2009528(木)

涙のわけ


今年に入ってからここ数ヶ月、なんだかちょっとしたことで主人と険悪なムードになったことがしばしばあった。

なんてこと無い一言に切れたりと、

お互い似たもの同士なのでけんかは結構ある^^

しばらく冷戦が続き、自然と治まるのが常で、

そしてまた、無言のけんかが勃発したりと、

4月に入ってからもこのところずっとなぜかそんな感じが多くて、
まぁ、そんな時は、必死に掃除するのが一番良い!!

黙々とただただ、床磨きに専念する。
するとだんだんと私の心も落ち着く^^(大げさ)

五月に入り、GWなどバタバタと楽しい時間を過ごしながら
いた私なのだが、
なぜか帯広に無性に帰りたくなった。
まぁ、冷戦の後遺症というのか、なんか最近すごくつらいなって正直心が折れそうな感じだった。

何でかわからないけど自分でも不思議なくらい弱くなっていて、床をごしごししていても涙があふれてくる。
自分でも理由がわからない位だった。

丁度主人もまた一週間ばかり不在の予定も入っていたので
タイミングよく帰れるなって考えていた丁度一週間前の
夜、私の母が急死したとの知らせ、
なんとなく胸騒ぎだったのか何なのかは今になってみたら
そんな伝え方を母がしてきたのかはわからないが、
原因は心不全だったが、独りぼっちで逝ってしまった。

母と私は仲良しではなかった。

子煩悩なやさしい母でもなかったし、母親と言うより
女として生きてきた女性だった。
だから、母の嫌な部分を散々見てきた。
だから大嫌いな母だった。

父親が早くになくなってから35年になる。
その間再婚もせず生きてきた。
再婚しなかった理由もあったのだが、
祖母や身内にはとにかく迷惑掛けっぱなしの半生だった。

私が引っ越してからはほとんど連絡も取らずにいて、
最後に会ったのは、たぶん一昨年の花火大会の頃。

その間もほとんど電話も母からかかってくることも無く
私からも掛けることも無く・・・・・。

そんな状態で、この日を迎えてしまった。

悔やみ切れない自分がいて、更にむなしく嫌悪感が私の
心いっぱいになる。
でも、今更なのだ。

どんなに尊敬できない嫌いな母であっても、
私を生んでくれた事実は間違いなくて、
私が母を選んでこの世に生まれてきたこともまた
事実だ。
オムツを替えてくれ、乳を飲ませてくれた。
少しでも愛情ももらったはずなのに。そんなことも
忘れ憎んでばかりの自分の心の狭さや、おろかさに
今更ながら気づく。

人は、知らず知らずに自分の死期を知り、
身の回りを整理始める。

母はこの日を迎える数週間前から、良く子供たちや
孫のことを珍しく口にしていたらしい。
大好きなピザを宅配して偶然に弟が貰いもののシャンパンを
持っていった日に偶然ピザを宅配してた。
ずっとやめていたタバコを最近急に吸いたくなったといい
吸い始めていたり、ちょっとした楽しみを、少しづつ
味わっていた。

亡くなる日はお風呂に入っていた。
今まで祖母や身内に散々迷惑掛けてきたが
最後の日は誰にも迷惑掛けずに独りで冷たくなってた。

こんな風にして逝ってしまった。
人は、生まれた瞬間から生死のプログラムが始まり
シナリオ通りに死んでいく。
その中で今世での生まれてきた意味や目的を果たすために
生き抜く。
母もそうやって自分の人生の意味を知って終止符を打ったんだろうと思う。

離れていても、大嫌いでも、けんかしてても、
元気で、まだもう少し長く生きていたら少しは
もっと良いことあったんだろうになぁ

孝行したいときに親は無し・・・・・・・。

私のこれからの人生もなるべく後悔しないように
今を自分のために誰かのために生き抜くことが
生まれてきたことの目的を果たすために必要なことだと
教えてもらいました。

ありがとうございました。

ここにこの気持ちを忘れないように書き留めておきます。









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