心(33)


2013624(月)

違いについて

×33

違いについて

いつの間にか晴れ間が出てきました。
今年は気温の差が激しかったせいか、
晴れたり降ったり暑かったり寒かったりがやたら気になります。
週末、目白押しだった用事や行事は無事に終了しまして
またいつもの日常に突入です。
最近、尋ねてくる方や問い合わせが増えてきました。
宣伝はほとんどしていないのでお客様が少ないのは当たり前なのですが、
4年目に突入して、ありがたい事に少しずつですが知ってくださる方が増えてきたようです。

さて、
悩みやトラブルの無い方はいませんが
本当に皆さん、いろいろな問題を抱えています。
仕事のことや人間関係がほとんどですが
日常の些細な行き違いや、積み重なってしまった自分の感情、
これに手を焼かれているようです。

先日、ある方と世間話をしていたときに、ふと、
「自分の選択が、友人から理解されない。」と言うのです。
「どうしてそっちの道を選択するの?」と問われたとき、
自分の事なのに
答えの言葉が見つからないことにその方はすっきりしなかったのだそうです。
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このような事は多いのではないでしょうか。
自分の中では決まっているのに、人に上手く言葉では説明できにくい。
それは“理屈”で説明できることではないからでしょう。
あえて、理由を言うならば
「自分だから、私だから、その道を選択する。」ということになるのでしょう。
そしてそれは親しい友人であっても理解できないのは当たり前だと思います。
いくら仲が良くても、お互い考え方や行動パターンも違えば
立っている場所も今までの経験も全く違うのです。
“友人だから、私の考え方を理解して欲しい”と願うのは解らなくもないですが
“友人だからこそお互いの違いを尊重すること”ができたら素晴らしいのでは、と思います。

“自分だったらやらない”のは自分だからそうしないだけであって
それが正しいわけでも一般的でもないのです。
どうしても、人は自分を基準に考えてしまうので
自分の考えが常識的であり、
一般的であると思い込むことが多いのですね。
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2013611(火)

過ちを認める心

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過ちを認める心

いろいろな付き合いがあって
いろいろな付き合い方があります。

私は、いつも人と会った後に
自分の気持ちや感情を振り返ってみます。
心に感じた小さな引っ掛かりを思い出し
自分の感情を点検してみるのです。
心に起きた小さなさざなみを無視せずに丁寧に思い出します。
何故、あの時面白くなかったのだろう?
何故、あのとき悲しかったのだろう?
そうして、心に小さな痛みを感じるとき
自分の本心に気付くことができます。
そうやって人は少しずつ自分を発見していくのだなと思うのです。

そして、付き合っていく中で
お互いにいたわりあったり
分かり合ったり
傷付け合ったり
自分の過ちに気付いたりしながら
お互い様で成長していくのでしょう。
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誰にだって触れられたくない過去はあります。
うかつで浅はかな過ちをしない人間なんていないのではないでしょうか。
間違わない人間は成長する機会が無いも同然です。
ですから、
自らの未熟さゆえに周囲に迷惑をかけてしまったことを
心から認めることができたなら
その間違いは経験となって、人は成長し大きくなります。
器が広がり、人格も磨かれるでしょう。
一方、
責任の取れない人間は、周りを巻き込んではいけないのです。
自分が周囲に及ぼす影響を考えることができないのは
間違いを認めたら自分が無くなってしまいそうで
怖いからなのでしょう。

怖くても、自分に向き合うことができたなら、
自分のしっぽを掴むことができます。
そして、過ちを認めることができたら強くなれるはずです。
しかし、
自らの過ちを受け入れられないならば
人の人生に介入しないように生きるしかないでしょう。
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201368(土)

本音の付き合いについて考えてみる

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本音の付き合いについて考えてみる

新緑の季節ですね!
去年もブログにアップしていますが
お気に入りの木があるのです!
ちょっと前の姿
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そして、今の姿
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なんともハート型に見えるのです。
ここを通るたびに
勝手に癒されているわけです。


