入院生活の事(70)


201392(月)

手術!


うつぶせのカエルのような体勢で手術開始。

「ではトンネルの場所を確認しながら切っていきますね~」
と先生の声。
どうやらエコーで映像を確認している様子。
痛みは全く感じないが、押される感覚(圧迫感?)はあって、けっこうぐいぐい押されてるな~と感じた。

「ちょっとここが見づらいなあ~。どうも直線ではないな」
と、しばらく探った後で、「では切っていきますね~」
とついに始まったのであった。

電気メスで切っていく、ということは事前の説明で聞いていたのでそうなんだろうなとは思っていたが、実際に処置が始まると「ジジジ~~!」という音とともに肉が焼けて焦げる匂いが!!
「メッチャ臭い!!」
ふと思った。 自分が死んで棺おけに入れられ、火葬される時に同じ匂いをかぐんだろうなあ~、と。

右手に巻いている血圧を測るためのバンドは3分おきに収縮する。 「ジジジ~~!!」の間に7~8回は収縮していたので20分以上は切られていたのではないだろうか?

「ジジジ~~!」が止まったな、と思っていたら
「この尾てい骨のところにあるイボはもしかするとチャームポイントかもしれませんけど、ついでに今取っちゃいますか?」と聞かれたので、以前から気になっていた所でもあり
「お願いします」と取ってもらう事にした。

「ここは麻酔が効いていないのでちょっと麻酔しますね、チクッとしますよ~」
・・・しまった、そこは効いていなかったのかっ!
と焦っている間に「チクッ!」と注射されて、しばらく置いてそこも「ジジジ~~!」と焼かれて取られたのであった。
「ここは絆創膏を貼っておきますね~」とかなりでかい絆創膏を貼ってもらった。

患部の切開が終わったあと、かなりしばらくの間、なにかの処置をしていた。 特に痛みも無く寝ているだけなので、ヒマだなあ~と思った。
鼻からの酸素吸入のおかげか「手術だ!」と興奮している為なのか、頭は冴えていた。 始めのうちは声を掛けてくれていた看護師さんも手術後半の作業に忙しいらしくあれこれ歩き回っていた。

同じ手術の経験談をネットで事前にチェックしたところ、手術自体は痛みも無く終わるが、麻酔が切れた後は激痛が襲ってきてほぼ一晩中苦しめられる、というような情報がほとんどで、「そうなるんだろうな~、イヤだなあ~!」とそればっかりを考えていた。

やがて処置も終わり「さあ、終わりましたよ~。お疲れ様でした」と先生が颯爽と手術室を後にした。
「ありがとうございました」と聞こえたかは分からないが、言ってみた。

麻酔を受けた時と同じ体勢にさせられ、そのままストレッチャーに移動してもらった。 さらに仰向けにしてもらい、手術室を後にする。
「お疲れ様でした~」とAさんの笑顔に送られながら。
15時50分。 手術時間は40分程度だったかな?

手術室から病室への短い廊下の天井を眺めながら、
「生きて帰ってこられた・・・」とちょっと感傷的になった。 心底ほっとして「やっと終わった」と思った。

病室ではカミさんが待っていてくれた。

ストレッチャーからはBさん・Cさん・Dさんの3人の看護師さんが「せーの!」で一瞬にしてベッドへ横移動してくれた。 プロの仕事だ、と感心した。

胸に心電図を取る吸盤を4個付けられ、酸素吸入のチューブを壁の端子につながれ、点滴も新しいものに入れ替えられた。
下半身の感覚は全くなし。 自分がコゲ臭くてまいる。

「腰椎麻酔の副作用で頭痛が起こる事があるので、麻酔が覚めるまで頭は動かさないでくださいね」

4時間ほどで麻酔は切れる、という説明だったが実際に麻酔が切れたのは6時間ほど後だった。

麻酔が効いている時には足を動かそうと思ってもピクリとも動かない。 その時は自分の脳みそが「焦る」反応をした。
足を動かす指令を出しても足が反応しない、フィードバックがないと脳みそが「焦る」。 これは初めての経験だった。

