思うがままに(12)


200983(月)

私のエチカ


今日は、

甘いもん系でも、 子供ネタでもありません(*^o^*)

昨日の
エチカの鏡見てて、私のエチカとはなんぞや?と自分自身に説いてみた。

私の生き方…

仕事を辞めてから 家庭というまた違った環境に籍を起き、家族に関わる全てのことに携わって生きてきたここ数年。
今までとは真逆な生活。

しかし、それもこれも私にとっては全て必要であり大切な経験だと感じている。
でも人間てのは、
自分勝手だから、 すぐそんな都合悪いことからは、逃げ出したいなんて、考えだす。 でもここから逃げることは また、同じような経験をする事になってしまうきがする

辛いこと、悔しいこと、悲しいことすべてにおいて
いろんな意味でまんべんなく経験することがわたしにとっては大切なこと。

もういつのころか別のコミニュティサイトで知り合った
京都の女性の方がと話したことをよく最近思い出す。

その方は幼児教育に携わった仕事を長年していて結婚を機に
一度辞めるが自分の出産、育児がまた始まったときに
自分の仕事に初めて再認識されて今度は独自で色々経験を生かしながら、幼児教育は幼児だけではなく、本当は、男女が
出会い結婚するところから始まっているという話になると
いう事を聞かされたのを思い出す。

何のことやらさっぱりだったが、

結論は、子供はすべて自分の鏡だということ、
自分自身がいつもイライラしたり寂しがったり、すると
何でも感じ取る子供にはそのままダイレクトに通じてしまう

と、いう事は、自分のパートナーである主人においても
同じだとその女性はいう。

相手が、イライラして怒りをぶつけてきたら、

それは自分の心の声。

そんなときは、がんばって怒りの気持ちそれ以上にニコニコ笑う。

そうすると自分が変わる・・・・なんていろんなことを
おしえてもらった。

他人との係わり合いに関しても同じこと。

常に自分の内面が幸せだったり平和だったりと思うことで
相手に対して、いつも穏やかな気持ちで接してあげられる

そんなふうに言われたことを淡々と寝る前なんか思い出し考えたりする。

外に出て行くことがほとんど無い私にとっては、今は
家庭が宇宙だがらこの環境を大切に幸福にやさしい領域にすることを大切に今はエネルギーを使おうと考えると、

まずは、パートナーのあり方に心を配ってみる。
いつもニコニコ、ケラケラ笑う。⇒私が^^;

いつもありがとう、感謝していますとすんなりいえる。
子供はお父さん大好き^^;
不在が多いにも関わらず。私よりお父さん大好き。

決して自分の気持ちを我慢することではなくて、
目の前にいる人は自分自身だと思うことで、全く今まで
ほんの些細なことに腹を立ててイラついていた自分が
なんだかちっぽけで、単純で、実に不完全だってことに
思い知らされる。

言葉は言霊。

嬉しい。楽しい、大好き(ドリの歌みたい^^;)
何気ないこんなポジティブな言葉をたくさん使って生活することって意外と出来てないのかも・・・・?
子供と違って、ストレートな表現てなかなか大人になると
しないし、・・・・。
でも、家の中では、奥様、ご主人にはたくさん使って欲しい

TVお母さんといっしょで、
「むぎゅむぎゅむぎゅ~~だいすき!!とってもとっても
いい気持ち~~!!」って歌があるけど、子供はこの
むぎゅ(ハグ)がほんとに好き!!

これをみんなやってみたらみんな幸せになるかも・・!?
大袈裟だけど、スキンシップがこれまた良い^^;

子供からの学ぶことがこれほどまでに多いとは正直びっくり

こんなに小さな無邪気に遊んでるだけかのような子供に
いろんな愛情を貰いながら、たくさんの経験もさせてもらい
自分のそれこそ、生き方考え方すらも変化させられるエネルギーをもってると思うと、また、息子に感謝で、さらに
主人にも感謝しして・・・・・。

私のエチカ・・・・・・・

こんなところでしょうか?(強引だなぁ)プププッ


さぁ~今日はお菓子やパン材料をたくさん仕入れた物が着ます。

発酵バターが、450gでなんと450円だったんですよ!

なかなか無い^^
なので大人買いしました!!!

