2006年11月29日(水)
暖かい部屋で読む童話
童話×8
タイ王国のずっと奥地、時間の歯車が止まったような、山と森に囲まれた小さな村がありました。
村人は田畑を耕し、自然の恵みを糧に静かに生活しています。
小さな村を囲むように広がる森には、数頭の象が住んでいました。
象は村の守り神として、昔から村人に大切に育てられていました。
村人は象の一頭一頭に、親しみを込めた名前を付けて呼んでいました。
その中の一頭の象は、皆からメナムと呼ばれていました。
メナムは若い女の子の象です。
朝早く夜明けとともに森から村へ出てくると、広場で子供達が集まってくるのを静かにじっと待っていました。そうやって、いつもやって来る子供達が揃ったのを確かめると、よちよち歩きの小さな子供達は器用に長い鼻で大きな背中に乗せてから、残りの子供達を連れて、長い鼻を前後に振りながら村外れの小さな湖へと向かうのでした。
子供達がメナムに続いてアリの行列の様に歩けば、メナムはしっぽを左右に振りながら「いっちに、いっちに!」と調子を取ります。
太陽が空高く昇った頃、小さな湖は子供達の笑い声と水しぶきで溢れるようです。メナムも鼻から水を空に向かって吹き上げると、湖に小さな虹がかかりました。そんな時は子供達が、手の届きそうな小さな虹を取って欲しいとメナムにせがむのでした。
ひとしきり水遊びを楽しんだら、子供達は木陰でお昼寝です。風がそよそよと吹いて、小さな寝息が聞こえ始める頃、メナムは森へ入り、子供たちのおやつに甘い果物がたわわに実った枝をくわえて戻ってくるのでした。
おやつを食べて元気になった子供達ともう一度水浴びを楽しんで、メナムは朝来た様に子供達を連れて村への道を歩き出すのでした。
村の広場では子供たちの帰ってくるのを皆が待っています。子を持つ親達はメナムのお陰で安心して昼間仕事をする事が出来ました。子供たちは自分のお父さんやお母さんを見つけると、駆け寄って、今日がどんなに楽しい一日だったかを話し出すのです。背中に乗せた小さな子供を鼻で掴み、そっと下ろすと、メナムは静かに森への道を帰って行くのでした。
そんな楽しい毎日、いつものように村の広場へ帰ったメナムの眼に見慣れない男の子の姿が映りました。男の子の名前はメコン。お父さんを病気で亡くし、お母さんの手伝いをしなければならないので、みんなと一緒に水浴びに行けないのでした。その日からメナムは寂しそうな男の子の姿を忘れる事が出来ませんでした。
それから何日か過ぎて、朝早く村の広場で子供達を待っていたメナムがいつもの様にみんなが揃ったのを確かめると、何故か村の中へと歩き出しました。
いつもと様子の違うメナムに村人は「メナム、どうしたんだい?」と皆が声を掛けました。
村の家々を一軒一軒見て回ったメナムは、この間見かけた男の子を見つけると、長い鼻を振って「おいでおいで」をしている様でした。
それを見た村長さんが男の子に「メコン、今日の手伝いはいいから、メナムと行っておいで」と男の子をメナムのそばへと連れて来てくれました。少し恥ずかしそうな様子のメコンでしたが、メナムに触れた途端、にっこり微笑むと、みんなの中にも笑顔が広がりました。
メナムはいつもより少しだけ大きな声で「出発!」一声鳴くと、みんなを連れていつもの湖へと歩き出しました。
「メコン、行っておいで!」「メナムいつもありがとう!」村人からの感謝の声にしっぽを振って応えるメナムでした。
それから何年かが過ぎ、メナムも子供達も、そしてメコンも少し大人になりました。メナムと一緒に小さな子供達の世話をするようになったメコンを見て、村人は「メナム学校のメコン先生」と呼ぶ様になりました。