事故などで身体の一部が麻痺をして、そこを動かす為のリハビリをされている方の映像をテレビなどで目にする機会は何度となくあり、「大変だな」と感じてはいたが実際自分が麻酔が効いている短い時間だけにせよ、それはとんでもなく大変な事なんだ、と痛感した。

30分おきに看護師さん(Bさん)が血圧を測りに来る。
手首に巻く簡易型の血圧計。 これ、便利。

17時過ぎ、先生の回診。
「疲れたでしょう? 麻酔切れるまでゆっくり寝ていてくださいね」

18時ごろから足の指の感覚が戻ってきた。 足の裏やふくらはぎの辺りは痺れている状態。 ふともも辺りはまだ動かない。

疲れが出てうとうとしている状態でも、決まった時間に看護師さんは来て血圧を測り、点滴を換えて行ってくれる。 ありがたいなあ~と思う。

面会時間は19時までなので、カミさんは帰った。

20時半ごろから足が動かせるようになる。
麻酔が切れてきている、イコール激痛!!
と思っていたが、痛みはあまりなかった。
看護師さんにそのように伝えると、「ではあと1時間ほど待って見ましょう」という返答。
「痛みがあまりありませんが?」と聞くと
「開放創は痛みが少ないようですよ。 肛門の中には手術中に麻酔薬を入れてあるのでそれがまだ効いているんでしょう」とのこと。
その麻酔が切れると痛いのかなあ?とちょっと不安になったが、思い過ごしであった。

21時半ごろBさんが「では起きてみましょう。サポートしますので、無理しないでくださいね」
と、まず左を下にした横向きにしてくれた。
「足をそろえてベッドから下ろしてください」
下ろした。
「はい、それでは上体を起こします」
左肩をささえて起こしてくれた。
「ではゆっくり立ちましょう」
立ってみた。
「その場で少し足踏みしてください」
左右、左右。 学校の訓練はこんなところに生きていた!
「足の裏が痺れている感じはありませんか?」
ありません。

「ではお食事です」
とBさんがうどんを持ってきてくれた。
昨日の検査の後に食べたのと同じだったが、美味しかった。

腹にモノが入ると「生きてるなあ」と実感する。



2013828(水)

手術までのカウントダウン2


朝6時起床。
「おはようございます。6月25日、火曜日の朝です。これから看護師が回診に伺います。 準備してお待ちください。」
というアナウンスで一日が始まる。
看護師さんの回診。 肋骨の痛みはどうか?と聞かれ、その後、今日の手術までの流れをざっと説明される。
状況によっては午前中、浣腸するかもと言われビビる。

8時朝食。
画像
量は少ないが、正しい日本の朝食、といったたたずまいだ。
これも5分で完食。

9時、CT検査に呼ばれる。 腰から下を撮影。

9時半、足首近くまである病院着に着替える。下着はT字帯のみ。

10時、点滴開始。
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手首の少し上に留置カテーテルを入れる。これがなかなか痛い。 血管が太めで浮いているので注射の針は外しようがないのが自分のウリなんだけど、それとこれとは話が違ったらしい。

午前中、結局浣腸はされなかった。 しないならしない、って言ってよね。 けっこうドキドキしてたんだからさ。

朝食後は水も摂ってはいけないので昼食は当然なし。

13時半、カミさんがやって来る。

13時40分、抗生剤の点滴も追加。

14時30分、インフォームドコンセント開始。
今までの経過の説明と、手術の方法を解説してもらった。
CT画像から見ればそれほど深い痔ろうではなさそうなので「開放式」の手術になるだろう。 直線的に切ることが出来れば入院期間も短くなるが、変化球的なトンネルが形成されている場合は長く切る事になるので、入院期間も長くなる恐れがある。 電気メスを使用するので術後の痛みは少ないと思われる。などなど。
一度部屋へ帰され、呼ばれるのを待つ。

