どうぶつ「観察日記」_6(202)


201241(日)

サービスにこめる思い


昨年の6月企画展
ブログ版

作者 福岡賢正
「隠された風景」
ー死の現場を歩くー

  から学びたいと私も思いまとめてみました

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あらすじ

       「どうぶつと遺言」

 「かわいい」の歓声いつまで
 「かわいそう」の向こう側
 「獣医」と「処分」のはざまで

   では、角度を変えていろいろな心境や立場・仕事など
   からくる 葛藤から見えてくるものがある


 「必要悪」~痛みを引き受けるもの
 「ドリームボックス」~スライドされて犬猫たちは・・
          自動ボタンを押される

   では、現実を受け止める事とその痛みがテーマである



 「いのち」の連鎖
   私たちが日常食べている
   にわとり・魚・牛たちの話

   あたりまえの行為だけど
   そのあたりまえから
   大切な事が見えなくなっている事

 例えば、食事の前に「いただきます」は
 食べられる「いのち」をいただくの意
 そのことを忘れないこと
 むやみに食べもの(いのち)を残さない
 ことが大事なのかな

さて

「サービス」にこめる思い

佐賀県の委託で、犬猫の引き取り、捕獲、処分を行う会社を経営する二代目社長のAさんは、この仕事を「サービス業」といちづけている。


 佐賀県動物管理センター事務所に入ると、黒板に「県民の生活の安全と安心と環境作りに奉仕する事を誓います」との「宣誓」が記されていた。彼がいうサービス業とは、そういう意味である。


 センターの周囲には数多くのシャクナゲが植えられ、構内にもさまざまな花木が配されている。

職員が日に三回掃除しているという犬房は清潔に保たれ、一般犬房とは別の空調の効いた観察室では、三組の母犬と子犬がそれぞれ一組ずつ檻に入れられ、子犬たちが無心に母犬の乳房を吸っていた。


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これらの母犬も数日後に「死」という運命が
まっているのだが、それまで少しでも
快適に親子の時間を過ごせるようにとの
配慮なのだ。


私はここにくる犬猫たちを
処分しているとは考えていません。


生あるものには必ず死が訪れます。人間社会の中でしか生きられないペットが、人間社会からはじき出されたら、寿命が尽きたということ。


その寿命を、最後に恵まれた環境の中で全うさせてやろう。そう職員には話しています。だから動物への虐待は絶対にしないし、掃除や花にこだわるんです」

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 そんな思いで、この「サービス」は
提供されているのである。

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「死」を目隠ししようとする世間の壁はまだ厚い。

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その壁が崩れ、サービスの提供を受けているこの社会の人々が、心から「ありがとう」の言葉を返す時が一日も早く来て欲しい。


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そう願わずにはいられない。


この記事のURL2012-04-01 15:14:56

201241(日)

4月1日


4月1日

日よう日の ひとときを
いかがお過ごしですか?

2012.04.01

おびひろ動物園

   “春”

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きょうは9:53
    プラスの一℃

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今朝、雪が降って 
まっしろな世界が待っていました

すぐ解けますけど、

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今日のサル山です
まだ、冬が続いています

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今日のリスザルです


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サヨナラ~冬

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今日のウマです


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今日のラクダです



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さよなら~冬


はぁ~    る

が来て

冬がいちゃった!


春 進ぴん芸人!

追伸
 いまさらですけど
 6月企画展
 後半戦
 よろしく

 このあと
 すぐ

追伸の追伸

パチパチ君が心配しているから
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たまにリスザルだすから
仕事がんばれ!


この記事のURL2012-04-01 12:51:38

2012225(土)

そして今日Ⅱ 開園最終章


ブログ出したは
いいが
サイゴのシメまでが
非常にむずかしい
ブログになって
しまった

勢いで 
書いたブログは
時間が経つと
テンションを
維持するのが
むずかしいですね


みなさん
シメまで
読んで下さいね

それでは
続き編 どうぞ!!

