日記(703)
2012年4月4日(水)
台風のような強風の中
日記×703
今日は朝から台風が来たようにものすごい強風が吹き荒れていました。
たぶんニュースでも富山県内で5台もトラックが強風で横転したニュースご覧になった方も多いと思います
そんな中、今日はセーラの5回目の点滴を行なう日でした
強い風の中、二人でいつもの池原動物病院に行ってきました
さすがに病院は空いていましたが、そのような状況でも通院する子達は、それなりに深刻な状況なのでしょうか、セーラも含めて少し診察時間が掛かる子達のようです。
5時前に点滴用の針を入れて、いつもの手術室で血管からの漏れがないか確かめる為にブドウ糖のようなものを点滴し始めて、腕の腫れが無い事を確かめて赤い抗がん剤に切り替えるのですが、今日は先生が離れられない患者さんが多くて、そのまま待機する時間が今までになく長かったです。そうこうしてる間に、手術室に併設されたレントゲンを使うことになり、いつもセーラの手を曲がらないように点滴が終わるまで立ったまま支え続けてくれる看護婦さんと共に室外に出て、私はセーラを抱いたまま、看護婦さんはセーラの手を支え、もう一方で点滴薬を高く掲げたままの状態で待っていると…、
エプロン型の防護服を着けた先生に抱かれてレントゲンを撮りに来たのは、かわいらしいウサちゃんでした(笑)
しばらくして撮影も終わり、再び手術室に戻って点滴を始めたのですが、今日は何だか点滴を落とすスピードが今までより遅い感じです。
手に針を入れて、既に30分以上経過して薬剤の点滴が始まり、そこから2~30分経った今も、まだたくさん点滴薬が残っています。
外の風が吹く音や、雷も鳴って、セーラはじっとしてられません。
私もセーラに顔を舐められまくりました。
そうやって甘えるんですね、きっと。
しかしゲージの中で鳴きっぱなしの子や何か機械のスイッチが入ったり切れたりする音、患者さんが入り口を通るたびになるピンポン音など、今までにないくらい落ちつかない雰囲気。
1時間をとうに過ぎて、私も抱っこがきつくなってきましたが、誰かに代わってもらえるわけでなし、変に動けばセーラの腕から薬液が漏れて腕回りが壊死してしまうことになってはたいへんです。
こういう時って、親だからがんばれるんでしょうね。
しかし痩せたせいか、お尻の肉が落ちて、クッションの薄い椅子に座ってる僕のお尻も限界に近い感じ。
何とか全ての点滴薬が落ちたのが6時半過ぎ。
先生が慎重に針を抜き、脱脂綿を当てて2~3分は押さえていただきます。
その間も、セーラは限界?に近いのか
いつもとは違って、高い声でピーピー言います。
さすがに抱かれていても体が辛いのでしょう、自由が利きませんからね。
何とか無事終わらせて、家にたどり着いたのが7時を少しまわっていました。
セーラが点滴をうけてる間だけ「タバコを断っている」お袋さんが待つ家に着くと、今度は夕飯の用意が待ってます。
パパは結構くたくたでしたが、ちゃんと夕飯を作らないと虐待と言われてはたまらないので、たっぷりおかずを用意しましたよ。
だけど、お皿一杯に盛り上げたキャベツの千切り(もちろんスーパーで刻んであるもの買ってくるのですが)の上に、最近気に入ってるレトルトの日本ハムのミートボールを袋から開けたら、なんと!一個落としてしまった!
ハッと思い、拾おうとした瞬間、
疾風のようにどこからともなく現れたセーラに奪われて、セーラも熱くてハフハフ言いながら奪ったミートボールをぺロリ
食事を始めても、腕と肩が筋肉痛で普段の半分しか上がりませんでした。
金曜日に抗がん剤の皮下注射を受けて、5回に渡った治療もいったん区切りとなります。
お世話になった先生、看護婦さん、ありがとうございました。
暖かいメッセージをお寄せいただいた皆さん、皆さんのおかげで心強く治療も続けられました。
この先二週間は今までどおり血液検査をしながら経過を慎重に見守ることになりますが、
今はただ、出来る限り再発が先延ばしになり、平穏な毎日を取り戻せたらと願うばかりです。
おやすみなさ~い
たぶんニュースでも富山県内で5台もトラックが強風で横転したニュースご覧になった方も多いと思います
そんな中、今日はセーラの5回目の点滴を行なう日でした
強い風の中、二人でいつもの池原動物病院に行ってきました
さすがに病院は空いていましたが、そのような状況でも通院する子達は、それなりに深刻な状況なのでしょうか、セーラも含めて少し診察時間が掛かる子達のようです。
5時前に点滴用の針を入れて、いつもの手術室で血管からの漏れがないか確かめる為にブドウ糖のようなものを点滴し始めて、腕の腫れが無い事を確かめて赤い抗がん剤に切り替えるのですが、今日は先生が離れられない患者さんが多くて、そのまま待機する時間が今までになく長かったです。そうこうしてる間に、手術室に併設されたレントゲンを使うことになり、いつもセーラの手を曲がらないように点滴が終わるまで立ったまま支え続けてくれる看護婦さんと共に室外に出て、私はセーラを抱いたまま、看護婦さんはセーラの手を支え、もう一方で点滴薬を高く掲げたままの状態で待っていると…、
エプロン型の防護服を着けた先生に抱かれてレントゲンを撮りに来たのは、かわいらしいウサちゃんでした(笑)