15時10分、「それではこれから手術室へ行きます」とクールビューティーな看護師さん(Dさんとする)が呼びに来る。

「手術室に入ったら白線が引いてあるのでそこでスリッパを履き替えて、その後は中の看護師の指示に従ってください」と手術室までの短い廊下を歩きながらDさんから説明を受けた。

手術室は自動ドア。 ドアの横にくぼみがあり、そこにセンサースイッチがある。 Dさんが足先をくぼみに入れ、ドアが開いた。
そこには満面の笑みのAさんが!
「がんばりましょうね!」と声をかけられ、緊張感がブッ飛んだ。

手術室は想像以上に広く、ちょっと寒かった。

こげ茶色のごつい手術台の上に座らされ、鼻に酸素吸入のチューブ、右腕に血圧計測用のバンド、左手親指に血中酸素濃度を測るクリップ、など次々につながれていく。
点滴のチューブもアタッチメントの部分から一度外し、病院着を脱いで再度つなぐ。

「準備できましたか~?」と先生登場。
「それでは麻酔をしますので横になってください」
左側を下にして横になり、両足を抱え込むような姿勢をとる。 Aさんが「私のお腹に両足の膝を付けてください」とありがたいお言葉をおっしゃるので「それはそれは」とぐいぐいと押付けてみる(アホ)。

腰のあたりの背骨をじっくりと探る様子。
「では注射します。動かないでくださいね」

うひ~~~!という顔をしていると目の前でAさんが「大丈夫ですよ」とにこっと笑う。 力抜けるな~~~(大アホ)

チクッと痛みはあるものの、普通の注射より痛くないかも。

「薬入れま~す。どちらかの足が痛かったら言って下さいね~」と先生。 上になっている右足にビリビリと痛みが走る。
「右足が痛いです」と言うと
「では一度抜いてもう一度行きますね」
またチクッとするが今度はどちらの足も痛くない。
「ではこのまま薬を入れちゃいますね~、腰から下が暖かくなりますよ~」
どこまでも軽い口調の先生であった。

少し押し込まれるような鈍痛があったが、無事腰椎麻酔は完了したようだった。
すぐに腰から下がぼわ~っと暖かくなった。
これが麻酔が作用を始めた感覚なんだそうだ。
注射器を抜いた後うつぶせにされ、腰の周りを冷たいもので広範囲に触られる。
「この冷たさを覚えておいてくださいね」 これは氷を使って感覚を計っていたのだ、と後で知った。

2~3分後、「足は動かせますか~?」と聞かれたのでやってみたら動かせた。
「まだ効いてませんね、じゃもう少し待ちましょう」とさらに数分。
「今度は?」・・・全く動かなくなっていた。
「ではこれは冷たいですか?」とさっき触られたところを同じようになぞられたが、これもまた全く冷たくない。
「では始めましょう~」

おお!ついにバッサリいかれちゃうのね!!と感覚のない下半身をどんな格好にされているのかもわからないまま、ちょびっとだけ緊張感が走ったのであった。



2013826(月)

手術までのカウントダウン


内視鏡検査の痛みがすっかり消えて、ベッドに横になってリラックスしていたら、今まで溜まりに溜まった疲れのせいか爆睡してしまった。
15時過ぎ、背の高い看護師さん(Cさんとする)が「テイモウしま~す」とやって来た。 「テイモウってなんだ??」と寝ぼけた頭で考えていたら、明日手術するのに邪魔な毛を剃る「剃毛」だと気付いた。 けっこうな範囲でつるっと、剃っていただいた。 恥ずかしかった・・・。

16時半過ぎ、先生の回診。 「明日手術ですね。 今日はゆっくり休んでください。」

17時。 検査でかいた脂汗を流しておきましょうかね、とシャワーを浴びに行った。

17時半。 仕事帰りのカミさんが見舞いに来てくれる。
明日の手術前のインフォームドコンセントを一緒に受けてもらわなければならないので、その時間の打ち合せ。

18時。 夕食。

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さすがの病院食だ、少ねー!と思いながら口に運ぶ。 かなり薄味ながら、美味しかった。
5分で完食。 お膳は自分でナースセンターの横のスペースへ下げることになっている。 カミさんが持って行ってくれた。 さらに打ち合わせをして、カミさん帰宅。

