2008年5月23日(金)
「 便利さ 」 について
飼育係2×11
今回は、わがままな 「 ひとりごと 」 の中でも、
異様に長くて、とっても変わった話をしたいと思います。
話の中に 動物は1種類しかでてきません。
どんな話しかと言うと 「 便利さ 」 についてです。
最後まで読んでいただける方が はたしているでしょうか・・・
皆さんの身の回りには、いくつ 「 便利なもの 」 があるでしょうか?
私は、自動車に 毎日のように乗り、携帯電話も使います、
飛行機にも乗ったことがありますし、パソコンも使います。
ですが、これらを使っていても 最近は 「 便利だ 」 とは あまり感じません。
目の前になくて 「 困った 」 とは よく感じますが・・・
みなさんは どうでしょうか?
毎日、飛行機が飛んでいることや、
当たり前のように 携帯電話で簡単に話ができることを
「 便利だ 」 と、日々の中で感じているでしょうか?
使い始めた 最初の頃は 「 便利さ 」 を感じても、
慣れてしまうと あまり 「 便利さ 」 を感じないのではないでしょうか?
私たち人間は 昔から「 便利のもの 」 を作り続けているにもかかわらず、
その 「 便利さ 」 を普段は あまり感じないでいます。
「 便利さ 」 を感じない理由はなぜでしょう
それは、飛行機は 空を飛ぶため、
携帯電話は コミュニケーションを素早くするため、
自動車は 移動をすばやくするため そんな理由のために作られます。
ですが、野性的な見方をすると、
便利な道具を作り続ける理由の根本には・・
「 自分が 強くなるため 」
「 自分が 他より勝るため 」
「 自分が 生き残るため 」 という、
動物的な理由が存在するからではないでしょうか
- - - - - - - - - - - - - -
「 自然界は 弱肉強食、弱いものは生き残れない 厳しい世界」と、
よくいいますが、
結局、私たち人間の世界も 強くなるため、勝つために努力を続けます。
自然の厳しさとは少し違いますが、
『 弱肉強食 』 は 私たちにも当てはまっているのだと感じます。
私たちは 幸せになるために、今より新しいものを
今よりも 強力で、速くて、簡単で・・
そんな便利なものを作り続けて、、
でも、
どんなに便利な道具でも、
慣れてしまうと 「 不便さ 」 を感じ、
全員が持てば 「 当たり前 」
そして、結局・・
便利なものが無いときに感じる「 不便さ 」 だけがはっきりと残ります。
昔からみると 私たちは はるかに進歩しているといえますが、
私たちの 『 幸せ 』 は それと同じだけ進歩しているといえるでしょうか?
これを見ている みなさんは 「 今、幸せですか? 」
この質問の答えを出すことは きっと簡単ではないと思いますが、
10年前、100年前、1000年前、、
いつの時代に 同じ質問をしても、、きっと
その 「 答え 」 は 文明の進歩ほどは 変わっていないのだと思います。
幸せになるために作り続ける 「 便利さ 」 が、
直接 「 幸せ 」 とは繋がっていないばかりか、
幸せになるために作り続けてきた 「 便利さ 」 に、
今は、逆に支配されているような気がしませんか?
- - - - - - - - - - - - - - -
ここで、今回の お話の中に唯一出てくる動物、
私たち 『 ヒト 』 です。
中には 「 人間が動物?? 」 と思われる方もいると思います。
ですが、動物園の飼育係として、動物達とかかわっていけばいくほど、
私は、「 人間も動物なんだな 」 と感じてきました。
そう感じた理由のひとつは、身体的なことで、
また、別の理由のひとつが、結局 現在も
『 弱肉強食 』 の自然の原則の中から抜け出せていないところです。
経済的に強い国が裕福だったり、強い企業が生き残ったり、
能力のある人が より豊かな暮らしができる社会であったり、
世界的に裕福な国、日本にいても 「 弱肉強食 」 は変わりません。
ですが、その 「 弱肉強食の社会 」 が悪い、というわけではありません。
「 弱肉強食 」 の裏には、「 人間的な欲 」「 人間的な思考 」 などなど・・
様々な理由があって、それを完全に失うと
大切な人間性まで失くしてしまうかもしれません。
ただ、できるだけ多くの人たちに感じてほしいのです、
私たちは 「 完璧ではない 」 ということを。
地上でもっとも 繁栄した種であるといえる私たちは、
地上でもっとも 自然を破壊して、
地上に動物たちが住みにくくしている種でもあります。
今日も 便利なものを作り続けている私たちは
今まで以上に 便利なもので、どうなりたいのでしょうか?
幸せになれるのでしょうか?
何かと競い合い、勝ち続けるためでしょうか?
地上で 最も賢いはずの 私たち 「 ヒト 」 は、
森を壊して 畑を作り、家を作り、ビルを作り、自然と 環境を破壊して、
次は 「 環境を守らなきゃ 」 とあてている。
今から 「 便利なもの 」 の競い合いをやめて、
人らしく 幸せになる方法を
世界中の みんなで考えることはできないのでしょうか?
私は飼育係なので、自然環境や、野生動物たちが心配で、
このようなことをよく考えてしまいます。
最初は野生動物たちが幸せに暮らせるかが心配でしたが、
最近は、私たち人間の未来も心配になってきました。
この状況を改善できるような、
とっても とっても 便利なものがこれからできるのなら
未来の問題も、環境の問題も解決できるのですが・・
私にはどうも とっても便利なものが完成する前に、
今まで以上に大変なことが 起こるような気がしてしまうのです。
異様に長くて、とっても変わった話をしたいと思います。
話の中に 動物は1種類しかでてきません。
どんな話しかと言うと 「 便利さ 」 についてです。
最後まで読んでいただける方が はたしているでしょうか・・・
皆さんの身の回りには、いくつ 「 便利なもの 」 があるでしょうか?
