2011年6月11日(土)
浦幌 炭鉱遺跡
大好き浦幌×57
うらほろ留真温泉から浦幌市街方向へ8kg程走り
左折すると炭山への入り口があります。
浦幌炭鉱は大正7年大和鉱業の手により開発が始まったそうです。
当時はここに大きな炭鉱の町があり
小・中学校や高校、病院、映画館
賑やかな購買ねもあり
浦幌市街にお店を開いていた祖母も
「炭鉱の人がよくみかんやら味噌やら醤油やらを箱で買っていって、浦幌も炭鉱のおかげで賑やかだったね~」
という話をしていた事があります。
これは職員住宅だったそうです。
今は歴史を伝えるため3棟だけ残されていますが
当時はこれが沢山あったそうです。
それにしても何かでそうでちょっと不気味・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
でたーーーー!!!!!!!
っと思ったら社長でした(笑)
その後昭和30年に高校の分校は廃校となり、
小中学校も縮小の過程を経て廃校となったそうです。
この地が無人の地となったのは昭和40年初頭ということで以外に最近まで人が残っていたんだな~と思いました。
途中には至る所にこんな不思議な光景も。
水に浮かぶ木々
左折すると炭山への入り口があります。
浦幌炭鉱は大正7年大和鉱業の手により開発が始まったそうです。
当時はここに大きな炭鉱の町があり
小・中学校や高校、病院、映画館
賑やかな購買ねもあり
浦幌市街にお店を開いていた祖母も
「炭鉱の人がよくみかんやら味噌やら醤油やらを箱で買っていって、浦幌も炭鉱のおかげで賑やかだったね~」
という話をしていた事があります。
これは職員住宅だったそうです。
今は歴史を伝えるため3棟だけ残されていますが
当時はこれが沢山あったそうです。
それにしても何かでそうでちょっと不気味・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
でたーーーー!!!!!!!
っと思ったら社長でした(笑)
その後昭和30年に高校の分校は廃校となり、
小中学校も縮小の過程を経て廃校となったそうです。
この地が無人の地となったのは昭和40年初頭ということで以外に最近まで人が残っていたんだな~と思いました。
途中には至る所にこんな不思議な光景も。
水に浮かぶ木々
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