20時。 看護師さんによる夜の回診。
おそらく最年長の看護師さん(Dさんとする)が、下剤と睡眠剤(ハルシオン)を処方してくれた。 下剤はゆっくり効くのでいま飲むこと、睡眠剤は寝る前に、ということだった。

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睡眠剤初体験。 明日の手術前の緊張緩和、という意味なのかな~と考えながら飲んだ。 1ミリの緊張感も無しに。
分けて飲むのがめんどくさかったので、もらった薬は一緒に飲んでしまった。

わき腹の痛みが続いていたので、痛み止めも欲しかったが、あまり薬ばっかり飲むのも良くないのかもな、と思った。

消灯が22時。 21時50分には寝てしまった。

明日は手術だ。



2013822(木)

大腸内視鏡検査


センチネルクリニックの病室は基本的に個室。

自分が入院したのも個室で、テレビ・冷蔵庫(有料)・洗面台・トイレ(ウオシュレット付き)が完備されていた。

病室の様子外部リンク

部屋に入る時に看護師さんから入院着と「T時帯」を渡され、すぐに着替えた。 入院患者の姿へと変身したのであった。

検査を受ける準備は完了して、何もする事がなくなった。
というわけで左わき腹から背中へかけての激痛のおかげで2~3日睡眠不足だったので、横になったらすぐにうとうとと寝てしまった。

「検査に呼ばれたので1階の検査室へ行ってください」
と看護師さんに言われたのが14時。
エレベーターで1階へ下り、検査室の前で待っていた。

レントゲン室から呼ばれ、腹部・胸部の写真を前と横から撮影された。
ここまでは何のことはない、楽勝な検査であった。

次は本日のメインイベント、大腸内視鏡検査。

検査室の入り口で満面の微笑みで看護師さんが迎えてくれて、しかも自分のどストライクな「目のなくなる笑顔」だったので即、惚れた。
ぽや~んとした気分のまま、検査台に上がり、左を下にした横向きのままその時を待った。

やがて先生が登場し、検査が始まった。
看護師さん二人、検査技師さん一人、の4人体制だった。

麻酔は肛門部分へゼリー状のものだけで、点滴などはなし。

カメラが入ってくる時は麻酔の為、特に痛みはなし。
撮影の為、腸内に空気を送られて下から腸が膨らんできた時は痛かった。○ンコが緊急で出ますよ!というあの感覚が下から順番に上がってくる感覚で「これは大変!!」と焦った。

さらにそれに追い討ちをかけるようにカメラが上がってきたが、S状結腸部分でスタック! 激痛に次ぐ激痛!
「結腸部分が少しねじれているのでなかなか入っていきませんね。 力抜いてくれれば通りますよ~」
と先生の声は聞こえるが、あまりの痛みに全身に力が入って汗も噴き出した。 看護師さんも耳元で「力抜いてね~」と言ってくれるが、抜けんわい!!と奥歯を食いしばるばかり。
仰向けにされ、膝を立てるよう体勢を変えられ、左の下腹(S状結腸付近)をぐいぐい押され、さらに脂汗と悲鳴も出た。
そうこうするうちに引っ掛かりをすり抜けたのか、カメラが上のほうへ動き始めた。
下行結腸・横行結腸・上行結腸を抜け、盲腸へ到達した。

大腸の図外部リンク

「はい盲腸の中へカメラが入りましたよ。ここから抜きながら撮影していきます。」という先生の声とともに小さいモニターを視界に入る場所に設置してくれた。
始めて見る自分の大腸は、「白かった」。
薄いピンク色の部分と、血管が見え、蛇腹状になっていた。
腸内の映像に気持ちが集中して、カメラが動く痛みはそれほど気にならなかった。

何枚か写真を撮りながらカメラは身体の外へ出て行った。

・・・やっと終わった・・・全身の力が抜けた。
下腹の痛みは続き、少しの間検査台の上でのびていた。

入り口で出迎えてくれた看護師さん(Aさん、とする)が、またしてもにこやかに「痛かったでしょう?お部屋へ歩いて帰れますか?」と聞いて来たので「・・・大丈夫っす」とのろのろと起き上がり、検査台を降りて、這うようにして2階の部屋へ戻った。