粉モンも結構安くてなんかお買い得だったが、北海道は
送料がめちゃ高い!!!だからまとめて注文しないとならなくてなんか結局不経済のような気もしないでもない><

まぁチョコチョコ注文よりいいかぁ~~~

またなんか作りますんで良かったら覗いてくださいね

今日は長くてスミマセン^^

今日も一日朗らかにがんばります











2009528(木)

涙のわけ


今年に入ってからここ数ヶ月、なんだかちょっとしたことで主人と険悪なムードになったことがしばしばあった。

なんてこと無い一言に切れたりと、

お互い似たもの同士なのでけんかは結構ある^^

しばらく冷戦が続き、自然と治まるのが常で、

そしてまた、無言のけんかが勃発したりと、

4月に入ってからもこのところずっとなぜかそんな感じが多くて、
まぁ、そんな時は、必死に掃除するのが一番良い!!

黙々とただただ、床磨きに専念する。
するとだんだんと私の心も落ち着く^^(大げさ)

五月に入り、GWなどバタバタと楽しい時間を過ごしながら
いた私なのだが、
なぜか帯広に無性に帰りたくなった。
まぁ、冷戦の後遺症というのか、なんか最近すごくつらいなって正直心が折れそうな感じだった。

何でかわからないけど自分でも不思議なくらい弱くなっていて、床をごしごししていても涙があふれてくる。
自分でも理由がわからない位だった。

丁度主人もまた一週間ばかり不在の予定も入っていたので
タイミングよく帰れるなって考えていた丁度一週間前の
夜、私の母が急死したとの知らせ、
なんとなく胸騒ぎだったのか何なのかは今になってみたら
そんな伝え方を母がしてきたのかはわからないが、
原因は心不全だったが、独りぼっちで逝ってしまった。

母と私は仲良しではなかった。

子煩悩なやさしい母でもなかったし、母親と言うより
女として生きてきた女性だった。
だから、母の嫌な部分を散々見てきた。
だから大嫌いな母だった。

父親が早くになくなってから35年になる。
その間再婚もせず生きてきた。
再婚しなかった理由もあったのだが、
祖母や身内にはとにかく迷惑掛けっぱなしの半生だった。

私が引っ越してからはほとんど連絡も取らずにいて、
最後に会ったのは、たぶん一昨年の花火大会の頃。

その間もほとんど電話も母からかかってくることも無く
私からも掛けることも無く・・・・・。

そんな状態で、この日を迎えてしまった。

悔やみ切れない自分がいて、更にむなしく嫌悪感が私の
心いっぱいになる。
でも、今更なのだ。

どんなに尊敬できない嫌いな母であっても、
私を生んでくれた事実は間違いなくて、
私が母を選んでこの世に生まれてきたこともまた
事実だ。
オムツを替えてくれ、乳を飲ませてくれた。
少しでも愛情ももらったはずなのに。そんなことも
忘れ憎んでばかりの自分の心の狭さや、おろかさに
今更ながら気づく。

人は、知らず知らずに自分の死期を知り、
身の回りを整理始める。

母はこの日を迎える数週間前から、良く子供たちや
孫のことを珍しく口にしていたらしい。
大好きなピザを宅配して偶然に弟が貰いもののシャンパンを
持っていった日に偶然ピザを宅配してた。
ずっとやめていたタバコを最近急に吸いたくなったといい
吸い始めていたり、ちょっとした楽しみを、少しづつ
味わっていた。

亡くなる日はお風呂に入っていた。
今まで祖母や身内に散々迷惑掛けてきたが
最後の日は誰にも迷惑掛けずに独りで冷たくなってた。

こんな風にして逝ってしまった。
人は、生まれた瞬間から生死のプログラムが始まり
シナリオ通りに死んでいく。
その中で今世での生まれてきた意味や目的を果たすために
生き抜く。
母もそうやって自分の人生の意味を知って終止符を打ったんだろうと思う。

離れていても、大嫌いでも、けんかしてても、
元気で、まだもう少し長く生きていたら少しは
もっと良いことあったんだろうになぁ

孝行したいときに親は無し・・・・・・・。

私のこれからの人生もなるべく後悔しないように
今を自分のために誰かのために生き抜くことが
生まれてきたことの目的を果たすために必要なことだと
教えてもらいました。

ありがとうございました。

ここにこの気持ちを忘れないように書き留めておきます。






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