そんな時、村長さんは村に学校を作ろうと考えていました。皆はメコンが先生になって欲しいと思っています。村長さんは「メコン、村の子供達の為に、町の学校へ行って、先生になって帰ってきておくれ。なあに、お母さんの事は心配ないよ。村のみんなで助け合って行くから、しっかり勉強してくるのだよ。」「村長さん、子供達の世話はどうするの?」ちょっと心配そうにメコンは尋ねました。
村長さんはニコニコ笑いながら「メナムと村のみんなで世話をするから大丈夫だよ。」そう言うとメナムの方を向いて手を振りました。メナムも「任せて!」と大きく鼻を振るのでした。
メナムはいつものように朝早く村の広場に来て子供達を待っていました。
そんなメナムの噂は少しづつ村から村へ、そしてタイの王様の耳にも入るほど、国中で有名になっていました。
新聞やテレビがメナムと子供達の様子を取材に来ました。小さな村には世界中からのメナムに宛てた子供達からの手紙が届くようになりました。
いろんな国のいろんな言葉で届けられた手紙を、あの男の子、メコンが読んでくれました。メコンは苦労して学校を卒業した後、村長さんとの約束を守って村に帰っ来て、学校の先生をしながら子供たちの世話をしていました。村の広場がみんなのメナム学校です。いつもの様にメナムに寄り掛かって手紙を読み始めると村の子供たちも集まって来ました。メナムも子供達も、メコンの話す、未だ見ぬ国の子供達の様子を想像するだけで幸せな気持ちになりました。
そんなある日の事、村にとても偉いお役人がやって来ました。しばらくすると村長さんも村人も悲しい顔をしています。
お役人はメナムを連れに来たのでした。タイにたくさんいた象たちは、みんながメナムの様に、幸せに暮らしていた訳ではありませんでした。食べ物にも困り、病気になってしまう象や、悪い人達に何処かへ連れて行かれてしまう象もいたのです。毎日過酷な労働を強いられ使い棄てられて死んで行く象達、貧しい国にはそんな象達を助ける病院すらありません。お役人はメナムがそういう目に遭わないように連れて行くと言うのです。そして世界の何処かメナムを大切にしてくれる国に連れて行くのだとも言いました。
いつもの様に子供達を連れて湖から帰ってきたメナムは村長さんからその話を聞かされると、とても悲しそうな目をしました。子供達と遊んだ湖も、一緒にお昼寝した木陰も、小さな子供たちと分け合った楽しいおやつの時間も、もうメナムには無くなってしまうのかと、涙が頬を伝いました。一緒にいたメコンは一生懸命にお役人にメナムを連れて行かないように頼みました。しかしお役人の「メナムの為なのだよ・・・。」の一言にこれ以上のお願いは出来ませんでした。
今日はメナムが村にさようならをする日です。皆はメナムの好きな果物をたくさん食べさせてくれました。きれいな大きいトラックがメナムを運ぶ為にやって来ました。お役人に連れられておとなしくトラックに乗り込む姿にみんなは悲しみで胸が張り裂けそうでした。誰も泣きじゃくる小さな子供を慰めることが出来ません。
だって大人も泣いていたのですから。そしてそこにはメコンの姿はありませんでした。メコンは村の高台から、膝を抱えて、涙でかすむ彼方にトラックの走り去る姿を見ている事しか出来なかったのです。幼かったあの日、自分を探し出して湖に連れて行ってくれたメナムの思い出に、流れる涙を止める事が出来ませんでした。
村の朝はこれまでと一変しました。
もう広場にメナムの姿も子供達の笑い声も無いのです。メナムの代わりをメコン先生が一生懸命にしてくれました。でもメコンがそうすればそうするほど、村人も子供達も、そしてメコン自身も悲しい気持ちになってしまうのでした。
数日後、メナムを連れて行ったお役人が、メナムは日本と言う国へ行く事になったと知らせに来ました。「きっと大切に可愛いがられるから、皆も心配しないように。」お役人は村人を少し慰めてくれました。
