2012年2月9日(木)
しばらくお休みしておりました。
日記×703
しばらくの間、マイとかちへのブログ更新をお休みさせていただいておりました。
このまま休止したままでも静かにフェードアウト出来ると思っておりましたが、少し落ち着いた気持ちになれたので、親しくお付き合いしていただいているブログ仲間のみなさまにもご挨拶しておかねばと思って今日の日記を書きます。
昨年末、30日に愛犬セーラの検診の際、彼女がとても重い病気にかかっていることが判明しました。
約ひと月前から、軽い下痢や背中の脂肪腫の診察を受けていた為、特に大事に至るとは考えもしていませんでした。
ただ、クリスマス直後から急に喉元や脚の付け根に腫れがでて、連休や休診日のタイミングもあって診察に行ったのが年末最後の30日でした。
その直前ですが、私に悪い予感と言うか、へんな胸騒ぎがありまして、それはいつもスマホの待ち受けに使ってるセーラの写真(ちょっと驚いたような顔をしてる、ブログにも載せたことがある写真です)が、急に画面から消えてしまった事でした。しばらくして画像は戻りましたが、たかがスマホの待ちうけとは言え、何とも不安な気持ちがよぎりまして、いつもの獣医さんに見せたところ、血液検査をしなければはっきりした事が言えませんが、おそらく治らない病気だろうと宣告されました。
毎月何がしかで気になる事があれば診察を受けていたのに、予防接種もしっかりと受けていたのに、ましてや直近にも何度も触診も受けていたのに、
いきなりの宣告で、目の前が真っ暗になりました。
私としては一時的な腫れを期待して、症状をネットで検索してもしやの事は覚悟していたのですが、まさか我が子にそのような病魔が襲うとは考えもしていませんでしたので、何がなんやらわからなくなってしまいました。
とにかく血液検査の結果を待とうと、抗生剤のお薬をいただいて帰宅したのですが、これをお袋に話すべきか、かわいがってくれる姉に話すべきか悩んでいるうちに、どうやって家に着いたか憶えてませんが、玄関先でこの事を検査結果が出るまで良い方に期待して話さないことに決めたのです。
明日は大晦日、そしてお正月。
出来ることなら静かにいつものお正月を迎えたいと自分の胸だけに仕舞うことにしました。
お医者さんは病状が急変することもあるからと、お正月休み中も連絡を取れる時間と電話番号を紙に書いて渡してくれました。
しかし、急速に症状が悪化していくセーラの様子に私の気持ちは張り裂けそうです。
私は既にブログを読んでいただいているみなさんがご承知のように信心深い人間でもなく、むしろ節度のない批判ばかりの荒っぽい人間です。しかし、
恥ずかしながら20年以上行ったことがなかった初詣を地元の神社を含めて3社、長い行列に並びながら我が子の回復を祈る為にお参りしてきました。私の願いではないので、どうか神様、べぇ~ってしないでねって。
少し急ぎの仕事も抱えていたので、2日には工場で仕事をしていました。セーラのことが気になって効率はひどく悪いままでしたが、私も仕事しなけりゃいけません。でも胸をよぎるのは最悪の事態、悲しい別ればかり。頭の中を流れる歌は悲しい歌ばかり。その時ようやく自分の情けなさとか、自分が、例え少しは的を得てはいても、人様の批判などできる人間じゃないと思い知らされた気分です。まだ雪も少ないお正月休み、仕事場の前を散歩する犬たちが通ります。恥ずかしい話、私はほんとにほかの犬たちも死んでしまえばいいのにと思ってしまいました。
1月4日、病院は診察が始まり、検査結果が出てはいないだろうと薬だけを飲ませて6日に診察を受けることにしました。
ところがその前日辺りから、セーラが部屋のあちこちにぶつかるようになってきたのです。
目は赤く染まってきているのがわかりました。
出血で視力が急に落ちてきたのです。
それでも年老いたお袋は、セーラの深刻な状況には気付いていません。私が上手く煙に巻いていたのですが、さすがにその日やってきた姉には本当のことを話しました。もしかしたら、元気な姿を見るのがこれで最後という事もあるかも知れないからと。
6日の診察ではまだ検査結果は届かず、現状では抗生剤の服用と下痢を抑える薬をいただくのが精一杯の対処です。気休めのような現状。
喉もとの腫れのせいで呼吸も苦しくなっていますが、夜はすやすや眠る時もあるので、これが山場ならと僅かな期待も持っていたのですが、
11日、その日の診察でも検査結果は届かず、既に目はルビー色の真っ赤で視力も僅か。
