2012年4月6日(金)
「いのち」の循環をみつめて
どうぶつ「観察日記」_6×202
犬猫を処分する業務に携わる人たちが仕事に割り切れなさを感じている理由の一つとして、安楽死させた犬猫の体がただちに重油で焼却されていることもあげられるかもしれない。
彼らの死によって人の役にたつ物が作られるのであれば意義を見出しやすいが、焼却されて後には骨灰しか残らない。実際は地域社会の安全と良好な環境が生み出されているのだが、それらは目に見えないから意義を実感しにくいのである。
大半の施設が焼却後の骨灰をゴミとして最終処分場に捨てている中で、福岡県動物管理センターは有機農法のグループに肥料として無償で譲渡している。せめて焼いた後の骨だけでも役立ててやりたいとの思いから。
夏の一日、そのグループの農園を訪ねた。
「年に軽トラック五台分くらいもらってくるかな。死んだもんは土に還って、また新たな命を生む。それが宇宙の法則だから。犬猫の骨ということには何のわだかまりもありません。キリッとした甘味の出る最高のリン酸カルシウム肥料ですよ」
グループのリーダーはそう言って、日に焼けて真っ黒になった顔をくしゃくしゃにする。その彼も事情を知った女性から、「そんなもんで育てた野菜は食いきらん」と言われた経験がある。
消費者からの同様の拒絶反応を警戒して、
犬猫の骨を肥料にしていることを公にはしていない。
ほとんどの施設の骨灰が利用されずに捨てられているのも、そうした世間の意識が背景にあってのことだ。
犬猫の骨を土に還して利用することさえ拒絶しようとする
このグループはもらってきた骨灰を粉砕器にかけて粉状にして、
堆肥や米ぬかと混ぜて熟成させたボカシ肥料にして畑に施している。
「骨灰のまま入れても、土の中の鉄やアルミナに吸着されて四十日ぐらいしか効きません。堆肥のフミン酸でくるんでやると吸着されにくくなるから長く効きます。ボカシにする時になじんだ土壌菌が一番です」
骨灰はそこまでこだわり抜いて使われているのだった。
我々は「死」を身の周りから遠ざけてきたのだと同様に、「死」を「生」に変える土を「汚いもの」として疎んじ、土から離れた生活を追い求めてきた。
それは我々が「いのち」の循環性に目を向けず、一回限りの「自我の生」のみにこだわった文明を育ててきたということを物語っている。
グループのリーダーは「死んでも、次の役目がありますから。私らの年齢になると、死の床に就いている年寄を見舞いにいくことも多いです。腹割って話すと、みんな『死にたくない』って言います。
その時、いつも言うのです。何を言っている。死ぬんじゃなくて、次に生まれ変わるんでしょう。体は一度、世の中にお返しして、また生まれ変わってくるんでしょう。
するとみんな『そうだね』と言いますよ。」
彼の案内で、骨灰を肥料にして施した畑を見て回った。除草剤を使っていないため雑草の海と化した畑の中で、茎やつるを伸ばしたナスやトマト、スイカなどが見事な実をつけている。
小屋の前に黒い育苗ポットが並んでいた。
見ると、芽生えたばかりのキュウリの双葉が、空に向かって広げ、太陽の光をいっぱいに浴びていた。その土にも犬猫の骨が肥料として施されている。
死んだ彼らのいのちが
新しいいのちとなって、
確かにそこに息づいていた。
作者はうれしくなって、
カメラのシャッターを何度もきった。
いつか冷たい雨が
雪が降る
駅の片隅で
誰にもいたずら
されないように
うずくまっている年老いた犬
パンをあげても見てるだけ
時が来れば汽車に乗る私
泣くことのほか
何もしてあげられない私
広い道路の真ん中で
ひかれてしまった三毛猫
その上を何台もの車が
通り過ぎてゆく
思わず目を閉じてしまった
私を許して下さい
みんなだって
そう思っていると
信じたいのです
うしやとりやおさかなも
「人間のためにあるのよ
さあ残さずに食べなさい」
そんなふうに言う
おかあさんには
なりたくありません
でも私だって食べて
育ってきたのだし
虫だって殺したことも
あります
だから
だから
お願いです
もう 役にたたなくなったら
捨ててしまったり
自分本位でかわいがったり
小さな檻に閉じ込めて
バカにしたり
汚がったり
人間だけが偉いんだ
なんてことだけは
思はないで下さい
人間以外の
ものたちにも
もっと優しくして下さい
同じ時を
生きているのだから
朝が来れば
夜も来るし
生まれて
そして死んで行く