しばらくして撮影も終わり、再び手術室に戻って点滴を始めたのですが、今日は何だか点滴を落とすスピードが今までより遅い感じです。
手に針を入れて、既に30分以上経過して薬剤の点滴が始まり、そこから2~30分経った今も、まだたくさん点滴薬が残っています。
外の風が吹く音や、雷も鳴って、セーラはじっとしてられません。
私もセーラに顔を舐められまくりました。
そうやって甘えるんですね、きっと。
しかしゲージの中で鳴きっぱなしの子や何か機械のスイッチが入ったり切れたりする音、患者さんが入り口を通るたびになるピンポン音など、今までにないくらい落ちつかない雰囲気。
1時間をとうに過ぎて、私も抱っこがきつくなってきましたが、誰かに代わってもらえるわけでなし、変に動けばセーラの腕から薬液が漏れて腕回りが壊死してしまうことになってはたいへんです。
こういう時って、親だからがんばれるんでしょうね。
しかし痩せたせいか、お尻の肉が落ちて、クッションの薄い椅子に座ってる僕のお尻も限界に近い感じ。
何とか全ての点滴薬が落ちたのが6時半過ぎ。
先生が慎重に針を抜き、脱脂綿を当てて2~3分は押さえていただきます。
その間も、セーラは限界?に近いのか
いつもとは違って、高い声でピーピー言います。
さすがに抱かれていても体が辛いのでしょう、自由が利きませんからね。
何とか無事終わらせて、家にたどり着いたのが7時を少しまわっていました。
セーラが点滴をうけてる間だけ「タバコを断っている」お袋さんが待つ家に着くと、今度は夕飯の用意が待ってます。
パパは結構くたくたでしたが、ちゃんと夕飯を作らないと虐待と言われてはたまらないので、たっぷりおかずを用意しましたよ。
だけど、お皿一杯に盛り上げたキャベツの千切り(もちろんスーパーで刻んであるもの買ってくるのですが)の上に、最近気に入ってるレトルトの日本ハムのミートボールを袋から開けたら、なんと!一個落としてしまった!
ハッと思い、拾おうとした瞬間、
疾風のようにどこからともなく現れたセーラに奪われて、セーラも熱くてハフハフ言いながら奪ったミートボールをぺロリ
食事を始めても、腕と肩が筋肉痛で普段の半分しか上がりませんでした。
金曜日に抗がん剤の皮下注射を受けて、5回に渡った治療もいったん区切りとなります。
お世話になった先生、看護婦さん、ありがとうございました。
暖かいメッセージをお寄せいただいた皆さん、皆さんのおかげで心強く治療も続けられました。
この先二週間は今までどおり血液検査をしながら経過を慎重に見守ることになりますが、
今はただ、出来る限り再発が先延ばしになり、平穏な毎日を取り戻せたらと願うばかりです。
おやすみなさ~い
2012年3月24日(土)
あと一回で終了です
日記×703
セーラの点滴治療も残すところあと一回になりました。
毎回点滴の度に、腕の部分をバリカンで刈られてしまうので
両腕ともこんな感じで産毛だけみたいになってます。
最近の動物への医療の進歩はすごいですね。
こんな小さな手に血管注射して点滴するんですから。
注射針も、血管に刺すときは従来の金属製で、それを抜くと樹脂の針だけが残って血管内で柔軟性を保つそうです。
動物にじっと座ってろと言っても無理ですからね。
いつもここで食事とお水を飲んでますが、
服用してるステロイドのせいで、注射の後はやたらと水を飲みます。特にここ数日、がぶ飲みしてはおしっこをするので、お医者さんと相談して、飲んではお皿を下げるなど、少しづつ飲ませるように気をつけているのですが、後ろに写ってる鉢の受け皿に溜まった水を飲みそうになったので
ダンボールを巻いて、鉢カバーにしました。
血液検査では悪くないのですが、投薬の関係で腎臓への影響も出るため、かと言って、ステロイドを止めていきなり再発という事もないわけではないので、とりあえず来週火曜日の診察までお薬は飲ませることにしました。量も0.5ミリだったはずです。1ミリじゃないとおもうので。変に減らして効果がないと何してるかわかりませんから。
やたらと食用があるのも薬のせいみたいです。
元気は元気なんです。
小さい子みたいに噛むと音がするおもちゃで遊びたがるくらいですから。
あと一回、とは言うものの、先が見えない”おとうさん”の気持ちに変わりはありません。
神様がいるなら、今の毎日を私から奪わないでとお願いするばかりです。
私はとにかく、毎日の生活に波風立てないように心掛けて降りますが、それでも変な人はいますから、時々”オスの本能”は目を覚まします。でも、相手にしません。
新聞の新刊紹介の欄で、こんな挿絵がありました。
世の中、こんな簡単にはいかないけれど、心掛けなければ
良くはなりませんものね。
不撓不屈は難しい。
毎回点滴の度に、腕の部分をバリカンで刈られてしまうので
両腕ともこんな感じで産毛だけみたいになってます。
最近の動物への医療の進歩はすごいですね。
こんな小さな手に血管注射して点滴するんですから。
注射針も、血管に刺すときは従来の金属製で、それを抜くと樹脂の針だけが残って血管内で柔軟性を保つそうです。
動物にじっと座ってろと言っても無理ですからね。
いつもここで食事とお水を飲んでますが、
