大学時代の恩師は三人いて 自分は幸せ者だと思う。仕事上の恩師が竹山太郎先生だ。これは先生から頂戴したもので 今でも机の前に掛けている。
この写真は札幌農学校初代教頭の「クラーク博士の肖像」で 先生は執務机の前に掛けておられた。経緯は忘れたが「欲しいものがあれば何でもあげるよ」と言われた時があって「これを頂戴できませんか」とお願いしたら 一瞬驚いた表情をされたが「いいでしょう」と言われ 後日 額装した複製を頂戴した。
これは公開されているクラーク博士の写真(複数)とはちょっと違うので 調べてみたら 北大本部にある油絵のクラーク先生像のモノクロ写真のようだ。入手の経緯は不明だ。
先生は材料工学 特に電子顕微鏡解析の専門家だった。「目線を常に高く持て」「地方区ではなく全国区になりなさい」(当時の参議院選挙には地方区と全国区があった)といつも言われていた。先生は若くして教授になられたが 当時は回りの協力が得られずストレスばかりだったとよく話しておられた。当時の古い体質の雰囲気は 洋行帰りのリベラルな先生には居心地が悪く苦労されたのは想像に難くない。
横浜出身の先生が札幌に来たのは旧札幌農学校の魅力のためと伺った。山岳部にも入っていたらしい。熱心なクリスチャンで 何事も穏やかに対応して頂いた。もちろん仕事上ではきついこともあったが 無理なことは言わない方だった。
先生の弟子の一人として自分を眺めると イマイチと言わざるを得ない。しかし「自主性の尊重」「国際交流」「リベラル」は確実に伝えていただいたと思っている。毎年ご命日が近づくとこの絵(写真)を頂いた時のことを思い出す。