私が土になったら
お花たちよ
そこから咲いてください
by イルカ
彼らの死によって人の役にたつ物が作られるのであれば意義を見出しやすいが、焼却されて後には骨灰しか残らない。実際は地域社会の安全と良好な環境が生み出されているのだが、それらは目に見えないから意義を実感しにくいのである。
大半の施設が焼却後の骨灰をゴミとして最終処分場に捨てている中で、福岡県動物管理センターは有機農法のグループに肥料として無償で譲渡している。せめて焼いた後の骨だけでも役立ててやりたいとの思いから。
夏の一日、そのグループの農園を訪ねた。
「年に軽トラック五台分くらいもらってくるかな。死んだもんは土に還って、また新たな命を生む。それが宇宙の法則だから。犬猫の骨ということには何のわだかまりもありません。キリッとした甘味の出る最高のリン酸カルシウム肥料ですよ」
グループのリーダーはそう言って、日に焼けて真っ黒になった顔をくしゃくしゃにする。その彼も事情を知った女性から、「そんなもんで育てた野菜は食いきらん」と言われた経験がある。
消費者からの同様の拒絶反応を警戒して、
犬猫の骨を肥料にしていることを公にはしていない。
ほとんどの施設の骨灰が利用されずに捨てられているのも、そうした世間の意識が背景にあってのことだ。
犬猫の骨を土に還して利用することさえ拒絶しようとする
このグループはもらってきた骨灰を粉砕器にかけて粉状にして、
堆肥や米ぬかと混ぜて熟成させたボカシ肥料にして畑に施している。
「骨灰のまま入れても、土の中の鉄やアルミナに吸着されて四十日ぐらいしか効きません。堆肥のフミン酸でくるんでやると吸着されにくくなるから長く効きます。ボカシにする時になじんだ土壌菌が一番です」
骨灰はそこまでこだわり抜いて使われているのだった。
我々は「死」を身の周りから遠ざけてきたのだと同様に、「死」を「生」に変える土を「汚いもの」として疎んじ、土から離れた生活を追い求めてきた。
それは我々が「いのち」の循環性に目を向けず、一回限りの「自我の生」のみにこだわった文明を育ててきたということを物語っている。
グループのリーダーは「死んでも、次の役目がありますから。私らの年齢になると、死の床に就いている年寄を見舞いにいくことも多いです。腹割って話すと、みんな『死にたくない』って言います。
その時、いつも言うのです。何を言っている。死ぬんじゃなくて、次に生まれ変わるんでしょう。体は一度、世の中にお返しして、また生まれ変わってくるんでしょう。
するとみんな『そうだね』と言いますよ。」
彼の案内で、骨灰を肥料にして施した畑を見て回った。除草剤を使っていないため雑草の海と化した畑の中で、茎やつるを伸ばしたナスやトマト、スイカなどが見事な実をつけている。
小屋の前に黒い育苗ポットが並んでいた。
見ると、芽生えたばかりのキュウリの双葉が、空に向かって広げ、太陽の光をいっぱいに浴びていた。その土にも犬猫の骨が肥料として施されている。
死んだ彼らのいのちが
新しいいのちとなって、
確かにそこに息づいていた。
作者はうれしくなって、
カメラのシャッターを何度もきった。
いつか冷たい雨が
雪が降る
駅の片隅で
誰にもいたずら
されないように
うずくまっている年老いた犬
パンをあげても見てるだけ
時が来れば汽車に乗る私
泣くことのほか
何もしてあげられない私
広い道路の真ん中で
ひかれてしまった三毛猫
その上を何台もの車が
通り過ぎてゆく
思わず目を閉じてしまった
私を許して下さい
みんなだって
そう思っていると
信じたいのです
うしやとりやおさかなも
「人間のためにあるのよ
さあ残さずに食べなさい」
そんなふうに言う
おかあさんには
なりたくありません
でも私だって食べて
育ってきたのだし
虫だって殺したことも
あります
だから
だから
お願いです
もう 役にたたなくなったら
捨ててしまったり
自分本位でかわいがったり
小さな檻に閉じ込めて
バカにしたり
汚がったり
人間だけが偉いんだ
なんてことだけは
思はないで下さい
人間以外の
ものたちにも
もっと優しくして下さい
同じ時を
生きているのだから
朝が来れば
夜も来るし
生まれて
そして死んで行く
私が土になったら
お花たちよ
そこから咲いてください
by イルカ
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