服用してるステロイドのせいで、注射の後はやたらと水を飲みます。特にここ数日、がぶ飲みしてはおしっこをするので、お医者さんと相談して、飲んではお皿を下げるなど、少しづつ飲ませるように気をつけているのですが、後ろに写ってる鉢の受け皿に溜まった水を飲みそうになったので
ダンボールを巻いて、鉢カバーにしました。
血液検査では悪くないのですが、投薬の関係で腎臓への影響も出るため、かと言って、ステロイドを止めていきなり再発という事もないわけではないので、とりあえず来週火曜日の診察までお薬は飲ませることにしました。量も0.5ミリだったはずです。1ミリじゃないとおもうので。変に減らして効果がないと何してるかわかりませんから。
やたらと食用があるのも薬のせいみたいです。
元気は元気なんです。
小さい子みたいに噛むと音がするおもちゃで遊びたがるくらいですから。
あと一回、とは言うものの、先が見えない”おとうさん”の気持ちに変わりはありません。
神様がいるなら、今の毎日を私から奪わないでとお願いするばかりです。
私はとにかく、毎日の生活に波風立てないように心掛けて降りますが、それでも変な人はいますから、時々”オスの本能”は目を覚まします。でも、相手にしません。
新聞の新刊紹介の欄で、こんな挿絵がありました。
世の中、こんな簡単にはいかないけれど、心掛けなければ
良くはなりませんものね。
不撓不屈は難しい。
2012年3月4日(日)
3月になりましたね
日記×703
富山はようやく市内から雪が消えつつあります。
今年は特別に長い冬と感じましたが、北海道はまだまだですね。
我が家のセーラは先週3度目の治療(点滴・皮下注射)を受けて、ずいぶん元気になっています。
3週間ごとの治療とはいえ、前後の血液検査や事後の診察などを入れると週に2回くらいのペースで通院してる感じです。
見た目は「そんなことがあったの?」と思えるような元気さで、食後はおもちゃで遊ぶ、幼いままのセーラです
おもちゃに触ろうとするとうなります(笑)
心配していた副作用も点滴の後で1度戻す程度で軽く
皮下注射の後はウンチが柔らかくなる事くらいで、お腹の薬を3日ほど飲ませています。
あと2回の治療を残していますが、
回復した様子を見るたびに
このまま完全に再発の心配がなくなればいいのにと
かなわぬ願いに複雑な心境です。
動物は苦しくても訴えませんから、かえってかわいそうでなりません。
今でも夢に辛い未来が出てきますが、それが少しでも先になるようにと心の中で願うばかりです。
私が心穏やかでいれば、この子にもきっと良い影響があると思うのですが…、
新聞やテレビの報道を見て心痛むことが多いです。
私はそれが世の中の事実であっても、私ごときが非難することを控えると決めましたが
先日聞いた、
福島県から避難してきた幼児が近くの公園への出入りを、同じく公園で子供を遊ばせる母親達から拒否されたとか、保育所への入園を拒まれたとか
福島ナンバーの車の駐車が拒否されたとか
信じがたい、聞くに堪えない事実に驚いています。
3月11日に向けてテレビや新聞で美談・心温まる話のてんこ盛りの中
これが日本の現実なんだなと思いました。
子供に作文を読ませれば、美辞麗句で詰まった郷土愛の塊みたいな話ばかりも、何だか息苦しい感じを受けます。
勉強を全然してないで大きくなった女性タレントグループが家庭教師のCMに出たり、政府広報の自殺防止キャンペーンの中心だったりと
私達大人はしっかりと責任を果たしているのかな?と思ってしまいます。
そして、
テレビで放射能汚染の危惧を訴える方は皆、マスクをしています。がれきの処理も進まぬまま。
ぜひ、マスクに赤いマジックペンで「絆」と書いてしゃべって欲しいです
警察官もやたらとマスクをしています。
マスクをしないで堂々とシカトを決め込むのは中央省庁勤務の公務員さんだけですね。それも開き直りに近い感じを受けますが。
人からマイクを向けられて何も話さない人はマスクをしています。
私は、せきやくしゃみで周りの人に迷惑を掛けないかぎりマスクはつけないし、車に乗ってる時もマスクはしません
日本人がマスクをしてるかぎり、本当の絆も助け合いもないのだなと感じています。
花粉症のせいにするのは自由ですが…。
今年は特別に長い冬と感じましたが、北海道はまだまだですね。
我が家のセーラは先週3度目の治療(点滴・皮下注射)を受けて、ずいぶん元気になっています。
3週間ごとの治療とはいえ、前後の血液検査や事後の診察などを入れると週に2回くらいのペースで通院してる感じです。
見た目は「そんなことがあったの?」と思えるような元気さで、食後はおもちゃで遊ぶ、幼いままのセーラです
おもちゃに触ろうとするとうなります(笑)
心配していた副作用も点滴の後で1度戻す程度で軽く
皮下注射の後はウンチが柔らかくなる事くらいで、お腹の薬を3日ほど飲ませています。
あと2回の治療を残していますが、
回復した様子を見るたびに
このまま完全に再発の心配がなくなればいいのにと
かなわぬ願いに複雑な心境です。
動物は苦しくても訴えませんから、かえってかわいそうでなりません。
今でも夢に辛い未来が出てきますが、それが少しでも先になるようにと心の中で願うばかりです。
私が心穏やかでいれば、この子にもきっと良い影響があると思うのですが…、
新聞やテレビの報道を見て心痛むことが多いです。