ぴん「白浜ですか! 知弁和歌山高校近いですね」

きり「動物園関係者と4人でいきました」

ぴん「そうですか 自殺の名所がありますね」

・・・話が長くなりそうなので

簡潔に

勝負は どちらがラーメンのチャーシュウが大きいか?

    広島尾道での幽霊話(私の若いころ)
    ・・・ここではカット!!

そして 私はラーメンを食べながら
しみじみと きりんさんに
「男はお金持ちを選んだほうがいいですよ」
(なんだか、真面目な話になった)

きり「そうですね・年収1000万円以上の男が
いいですね」

ぴん「そうですね~」
といいながら
私は自分の財布の中身をきりんさんにみせる

ぴん「ほら」

・・・
・・・
\\
「からっぽ」

「からっぽだ」!!

そして
ちなみに私は
貯金は限りなくゼロです

いえ 見栄張りました

ゼロでありやんし

その時
この娘さんは
肉まんを注文しました

そして
私は
ラーメンを食べ終わって

カンガルーの皆様に
今年度 サイゴの開園ラーメン

ありがとう おいしかったです

といいすてて
店をでた

そして
非常よう財布に
100円玉1枚と10円玉2枚が入っていたので
食後のデザートにコーラを買いました

このぐだぐだな勝負は
どちらに軍配が上がったのか?
お互いの剣と剣の間に
かけひきがあったのは確かだ

ラーメンをおいしく食べることが
俺のスポットガイドだ

きり「ぜんぜんおいしく食べていなかったけど?」

読者のみなさま
私はお客様には背中で語っていたのです
そこだけはブログをとおして感じてほしいところです

追伸
2月25日くもり

午前中
今日はソリスベリ場に昨日からコブを作りました
お客様は 楽しんでくれるかなぁ~
心配で何度か飼育をさぼって
見に行きました
良かった
子供たち
夢中ですべっている

良かった
母親父親
その姿を見て
微笑んでいる

その時私は思った
子供がそりをすべって
転んで

母親が笑って微笑んで
そして
子供を抱え込む
その行動を
遠くで
私はみつめていた
ほほましく
私はみつめていた
たのもしく
私はみつめていた

ちなみに
わたしは
子供たちが
転ぶ場所に
大切な魂をうめておいた

それは・・・

それは・・・


それは
 ・・・・・・内緒です。

追伸Ⅱ
2月25日午後
サル山の中に来園者を招待しました
昨日雪が降ったので
サルがつくる道
サルロードを
実際にみて
あるいてみよう
が本心です

そして
サル山
寝室し(室内での)
もぐもぐタイムです

そして
ゾウ
室内での
スポットガイドです

室内での前足 後足(足の裏側)
を 来園者に見せることが出来ました

ニホンザル・ゾウ観察日記!

60人は参加していたと思います

そして今年度開園サイゴのスポットガイド
シメの一言は
「みなさん(こどもたち)遠足は家に帰ってただいまと
言うまでが遠足です!
みなさんも家に帰って手を洗うまでが動物園です以上!

追伸ホッキョクグマのアイラ♀もよろしく・・・」

あれ これ ゾウのスポットガイドだよな
あれ 何で ホッキョク
   何で アイラ♀

あれ これゾウのだよな(汗)

落ち そして 人生に 落ち

そして 
サイゴ

ゾウのナナ ニホンザルのケンジ
そしてミニホースのポコ

みんな 元気!!




              完







 


この記事のURL2012-02-25 18:52:17

2012225(土)

カンガルーポケット ぴん芸人vsきりん娘 いよいよラーメンブログ最終章


空を眺めると

いつも太陽が

日を差す!!


まったく  です

昨日雪が降ったの℃と
体調がいまいちのせいか

40円の頭脳回路がバグ(故障)を
侵している

私の事は生まれたときから
バグでは・という人もいるが

この2・3日は回路がいつも以上に・・・ひどい


2月25日冬の開園日
私にとっては今年度サイゴの開園日であった

そしてサイゴのラーメン(カンガルーぽ)であった

そして いつものように (カン ポ) へ

そして いつもの光景に

きりん娘さんが溶け込んでいた

そして私より早くラーメンを注文している

そしてお客様の視線を意識して

・・・チラッと

私は きりんさんに目を向けて

ここは いや ここで

スポットガイド突入だ!!