既に先生から治療に掛かる費用や方針については説明を受けていましたが、あまりの進行の早さに薬が効かないかもしれない旨と、これから起こる最悪の話も聞かされました。
セーラは相変わらず苦しそうですが、私だけが頼り、そんな顔をしています。人生でいろいろ辛い場面はありましたが、その時が一番と思えるほど辛かった。
血液検査を受けて、混んだ病院の待合室から車内に移って、セーラと二人で待っていると、先生が話をしたいからと呼んでいただきました。
先生と血液検査の結果を書いた紙を見ながら、不思議とその数値が健康な子達のそれと大差ないことに私は気付きました。
むしろ太っていた頃の私の血液検査の方がずっと突っ込み所があります。
私はセーラの気力も体力もある今の内に治療を開始して欲しいとお願いしました。
効く効かないを考える余地はありません
検査結果を待つまでもなく、今すぐお願いしたいと。
先生は既に用意はしてあるから、すぐにやりましょうと言ってくださいました。
それから既に夜の7時になっていましたが、50分ほど抗がん剤の点滴を受けました。
セーラのように手足の短い犬種は点滴の際に手を曲げないようにしないと強い抗がん剤が血管から漏れて組織が壊死させるので、点滴を受けている間、私がセーラをいつも肩に担いで抱いてるようにして、看護婦さんがセーラの手を曲げないように持っていてくださる状態が、あれこれ1時間は掛かったと思います。
少しぐったりした様子のセーラでしたが、家に帰ると早速副作用のせいでしょうか、何度か嘔吐を繰り返し、その後は私の布団の横で眠っています。
冬はセーラが私の布団にもぐりこんで顔だけ出して枕を並べるように眠るのが常でしたが、下痢などの体調を崩してからはそうしなかったのです。思えば体温が上がって布団をかぶって寝るのが嫌だったのでしょう。確かに舐められた時の舌や口の熱さに気付くべきでした。
私は何となくうつらうつらしながらセーラの様子を見て起きていました。食欲が落ちたとは言へ、柔らかいウンチがお尻について気持ち悪そうにするので、トイレに行ったらお尻を確かめて汚れていたら暖かいタオルで拭いてやっていましたので、その日もそうやって見守っていました。
お医者さんからは体力をつける為に好きなものをやってくださいと言われていたので、セーラの好きなセブンイレブンのバタースコッチパンを細かく刻み、同じようにりんごを六分の一個皮をむいては刻んで混ぜて食べさせました。
驚いたことに、これまでどうやってもペットフードを食べなかったセーラでしたが、この食事はぺろりと食べてくれます。その後嘔吐もなく、静かに寝ては、私が部屋に入ってくるとそばに寄ってきます。
夕方には抗がん剤の皮下注射を受けに行きます。
私はほんの少し喉の腫れが治まったように感じましたが、お医者さんは気のせいじゃないですかという感じ。
翌日、その翌日と少しづつですが喉の腫れが小さくなって来ています。
薬が効いたようです。
うれしかった。
最悪の状況から脱する、まだ安心は出来ませんが、足場は出来たような気持ちになりました。
目の赤みも少しずつ減り始め、徐々に視力も回復してきたようです。
3週間ごとに5回繰り返す点滴と注射の治療ですが、その間に診察や血液検査もあり、どんなに少なくても1週間以上通院が開くことはありません。
先日2回目の点滴を受けて、その時もずっと抱っこしたまま点滴を受けてきました。
若いだけに進行も早いのですが、回復も早いセーラの様子に、体を触れては一喜一憂、何か様子がおかしいと一喜一憂する毎日です。おかげさまを持ちまして現在では前と変わらない健康そうな様子を取り戻すことが出来ています。
治療は4月末まで続きます。その間にもどのような変化があるか予断を許しませんが、
犬の1年は人間の5年にも匹敵すると書かれてました。
私にできるだけのことをセーラにしてやるつもりです。
彼女にとっても私にとっても大切な日々。
これからどれだけ続くかわからない彼女との毎日を精一杯可愛がってやるつもりです。
私はこのままスッキリと治ってくれればと期待はしていますが、過去の事例からそれはかなりの確立で低いそうです。
セーラの前に飼っていた猫のマイケルのように長生きしてくれるものとばかり思っていましたが、それはわからなくなってしまいました。
セーラの写真を載せたり、思い出をここで振り返ったりするのは、何だか嫌なあやがつきそうなので今日のブログに載せませんでした。徐々に体重も戻っておでぶちゃん復活中です。
