2008年3月22日(土)
アメリカバイソン の お話し
飼育係2×237
今日は、とっても温かくて 「 初夏!? 」 という感じでした。
そんななか、ほとんど雪もなくなって、
どことなく嬉しそうな メスの バイソンたち
腰のあたりで
少しだけ、毛がわりのきざしが 見えてきました。
これから 毛がわりが 全身に広がっていきます。
ですが、いっぺんに 「 ズバッ!! 」 とは抜けてくれずに、
ちょっとづつ ちょっとづつ抜けるので、
その時は、毛を集めるのが大変なんです・・
ちなにみ、知ってる人は 知っている
バイソンは、ウシ科です! ウシの仲間です!
なので、ひづめ はこんな感じです。
ツメの先が2つに分かれた、まさに 『 偶蹄目!! 』
そして、同じ 「 偶蹄目 」 の仲間の
「 エゾシカ 」 と 「 バイソン 」 の 『 鼻 』 です。
どうですか? 似ていますか?? それとも似ていないかな??
そして、いっぽう オスたちは・・
ときどき、こんなふうに 頭をぶつけあって、力比べをして、
自分たちの中の 「 順位 」 を決め合います。
ですが、今回のは それほど真剣ではありません
なぜなら・・・
扉が ひらくと 隣の住まいへ まっしぐら!!
今のは ちょっとした 「 小競り合い 」 でした。
こんな感じで、力比べをして より強いものから 先に移動する
動物たちには そんな 「 ルール 」 があるんです。
ですが、これは 動物園の中での ルールなので、
実際に 野生のバイソンがどんな行動をするのか、
実は 想像でしかわからない部分があります。
なぜそうなったか、、
それは 『 アメリカバイソンの悲劇 』 に関係しています・・・
--------------------
ヨーロッパからアメリカに 白人が渡ってくる前、
ネイティブアメリカン(インディアン)にとって、バイソンは貴重な食糧で、
その皮は服や靴、そして 角はコップやスプーンにもなりました、
バイソンは生活の要で、必要以上に狩をする事はなかったのです。
18世紀頃までは6,000万頭もいたバイソンの悲劇は、
ヨーロッパからアメリカに渡って来た白人の移住を契機に始まりました。
白人の移住をしてから、1830年以降、主に商業用の狩猟が始まり、
1860年代には、列車からバイソン狩りができるという
ツアーまでもが 現れました。
そして、白人と インディアンの対立が激しくなると、
インディアンに対抗するため、バイソンの数を減らすことが
政府によって奨励されたり・・
このような様々な 行為によって、
ついには大平原の バイソンの大群がいなくなってしまい、
1887年には、イエローストーン国立公園に保護されていた
200頭と その他の地で 飼育されていた バイソンなど
合計541頭が絶滅を免れただけでした・・・
実に、最盛期の 「 約 100.000 分 の 1 」 の 頭数です。
その後、19世紀末から20世紀に入ってイエローストーン国立公園、
ウィンチタマウンテン野生動物保護区などの多くの保護区が設置され、
1990年代には、60,000頭ほどにまでその数を回復しました
しかし、それでも 200年前の 「 1.000 分 の 1 」 の頭数です。
それに、たとえ 数字的な事実が 回復しても、
アメリカバイソンの暮らし そのものが回復したわけではないのです・・
計り知れないほどの大群の 大移動によって、踏み固められた地面、
そして、それによってできたといわれる 広大な平原 「 プレーリー 」
その歴史の過程を 見ることは 今は できません・・・
そんななか、ほとんど雪もなくなって、
どことなく嬉しそうな メスの バイソンたち
腰のあたりで
少しだけ、毛がわりのきざしが 見えてきました。
これから 毛がわりが 全身に広がっていきます。
ですが、いっぺんに 「 ズバッ!! 」 とは抜けてくれずに、
ちょっとづつ ちょっとづつ抜けるので、
その時は、毛を集めるのが大変なんです・・
ちなにみ、知ってる人は 知っている
バイソンは、ウシ科です! ウシの仲間です!
なので、ひづめ はこんな感じです。
ツメの先が2つに分かれた、まさに 『 偶蹄目!! 』
そして、同じ 「 偶蹄目 」 の仲間の
「 エゾシカ 」 と 「 バイソン 」 の 『 鼻 』 です。
どうですか? 似ていますか?? それとも似ていないかな??
そして、いっぽう オスたちは・・
ときどき、こんなふうに 頭をぶつけあって、力比べをして、
自分たちの中の 「 順位 」 を決め合います。
ですが、今回のは それほど真剣ではありません
なぜなら・・・
扉が ひらくと 隣の住まいへ まっしぐら!!
今のは ちょっとした 「 小競り合い 」 でした。
こんな感じで、力比べをして より強いものから 先に移動する
動物たちには そんな 「 ルール 」 があるんです。
ですが、これは 動物園の中での ルールなので、
実際に 野生のバイソンがどんな行動をするのか、
実は 想像でしかわからない部分があります。
なぜそうなったか、、
それは 『 アメリカバイソンの悲劇 』 に関係しています・・・
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ヨーロッパからアメリカに 白人が渡ってくる前、
ネイティブアメリカン(インディアン)にとって、バイソンは貴重な食糧で、
その皮は服や靴、そして 角はコップやスプーンにもなりました、
バイソンは生活の要で、必要以上に狩をする事はなかったのです。
18世紀頃までは6,000万頭もいたバイソンの悲劇は、
ヨーロッパからアメリカに渡って来た白人の移住を契機に始まりました。
白人の移住をしてから、1830年以降、主に商業用の狩猟が始まり、
1860年代には、列車からバイソン狩りができるという
ツアーまでもが 現れました。
そして、白人と インディアンの対立が激しくなると、
インディアンに対抗するため、バイソンの数を減らすことが
政府によって奨励されたり・・
このような様々な 行為によって、
ついには大平原の バイソンの大群がいなくなってしまい、
1887年には、イエローストーン国立公園に保護されていた
200頭と その他の地で 飼育されていた バイソンなど
合計541頭が絶滅を免れただけでした・・・
実に、最盛期の 「 約 100.000 分 の 1 」 の 頭数です。
その後、19世紀末から20世紀に入ってイエローストーン国立公園、
ウィンチタマウンテン野生動物保護区などの多くの保護区が設置され、
1990年代には、60,000頭ほどにまでその数を回復しました
しかし、それでも 200年前の 「 1.000 分 の 1 」 の頭数です。
それに、たとえ 数字的な事実が 回復しても、
アメリカバイソンの暮らし そのものが回復したわけではないのです・・
計り知れないほどの大群の 大移動によって、踏み固められた地面、
そして、それによってできたといわれる 広大な平原 「 プレーリー 」
その歴史の過程を 見ることは 今は できません・・・
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