ぴん「これはこれはミニチュアホース担当のきりんさん
   ラーメン注文ですか! やっぱし寒い日はラーメン
   ですね!」

きりん「これはこれはサル山担当のぴんさん!ラーメン食べ   るのですか!!寒い日はラーメンですね!」

 こいつ (できる)

 かんぱつ 入れずに 返してきた

ぴん「そうですよ! 開園日はいつも
   ここで食べていますよ ラーメンを。
   やっぱし ラーメンですよね
   (くどいけど)ミニチュアホースのポコの担当のきり   んさん。ちなみに私はここでやっぱしラーメンはいい   ですねと10回は行っているんでやんす」

きりん「やっぱしラーメンですね~ パンツを毎日
    かえない ぴんさん」

やばい やばい 押されているよ
今の さらりと ながそう お客さんも いるし
俺はずかしいじゃん なんだか お客さん今の聞こえてないよなぁ~ なんか 俺 泣きそうになった

 やっぱし さらりと流そう
 いまの 流そう だって 俺かっこわるいじゃん

ぴん「ところで 今まで どちらに行っていたんですか?
   ミサイルカナリア担当だった き さん!」

きりん「白浜です(和歌山) それはそれは いいところで    したよ」

時間が来たので 飼育に戻ります。
追伸
今の会話は一部編集して放送しています
(美化しています)


この記事のURL2012-02-25 16:13:35

2012211(土)

「いのち」の連鎖を学ぶ


「いのち」の連鎖を学ぶ

またまたおひさしぶりです。

だんだんと続けることが
大変な(億劫)ことである事に
再確認している今日この頃です

よく しいく1さん しいく3さん は
サイゴまで続けてきたなぁ~


私にはマネできないですね(やっぱり!!)

最近はいない人はいない人
生き方も価値観も元々違うし
別々の生き方をして
別々の道を歩くのは
すごく自然なことであって

今は過去である
ただ それだけ

だからこそ

今は

こちらはこちらで
自分の道を
信じる道を
見つけたいと思っています

その道がいま
どこにあるかは
分かりませんが

さて、

途中で方向転換をして

ほどほど に 自分のペースでと
思っていると ずるずる 毎日が過ぎてしまった

あっ
追伸
ホッキョクグマが好きなひと
私のブログは
ホッキョクグマは出てきませんよ

ゾウも
そんなに出てきませんから

ごめんなさい!!
それ以外に関心を持っている人
・・・・

私の
ブログの後半戦
3月末まで
お付き合いよろしく




しかし 2月に入ってから 仕事は関係ないが
イイ趣味を見つけてしまったことは確かであった

最近 クレイモア?にはまっています
 テレサ? ミリア? シンシア? ガラテア?
(誰)
 がんばれクレア? ・・・プリシア?は強すぎる

と横道にそれたが・・・はい!そこのキミ!

   今の話は忘れてね!

 ブログも後半戦ってことで
 たまには出しますぐらいで行きますよ

途中までですけど、6月企画展を引っ張りに引っ張って
3月終わりころまでひっぱちゃおうかな?
旅は?・・・心の旅ということで 決めていない矢!!

さて、
動物園の動物は野生動物であって展示動物でもある

今日はその野生動物でもあり展示動物でもある肉食獣の
エサとして私たち動物園動物が使用している家畜動物(畜産動物)の写真を調理室から提供します


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下のバケツ
アザラシ、ペリカン ちなみにアシカ、ウミネコのバケツがある練ですが、


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ホッケを食べます
最近はニシンをアシカは食べています


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こちらも「いのち」ですよ


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こちらは牛肉です

ライオン、トラ、ホッキョクグマ、猛禽類、小獣(キツネなど)が動物園動物が食べているエサです
私たち人間も普段から好んで食べる牛肉です


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鶏肉です
コンドル、ライオン、トラ、ホッキョクグマが毎日ではありませんがエサとして使用しています

人間もフライドチキンは大好きですね


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こちらは ひよこです

ホッケ、牛肉、ニワトリもそうですが
冷凍して販売しているものを
数日前に冷凍庫から出して
自然解凍やホッケなど魚類は
水に移して明日の準備に備えます


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解凍して

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ひよこ
百五十以上二百匹ぐらいが板状で
凍って保存されています

こちらも「いのち」

このいのちをたべて
コンドル、オオワシ、フクロウ類は
「いのち」を今日まで消さないで
輝いている、あるいは保っているのです。



この事はわすれないで!!