そして、メナムのおかげでたくさんの国から援助を受けて、タイの各地に象の病院が出来る事も教えてくれました。
メナムは村を離れてから、毎日きれいな檻の中でおいしい食べ物を食べて、体をきれいに洗ってもらいました。ただ、村にいた時は付けたことのない重い首輪でつながれていました。朝、目覚めると、思い出すのはメコンや子供達と遊んだ楽しい毎日、村人のメナムを呼ぶ声ばかりでした。メナムは自分ではどうにも出来ない辛さで悲しくなるばかりでした。
今日は日本への出発の日です。メナムの眼に映る光景は今までに見たことのないものばかりです。大きな建物、たくさんの人達、見たことのない物ばかりに囲まれて、メナムは不安で一杯でした。檻を出て、メコンがお話で聞かせてくれたクジラのように大きな口を開けた乗り物(飛行機)にメナムが乗ろうとしたその時、
「メナム!メナム!行っちゃダメだ!」とても懐かしい、聞き慣れた呼び声が、人々のざわめきの中から聞こえて来ました。
「メコン?メコンなの?」メナムはあらん限りの大きな声で「メコン、メコン!」と叫び続けました。
人垣を掻き分けてメコンがメナムに飛び乗りました。「メナム、村に、森に帰ろう・・。」メコンの目は涙で溢れていました。メコンはメナムに指差す方に走るように言いました。
辺りは突然の事件に大騒ぎです。
警備の兵隊が銃を手にした時、周りの人々が「象を撃ってはいけない!」と、身を呈して飛びかかりました。象は勇気と誇りの象徴とされてきた大切な生き物。
まして銃声に驚いた象の突進を止める事の出来る人間なんているはずがありません。メナムの進む方に人垣は割れ、みんなはただあっけに取られて見送る事しか出来ませんでした。メナムもこんなに一生懸命に走った事はありませんでした。
ひとしきり走った頃、街の外れに一台のオンボロトラックが子供たちと共にメナムを待っていました。村にたった一台しかないトラックを村長さんが貸してくれたのです。メナムを見つけた子供達から歓声が沸き起こりました。みんなの胸は温かい気持ちで一杯です。どうにかしてメナムと子供たちをこぼれんばかりに載せて走り出したトラックは左右に揺られながら村への長い道を一生懸命走りました。風を切って走る、今にも止まりそうなオンボロトラックはメナムとメコン、子供たちを乗せて夕暮れの森の彼方に消えてゆきました。
太陽が昇り、働き者の村人達が家を出る頃、村へと続く小道をメナムはいつものように歩いてきます。「おはようメナム!」村人の挨拶にしっぽで応え、今日も子供達の待つ村の広場に向かうのです。もうメナムを連れに来る人はいません。村人全てがメナムを森に返してくれるように偉いお役人に頼んでくれたのです。
村の生活は決して豊かではありませんでしたが、メナムもメコンも、そして子供たちも、楽しい水浴びや木陰でのお昼寝をこれからも楽しむ事が出来ました。村の広場に小さな日陰を作り、メナム学校のメコン先生は子供達に読み書きや色々な事を教え、笑い声の絶えない毎日が村に戻ってきました。
あれから何年もの時が過ぎて、メナムもメコンもずいぶん歳を取りました。今日もメコンはメナムに寄り沿って、世界中の子供達から届く手紙を村の子供達に読んで暮らしています。
大好きな、心優しい象達がいつまでもこの地球から絶えない事を願って。
僕も象みたいな大人になりたいな。
コメント(50件) | コメント欄はユーザー登録者のみに公開されます |
コメント欄はユーザー登録者のみに公開されています
ユーザー登録すると?
- ユーザーさんをお気に入りに登録してマイページからチェックしたり、ブログが投稿された時にメールで通知を受けられます。
- 自分のコメントの次に追加でコメントが入った際に、メールで通知を受けることも出来ます。