私はそれが世の中の事実であっても、私ごときが非難することを控えると決めましたが
先日聞いた、
福島県から避難してきた幼児が近くの公園への出入りを、同じく公園で子供を遊ばせる母親達から拒否されたとか、保育所への入園を拒まれたとか
福島ナンバーの車の駐車が拒否されたとか
信じがたい、聞くに堪えない事実に驚いています。
3月11日に向けてテレビや新聞で美談・心温まる話のてんこ盛りの中
これが日本の現実なんだなと思いました。
子供に作文を読ませれば、美辞麗句で詰まった郷土愛の塊みたいな話ばかりも、何だか息苦しい感じを受けます。
勉強を全然してないで大きくなった女性タレントグループが家庭教師のCMに出たり、政府広報の自殺防止キャンペーンの中心だったりと
私達大人はしっかりと責任を果たしているのかな?と思ってしまいます。
そして、
テレビで放射能汚染の危惧を訴える方は皆、マスクをしています。がれきの処理も進まぬまま。
ぜひ、マスクに赤いマジックペンで「絆」と書いてしゃべって欲しいです
警察官もやたらとマスクをしています。
マスクをしないで堂々とシカトを決め込むのは中央省庁勤務の公務員さんだけですね。それも開き直りに近い感じを受けますが。
人からマイクを向けられて何も話さない人はマスクをしています。
私は、せきやくしゃみで周りの人に迷惑を掛けないかぎりマスクはつけないし、車に乗ってる時もマスクはしません
日本人がマスクをしてるかぎり、本当の絆も助け合いもないのだなと感じています。
花粉症のせいにするのは自由ですが…。
2012年2月9日(木)
しばらくお休みしておりました。
日記×703
しばらくの間、マイとかちへのブログ更新をお休みさせていただいておりました。
このまま休止したままでも静かにフェードアウト出来ると思っておりましたが、少し落ち着いた気持ちになれたので、親しくお付き合いしていただいているブログ仲間のみなさまにもご挨拶しておかねばと思って今日の日記を書きます。
昨年末、30日に愛犬セーラの検診の際、彼女がとても重い病気にかかっていることが判明しました。
約ひと月前から、軽い下痢や背中の脂肪腫の診察を受けていた為、特に大事に至るとは考えもしていませんでした。
ただ、クリスマス直後から急に喉元や脚の付け根に腫れがでて、連休や休診日のタイミングもあって診察に行ったのが年末最後の30日でした。
その直前ですが、私に悪い予感と言うか、へんな胸騒ぎがありまして、それはいつもスマホの待ち受けに使ってるセーラの写真(ちょっと驚いたような顔をしてる、ブログにも載せたことがある写真です)が、急に画面から消えてしまった事でした。しばらくして画像は戻りましたが、たかがスマホの待ちうけとは言え、何とも不安な気持ちがよぎりまして、いつもの獣医さんに見せたところ、血液検査をしなければはっきりした事が言えませんが、おそらく治らない病気だろうと宣告されました。
毎月何がしかで気になる事があれば診察を受けていたのに、予防接種もしっかりと受けていたのに、ましてや直近にも何度も触診も受けていたのに、
いきなりの宣告で、目の前が真っ暗になりました。
私としては一時的な腫れを期待して、症状をネットで検索してもしやの事は覚悟していたのですが、まさか我が子にそのような病魔が襲うとは考えもしていませんでしたので、何がなんやらわからなくなってしまいました。
とにかく血液検査の結果を待とうと、抗生剤のお薬をいただいて帰宅したのですが、これをお袋に話すべきか、かわいがってくれる姉に話すべきか悩んでいるうちに、どうやって家に着いたか憶えてませんが、玄関先でこの事を検査結果が出るまで良い方に期待して話さないことに決めたのです。
明日は大晦日、そしてお正月。
出来ることなら静かにいつものお正月を迎えたいと自分の胸だけに仕舞うことにしました。
お医者さんは病状が急変することもあるからと、お正月休み中も連絡を取れる時間と電話番号を紙に書いて渡してくれました。
しかし、急速に症状が悪化していくセーラの様子に私の気持ちは張り裂けそうです。
私は既にブログを読んでいただいているみなさんがご承知のように信心深い人間でもなく、むしろ節度のない批判ばかりの荒っぽい人間です。しかし、
恥ずかしながら20年以上行ったことがなかった初詣を地元の神社を含めて3社、長い行列に並びながら我が子の回復を祈る為にお参りしてきました。私の願いではないので、どうか神様、べぇ~ってしないでねって。
少し急ぎの仕事も抱えていたので、2日には工場で仕事をしていました。セーラのことが気になって効率はひどく悪いままでしたが、私も仕事しなけりゃいけません。でも胸をよぎるのは最悪の事態、悲しい別ればかり。頭の中を流れる歌は悲しい歌ばかり。その時ようやく自分の情けなさとか、自分が、例え少しは的を得てはいても、人様の批判などできる人間じゃないと思い知らされた気分です。まだ雪も少ないお正月休み、仕事場の前を散歩する犬たちが通ります。恥ずかしい話、私はほんとにほかの犬たちも死んでしまえばいいのにと思ってしまいました。
1月4日、病院は診察が始まり、検査結果が出てはいないだろうと薬だけを飲ませて6日に診察を受けることにしました。
ところがその前日辺りから、セーラが部屋のあちこちにぶつかるようになってきたのです。
