2012年1月3日(火)
昨年の6月企画展を振り返る!!
どうぶつ「観察日記」_6×202
蛾は闇を飛んでいた
真っ暗な闇の中を
蛾はただ ひたすらに飛ぶ
闇を求め
ただ ひたすらに
光を見つけた蛾は
その周りを飛び続ける
だが・・・
その時は
もう・・・
自らの意思とは
関係なく
蛾は光から
離れなくなっている
―銀魂より―
昨年の六月企画展
『どうぶつと遺言』
は私とH君(いまは動物園にいませんが;大学入試のため)
にお手伝いとアドバイスをもらって
作成しました
一月に入ってからブログで
ブログでアップしようと
思ってます
どうか見てください
テーマは
いのちとか必要悪とか
いろいろ浮かぶが
『闇』がテーマです
[こども会館入り口に貼ってあったもの]
予告
1「かわいい」の歓声いつまで
2「かわいそう」の向こう側
参考資料は
後のブログにて
紹介します
この本のあとがきが
妙に印象に残っているので
ここから
載せようと思う
静かな演劇
―切なくて、美しくて
この秋小学生二年生の二女のクラスではカマキリの飼育が流行した。二女も十五センチ以上あるオオカマキリのメスを一匹、土に入れた虫かごで飼っていた。カマキリは生きた虫しか食べないため、二女はせっせとコウロギやバッタを捕まえては虫かごに運んだ。虫を入れると、待ってましたとばかりに大きなカマで捕らえ、生きたままバリバリ食べる。残酷だが、それは他のいのちを糧に自らのいのちを保っている人間のむき身の姿でもある。
買い始めて四日後、カマキリが卵を産んだ。それを見つけて、二女は躍り上がって喜んだ。白い泡のような卵胞は、触るとまだ柔らかかった。そして産卵から二日目の朝、母カマキリの死骸が土の上に横たわっていた。勤めを果たし終えてから安らかささえ漂わせて。
母カマキリと、交尾後彼女に食べられたであろう雄カマキリ、それに二匹が誕生以来食べ続けてきた多くの虫たちのいのちは、来春、数百匹の子カマキリとなって地上に蘇るはずだ。切なくて、かなしくて、美しくて、生きる勇気が湧いてくる。そんな無数のドラマが、静かに演じられている。
「死」から目を逸らさず、きちんと正面から見据えることで初めて「いのち」の輝きは見えてくる。
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