201035(金)

ウラヌスと西  ~永遠に!~


ウラヌスと西  ~永遠に!~

背番号51番の選手が
フェンスを蹴って
空に舞い上がり

ホームランを掴みだして
アウトにした時
ボールパークは
大きく揺れた

でも口々に彼の名を呼ぶ人々の多くは
彼の生まれた、その国が
地球上の上の
一体何処にあるのか
なんて知らないと思う

・・・・・・・
・・・・・・・


背番号51番の選手がフェンスを蹴って
空を舞い上がった

yes yes yea そう多分ね 多分ね・・・
_______もうすぐ夏が来る_______

(作詞・作曲:さだまさし)より


さて、
今から 78年前、
昭和7年(1932)、『第10回ロサンゼルス・オリンピックの最終日』
8月14日。

メーン・スタジアムにおいて、


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西 竹一選手(当時30歳)は愛馬ウラヌスと

ともに



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グランプリ障害飛超競技で見事優勝し、
アメリカ人に新鮮な印象を残したのです。

長身で鋭い眼光の魅力的な騎兵中尉、


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日本人離れした社交性、男爵という身分が
アメリカ人を熱狂させ、
  ロサンゼルス市長からは名誉市民証が贈られ、
  ハリウッド女優たちの人気の的にもなりました。

 当時、日本は不穏な国際情勢、社会情勢だったため、
アメリカとの関係が悪化していましたが、
西には「排日」の風は吹かず、
逆に日米親善の象徴となったのです。

それから12年後・・・・過酷な運命が・・・

ここから、はじめます。

    (参考資料は)
       資料館特別展「わが町の七月十五日展」
        バロン西と硫黄島の戦い
         本別町歴史民俗資料館より

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