人は、それぞれ気質や好み、言ってしまえば性格が違います。言いたいことをはっきり言ってすっきりする人もいれば、言ったことですっきりしない人だっています。
ですから友達同士で「言いたい事はなんでもはっきり言い合うこと」と取り決めたとしても、
片方はすっきりして良いかもしれませんが、
もう片方にとってはストレスになることだってあるのです。
ただ、どちらかが遠慮して言うべきときに、言わなければならないことを言えないような間柄では、
親しい仲、友達とはいえないでしょう。

気質が全く正反対の友達同士であっても、
本音の付き合いができているならば
常に主張しているのはどちらか一方ですが、
もう一方は別に言いたいことを言えず我慢しているわけではないでしょう。
主張することがストレスだったりするからです。
はたから見ると、主張しているほうに力関係が偏っているように見えがちですが、
気質の違うもの同士がお互いに自分らしく、無理なく振舞っているだけでしょう。
主張したいからする、別に主張したくないからしない、その姿が自然体だと思います。
また、主張しないからといって言うべき事が言えないわけではなく
おとなしく見えていても、言うべきときははっきり伝えることができる、
こういった間柄であれば、自らの思考や行動を相手に合わせることなく本音の付き合いができているといえるのではないでしょうか。
つまり、本音の付き合いとは、
どちらかの価値観に合わせるのではなく
お互いに自分の価値観で自分らしく自然体でいられる付き合いなのだと思うのです。



2013410(水)

変わること

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変わること

溜まっていた家計簿も記帳して、
久しぶりに追いつめられていない時間を過ごすことができています。
や~、幸せを感じます。
とはいっても、先月引っ越した子どもにかかった費用は怖くて計算できない・・・。
闇に葬りたいけど直視しなければ。

と、ふと庭を見れば・・・
まだ雪が残っている庭で、
チューリップの芽がちょこんと顔を出しています(^^)
寒い冬を乗り越えて花を咲かせる植物の生命力はすごいなと、いつも思います。
私も植物のように余計なことを考えないで命を全うしたい・・・!
・・・とは思う一方で、余計なことを考えるのが好きな自分もいます。
で、この数日いろいろなことが頭をよぎりました。
結局、
人が変わる、ということは
“成長する”か“努力をやめるか”
そのどっちかだと思うのです。
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201348(月)

限界の中でわかること

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限界の中でわかること

やっと。
鑑定の仕事を終え、一段落。
今回は、期日が短い上、やるべきことが目白押しの日程だったのでなんともきつかったの一言。
私は時間でも何でもぎりぎりの状態で物事を行えるタイプではない・・・ということは、全力を出し切らずに、常に余力を残していることに繋がるのかな。
要するに生ぬるい奴ということか。
機能的な限界(器質ではなく・・・さすがにそれは悲しいね)を生まれて初めて感じた中、脳が疲れきってわけわからなくなりながら全力を出し切らなければならない状況というものを、たぶん生まれて初めて経験したと思う。キャパシティを広げるためには、そういった修羅場を何度もくぐらなければならず、今までその境界線を踏もうとしなかったからこの状況なんだけど。
人はそういった限界の中で「変わっていない自分」を発見するんだなとつくづく感じた。これは仕事を通じて自分発見をしているようなものなので、2倍も3倍も精神的に疲れる。もちろん、この仕事に限ったことではなく、すべての仕事を通して自分というものは発見できる。家事や人間関係、育児を通しても、自分発見はできるんだけど、そんな場面では自分を突きつけられそうになると無意識に逃げちゃうから、なかなか難しい。つまり、妥協を許されない厳しい場面でしか自分に向き合うことはできなくて、その条件を満たしているのが「仕事」ということだろうね。

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ちなみに上の写真は、こんな無頓着な私にに育てられているのに3回目の花を咲かせてくれたかわいい奴。安堵感くれます。



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