彼女は私にとって唯一の家族です、情けない話ですが本当なんです。私が先に逝くことだけは彼女の為にも許されませんが、こんなに早くから心の準備をしなければならないとは思っていませんでした。
なつかれると、こんなに可愛い動物はいません。
犬と暮らして本当に良かった。
生まれて2ヶ月足らずで一緒に生活して、ご飯を食べ、ウンチの世話もして、いつも捕まえては抱いて触ってあやしていると彼女も私を親のように思っているのでしょう。
私も彼女のおかげで少し親の気持ちを経験する事が出来ました。
そんな私ですが、
ふと思い起こすのは、私が小さい時、そう、小学校に入ったばかりくらいでしょうか、
当時母が夕方からも仕事に出ていました。何を思ったか、職場に向って歩いている母を家から走って追いかけて、泣き付いた記憶があります。
何か悲しい事があって、そうしたようには憶えていませんが、追いかけてきて泣き抱きついた子供を家に置いて仕事に向った気持ちが、今は少しわかるような気がします。
悲しくて切なかったでしょうね。
今年は雪も多く、明るい話題に事欠く毎日です。
これまで折に触れて気にかかる世の中の動きに私なりの批判を加えてきましたが、今はそういう気持ちになれなくなってしまいました。
ですから、私のブログは、そういう話題ではおしまいです。
私は自分の感情や、自分の思いが、何がしかセーラに影響を与えてはいまいか、あやをつけてはいまいか、考えてしまいました。
人に対して批判的な目を向けることはもちろん、例えば車を運転していても、酷い運転、人に迷惑をかける運転を目にしますが、決して荒い感情を持たないように心掛けることにしました。
しかし、一夜にして私自身が変われるはずがありません。
そう心掛けながらも、前と同じ自分の心に嫌気がさす毎日です。
そういう自分の汚さや弱さに自問自答する日々が続いています。
聞き慣れた言葉に「不撓不屈」と言うものがありますが、
その道の何と険しいことかと、
今改めて思い知らされているところです。
ブログを更新しなかった為、ご心配をいただいた皆さんには今日の日記を持ってご返事ご挨拶と替えさせていただきます。ありがとうございました。
このまま休止したままでも静かにフェードアウト出来ると思っておりましたが、少し落ち着いた気持ちになれたので、親しくお付き合いしていただいているブログ仲間のみなさまにもご挨拶しておかねばと思って今日の日記を書きます。
昨年末、30日に愛犬セーラの検診の際、彼女がとても重い病気にかかっていることが判明しました。
約ひと月前から、軽い下痢や背中の脂肪腫の診察を受けていた為、特に大事に至るとは考えもしていませんでした。
ただ、クリスマス直後から急に喉元や脚の付け根に腫れがでて、連休や休診日のタイミングもあって診察に行ったのが年末最後の30日でした。
その直前ですが、私に悪い予感と言うか、へんな胸騒ぎがありまして、それはいつもスマホの待ち受けに使ってるセーラの写真(ちょっと驚いたような顔をしてる、ブログにも載せたことがある写真です)が、急に画面から消えてしまった事でした。しばらくして画像は戻りましたが、たかがスマホの待ちうけとは言え、何とも不安な気持ちがよぎりまして、いつもの獣医さんに見せたところ、血液検査をしなければはっきりした事が言えませんが、おそらく治らない病気だろうと宣告されました。
毎月何がしかで気になる事があれば診察を受けていたのに、予防接種もしっかりと受けていたのに、ましてや直近にも何度も触診も受けていたのに、
いきなりの宣告で、目の前が真っ暗になりました。
私としては一時的な腫れを期待して、症状をネットで検索してもしやの事は覚悟していたのですが、まさか我が子にそのような病魔が襲うとは考えもしていませんでしたので、何がなんやらわからなくなってしまいました。
とにかく血液検査の結果を待とうと、抗生剤のお薬をいただいて帰宅したのですが、これをお袋に話すべきか、かわいがってくれる姉に話すべきか悩んでいるうちに、どうやって家に着いたか憶えてませんが、玄関先でこの事を検査結果が出るまで良い方に期待して話さないことに決めたのです。
明日は大晦日、そしてお正月。
出来ることなら静かにいつものお正月を迎えたいと自分の胸だけに仕舞うことにしました。
お医者さんは病状が急変することもあるからと、お正月休み中も連絡を取れる時間と電話番号を紙に書いて渡してくれました。
