2012年6月14日(木)
チョマトウ
見てきた事×18
今日は昼から休みだったので昼食後、図書館へ行って、天気が良かったのでバイクでぷらっと「チョマトウ」へ行ってみた。
2004年の道路工事に伴った埋め立てで、以前の姿は見る影も無かった。
自分が帯広に来たのはもう四半世紀前のこと。
その頃はこのあたりは道路がぐるっと迂回して、独特な雰囲気のある一角だった。
最近この近くに配達に来る事が何度かあり、一度きちんと見ておこうと思っていた。
これまでのチョマトウの変遷については外部のサイトが詳しいので、リンクを張っておく。
Wikipedia-チョマトー
団塊オヤジの短編小説
伝説にもあるようにこの近辺は湿地が広がっていて、その中にあって川と間違えるような大きな沼がチョマトウだったらしい。
北見のアイヌがここで鴨を獲って空腹を満たした、という記述は周囲が湿原だったと考えれば納得できる。
アイヌの方々にとって水辺は神聖な領域であった事を思うと、まことしやかにささやかれる「心霊スポット」としての古戦場であったり、戦いで殺された人を投げ込んだ血で沼が赤く染まった、という話にはちょっと疑問を感じる。
だからこの記念碑の「戦没者慰霊碑」というのはどうなのかな?と思う。
チョマトウの伝承と歴史
都市計画を進めることも大事だが、先住民族の歴史的な場所をしっかりと保存して後世に残す、という事も大事なことではないのかな、と思った。
2004年の道路工事に伴った埋め立てで、以前の姿は見る影も無かった。
自分が帯広に来たのはもう四半世紀前のこと。
その頃はこのあたりは道路がぐるっと迂回して、独特な雰囲気のある一角だった。
最近この近くに配達に来る事が何度かあり、一度きちんと見ておこうと思っていた。
これまでのチョマトウの変遷については外部のサイトが詳しいので、リンクを張っておく。
Wikipedia-チョマトー
団塊オヤジの短編小説
伝説にもあるようにこの近辺は湿地が広がっていて、その中にあって川と間違えるような大きな沼がチョマトウだったらしい。
北見のアイヌがここで鴨を獲って空腹を満たした、という記述は周囲が湿原だったと考えれば納得できる。
アイヌの方々にとって水辺は神聖な領域であった事を思うと、まことしやかにささやかれる「心霊スポット」としての古戦場であったり、戦いで殺された人を投げ込んだ血で沼が赤く染まった、という話にはちょっと疑問を感じる。
だからこの記念碑の「戦没者慰霊碑」というのはどうなのかな?と思う。
チョマトウの伝承と歴史
都市計画を進めることも大事だが、先住民族の歴史的な場所をしっかりと保存して後世に残す、という事も大事なことではないのかな、と思った。
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