六月企画展(昨年の)

展示はしなかったが
良い文章があったので
ブログで載せます

是非、お読み下さい
私は、子どもたちの
素直な気持ち、こころの中にこそ
大切な何か、人間としての何かが
あると思う
少なくとも
生きていくための教育であると思う


「いのち」の連鎖を学ぶ
肉をつくる現場が身の周りから排除、隠ぺいされてきた結果、私たちのいのちが多くの生き物の「死」によって支えられてるいという「いのちの連鎖」を実感できなくなって久しい。それが食べ物を大切にしないことにつながり、ひいては自分や他人のいのちをいのちをも軽んずる今の風潮を生んでいる遠因ではないか。そう考え、切れた鎖をつなぐ試みを始めたところも、わずかではあるが現れ始めた。
 ここに一人の女性教師が書いた文章がある。
〈小鳥や犬や猫をペットとしてかわいがったり、すぐ「かわいそう」を口にして、すぐ涙を流す子どもたちが、他人が殺したものなら平気で食べ、食べきれないといって平気で食べ物を捨てるということが、わたしには納得いかないのだ。わたしには、「生きているものを殺すことはいけないこと」という単調な考えが、「しかし、他人の殺したものは平気でたべられる」という行動と、なんの迷いもなく同居していることがおそろしくてならない〉
その問題意識から出発した鳥山敏子氏は、当時勤めていた東京の公立小学校の四年生たちに朝から絶食させ、稲刈りや水遊びをさせた後、二羽の鶏を河川敷に放ち、捕まえて屠鳥し、食べるという授業を行った。
さらに屠畜した豚を丸ごと一頭もらい受け、教室で解体、調理して食べる授業を展開していく。
その様子は彼女の著書『いのちに触れるー生と性と死の授業』に詳しいが、そこに紹介された子どもたちの作文が実にいい。
〈「バカバカバカっ、れい血人間」。なんどもなんどもさけびました。でも、もうだめでした。ほとんど殺されていました。大きい柱の後ろで、声も出さないで鳴きました。「も、もう、わたし、なんにも食べない」そう、わたしは言いました。でも、ほんとうはとってもおなかがすいていました。さっき、わたしがいったようなことをいった人も、しまいには「わたし、鳥の肉だけ食べない」といっています。なんだかなさけない気持ちです。でも、わたしもソーセージを二本、食べました。〉
〈私は、殺された豚を見てなきました。でも、できあがった肉は、ないたことなんか、すっかりわすれて食べていました。私がないたのは、見せかけだけのなき方だったと思います。もし、本当にないていたら、肉なんか見る気にもなれなかったと思います。私は、あの時、なぜないたかふしぎです。かわいそうでないたのか、それとも、自分をやさしく見せかけようとしてないたのかもしれません。〉

私たち人間はそういう生き物であり、だからこそ子孫を残して生き永らえてきた。
つまり、人が生きるために絶った他の生き物のいのちは、人の体の中で生き続け、子孫に受け継がれてきたのである。
人が生きるために他の生き物のいのちを絶つことは「殺す」ことでは決してない。自分の中で「生かす」ことなのだ。
いのちを奪うだけで何も生かすことのない人や動物の殺戮とは、全く性質を異にする。なのにそれが混同されている。その混同が差別や偏見を育て、混同にもとづく「死」の隠ぺいが、食べ物を粗末にし、いのちをないがしろにする今の風潮や自然破壊的な文化を助長してきた。
 その混同から脱すれば、「死」を生かし、肯定できるものにするためにはどうすればいいのかが見えてくるはずだ。


この記事のURL2012-02-11 16:55:11

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