海道を括って大臣を置き、利権の温床を脈々と作りあげている。
その高市早苗がつくそのポスト
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)、元々は 北海道開発長官・沖縄開発庁長官 と呼ばれ、あのムネオも就いていた職、
その職におかしいと気付いている国民は少ない。
沖縄に関しては、経験上勤労意欲や道徳観と言ったものが著しくそれ以外の日本地域と違うように思う。県庁職員がアロハを着てアフロヘアーで働いているくらいだから。
何かとあれば基地問題、何かとあれば上陸戦の行なわれた民間人の悲劇、と持ち出してくる。
戦争・基地に寄りかかって、自らを投げ出している。
同じ日本人として、時に疑問を感じる事が多い。
富山だって空襲を受け、ものすごい数の民間人が犠牲になったのだ。
戦争経験のない世代の私だから、はっきりと「沖縄も富山も同等に扱え」と言える。
国民が統一した2次大戦に対する意見を持てない以上、日本は有事に対して再びアメリカに振り回される悲劇が待っていると思うのだが。
安部首相は8月15日に靖国神社を参拝して、6ヶ国協議が日本の安全に寄与しない事をはっきり表明して、今の平和を守る為の政策を広く国民に問うべきだと思う。
子供達を戦場に送るな
正しい考え方だが、それは戦争が起こった時にこそ語られなければならないはずだ。
平和を享受し、0歳の子供を人に預けてしまう夫婦のあり方が普通に受け入れられる世の中で、本気で反戦を貫けるだろうか?
戦時においても託児所の設置を求めるのだろうか?
Baby in Car のステッカーを見る度に、
自分だけよければ良いのか?と、うがった見方をしてしまう。
とりあえず自分に関係なければ見て見ぬ振りをする。
その結果が平和をもたらすのだろうか?
平和を願う、そのために我々がどうあるべきか?その事を話し合う事が一番大切だと思うのだが。
この長い日記の結末に、私の考えを書かねばなりません。
文句だけ書いていても先には進めないですからね。
日本人は、2次大戦で侵略も被爆も占領も経験した。
この事は、たとえ世代が変わっても事実として土に染み付いている。
だから、私は日本人の歴史に学んだ心を信じて行こうと思う。
その為にも、今の政治の仕組みを徹底的に変えて欲しい。
9条の問題も、自衛隊の問題も、さわる必要はないと考えます。
①まず、世の中にある国民生活に関連した事業の全ての随意契約を無くして欲しい。
そうすれば、きっと天下りは大幅になくなり、官僚の時代は終わる。
②特別会計を全廃し国家予算に組み入れて、省庁の決裁権限を大幅に縮小し、予算執行の透明化を進めて欲しい。
国民生活に関わる政治の透明化を推し進める事無しに、
平和を真剣に考える国民が増える訳がありません。
未来の平和は、今を正しく生きる事でしか得られないのではないだろうか。
短時間に思うがままに書いた文章です。誤字脱字もあるでしょうし、内容については、あくまでも私の思っている事を書いただけで、引用などについては正確さを欠く場合もあるかもしれません。又、私がそう信じているだけで、客観性に欠ける内容もあるかもしれませんが、その事をお断りして筆を置きます。
この日は、色々な考え方の人達が、平和について、過去の戦争や今起きている紛争に対して意見を述べ合うのですが、それぞれが思い思いの方向を向いて発言するだけで、何一つ意見の集約を見ないまま、返って虚脱感を感じてしまうのです。
今の日本人は、経験にも歴史にも学ぶことが出来るはずなのに。
テレビの向こう側で見守っている私を含めた多くの人々が、これと信ずる何かを自ら見つけ出さなければ、いつの日にか降りかかるかもしれない戦争に直面した時、再び誤った方向へ向うかもしれない。
ここ数年、アメリカ9.11危機以来の、世界を巻き込んだ対テロ・宗教国家に対する西側諸国を中心とした軍事介入が当たり前のようになりました。
9.11における犠牲者約3000人に対して、8月6日現在の米国側死者数3659人、米軍以外の有志連合軍を含めた数は3964人となっている。
http://www.econ.keio.ac.jp/staff/nobu/iraq/casualty.htm
これだけの数の死者を出した米国を中心とした「戦争」は、米国民を始めとした日本を含む西側諸国全ての国民にとって、新しい世紀に過去のおぞましい2度の大戦を思い起こさせるに充分なものだと思う。
イスラエルを中心にくすぶり続ける中東危機も、
イラン・イラクを中心に起きている対宗教国家戦争も予断を許さぬ状況に変わりありません。
さらに、ここから遠くない北東アジアに北朝鮮を中心とした戦争状態があるのですから。
6ヶ国協議も、結局は朝鮮戦争の当事者国である韓国・北朝鮮とその後方支援国中国・米国の4カ国の話し合いで収束するでしょう。日本とロシアは蚊帳の外。
結局拉致問題は6ヶ国協議で解決できない事を、外務省は認識していながら国民をだまし続けた事になります。
これは戦時下の大本営発表で国民をだました事に等しい。
これ一つ採っても、日本は独自の見解をしっかりと持った国にならなければ将来が危ういと考えます。
世界唯一の被爆国、そして敗戦国。
戦争に勝者・敗者がある以上、戦争犯罪の加害者としての立場は否応にも押しつけられます。
アメリカは本土を戦場としていません。
その一面だけ採っても、アメリカは戦争を利用した国益の拡大を図ったというそしりは免れない。
その事を帝国主義と呼ばれても反論できない。
このように、戦争は見る側によって裏表が一変するのです。
原爆の投下が、北海道にソ連が入るのを止めたという理屈がある。
十勝のみなさんは、それを鵜呑みに出来ますか?