目は赤く染まってきているのがわかりました。
出血で視力が急に落ちてきたのです。
それでも年老いたお袋は、セーラの深刻な状況には気付いていません。私が上手く煙に巻いていたのですが、さすがにその日やってきた姉には本当のことを話しました。もしかしたら、元気な姿を見るのがこれで最後という事もあるかも知れないからと。
6日の診察ではまだ検査結果は届かず、現状では抗生剤の服用と下痢を抑える薬をいただくのが精一杯の対処です。気休めのような現状。
喉もとの腫れのせいで呼吸も苦しくなっていますが、夜はすやすや眠る時もあるので、これが山場ならと僅かな期待も持っていたのですが、
11日、その日の診察でも検査結果は届かず、既に目はルビー色の真っ赤で視力も僅か。
既に先生から治療に掛かる費用や方針については説明を受けていましたが、あまりの進行の早さに薬が効かないかもしれない旨と、これから起こる最悪の話も聞かされました。
セーラは相変わらず苦しそうですが、私だけが頼り、そんな顔をしています。人生でいろいろ辛い場面はありましたが、その時が一番と思えるほど辛かった。
血液検査を受けて、混んだ病院の待合室から車内に移って、セーラと二人で待っていると、先生が話をしたいからと呼んでいただきました。
先生と血液検査の結果を書いた紙を見ながら、不思議とその数値が健康な子達のそれと大差ないことに私は気付きました。
むしろ太っていた頃の私の血液検査の方がずっと突っ込み所があります。
私はセーラの気力も体力もある今の内に治療を開始して欲しいとお願いしました。
効く効かないを考える余地はありません
検査結果を待つまでもなく、今すぐお願いしたいと。
先生は既に用意はしてあるから、すぐにやりましょうと言ってくださいました。
それから既に夜の7時になっていましたが、50分ほど抗がん剤の点滴を受けました。
セーラのように手足の短い犬種は点滴の際に手を曲げないようにしないと強い抗がん剤が血管から漏れて組織が壊死させるので、点滴を受けている間、私がセーラをいつも肩に担いで抱いてるようにして、看護婦さんがセーラの手を曲げないように持っていてくださる状態が、あれこれ1時間は掛かったと思います。
少しぐったりした様子のセーラでしたが、家に帰ると早速副作用のせいでしょうか、何度か嘔吐を繰り返し、その後は私の布団の横で眠っています。
冬はセーラが私の布団にもぐりこんで顔だけ出して枕を並べるように眠るのが常でしたが、下痢などの体調を崩してからはそうしなかったのです。思えば体温が上がって布団をかぶって寝るのが嫌だったのでしょう。確かに舐められた時の舌や口の熱さに気付くべきでした。
私は何となくうつらうつらしながらセーラの様子を見て起きていました。食欲が落ちたとは言へ、柔らかいウンチがお尻について気持ち悪そうにするので、トイレに行ったらお尻を確かめて汚れていたら暖かいタオルで拭いてやっていましたので、その日もそうやって見守っていました。
お医者さんからは体力をつける為に好きなものをやってくださいと言われていたので、セーラの好きなセブンイレブンのバタースコッチパンを細かく刻み、同じようにりんごを六分の一個皮をむいては刻んで混ぜて食べさせました。
驚いたことに、これまでどうやってもペットフードを食べなかったセーラでしたが、この食事はぺろりと食べてくれます。その後嘔吐もなく、静かに寝ては、私が部屋に入ってくるとそばに寄ってきます。
夕方には抗がん剤の皮下注射を受けに行きます。
私はほんの少し喉の腫れが治まったように感じましたが、お医者さんは気のせいじゃないですかという感じ。
翌日、その翌日と少しづつですが喉の腫れが小さくなって来ています。
薬が効いたようです。
うれしかった。
最悪の状況から脱する、まだ安心は出来ませんが、足場は出来たような気持ちになりました。
目の赤みも少しずつ減り始め、徐々に視力も回復してきたようです。
3週間ごとに5回繰り返す点滴と注射の治療ですが、その間に診察や血液検査もあり、どんなに少なくても1週間以上通院が開くことはありません。
先日2回目の点滴を受けて、その時もずっと抱っこしたまま点滴を受けてきました。
若いだけに進行も早いのですが、回復も早いセーラの様子に、体を触れては一喜一憂、何か様子がおかしいと一喜一憂する毎日です。おかげさまを持ちまして現在では前と変わらない健康そうな様子を取り戻すことが出来ています。
治療は4月末まで続きます。その間にもどのような変化があるか予断を許しませんが、
犬の1年は人間の5年にも匹敵すると書かれてました。
私にできるだけのことをセーラにしてやるつもりです。
彼女にとっても私にとっても大切な日々。
これからどれだけ続くかわからない彼女との毎日を精一杯可愛がってやるつもりです。
私はこのままスッキリと治ってくれればと期待はしていますが、過去の事例からそれはかなりの確立で低いそうです。
セーラの前に飼っていた猫のマイケルのように長生きしてくれるものとばかり思っていましたが、それはわからなくなってしまいました。
セーラの写真を載せたり、思い出をここで振り返ったりするのは、何だか嫌なあやがつきそうなので今日のブログに載せませんでした。徐々に体重も戻っておでぶちゃん復活中です。