しかし、急速に症状が悪化していくセーラの様子に私の気持ちは張り裂けそうです。
私は既にブログを読んでいただいているみなさんがご承知のように信心深い人間でもなく、むしろ節度のない批判ばかりの荒っぽい人間です。しかし、
恥ずかしながら20年以上行ったことがなかった初詣を地元の神社を含めて3社、長い行列に並びながら我が子の回復を祈る為にお参りしてきました。私の願いではないので、どうか神様、べぇ~ってしないでねって。
少し急ぎの仕事も抱えていたので、2日には工場で仕事をしていました。セーラのことが気になって効率はひどく悪いままでしたが、私も仕事しなけりゃいけません。でも胸をよぎるのは最悪の事態、悲しい別ればかり。頭の中を流れる歌は悲しい歌ばかり。その時ようやく自分の情けなさとか、自分が、例え少しは的を得てはいても、人様の批判などできる人間じゃないと思い知らされた気分です。まだ雪も少ないお正月休み、仕事場の前を散歩する犬たちが通ります。恥ずかしい話、私はほんとにほかの犬たちも死んでしまえばいいのにと思ってしまいました。
1月4日、病院は診察が始まり、検査結果が出てはいないだろうと薬だけを飲ませて6日に診察を受けることにしました。
ところがその前日辺りから、セーラが部屋のあちこちにぶつかるようになってきたのです。
目は赤く染まってきているのがわかりました。
出血で視力が急に落ちてきたのです。
それでも年老いたお袋は、セーラの深刻な状況には気付いていません。私が上手く煙に巻いていたのですが、さすがにその日やってきた姉には本当のことを話しました。もしかしたら、元気な姿を見るのがこれで最後という事もあるかも知れないからと。
6日の診察ではまだ検査結果は届かず、現状では抗生剤の服用と下痢を抑える薬をいただくのが精一杯の対処です。気休めのような現状。
喉もとの腫れのせいで呼吸も苦しくなっていますが、夜はすやすや眠る時もあるので、これが山場ならと僅かな期待も持っていたのですが、
11日、その日の診察でも検査結果は届かず、既に目はルビー色の真っ赤で視力も僅か。
既に先生から治療に掛かる費用や方針については説明を受けていましたが、あまりの進行の早さに薬が効かないかもしれない旨と、これから起こる最悪の話も聞かされました。
セーラは相変わらず苦しそうですが、私だけが頼り、そんな顔をしています。人生でいろいろ辛い場面はありましたが、その時が一番と思えるほど辛かった。
血液検査を受けて、混んだ病院の待合室から車内に移って、セーラと二人で待っていると、先生が話をしたいからと呼んでいただきました。
先生と血液検査の結果を書いた紙を見ながら、不思議とその数値が健康な子達のそれと大差ないことに私は気付きました。
むしろ太っていた頃の私の血液検査の方がずっと突っ込み所があります。
私はセーラの気力も体力もある今の内に治療を開始して欲しいとお願いしました。
効く効かないを考える余地はありません
検査結果を待つまでもなく、今すぐお願いしたいと。
先生は既に用意はしてあるから、すぐにやりましょうと言ってくださいました。
それから既に夜の7時になっていましたが、50分ほど抗がん剤の点滴を受けました。
セーラのように手足の短い犬種は点滴の際に手を曲げないようにしないと強い抗がん剤が血管から漏れて組織が壊死させるので、点滴を受けている間、私がセーラをいつも肩に担いで抱いてるようにして、看護婦さんがセーラの手を曲げないように持っていてくださる状態が、あれこれ1時間は掛かったと思います。
少しぐったりした様子のセーラでしたが、家に帰ると早速副作用のせいでしょうか、何度か嘔吐を繰り返し、その後は私の布団の横で眠っています。
冬はセーラが私の布団にもぐりこんで顔だけ出して枕を並べるように眠るのが常でしたが、下痢などの体調を崩してからはそうしなかったのです。思えば体温が上がって布団をかぶって寝るのが嫌だったのでしょう。確かに舐められた時の舌や口の熱さに気付くべきでした。
私は何となくうつらうつらしながらセーラの様子を見て起きていました。食欲が落ちたとは言へ、柔らかいウンチがお尻について気持ち悪そうにするので、トイレに行ったらお尻を確かめて汚れていたら暖かいタオルで拭いてやっていましたので、その日もそうやって見守っていました。
お医者さんからは体力をつける為に好きなものをやってくださいと言われていたので、セーラの好きなセブンイレブンのバタースコッチパンを細かく刻み、同じようにりんごを六分の一個皮をむいては刻んで混ぜて食べさせました。
