2010年4月21日(水)
どこから食べる?
2010年4月21日(水)
木からできた『森林エコ座布団』

ふっつぅーの座布団に見えますが、実は中のスポンジは山に生えている木からできている不思議な座布団です。
中のスポンジは、苫小牧に工場がある㈱木の繊維
で製造されているウッドファイバー(木質繊維断熱材)です。
当社は㈱木の繊維の十勝センター浦幌支店と言うこともあり、お家を建てるのはなかなか大変ですが、ウッドファイバーを身近に体感してもらうために考えてできた座布団です。
座っていると畳のような程よい硬さで背筋がピンッ!っとなって、木のぬくもりで不思議とお尻がポカポカしてくると、すでに利用していただいている方々からも好評です♪
最初は大人サイズ(職場の椅子などにちょうどいいサイズ)だけを作りましたが、娘も「私も学校で使いた~い!」と言うので、子供サイズも作ってみました。
道の駅うらほろ
でも販売していますので、お立ち寄りの際はぜひご覧ください♪
『森林エコ座布団』詳しくはこちら

中のスポンジは、苫小牧に工場がある㈱木の繊維

当社は㈱木の繊維の十勝センター浦幌支店と言うこともあり、お家を建てるのはなかなか大変ですが、ウッドファイバーを身近に体感してもらうために考えてできた座布団です。
座っていると畳のような程よい硬さで背筋がピンッ!っとなって、木のぬくもりで不思議とお尻がポカポカしてくると、すでに利用していただいている方々からも好評です♪
最初は大人サイズ(職場の椅子などにちょうどいいサイズ)だけを作りましたが、娘も「私も学校で使いた~い!」と言うので、子供サイズも作ってみました。
道の駅うらほろ

『森林エコ座布団』詳しくはこちら



2010年4月19日(月)
衣替え
2010年4月18日(日)
昨年の出来事②

当社は昭和36年8月、私の祖父が設立して以来、時代の流れに順応した製品として少しづつ形を変えながらも、父の代ではからまつ製材専門工場となり、‘木と共に生きる’スタイルは変えることなく操業してきました。
しかし、昨年3月11日、その歴史を揺るがす大事件が起きました。
その日から、社長である父と私の沈思黙考の日々が始まりました。
この不況下でもう一度会社を立て直すべきなのか?
‘木と共に生きる’道を捨てるべきなのか?
不安とあせりで頭がいっぱいでした。
しかし、それ以上に大きかったのは、沢山の方々からの励ましと支えでした。
落ち込んでいる私たちを心配して励ましに何度も足を運んでくれた方々、
ボランティアで火災後の工場を真っ黒になりながら片付けてくれた方々、
今後のことを心配して相談にのってアドバイスをくれた方々、
そんな沢山の方々に支えられ、㈱エムケイはまた、‘木と共に生きる’道を歩ませていただくことができます。
昨年は本当に色々なことがありましたが、今はまた木に囲まれた毎日を送れることが本当に幸せです。
つまらない独り言にお付き合いいただきありがとうございました。
そして㈱エムケイをこれからもよろしくお願いいたします。
しかし、昨年3月11日、その歴史を揺るがす大事件が起きました。
その日から、社長である父と私の沈思黙考の日々が始まりました。
この不況下でもう一度会社を立て直すべきなのか?
‘木と共に生きる’道を捨てるべきなのか?
不安とあせりで頭がいっぱいでした。
しかし、それ以上に大きかったのは、沢山の方々からの励ましと支えでした。
落ち込んでいる私たちを心配して励ましに何度も足を運んでくれた方々、
ボランティアで火災後の工場を真っ黒になりながら片付けてくれた方々、
今後のことを心配して相談にのってアドバイスをくれた方々、
そんな沢山の方々に支えられ、㈱エムケイはまた、‘木と共に生きる’道を歩ませていただくことができます。
昨年は本当に色々なことがありましたが、今はまた木に囲まれた毎日を送れることが本当に幸せです。
つまらない独り言にお付き合いいただきありがとうございました。
そして㈱エムケイをこれからもよろしくお願いいたします。
2010年4月17日(土)
昨年の出来事

昨年3月11日、強風で一晩中外が騒がしい日でした。
真夜中の3時、消防署のサイレンで目が覚めました。
寝室の窓を開け外を眺めると、目の前の通りを消防車がものすごいスピードで走っていきました。
嫌な胸騒ぎがしました。
社長である父を起こし、少し離れた工場の方へ車で確認しに行ってもらいました。
間もなく携帯がなりました。
「うちだ!大変だ!!」
嫌な予感が的中しました。
私も子供三人を母に頼み、必死で自転車をこぎました。
工場が近づくにつれ、焦げ臭いにおいと空には真っ赤な火の粉が見え、それでも間違いであってほしいと思いました。
でも私が着いた時には既に工場全体が火に巻かれ、それでも尚強風にあおられものすごい勢いで燃えていました。
先に来ていた父の姿が見えず、心配で電話しました。
電話の先から父が消防士さんたちに「あっちの方!もっと、もっと・・・」と大声で支持する声を聞き少し安心しましたが、火の勢いがすごすぎて私には何もできることがなくただ震えを抑えて立っている事だけで精一杯でした。
火が落ち着いた頃、空はもう明るくなっていました。
~つづく~
真夜中の3時、消防署のサイレンで目が覚めました。
寝室の窓を開け外を眺めると、目の前の通りを消防車がものすごいスピードで走っていきました。
嫌な胸騒ぎがしました。
社長である父を起こし、少し離れた工場の方へ車で確認しに行ってもらいました。
間もなく携帯がなりました。
「うちだ!大変だ!!」
嫌な予感が的中しました。
私も子供三人を母に頼み、必死で自転車をこぎました。
工場が近づくにつれ、焦げ臭いにおいと空には真っ赤な火の粉が見え、それでも間違いであってほしいと思いました。
でも私が着いた時には既に工場全体が火に巻かれ、それでも尚強風にあおられものすごい勢いで燃えていました。
先に来ていた父の姿が見えず、心配で電話しました。
電話の先から父が消防士さんたちに「あっちの方!もっと、もっと・・・」と大声で支持する声を聞き少し安心しましたが、火の勢いがすごすぎて私には何もできることがなくただ震えを抑えて立っている事だけで精一杯でした。
火が落ち着いた頃、空はもう明るくなっていました。
~つづく~