彼女は私にとって唯一の家族です、情けない話ですが本当なんです。私が先に逝くことだけは彼女の為にも許されませんが、こんなに早くから心の準備をしなければならないとは思っていませんでした。
なつかれると、こんなに可愛い動物はいません。
犬と暮らして本当に良かった。
生まれて2ヶ月足らずで一緒に生活して、ご飯を食べ、ウンチの世話もして、いつも捕まえては抱いて触ってあやしていると彼女も私を親のように思っているのでしょう。
私も彼女のおかげで少し親の気持ちを経験する事が出来ました。
そんな私ですが、
ふと思い起こすのは、私が小さい時、そう、小学校に入ったばかりくらいでしょうか、
当時母が夕方からも仕事に出ていました。何を思ったか、職場に向って歩いている母を家から走って追いかけて、泣き付いた記憶があります。
何か悲しい事があって、そうしたようには憶えていませんが、追いかけてきて泣き抱きついた子供を家に置いて仕事に向った気持ちが、今は少しわかるような気がします。
悲しくて切なかったでしょうね。
今年は雪も多く、明るい話題に事欠く毎日です。
これまで折に触れて気にかかる世の中の動きに私なりの批判を加えてきましたが、今はそういう気持ちになれなくなってしまいました。
ですから、私のブログは、そういう話題ではおしまいです。
私は自分の感情や、自分の思いが、何がしかセーラに影響を与えてはいまいか、あやをつけてはいまいか、考えてしまいました。
人に対して批判的な目を向けることはもちろん、例えば車を運転していても、酷い運転、人に迷惑をかける運転を目にしますが、決して荒い感情を持たないように心掛けることにしました。
しかし、一夜にして私自身が変われるはずがありません。
そう心掛けながらも、前と同じ自分の心に嫌気がさす毎日です。
そういう自分の汚さや弱さに自問自答する日々が続いています。
聞き慣れた言葉に「不撓不屈」と言うものがありますが、
その道の何と険しいことかと、
今改めて思い知らされているところです。
ブログを更新しなかった為、ご心配をいただいた皆さんには今日の日記を持ってご返事ご挨拶と替えさせていただきます。ありがとうございました。
このまま休止したままでも静かにフェードアウト出来ると思っておりましたが、少し落ち着いた気持ちになれたので、親しくお付き合いしていただいているブログ仲間のみなさまにもご挨拶しておかねばと思って今日の日記を書きます。
昨年末、30日に愛犬セーラの検診の際、彼女がとても重い病気にかかっていることが判明しました。
約ひと月前から、軽い下痢や背中の脂肪腫の診察を受けていた為、特に大事に至るとは考えもしていませんでした。
ただ、クリスマス直後から急に喉元や脚の付け根に腫れがでて、連休や休診日のタイミングもあって診察に行ったのが年末最後の30日でした。
その直前ですが、私に悪い予感と言うか、へんな胸騒ぎがありまして、それはいつもスマホの待ち受けに使ってるセーラの写真(ちょっと驚いたような顔をしてる、ブログにも載せたことがある写真です)が、急に画面から消えてしまった事でした。しばらくして画像は戻りましたが、たかがスマホの待ちうけとは言え、何とも不安な気持ちがよぎりまして、いつもの獣医さんに見せたところ、血液検査をしなければはっきりした事が言えませんが、おそらく治らない病気だろうと宣告されました。
毎月何がしかで気になる事があれば診察を受けていたのに、予防接種もしっかりと受けていたのに、ましてや直近にも何度も触診も受けていたのに、
いきなりの宣告で、目の前が真っ暗になりました。
私としては一時的な腫れを期待して、症状をネットで検索してもしやの事は覚悟していたのですが、まさか我が子にそのような病魔が襲うとは考えもしていませんでしたので、何がなんやらわからなくなってしまいました。
とにかく血液検査の結果を待とうと、抗生剤のお薬をいただいて帰宅したのですが、これをお袋に話すべきか、かわいがってくれる姉に話すべきか悩んでいるうちに、どうやって家に着いたか憶えてませんが、玄関先でこの事を検査結果が出るまで良い方に期待して話さないことに決めたのです。
明日は大晦日、そしてお正月。
出来ることなら静かにいつものお正月を迎えたいと自分の胸だけに仕舞うことにしました。
お医者さんは病状が急変することもあるからと、お正月休み中も連絡を取れる時間と電話番号を紙に書いて渡してくれました。
しかし、急速に症状が悪化していくセーラの様子に私の気持ちは張り裂けそうです。
私は既にブログを読んでいただいているみなさんがご承知のように信心深い人間でもなく、むしろ節度のない批判ばかりの荒っぽい人間です。しかし、
恥ずかしながら20年以上行ったことがなかった初詣を地元の神社を含めて3社、長い行列に並びながら我が子の回復を祈る為にお参りしてきました。私の願いではないので、どうか神様、べぇ~ってしないでねって。
少し急ぎの仕事も抱えていたので、2日には工場で仕事をしていました。セーラのことが気になって効率はひどく悪いままでしたが、私も仕事しなけりゃいけません。でも胸をよぎるのは最悪の事態、悲しい別ればかり。頭の中を流れる歌は悲しい歌ばかり。その時ようやく自分の情けなさとか、自分が、例え少しは的を得てはいても、人様の批判などできる人間じゃないと思い知らされた気分です。まだ雪も少ないお正月休み、仕事場の前を散歩する犬たちが通ります。恥ずかしい話、私はほんとにほかの犬たちも死んでしまえばいいのにと思ってしまいました。
