先週は北京の大学生ご一行様の対応に追われたことは最近の投稿の通りだ。さてこの写真は何かというと「大学の生協食堂で昼食を注文している」ところだ。まずはよさそうな料理をスマホ撮影して それを見せる。注文に言葉も不要だし 間違いもない。これには「驚くというより感心」してしまった。言葉なしで世界中どこでも生きてはいける。もちろん翻訳アプリもあるわけだが。
これはキャンプBBQをしている時の一コマ。一見 サボってスマホをいじっているようだが。。
こちらも同じような状況だ。実はこれ サボっているわけではなく「どうやら会話をしている」らしいことに気が付いた。BBQでも飲み会でも若者はこれをやっている。この辺は自分のようなシニア世代には理解の難しいところだ。
こんなこともあった。大型バスの中でBBQの手順を説明した。まず5人ぐらいのグループに分け スーパーで好きなものを買い出ししてもらうので 各グループの代表者を決めてもらいお金を渡すことにした。もちろんバスの案内の位置(運転士の横後ろ)からマイクで説明したのだが みんな下を向いているので心配になってしまった。しばらくして代表者が決まったらしくあちこちから手が上がった。ということはSNSのやり取りで決めたということだ。「彼らのコミニュケーションには言葉はいらない」ということで これには驚いた。恐らく日本の学生も似たような状況なのだろう。ただし現代の若者がWi-Fiのつながらない環境に行ったら何もできなくなるのかも。。
人類は声・会話・文字・本のように進歩してきたが 今回のような挙動から将来は会話が無くなるのかととらえるのはいささか早計な気もする。批判でネットが炎上することもある。そのうちに何らかのルールのようなものが出来てくるのかもしれなし 本の出現に相当する変革期にいるのかもしれないこれは後になってみないとわからないことだ。