どうぶつ「観察日記」_6(202)


2010124(日)

観覧車とモモ  から~


観覧車とモモ  から~

 モモです。

よっ・・ いい女。


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上が モモ・・・

 下が ゴリ・・・


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モモは いつも 元気だね!



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この写真は、サル山へと続く道です。

-池ザル母と抱っこされているコザルです。-

厳しい、表情ですね。



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お母さんに、抱っこされていますね。

こざるが、、、

白樺の木が、北海道らしいです。


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下が・・ ドランク♂


上が・・ ドラミ♀


です。


これは・・


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ゴ・・

ご・・り・・


です。


つづく・・


この記事のURL2010-01-24 22:03:01

2010122(金)

サル山 総集編Ⅰ -託す-


サル山 総集編Ⅰ -託す-

2008.07.29

      ドランク雄


託す!!


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君たちの世界は

君たちで守れ!

ちゃんと見ているから!

            -しいく六-



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サル山は 

いやらしい、「冬の厳冬期」を迎えました。


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北海道十勝地方の冬は

つらいと思うが

乗り越えよ!


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『北限を超えた、サルへ』


気持ちを込めて、

いつも いつもの 毎日で

何も 出来ない私ですけど

君たちを 誇りに思う。


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この冬に 君たちに

一言だけ 送る



『託す』 



担当者!


    しいく六。。



寒いのは わかっている。


≪乗り越えよ・そして・・生きよ・・・≫




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2008.07.29


この記事のURL2010-01-22 22:13:33

201017(木)

「第165話 旅立ち~トカチ~昨日、悲別で・・」 トカチ死亡


「第165話 旅立ち~トカチ~昨日、悲別で・・」 トカチ死亡

2009/01/26



いつものトカチは、私にスキがあれば、
あの名刀(洞爺湖=角)で、私を斬る!


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2007/06/22


トカチの剣は、銀色に輝く魂の剣!

その姿に私は、サムライをみた!


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2007/06/22

12月18日 金曜日
夕方
ピグミーヤギ(オス)舎

かぼそく、何度も啼くトカチ
(寝室の隅に座って)

そして、近づいて見たとき悟った。

立つことがやっとのトカチ

あの雄姿トカチが、私の胸に顔をうずめてくる。

最期の瞬(トキ)がやってきました。
わたしは正座して、トカチの顔をひざの上に乗せて・・
「しばらくの間、そばにいてもいいかい。
 もう啼かなくていいよ。」

ぴっくーと私は、トカチの最期を迎えるしかなかった。

2009.12.18 obihirozoo
別れの夜に通り雪
ピグミーヤギ舎のトカチの足跡を消してゆく 雪


魂を残して、トカチは命を消した。

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2007/06/22


『トカチ』
ピグミーヤギ♂
1999年3月盛岡生まれ。
2001年3月11日来園。
2009年12月18日死亡。(肺炎)

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2008/08/08

その後、胃の中から異物が石になって出てきた。
ごめんね トカチ

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2008/08/08



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2008/08/08

トカチに捧ぐ



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2009/01/26

ぴっくー  「いつまでも、僕を見守ってね。おとうさん!」


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2009/11/23

しいく六  「忘れてしまいたい事やどうしようもないときに、
       男は酒を飲むのでしょう。飲んで、飲んで、飲まれて
       飲んで、、、俺は男、泣き通すなんてできないよ。
       トカチは、戦友だ。このtokatinko」


坂田銀時

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「トカチは、宇宙一のバカなサムライだ」

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      「このやろう!」


・・サムライの道を消してゆく雪

第165話 昨日、悲別で・・・トカチ(銀魂編)

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2009/11/23



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この記事のURL2010-01-07 14:46:06

201015(火)

旅立ち~本別より~軍馬


旅立ち~本別より~軍馬

IN 本別町 2010.01.05
             (私のふるさと)

私は、この町でバットを振って、
ボールをひたすら追いかけていました
毎日、毎日 ・・・18歳までこの町で


(本当の別れと書いて【本別】)


昭和に入ると馬にとって最大の悲劇が待ち受けていた。
満州事変・上海事変に続いて
1937年(昭和12年)日中戦争が始まり、
やがてそれが泥沼化して太平洋戦争へと続く。
日中戦争が始まってから終戦まで、
どのくらいの軍馬が大陸に渡ったかは、
はっきりした数字はつかめていない。
それは、馬そのものが兵器として扱われ、
軍の秘密下にあったことと、
終戦時に多くの資料が消去されてしまったからである。
よく戦争中、
「大陸に渡った軍馬で、日本に帰ってきた馬はいなかった」と言われているが、
これは正しいとはいえない。
軍馬攻章を受けた1500頭以上の馬は、
内地に送還され、神馬になったり、
故郷の牧場に帰ったり、
また軍馬愛護協会によって民間の篤志家に預けられたりして余生を全うしている。
しかし大陸を渡った軍馬の総数は
30万頭以上40万以下とも約50万頭とも言われている。
ほとんどの軍馬は、戦死しなくても、
生きて終戦を迎えた馬は戦勝国に引き渡され、
現地に置き去りにされました。



2010年1月5日(火)