いでででで~!!とベッドに倒れこんだら、病棟の看護師さん(Bさん、とする)が「検査痛かったですか?お昼ごはん置いておきますね」とうどんを配膳してくれた。14時30分。

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痛くて食えねー!!と涙目になったが、昨夜から固形物を口にしていない空腹感が痛みを上回った。

何とかかき込んだが、味は良かった。大学イモもゼリーも残さずいただきました。 ナースセンターへ食器を下げに行き、ベッドへもぐり込んだ。
撮影の為に腸内に送られた空気が全て抜けると、今までの痛みは嘘のように消え、快適な入院生活となった。

それにしてもこの大腸内視鏡検査は今まで受けた検査の中でダントツトップの辛さであった。 自分の腸が「ねじれの位置」にあったのが原因のようではあるが、もう受けたくないな!!と心底思った。



2013822(木)

腸内洗浄の巻


腸内洗浄の巻

さてさて、検査食を食べ、昨夜飲んだ下剤との相互作用で前処理の完了した我が腸内。

6月24日午前6時。
病院から処方された「スクリット配合内用剤」を2リットルの溶液として、冷蔵庫内で冷やしたそいつを飲み始める。
○カリスエットから甘みを抜いて苦さを足したようなお味のそいつは、なかなかの強敵であった。

スクリットとは?外部リンク

15分で200ml、指定されたペースで飲んでいく。
「冷やすと飲みやすいよ」という知人のアドバイスがあったが、美味しいものではなくのどに引っかかる感じもあり、飲みにくかった。 ・・・正直、不味かった。

ネットによると、飲み始めて15分でトイレに駆け込む、その後は便座と親密な関係に・・・。という情報が氾濫していたので期待していたら全く肩透かしを食わされ、効果が現れ始めたのは飲み始めて1時間後の午前7時過ぎ。

その後は飲んでは出し、飲んでは出る、の繰り返し。自分が完全に1本の「管」になったと実感した。

が、これが辛かった、というネット情報とは裏腹に「こんなもん??」と余裕の自分。

この余裕はどこから来るかというと、3月中旬に「ノロ」にやられて大変な目に遭っていた経験からであった。

あの時は身体全体に激痛があり、高熱も加わって震えが止まらなかった。 意思には関係なく上からも下からも水分が失われていき、「死ぬかも」と本気で戦慄した。

ウイルスによる攻撃で身体から水分が失われていく恐怖に比べれば、薬品による腸内の洗浄などは取るに足りない作業であった。

ノロウイルス恐るべし、をこの時まさに再認識したのであった。

午前8時に「スクリット」を飲み終えた後もトイレには行き続け、固形物は全く無い薄い黄色の水分が出るようになった頃には手足の先がだんだんと冷たくなってきた。 寒くて手をごしごしとこすって指先の感覚を取り戻そうとしていた。 これはノロにやられた時と少し似た症状だったかな、と思う。

飲み始めの6時から9時45分までにトイレに行ったのは17回。
ウオシュレットが無ければ大変な事になっていたと思う。

9時45分に荷物を抱え、カミさん運転の車で病院へ。
9時55分、病院到着。

センチネルクリニック、事前の打ち合わせでは1週間から10日ほどの入院期間の予定。

センチネルクリニック外部リンク

受付の後、身長・体重・体温の計測があり病室へ。 13号室。

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病室からの空。

病室で問診と心電図計測があり、入院生活・検査・手術についての大まかな説明があった。

今日は内視鏡検査があり、午後になったら順番に呼ばれます、それまでは絶食です、とのことで全くやる事がなくなった。
せっかく午前中休みを取ってくれたカミさんはヒマなので帰ってしまった。

持参した文庫本を読んで昼寝する事にした。

入院生活は「ヒマ」との戦いであると知るのは数日後のことではあったが・・・



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