心(33)


201418(水)

今年もよろしくお願いいたします

×33

今年もよろしくお願いいたします

新しい年です。

その昔は人生50年といわれたそう。
今はそこが人生の折り返し地点。
去年50歳を迎えましたが
自分はとことん “余力を残して生きている奴”です。
ハングリー精神とはたぶん一生無縁でしょう。
だから、
完全燃焼しながら生きている人を見ると
読書や趣味に費やす時間を一日のどこかにはめ込んでしまう
自分ののんびりした生き方にずっと気まずさを感じてしまうのでした。
それは大人になってこの年までずっと。

しかし、というかさすがに50年も生きれば
そんな考え方や感じ方のピントのズレに気付きます。
目のピントはずれたままですが・・・(老眼ね)

人の価値観は千差万別。
映画を見たり読書をする時間を愛する人、
ぼうっと考え事をする時間が必要な人、
あるいは
何もしないのが耐えられず常に何かしている人、
ひとりが好きな人、常に誰かと一緒にいたい人・・・
それには育った環境、もって生まれた性分も関係します。
仕事柄、四六時中そういったことを言っているのに。
“自分らしく生きる。”
こんな当たり前の事が
人の目を気にしたり自分勝手な固定観念で解らなくなってくるんです。
どんな時間の過ごし方をしたって
自分の価値観なのだからいいわけです。
それなのに心のどこかでずうっと引け目を感じたり
自分を肯定しない方向に考えてしまうのは
今までの生き方が作ってきた悪いクセです。

分析したって何も変わりません。
むしろ分析する事によって分かったつもりになるくらいなら
分析なんて必要ないかも。
そういったことを時間をかけて理解しようとしてきているのにまだそれが抜けきれない。
人間は変われない、まさにその通り。

でも、しかし、さすがにやっと今年は考え方の方向性を変えられそうです。
もちろん本質は変わりませんけど。
画像



2013125(木)

感情や心の動きに支配されそうになったとき

×33

感情や心の動きに支配されそうになったとき

感情やこころの動きに支配されそうになったとき
あなたのこころの中に理想とする人間や人間像を持っていたなら
“あの人だったらどうするだろうか?”
“こんなこと口に出すような人間にはなりたくない”
と、感情のままに行動が流されていくのを食い止めるきっかけになるでしょう。
だから、自分の目指す人間像を持つことはとても大切なことだなあと
最近つくづく思うのです。
それは自分の価値観を認識することでもあるのです。

人それぞれ違うのだから
相手の考えが自分と違っていたって当たり前。
会話の途中に自分の考えをねじ込む必要もないのだけれど
自分の考えが正しいだとか、一般的だといった思い込みが強いと
ついつい自分の基準を押付けてしまいがちです。

では、言いたいことを我慢すればいいのでしょうか・・・?
いや、我慢すればいいということではありません。
我慢と自分を律することって似ていますが違います。
“言わない”と“言えない”もまったく違います。
我慢・・・耐え忍ぶこと、こらえること、
律する・・・規範を設けて統制、管理すること、とあります。

感情のままの言動は周りを傷つけます。
“言えない”のではなく、自分を律して“言わない”ことを意識すると
自分の中に新たな価値観が生まれるのではないかと思うのです。
画像
                        



20131020(日)

自分に腹が立つとき

×33

自分に腹が立つとき

 すっかり秋も深まって
冬に向かって一直線ですね。
今年は漬物、無理かなあ。
残念・・・!(古い)
画像
いつまでも心に引っかかるものがあるとき
たいてい自分に対して腹が立っていることが多い。

どうしてあのとき言葉が出てこなかったんだろう、
どうして言葉を準備しておかなかったんだろう。
いまなら自分の気持ちや感情を整理して言葉にすることができる
だからその想いからなかなか離れることが出来ない。

場を取り繕ったり、相手の気持ちを考えすぎてしまうことで
あとから悔しい思いをするのであれば
自分の気持ちを伝えられなかった自分のせいだろう。
自分を信じ切れていないから、
自分に自信が欠けているから
言い訳をして
自分の感情を飲み込んでしまうのだろう。
人間関係はそういった貴重なことを教えてくれる。
画像
やっと、ゼラニウムを植え替えできました。



2013102(水)

無理することと努力する事は違う

×33

無理することと努力する事は違う

ついに、半世紀生きました。
画像は誕生日に娘がくれた手作りのボストンテリア。
画像
無理することと努力することを間違うから人は苦しむのでしょう。
つい最近までその違いを考えたことが無かったせいか、
自分の人生、かなり遠回りをしていたなあと今更ながら思うのです。
こんなことに想いを馳せるのも50代になったからなのでしょう。
その割には子どもっぽい趣味ですが・・・。

大人になり「他の人に出来るのに自分ができないのは努力が足りないから。」と思いこみ
いろんな事に挑戦してきました。
後先考えず、自分をよく知る事もしないで、ほんとうにいろいろやってきました。
結果、やりきる事もあり、途中であきらめた事も多々あり・・・
そこから、少しずつ自分のことが分かってきました。
自分の方針と真逆な事は、がんばってやり続けても結局自分が苦しくなって続きません。
「無理」なこととは自分の心に反していることなのでしょう。
人の行動はその人の考えに基づいています。
人それぞれで考え方もそれぞれなのだから、やることだって違って当たり前。
競争して伸びていく人もいれば競争したがためにやる気が失せる人もいます。
つまり、自分と人は考え方も価値観も全く違うのに、同じものを求めることこそが
「無理すること」なのでしょう。当然、心の中は苦しみが多くストレスでいっぱいになり
余裕がなくなります。
一方「努力すること」は自分の価値観に近いところでがんばることでしょう。
その場合、つらさはあっても達成するごとに喜びに変わります。

自分の価値観とまったく違う場所で努力したとしても、
それは無理以外の何者でもありません。
出来るだけ早く自分の価値観を固め、自分の方向性を定めることが
自分を見つけ楽に生きる近道になるのだなあとしみじみ思う今日この頃でした。



2013710(水)

身近にある”いじめ”

×33

身近にある”いじめ”

 雨が降ったお陰で、
少し涼しくなりましたね。
画像
心理学の本を読んでいると、
人のことを「わかった」ような気になるときがあります。
人を分析するのは
自分に向き合わなくていいので面白いし楽。
でも、気をつけないと
自分でも気付かないうちに「相手のため」と言いながら
自分の欲求不満を解消するためにそれを“ネタ”に苛める人間に変身してしまう事があります。

一方、
人に合わせられてだれからも良い人と思われている人は
苛められても気がつかずにその人と行動をともにしてしまうことも少なくありません。

この組み合わせがコンビになっていることって結構あるようです。

仲の良い人からきついことを言われたとき、よく考えてみる事は大切です。
自分は相手の欲求不満の捌け口なのか、
それとも、本当に自分のために言ってくれていることか。
自分への信頼度が高い人は、
この判断を間違うことはありません。
画像



<<
>>




 ABOUT
さんすくりっと。
本拠地は音更町ですが帯広市内に小さなショップを開いています。(西12条北7丁目21-1はいからやビレッジ内)金曜日のみのオープンですが、御連絡いただければ対応いたします!お気軽にお越し下さい!下はもうひとつのブログ、内容は濃い目です・・・!

年齢50代
エリア音更町
属性事業者
 ブログカテゴリ
 カウンター
2009-04-16から
16,467hit
今日:14


戻る