帯広市はまた雪が降ってきました。

午後から本別町に行ってきました。

本別は    ≪我がふるさと≫

アイヌ語で 『本』は(小さいの意)
      『別』は(川の意)
      『小さな川の町』です

以前、十勝毎日新聞に、
《記者から見た戦争(十勝の戦跡を訪ねて)》より

この記事によると
 戦時中、現在の本別町西仙美里から足寄町上利別まで、
約2万ヘクタールの敷地で、
軍馬の供給、育成、購買などを行った。
2歳で買い入れた馬は5歳になるまで育てられ、
旧仙美里(せんびり)駅から戦場に送られた。



また、本別町西仙美里25、
道立農業大学校の敷地横には、
当時『仙風荘』と呼んでいた
旧陸軍省の軍馬補充部十勝支部の宿舎が今も現存する。

この『仙風荘』。

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修復を重ねて現在は集会所として活用されている。

1932年(昭和7年)、
米国・ロサンゼルス五輪の馬術で金メダリストとなった
西竹一 陸軍中尉も使用した『仙風荘』です。

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西中尉は、1940年(昭和15年)4月から翌年8月まで同支部に在職。

その後・・・

西中尉は、
1944年(昭和19年)に
戦車第26連隊長として
硫黄島に渡り、
戦死しました。


「軍馬之碑」
本別町から、同町仙美里の東に、ひっそりと「鎮魂軍馬之碑」があります。

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軍馬補充部十勝支部で育成された軍馬を
仙美里駅長として戦場へ送らなければ
ならなかった森弘さん(故人)らが
私財を投じて1998年(昭和63年)に建立した。


その碑には

馬魂不滅
中国大陸に
怨念こもる痛恨の
いななきを残し
この世を去った軍馬等
その姿は草むす屍か
哀れの限りなり
かくして
昇天した「馬魂」は
今いずこ
依るべきなき異国の空を
さまよい続けるも
供養する人もなし
よって
この地
この場所を選び
安らかなる
成仏永眠を祈念して
碑を捧げん

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願わくは
天馬千里を駆け
吾が招魂の祈りに応え
迷わず来たりて
墓碑のもとに
集まれんことを

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お参りしてきました。
今年もよろしくお願いします。
しいく六


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となり町は
足寄町です

足寄には 松山千春さんが出身です。
ぜひ、足寄のとなり町  ≪本別町へ≫

車の中では、

この曲が~


夕暮れの街
駅前通り
我家はそこを
右に曲がれば

夕暮れの街
一人で帰る
見上げた星は
光りきれない

この先この僕に
何が出来るのだろう
いくつもの不安を
かかえたまま今日も
終わりを告げてく 

さよならと

夕暮れの街
駅前通り
役場の横に 
灯りし我家

貧しさというのは
愛を知らないだけ
空しさというのは
夢を持たないだけ

命よ

輝け

満天に♪

by 松山千春

“我家”

映画「旅立ち~足寄より~」
オリジナル・サウンドトラックより!!


この記事のURL2010-01-05 20:37:50

20091231(木)

WAR DOG  ~彼らの帰る場所


WAR DOG  ~彼らの帰る場所

《軍隊生まれの軍の犬、彼らの居場所はどこ?》



        第二次世界大戦、



   アメリカ軍は本格的に犬を戦場に連れ出した。

   最初、犬の召集には民間が頼りでした。




          集められた犬は
      
          身体検査を受け、

          検査に合格したら、



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     トレーニングセンターに送られます。


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   そこで8~12週間の訓練を受けます。



       訓練には、ガスマスクや銃声に慣れること、

       車酔いをしない身体を作るなど



   軍隊独特なものもありました。



    任務内容は、

        主に見張りや偵察、
    
              地雷を見つけるなどです。



 犬は兵士とペアーで行動します。


        トレーニングでは、


        犬だけではなく

    ハンドラー(指導兵)も訓練を受けました。




戦争が終われば、


    兵士は故郷へ帰還します。



犬は


    そう簡単でありません。



            民間出身の犬は、

             訓練解除訓練という、

             ややこしい過程を経なければ、

             帰れませんでした。



 これで苦労した軍は、

 独自に犬を買い繁殖を進めました。




      軍隊生まれの軍の犬です。


     彼らの帰る場所はどこでしょうか?







     ・・・どこにもありませんでした。







ベトナム戦争では、

4000匹が従軍し、

戦死281匹、

帰還したのは

わずか200匹ほどでした。






       軍の犬は備品でした。




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             不要になれば処分でした。

            毒物を注射され殺されました。



 最前線で兵士を助けたのに・・・・


 彼らは自分の軍に殺されました。




          しかし


      抗議の声が上がりました。



    かつてのハンドラー(指導兵)たちです。




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     結果、2000年に実を結び、

 資格を持つハンドラーに

 軍を離れた犬たちを託すことになりました。



       遅すぎましたが、

       政策は動きました。



             忘れないでください

             かれらのことを必要としていて

             同じように、それ以上に

             おもっている人もいたことを




       あなどらないでください



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             まだ、やれることがある

             まだ、手遅れじゃない

             まだ、間に合う、




       かつてのハンドラーたちが、

     かれらの 《居場所》を作ったのです。




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この記事のURL2009-12-31 20:54:51

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