2011年7月4日(月)
まさかの訃報
おしらせ×51
最後の展示だった6月27日の外でのピーちゃん
たった2つ前のブログでお伝えしたピー様。
まさかのブログアップした翌日
ついに力尽き、亡くなりました。
先のブログをアップした日は
夕方のエサが何をどうしても少量しか食べず
不安要素ではあったのですが、
午前中には私がピー様に怒られ、2度の頭突きをくらうほどの元気な様子だったので、大丈夫と言い聞かせ、不安をかき消し、ブログを書いておりました。
誕生日まであと2日のころのピーちゃん
この頃すでに衰弱の傾向が見られました
夜警さんの報告によると深夜の見回りでは元気だったとのこと。
ですが、早朝の見回りで死亡を確認したとのことでした。
私自身は帰宅時に見た姿が最後。
そのときは外小屋の寝わらの上で休んでいました。
きっと、翌朝もピー様の収容から一日が始まるのね。
そう思い帰宅しました。
亡くなったとの一報をいただいた時は
外小屋であのまま亡くなったのだろうと思っておりましたが、
意外にも室内の寝わらの端で
まさに力尽きたように倒れておりました。
いつもは食べきらなかった配合飼料や野菜類はバットに入れ、青草はサンテナに入れたり、寝わらの上に置いていましたが、
この日の夕方はなんとなく嫌な予感がし、
フラフラと起き上がる時にバットで蹴つまづくといけないと思い、寝わらの上に大好きなハコベと野菜類とを自置きしてきました。
6月26日朝、外で草を食べていると思われるピーちゃん
好みが激しいため、意外と草がボーボーな放飼場
もしかするとエサを食べに室内に戻ってきたところだったのだろうか。
よく考えればそうかもしれない。
結局のところはピー様本鹿にしかわかりません。
昨年の秋、まだ元気だったころのピーちゃん
カワイイようで小悪魔のようで
獣医による解剖の結果、
直接的な死因となるものは見つからず、
全体的に多くの臓器で機能の衰えがあるような症状が確認されました。
一部肺炎の兆候がありましたが、治りかけの状態とのこと。
投薬をしておりましたが、完治していなかったのは抵抗力、体力が限界だったのかもしれないとの判断でした。
老衰。
これが限界だったのではないかと思います。
若かりし頃のピーちゃんと母と父のお尻
アイドルの素質を垣間見る
また、固いものを食べなくなってからは
高齢で歯が弱くなったものと判断し、柔らかいものを与えておりましたが、
歯、そのものが完全にすり減り、ほとんど無くなっているような状態でした。
こうした状況を考えると、
ピー様はその鹿生を十分に生き抜き、これが彼女の寿命だったのではないかと思っています。
もちろん、私自身反省しなければならない点もありました。
今後の飼育管理に役立ていかなれけばならないと強く感じております。
ただ、ピーちゃんには
「お疲れ様。よくがんばったね。ありがとう。」と伝えたいのです。
たった2つ前のブログでお伝えしたピー様。
まさかのブログアップした翌日
ついに力尽き、亡くなりました。
先のブログをアップした日は
夕方のエサが何をどうしても少量しか食べず
不安要素ではあったのですが、
午前中には私がピー様に怒られ、2度の頭突きをくらうほどの元気な様子だったので、大丈夫と言い聞かせ、不安をかき消し、ブログを書いておりました。
誕生日まであと2日のころのピーちゃん
この頃すでに衰弱の傾向が見られました
夜警さんの報告によると深夜の見回りでは元気だったとのこと。
ですが、早朝の見回りで死亡を確認したとのことでした。
私自身は帰宅時に見た姿が最後。
そのときは外小屋の寝わらの上で休んでいました。
きっと、翌朝もピー様の収容から一日が始まるのね。
そう思い帰宅しました。
亡くなったとの一報をいただいた時は
外小屋であのまま亡くなったのだろうと思っておりましたが、
意外にも室内の寝わらの端で
まさに力尽きたように倒れておりました。
いつもは食べきらなかった配合飼料や野菜類はバットに入れ、青草はサンテナに入れたり、寝わらの上に置いていましたが、
この日の夕方はなんとなく嫌な予感がし、
フラフラと起き上がる時にバットで蹴つまづくといけないと思い、寝わらの上に大好きなハコベと野菜類とを自置きしてきました。
6月26日朝、外で草を食べていると思われるピーちゃん
好みが激しいため、意外と草がボーボーな放飼場
もしかするとエサを食べに室内に戻ってきたところだったのだろうか。
よく考えればそうかもしれない。
結局のところはピー様本鹿にしかわかりません。
昨年の秋、まだ元気だったころのピーちゃん
カワイイようで小悪魔のようで
獣医による解剖の結果、
直接的な死因となるものは見つからず、
全体的に多くの臓器で機能の衰えがあるような症状が確認されました。
一部肺炎の兆候がありましたが、治りかけの状態とのこと。
投薬をしておりましたが、完治していなかったのは抵抗力、体力が限界だったのかもしれないとの判断でした。
老衰。
これが限界だったのではないかと思います。
若かりし頃のピーちゃんと母と父のお尻
アイドルの素質を垣間見る
また、固いものを食べなくなってからは
高齢で歯が弱くなったものと判断し、柔らかいものを与えておりましたが、
歯、そのものが完全にすり減り、ほとんど無くなっているような状態でした。
こうした状況を考えると、
ピー様はその鹿生を十分に生き抜き、これが彼女の寿命だったのではないかと思っています。
もちろん、私自身反省しなければならない点もありました。
今後の飼育管理に役立ていかなれけばならないと強く感じております。
ただ、ピーちゃんには
「お疲れ様。よくがんばったね。ありがとう。」と伝えたいのです。
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