私は、自動車に 毎日のように乗り、携帯電話も使います、
飛行機にも乗ったことがありますし、パソコンも使います。
ですが、これらを使っていても 最近は 「 便利だ 」 とは あまり感じません。
目の前になくて 「 困った 」 とは よく感じますが・・・
みなさんは どうでしょうか?
毎日、飛行機が飛んでいることや、
当たり前のように 携帯電話で簡単に話ができることを
「 便利だ 」 と、日々の中で感じているでしょうか?
使い始めた 最初の頃は 「 便利さ 」 を感じても、
慣れてしまうと あまり 「 便利さ 」 を感じないのではないでしょうか?
私たち人間は 昔から「 便利のもの 」 を作り続けているにもかかわらず、
その 「 便利さ 」 を普段は あまり感じないでいます。
「 便利さ 」 を感じない理由はなぜでしょう
それは、飛行機は 空を飛ぶため、
携帯電話は コミュニケーションを素早くするため、
自動車は 移動をすばやくするため そんな理由のために作られます。
ですが、野性的な見方をすると、
便利な道具を作り続ける理由の根本には・・
「 自分が 強くなるため 」
「 自分が 他より勝るため 」
「 自分が 生き残るため 」 という、
動物的な理由が存在するからではないでしょうか
- - - - - - - - - - - - - -
「 自然界は 弱肉強食、弱いものは生き残れない 厳しい世界」と、
よくいいますが、
結局、私たち人間の世界も 強くなるため、勝つために努力を続けます。
自然の厳しさとは少し違いますが、
『 弱肉強食 』 は 私たちにも当てはまっているのだと感じます。
私たちは 幸せになるために、今より新しいものを
今よりも 強力で、速くて、簡単で・・
そんな便利なものを作り続けて、、
でも、
どんなに便利な道具でも、
慣れてしまうと 「 不便さ 」 を感じ、
全員が持てば 「 当たり前 」
そして、結局・・
便利なものが無いときに感じる「 不便さ 」 だけがはっきりと残ります。
昔からみると 私たちは はるかに進歩しているといえますが、
私たちの 『 幸せ 』 は それと同じだけ進歩しているといえるでしょうか?
これを見ている みなさんは 「 今、幸せですか? 」
この質問の答えを出すことは きっと簡単ではないと思いますが、
10年前、100年前、1000年前、、
いつの時代に 同じ質問をしても、、きっと
その 「 答え 」 は 文明の進歩ほどは 変わっていないのだと思います。
幸せになるために作り続ける 「 便利さ 」 が、
直接 「 幸せ 」 とは繋がっていないばかりか、
幸せになるために作り続けてきた 「 便利さ 」 に、
今は、逆に支配されているような気がしませんか?
- - - - - - - - - - - - - - -
ここで、今回の お話の中に唯一出てくる動物、
私たち 『 ヒト 』 です。
中には 「 人間が動物?? 」 と思われる方もいると思います。
ですが、動物園の飼育係として、動物達とかかわっていけばいくほど、
私は、「 人間も動物なんだな 」 と感じてきました。
そう感じた理由のひとつは、身体的なことで、
また、別の理由のひとつが、結局 現在も
『 弱肉強食 』 の自然の原則の中から抜け出せていないところです。
経済的に強い国が裕福だったり、強い企業が生き残ったり、
能力のある人が より豊かな暮らしができる社会であったり、
世界的に裕福な国、日本にいても 「 弱肉強食 」 は変わりません。
ですが、その 「 弱肉強食の社会 」 が悪い、というわけではありません。
「 弱肉強食 」 の裏には、「 人間的な欲 」「 人間的な思考 」 などなど・・
様々な理由があって、それを完全に失うと
大切な人間性まで失くしてしまうかもしれません。
ただ、できるだけ多くの人たちに感じてほしいのです、
私たちは 「 完璧ではない 」 ということを。
地上でもっとも 繁栄した種であるといえる私たちは、
地上でもっとも 自然を破壊して、
地上に動物たちが住みにくくしている種でもあります。
今日も 便利なものを作り続けている私たちは
今まで以上に 便利なもので、どうなりたいのでしょうか?
幸せになれるのでしょうか?
何かと競い合い、勝ち続けるためでしょうか?
地上で 最も賢いはずの 私たち 「 ヒト 」 は、
森を壊して 畑を作り、家を作り、ビルを作り、自然と 環境を破壊して、
次は 「 環境を守らなきゃ 」 とあてている。
今から 「 便利なもの 」 の競い合いをやめて、
人らしく 幸せになる方法を
世界中の みんなで考えることはできないのでしょうか?
私は飼育係なので、自然環境や、野生動物たちが心配で、
このようなことをよく考えてしまいます。
最初は野生動物たちが幸せに暮らせるかが心配でしたが、
最近は、私たち人間の未来も心配になってきました。
この状況を改善できるような、
とっても とっても 便利なものがこれからできるのなら
未来の問題も、環境の問題も解決できるのですが・・
私にはどうも とっても便利なものが完成する前に、
今まで以上に大変なことが 起こるような気がしてしまうのです。
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