1月4日、病院は診察が始まり、検査結果が出てはいないだろうと薬だけを飲ませて6日に診察を受けることにしました。
ところがその前日辺りから、セーラが部屋のあちこちにぶつかるようになってきたのです。
目は赤く染まってきているのがわかりました。
出血で視力が急に落ちてきたのです。
それでも年老いたお袋は、セーラの深刻な状況には気付いていません。私が上手く煙に巻いていたのですが、さすがにその日やってきた姉には本当のことを話しました。もしかしたら、元気な姿を見るのがこれで最後という事もあるかも知れないからと。
6日の診察ではまだ検査結果は届かず、現状では抗生剤の服用と下痢を抑える薬をいただくのが精一杯の対処です。気休めのような現状。
喉もとの腫れのせいで呼吸も苦しくなっていますが、夜はすやすや眠る時もあるので、これが山場ならと僅かな期待も持っていたのですが、
11日、その日の診察でも検査結果は届かず、既に目はルビー色の真っ赤で視力も僅か。
既に先生から治療に掛かる費用や方針については説明を受けていましたが、あまりの進行の早さに薬が効かないかもしれない旨と、これから起こる最悪の話も聞かされました。
セーラは相変わらず苦しそうですが、私だけが頼り、そんな顔をしています。人生でいろいろ辛い場面はありましたが、その時が一番と思えるほど辛かった。
血液検査を受けて、混んだ病院の待合室から車内に移って、セーラと二人で待っていると、先生が話をしたいからと呼んでいただきました。
先生と血液検査の結果を書いた紙を見ながら、不思議とその数値が健康な子達のそれと大差ないことに私は気付きました。
むしろ太っていた頃の私の血液検査の方がずっと突っ込み所があります。
私はセーラの気力も体力もある今の内に治療を開始して欲しいとお願いしました。
効く効かないを考える余地はありません
検査結果を待つまでもなく、今すぐお願いしたいと。
先生は既に用意はしてあるから、すぐにやりましょうと言ってくださいました。
それから既に夜の7時になっていましたが、50分ほど抗がん剤の点滴を受けました。
セーラのように手足の短い犬種は点滴の際に手を曲げないようにしないと強い抗がん剤が血管から漏れて組織が壊死させるので、点滴を受けている間、私がセーラをいつも肩に担いで抱いてるようにして、看護婦さんがセーラの手を曲げないように持っていてくださる状態が、あれこれ1時間は掛かったと思います。
少しぐったりした様子のセーラでしたが、家に帰ると早速副作用のせいでしょうか、何度か嘔吐を繰り返し、その後は私の布団の横で眠っています。
冬はセーラが私の布団にもぐりこんで顔だけ出して枕を並べるように眠るのが常でしたが、下痢などの体調を崩してからはそうしなかったのです。思えば体温が上がって布団をかぶって寝るのが嫌だったのでしょう。確かに舐められた時の舌や口の熱さに気付くべきでした。
私は何となくうつらうつらしながらセーラの様子を見て起きていました。食欲が落ちたとは言へ、柔らかいウンチがお尻について気持ち悪そうにするので、トイレに行ったらお尻を確かめて汚れていたら暖かいタオルで拭いてやっていましたので、その日もそうやって見守っていました。
お医者さんからは体力をつける為に好きなものをやってくださいと言われていたので、セーラの好きなセブンイレブンのバタースコッチパンを細かく刻み、同じようにりんごを六分の一個皮をむいては刻んで混ぜて食べさせました。
驚いたことに、これまでどうやってもペットフードを食べなかったセーラでしたが、この食事はぺろりと食べてくれます。その後嘔吐もなく、静かに寝ては、私が部屋に入ってくるとそばに寄ってきます。
夕方には抗がん剤の皮下注射を受けに行きます。
私はほんの少し喉の腫れが治まったように感じましたが、お医者さんは気のせいじゃないですかという感じ。
翌日、その翌日と少しづつですが喉の腫れが小さくなって来ています。
薬が効いたようです。
うれしかった。
最悪の状況から脱する、まだ安心は出来ませんが、足場は出来たような気持ちになりました。
目の赤みも少しずつ減り始め、徐々に視力も回復してきたようです。
3週間ごとに5回繰り返す点滴と注射の治療ですが、その間に診察や血液検査もあり、どんなに少なくても1週間以上通院が開くことはありません。
先日2回目の点滴を受けて、その時もずっと抱っこしたまま点滴を受けてきました。
若いだけに進行も早いのですが、回復も早いセーラの様子に、体を触れては一喜一憂、何か様子がおかしいと一喜一憂する毎日です。おかげさまを持ちまして現在では前と変わらない健康そうな様子を取り戻すことが出来ています。
治療は4月末まで続きます。その間にもどのような変化があるか予断を許しませんが、
犬の1年は人間の5年にも匹敵すると書かれてました。
私にできるだけのことをセーラにしてやるつもりです。
彼女にとっても私にとっても大切な日々。
これからどれだけ続くかわからない彼女との毎日を精一杯可愛がってやるつもりです。