驚いたことに、これまでどうやってもペットフードを食べなかったセーラでしたが、この食事はぺろりと食べてくれます。その後嘔吐もなく、静かに寝ては、私が部屋に入ってくるとそばに寄ってきます。
夕方には抗がん剤の皮下注射を受けに行きます。
私はほんの少し喉の腫れが治まったように感じましたが、お医者さんは気のせいじゃないですかという感じ。
翌日、その翌日と少しづつですが喉の腫れが小さくなって来ています。
薬が効いたようです。
うれしかった。
最悪の状況から脱する、まだ安心は出来ませんが、足場は出来たような気持ちになりました。
目の赤みも少しずつ減り始め、徐々に視力も回復してきたようです。
3週間ごとに5回繰り返す点滴と注射の治療ですが、その間に診察や血液検査もあり、どんなに少なくても1週間以上通院が開くことはありません。
先日2回目の点滴を受けて、その時もずっと抱っこしたまま点滴を受けてきました。
若いだけに進行も早いのですが、回復も早いセーラの様子に、体を触れては一喜一憂、何か様子がおかしいと一喜一憂する毎日です。おかげさまを持ちまして現在では前と変わらない健康そうな様子を取り戻すことが出来ています。
治療は4月末まで続きます。その間にもどのような変化があるか予断を許しませんが、
犬の1年は人間の5年にも匹敵すると書かれてました。
私にできるだけのことをセーラにしてやるつもりです。
彼女にとっても私にとっても大切な日々。
これからどれだけ続くかわからない彼女との毎日を精一杯可愛がってやるつもりです。
私はこのままスッキリと治ってくれればと期待はしていますが、過去の事例からそれはかなりの確立で低いそうです。
セーラの前に飼っていた猫のマイケルのように長生きしてくれるものとばかり思っていましたが、それはわからなくなってしまいました。
セーラの写真を載せたり、思い出をここで振り返ったりするのは、何だか嫌なあやがつきそうなので今日のブログに載せませんでした。徐々に体重も戻っておでぶちゃん復活中です。
彼女は私にとって唯一の家族です、情けない話ですが本当なんです。私が先に逝くことだけは彼女の為にも許されませんが、こんなに早くから心の準備をしなければならないとは思っていませんでした。
なつかれると、こんなに可愛い動物はいません。
犬と暮らして本当に良かった。
生まれて2ヶ月足らずで一緒に生活して、ご飯を食べ、ウンチの世話もして、いつも捕まえては抱いて触ってあやしていると彼女も私を親のように思っているのでしょう。
私も彼女のおかげで少し親の気持ちを経験する事が出来ました。
そんな私ですが、
ふと思い起こすのは、私が小さい時、そう、小学校に入ったばかりくらいでしょうか、
当時母が夕方からも仕事に出ていました。何を思ったか、職場に向って歩いている母を家から走って追いかけて、泣き付いた記憶があります。
何か悲しい事があって、そうしたようには憶えていませんが、追いかけてきて泣き抱きついた子供を家に置いて仕事に向った気持ちが、今は少しわかるような気がします。
悲しくて切なかったでしょうね。
今年は雪も多く、明るい話題に事欠く毎日です。
これまで折に触れて気にかかる世の中の動きに私なりの批判を加えてきましたが、今はそういう気持ちになれなくなってしまいました。
ですから、私のブログは、そういう話題ではおしまいです。
私は自分の感情や、自分の思いが、何がしかセーラに影響を与えてはいまいか、あやをつけてはいまいか、考えてしまいました。
人に対して批判的な目を向けることはもちろん、例えば車を運転していても、酷い運転、人に迷惑をかける運転を目にしますが、決して荒い感情を持たないように心掛けることにしました。
しかし、一夜にして私自身が変われるはずがありません。
そう心掛けながらも、前と同じ自分の心に嫌気がさす毎日です。
そういう自分の汚さや弱さに自問自答する日々が続いています。
聞き慣れた言葉に「不撓不屈」と言うものがありますが、
その道の何と険しいことかと、
今改めて思い知らされているところです。
ブログを更新しなかった為、ご心配をいただいた皆さんには今日の日記を持ってご返事ご挨拶と替えさせていただきます。ありがとうございました。
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