心(33)


201271(日)

「縁」から学ぶこと

×33

「縁」から学ぶこと

今日は少し動くと地味にもわ~っと暑いです。
・・・もしかして暑いのは私だけ?
それは、こう、あれですね。
カースー病。

そんな年齢ですので
あちこちぶつかって
なんどか痛い思いを・・・。

そんなテーマです。

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人は皆みえない糸でつながっている・・・
こういったたとえは目にすることが多く、
私自身もそう考えるようにしています。

つながっているだけに
自分勝手な行動で動いてしまうと、
見えないだけで糸が絡んだり、
切れて穴が開いたりと周囲にしわ寄せが出来ます。
これがトラブルでしょう。

そう考えると「縁」から学ぶ事は計り知れません。
人は良くも悪くも「縁」で出会います。
単純に「縁」の良し悪しは判断できないことが多く、
自分にとって良い想いが出来たから良縁、
というわけでもなさそうです。

例えば、ある人との出会いでトラブルに巻き込まれ、
非常に傷ついたとしても、
それを乗り越えてこころが強くなれたのなら
その「縁」は自分にとって良かった「縁」ということになるでしょう。
学んだ事に「良い悪い」はなく、
それをどう生かしていくか、
自分の行動にかかっているだけです。

ですから、どんな「縁」からでも学ぶことは可能です。
ただ、その時の自分の受け入れ態勢によって
「ハードルが高すぎて今回はパス」
ということもありですが。

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2012628(木)

人をさばく感情について・・・その3

×33

人をさばく感情について・・・その3

 真夏日二日目、
気持ちは晴れ晴れ。
早速、散歩の後
張り切って玄関に打ち水して
庭の花に水遣り。

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 お茶を飲んで一服していたところ
体に疲労感が・・・
いかんですな、運動不足。

 今日はテーマの最終日です。
こんな理屈っぽい話題に
最後までお付き合い下さって
感謝しています。


 バランス感覚というものは何においても大切ですが、
こと人間関係ではこれほど重要なものはありません。
ひたすら相手に合わせ自分を殺し続けることも、
相手の意見に耳を貸さず
自分の意見だけをごり押しすることも
バランスの良い言動とはいえません。

 自分の感情を出すという事は
事なかれで収まらないかもしれません。
しかし、ぶつかり合いを避けていては
今までの関係は見直せません。
それに心からの交流は望めませんし、
心の成長もありません。

 私たちは日夜それを身近な人たちとの中で
学習しているわけです。


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「人をさばきたくなったとき」
その欲求自体は、
人間である以上仕方がないと思うのです。
でも、そういった感情に包まれているときこそ
自分にとって越えるべき大きな壁の前に
来ている時ではないでしょうか。
無意識に任せると以前と同じ行動をしてしまいます。
マイナスの感情をどうのこうのではなく
「許せない自分のこころ」の感情の裏には
何が隠れているか、
それを見極め自分の偽りの無い心が見えたとき、
それを受け止めることができたなら、
こころに余裕ができ
人間的な器が広がっていくのだと思うのです。

 そこから「人を尊重するこころ」が
生まれていくと思うのです。



2012627(水)

人をさばく感情について・・・その2

×33

人をさばく感情について・・・その2

 今日もいいお天気です!
あまりにも不安定な天候が続いたあとの晴天は
よりいっそう貴重に感じます。
外の空気が気持ちいい・・・!

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さてさて、昨日の続きです・・・

 とはいえ、「本能のままに」行動すると
人間関係は崩壊するので、
通常は理性で行動面にストップをかけますが
「攻撃、支配、優越」の欲求は
消えているわけではありません。

 そういった欲求を抱く事は
全て人間関係に支障をきたすとはいえませんが、
やはり限度にもよりますし
支配欲が旺盛だと相手にも威圧感を与えてしまい
良好な関係は築きにくいでしょう。
だからといって、
その欲求を「マイナスの感情」だとして
「いけないこと」とふたをしてしまうと、
その感情は無意識に押し込まれてしまいあとあと厄介な事につながりかねません。
大切なのはその「感情の処理の仕方」です。
だって、DNAレベルで組み込まれているので
もはや「良い悪い」の問題ではありません。
いくら修行をしても食欲や睡眠欲をなくす事はできません。
逆にその欲求がなくなったときはあの世に行くときでしょう。
 「マイナスの感情を抱くな」ということも
「食事や睡眠」と同じ本能からくるものだとしたら、
そういった欲求を持っているからといって
「心のレベルが低い、修行が足りない」
などということにはなりません。