私はこのままスッキリと治ってくれればと期待はしていますが、過去の事例からそれはかなりの確立で低いそうです。
セーラの前に飼っていた猫のマイケルのように長生きしてくれるものとばかり思っていましたが、それはわからなくなってしまいました。
セーラの写真を載せたり、思い出をここで振り返ったりするのは、何だか嫌なあやがつきそうなので今日のブログに載せませんでした。徐々に体重も戻っておでぶちゃん復活中です。
彼女は私にとって唯一の家族です、情けない話ですが本当なんです。私が先に逝くことだけは彼女の為にも許されませんが、こんなに早くから心の準備をしなければならないとは思っていませんでした。
なつかれると、こんなに可愛い動物はいません。
犬と暮らして本当に良かった。
生まれて2ヶ月足らずで一緒に生活して、ご飯を食べ、ウンチの世話もして、いつも捕まえては抱いて触ってあやしていると彼女も私を親のように思っているのでしょう。
私も彼女のおかげで少し親の気持ちを経験する事が出来ました。
そんな私ですが、
ふと思い起こすのは、私が小さい時、そう、小学校に入ったばかりくらいでしょうか、
当時母が夕方からも仕事に出ていました。何を思ったか、職場に向って歩いている母を家から走って追いかけて、泣き付いた記憶があります。
何か悲しい事があって、そうしたようには憶えていませんが、追いかけてきて泣き抱きついた子供を家に置いて仕事に向った気持ちが、今は少しわかるような気がします。
悲しくて切なかったでしょうね。
今年は雪も多く、明るい話題に事欠く毎日です。
これまで折に触れて気にかかる世の中の動きに私なりの批判を加えてきましたが、今はそういう気持ちになれなくなってしまいました。
ですから、私のブログは、そういう話題ではおしまいです。
私は自分の感情や、自分の思いが、何がしかセーラに影響を与えてはいまいか、あやをつけてはいまいか、考えてしまいました。
人に対して批判的な目を向けることはもちろん、例えば車を運転していても、酷い運転、人に迷惑をかける運転を目にしますが、決して荒い感情を持たないように心掛けることにしました。
しかし、一夜にして私自身が変われるはずがありません。
そう心掛けながらも、前と同じ自分の心に嫌気がさす毎日です。
そういう自分の汚さや弱さに自問自答する日々が続いています。
聞き慣れた言葉に「不撓不屈」と言うものがありますが、
その道の何と険しいことかと、
今改めて思い知らされているところです。
ブログを更新しなかった為、ご心配をいただいた皆さんには今日の日記を持ってご返事ご挨拶と替えさせていただきます。ありがとうございました。
2011年12月26日(月)
日本って、いつからこんなにだらしなくなったの?
日記×703
昨日早く寝たら、朝早く眼が覚めちゃった。
おはようございます。
だらしないって言うより、落ちてきたなぁって感じですか。
変化を望まない無関心な国民
何か提案されても、考えるのが嫌だから、それっきりって感じです。
昨日のスケート。
真央ちゃんに期待していたけど、アスリートとしての彼女は
とっくに賞味期限切れでした。
だけど、アナウンサーの実況聞きながら観てると
まるで亀田一家のボクシングの試合みたいに思えた。
フリーでトップのいくよちゃんも、3位に終わった村上選手も、見るからに体も鍛えられた感じとキレがありました。二人とも痩せていた。真央ちゃんも痩せたけど、体力落ちただけみたい。
真央ちゃん、一家の大黒柱として若くして償却してしまったのでしょうね。早めにタレントになったほうがいいかも。
欧州に端を発した財政危機がこれだけ毎日報道されながら
民主党はダムの工事再開を決定した。
これだけみても、野田が馬鹿タレだってわかる。
韓国に引き続き、中国まで行って人民元立ての融資を約束し
これでも増税だって言うのだから、誰がどう考えても
理屈に合わないですよね
さっきメールを見たら
アフタークリスマスセールですって。
うちもやろうかな?
なりふり構わずやったもの勝ちって気もするから。
おはようございます。
だらしないって言うより、落ちてきたなぁって感じですか。
変化を望まない無関心な国民
何か提案されても、考えるのが嫌だから、それっきりって感じです。
昨日のスケート。
真央ちゃんに期待していたけど、アスリートとしての彼女は
とっくに賞味期限切れでした。
だけど、アナウンサーの実況聞きながら観てると
まるで亀田一家のボクシングの試合みたいに思えた。
フリーでトップのいくよちゃんも、3位に終わった村上選手も、見るからに体も鍛えられた感じとキレがありました。二人とも痩せていた。真央ちゃんも痩せたけど、体力落ちただけみたい。
真央ちゃん、一家の大黒柱として若くして償却してしまったのでしょうね。早めにタレントになったほうがいいかも。
欧州に端を発した財政危機がこれだけ毎日報道されながら
民主党はダムの工事再開を決定した。
これだけみても、野田が馬鹿タレだってわかる。
韓国に引き続き、中国まで行って人民元立ての融資を約束し
これでも増税だって言うのだから、誰がどう考えても
理屈に合わないですよね
さっきメールを見たら
アフタークリスマスセールですって。
うちもやろうかな?
なりふり構わずやったもの勝ちって気もするから。