そこまで自由な議論が認められるなら、
全く違う視点で日本を見たとき、沖縄戦の悲惨さは、なぜか広島・長崎のそれとは、同一視されていないと思うのです。同じように空襲で焦土と化した日本中の市民は、手段と方法が違うとは言え、沖縄のそれとは同じに扱われません。
人の死やその過程に歴史的評価の格差を国民自身が生んでしまったように思われます。
激戦地で亡くなった人達がやたらとクローズアップされる。
戦争における人の死はいついかなる場合でも等しく悲しいものなのに。
原因を作ったアメリカによる巧みな情報操作が、日本国民に違う戦争体験を作り出したように思うのです。
被爆した人、そうでない人。
上陸戦に巻き込まれた人、そうでない人。
私たち日本人は、心をアメリカ政府に操作されすぎてはいまいか?
6ヶ国協議のヒル次官のように、何かとイチローや松坂の話題で日本国民を煙に巻くやり方は、彼個人の手法ではなく、アメリカそのものと考えなければおかしい。
アメリカは一度も国土を戦場としていない。だからへらへらしていられる。
政府は基地問題の見返りに、沖縄と北海道を括って大臣を置き、利権の温床を脈々と作りあげている。
その高市早苗がつくそのポスト
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)、元々は 北海道開発長官・沖縄開発庁長官 と呼ばれ、あのムネオも就いていた職、
その職におかしいと気付いている国民は少ない。
沖縄に関しては、経験上勤労意欲や道徳観と言ったものが著しくそれ以外の日本地域と違うように思う。県庁職員がアロハを着てアフロヘアーで働いているくらいだから。
何かとあれば基地問題、何かとあれば上陸戦の行なわれた民間人の悲劇、と持ち出してくる。
戦争・基地に寄りかかって、自らを投げ出している。
同じ日本人として、時に疑問を感じる事が多い。
富山だって空襲を受け、ものすごい数の民間人が犠牲になったのだ。
戦争経験のない世代の私だから、はっきりと「沖縄も富山も同等に扱え」と言える。
国民が統一した2次大戦に対する意見を持てない以上、日本は有事に対して再びアメリカに振り回される悲劇が待っていると思うのだが。
安部首相は8月15日に靖国神社を参拝して、6ヶ国協議が日本の安全に寄与しない事をはっきり表明して、今の平和を守る為の政策を広く国民に問うべきだと思う。
子供達を戦場に送るな
正しい考え方だが、それは戦争が起こった時にこそ語られなければならないはずだ。
平和を享受し、0歳の子供を人に預けてしまう夫婦のあり方が普通に受け入れられる世の中で、本気で反戦を貫けるだろうか?
戦時においても託児所の設置を求めるのだろうか?
Baby in Car のステッカーを見る度に、
自分だけよければ良いのか?と、うがった見方をしてしまう。
とりあえず自分に関係なければ見て見ぬ振りをする。
その結果が平和をもたらすのだろうか?
平和を願う、そのために我々がどうあるべきか?その事を話し合う事が一番大切だと思うのだが。
この長い日記の結末に、私の考えを書かねばなりません。
文句だけ書いていても先には進めないですからね。
日本人は、2次大戦で侵略も被爆も占領も経験した。
この事は、たとえ世代が変わっても事実として土に染み付いている。
だから、私は日本人の歴史に学んだ心を信じて行こうと思う。
その為にも、今の政治の仕組みを徹底的に変えて欲しい。
9条の問題も、自衛隊の問題も、さわる必要はないと考えます。
①まず、世の中にある国民生活に関連した事業の全ての随意契約を無くして欲しい。
そうすれば、きっと天下りは大幅になくなり、官僚の時代は終わる。
②特別会計を全廃し国家予算に組み入れて、省庁の決裁権限を大幅に縮小し、予算執行の透明化を進めて欲しい。
国民生活に関わる政治の透明化を推し進める事無しに、
平和を真剣に考える国民が増える訳がありません。
未来の平和は、今を正しく生きる事でしか得られないのではないだろうか。
短時間に思うがままに書いた文章です。誤字脱字もあるでしょうし、内容については、あくまでも私の思っている事を書いただけで、引用などについては正確さを欠く場合もあるかもしれません。又、私がそう信じているだけで、客観性に欠ける内容もあるかもしれませんが、その事をお断りして筆を置きます。
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