 修行は欲求そのものをなくすのではなく、
感情の処理の仕方を会得するのだと思うのです。
いろいろな修行がありますので言い切れるものではありませんが・・・。

 もし「私は人を憎みません、マイナスの感情や欲求などはありません。」
と思っていたとしたら、
ご自分の感情を直視しないでふたをしている可能性があるでしょう。
自分のことをよく分かっている人は
人を裁くことなく
自分の感情を表に出すことができるので
感情処理の仕方が実に見事です。


 人はみな本能的に「攻撃、支配、優越」の感情は
持っているわけですから、
感情の処理が上手な人もそうでない人も
根本の部分は同じです。
そもそも感情の処理が上手な人の場合は
そんなに「人を許せない状況」になる事は
少ないでしょうけど・・・。

 もちろんはっきりさせなければならないこともありますが
ここで伝えたいのは
「些細なことで身近な人を許せない、
ひっかかってしまう」こういったものから
発展していく「さばきの気持ち」についての
私の考えです。
・・・次回に続く。



2012626(火)

人をさばく感情について・・・その1

×33

人をさばく感情について・・・その1

 朝からお天道様を拝むことができて
幸せな気分でいっぱいです。
今日は洗濯日和でしょうね~
のどかでゆっくりとした一日を過ごしたいものです。

 さて・・・
今日のテーマは
ちょっと長くなるので
3分割くらいにしようと思います。

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 他人を許せないときというのは、
自分に不満が溜まっているとき。
要は自分に余裕が無いときと言い換えても
差し支えないでしょう。
どうしても相手の言動に目をつぶることが出来ない、
心が乱れてしまう・・・
そんな時、私たちは「相手のためを思って
(・・・と自分では思い込んで)」
苦言を呈すことがあります。
要は人を裁くわけです。

 「倫理に反する」とか、「人として・・・」とか、
一見忠告のスタイルをとっていますが、
それは無意識下にある
「自分はこんなにやっているのに何故やろうとしない?
あなたは責められて当然、出来る自分はあなたよりも上。」といった感情の表れであることが多いのです。

 では、そういった心のありようは
レベルが低く
恥ずべきことであり、
克服したほうがよいものなのでしょうか?

 興味深いのは人間の本能の中に
「攻撃、支配、優越」というものも入っているということです(H.Aマレーのリストアップより)。

 ・・・という事は、人を攻撃して
自分が優越感に浸るということも
本能として私たちのDNAに組み込まれていると
いうことなのです。

次回に続く・・・



2012620(水)

自分の心への旅

×33

自分の心への旅

 雨ですね。
こんな日はお茶でも飲みながら
自分の内面に旅するのもいいかもしれません。
そんな事言ってる暇人は私だけですね~

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 「自分ってどんな人間だろう・・・?」私はよく考えます。
ありがたい事にいろいろ気づけば気づくほど
たいしたものでは無いなということが分かってきました。

 自分とは、名前は何々で、血液型は何型で、性別はどうで、どこそこの学校を出ていて、どこそこに住んでる・・・
これは自分ではなく自分に付随しているものです。

 そうではなく自分という人間は、
誰それのどういった言動にカチンとくるか、
一万円拾ったらどんな行動をするか、
目の前で人が助けを求めていたらどうするか・・・
こんなときどう考えどう行動するか
それこそが自分そのものだと思うのです。

 その自分を発見するには特別な人が必要です。
どんな人かというと・・・
「自分のマイナス感情を引き出してくれる人」です。
その人に対する感情こそが
うそ偽りない自分そのものなのです。

 これまたありがたいことに
誰でも自分の置かれた環境には
自分の素を引き出してくれる人が
配置されているのではないでしょうか。

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