2019年10月26日(土)
2015年インド旅行記④
旅行記×41
コーチンにはまた戻ってくるので、今回の滞在は短くしようと決めた。
今のうちに、やれることをやってしまおうと、私は精力的に本来の仕事をこなそうと動き始めた。
スパイスや食器の買い付けをして日本へ発送し、出来るだけ現地の味を覚えておくため、レストランや食堂でのカレーの食べ歩きを行っていた。
こうした本来の仕事は別に、最も優先順位が高かったのが、風邪薬の調達であった。
私は日本にいる頃に既に風邪の兆候を感じていたが、熱がなく鼻水だけの症状だったので甘く考えていた。
インドに着いたあと咳が急に出始め、鼻水も止まらなくなっていた。
日本から持ってきた薬は効き目が弱く、症状の改善がみられなかった。
インドの風邪はインドの薬で治すしかない。
私は薬局に出向き、症状をジェスチャーで訴え、処方された錠剤をミネラルウォーターで流し込んだ。
この後しばらく私の旅では、新しい街に着いて宿を決めたら、すぐ最寄の薬局に行って薬を買う、という状態がしばらく続くのであった。
一仕事終えて宿に戻ると、フロントにマネージャーのマルコスがいた。
マルコスは30代前半と思われる年齢で肌は黒く、細身の男性だ。
流暢な英語を話し、頭の回転も速い。
宿泊客に非常に親切な対応をするので、多くの欧米人旅行者達から信頼されていた。
前回のコーチン訪問時では、彼の仲介で料理の先生を紹介してもらった。
だから今回の宿も、彼のいるところにしようと最初から決めていたのだ。
マルコスは心配そうな表情で私に声をかけた。
「調子が悪そうに見えるが、薬は飲んだのかい」
「さっき飲んだばかりだが、あまり効いていないようだ」
「よく効く薬があるから、試してみるといい」
そう言って彼が戸棚から取り出したのは、ホコリのかぶった栄養ドリンクサイズの瓶だった。
瓶の中には紫色の液体が入っており、ラベルには全く読めない文字と怪しげなイラストが描かれている。
「えっ・・・これは・・・これを飲むのか?本当に飲まなきゃだめか」
「効くんだって。試しに飲んでみるから」と彼は封を開けた。
漢方薬のような香りが広がった。
グビ。
「問題ない。もちろん飲むよね?」
彼は瓶を私に手渡した。
「わかった・・・」
勇気を振り絞って飲む。
あれ?意外と飲める。
子供の頃に飲んだ風邪薬シロップのような味がした。
やがて宿の玄関前には4、5人の地元の若者が集まり始め、マルコスと談笑し始めた。
私はロビーのソファに腰掛け、彼らのやりとりを眺めていた。
言葉は現地語マラヤーラムだ。
知らない言語だから、彼らが何を話しているか、私はさっぱりわからない。
言葉の意味はわからないが、音韻に美しい響きを感じた。
私は音楽を聴いているような気分で彼らの会話に耳を傾けていた。
ここケララ州では、インドの標準語と呼ばれるヒンディー語を話す人を見たことがなかった。
私が日本から持ってきたタミル語で書かれた会話本を彼らに見せても、誰もきちんと発音ができない。
この中で隣のタミルナドゥ州の言語をまともに理解できる人はいなかった。
州が変われば言語が大きく変わる。
私はインドが他民族国家であることを実感するのだった。
若者たちが去り、ロビーには私とマルコスの2人になった。
ひとしきり雑談を終えた後、彼は真剣な表情で言った。
「君は日本でレストランを経営しているよね?俺を日本に連れて行ってくれないか」
私は諭すように言った。
「マルコス。君は料理人じゃないだろう。無理だよ」
「地元の料理学校へ行って勉強するからさ、だめかな」
私の店は、まだ軌道に乗ったとは言えない状況である。
彼のことは大好きだが、安請け合いはできないのだ。
「残念だが難しいよ」
「・・・わかった。もし俺に何か手伝えることがあったら言ってくれよ」
「わかった、マルコス。また後でね」
私は部屋に戻った。
私に対して何かと親切にしてくれる彼に、私は何もしてやれないのはもどかしい気分だった。
しかし私の力で彼のために出来ることはない。
厳しい現実であった。
つづく
今のうちに、やれることをやってしまおうと、私は精力的に本来の仕事をこなそうと動き始めた。
スパイスや食器の買い付けをして日本へ発送し、出来るだけ現地の味を覚えておくため、レストランや食堂でのカレーの食べ歩きを行っていた。
こうした本来の仕事は別に、最も優先順位が高かったのが、風邪薬の調達であった。
私は日本にいる頃に既に風邪の兆候を感じていたが、熱がなく鼻水だけの症状だったので甘く考えていた。
インドに着いたあと咳が急に出始め、鼻水も止まらなくなっていた。
日本から持ってきた薬は効き目が弱く、症状の改善がみられなかった。
インドの風邪はインドの薬で治すしかない。
私は薬局に出向き、症状をジェスチャーで訴え、処方された錠剤をミネラルウォーターで流し込んだ。
この後しばらく私の旅では、新しい街に着いて宿を決めたら、すぐ最寄の薬局に行って薬を買う、という状態がしばらく続くのであった。
一仕事終えて宿に戻ると、フロントにマネージャーのマルコスがいた。
マルコスは30代前半と思われる年齢で肌は黒く、細身の男性だ。
流暢な英語を話し、頭の回転も速い。
宿泊客に非常に親切な対応をするので、多くの欧米人旅行者達から信頼されていた。
前回のコーチン訪問時では、彼の仲介で料理の先生を紹介してもらった。
だから今回の宿も、彼のいるところにしようと最初から決めていたのだ。
マルコスは心配そうな表情で私に声をかけた。
「調子が悪そうに見えるが、薬は飲んだのかい」
「さっき飲んだばかりだが、あまり効いていないようだ」
「よく効く薬があるから、試してみるといい」
そう言って彼が戸棚から取り出したのは、ホコリのかぶった栄養ドリンクサイズの瓶だった。
瓶の中には紫色の液体が入っており、ラベルには全く読めない文字と怪しげなイラストが描かれている。
「えっ・・・これは・・・これを飲むのか?本当に飲まなきゃだめか」
「効くんだって。試しに飲んでみるから」と彼は封を開けた。
漢方薬のような香りが広がった。
グビ。
「問題ない。もちろん飲むよね?」
彼は瓶を私に手渡した。
「わかった・・・」
勇気を振り絞って飲む。
あれ?意外と飲める。
子供の頃に飲んだ風邪薬シロップのような味がした。
やがて宿の玄関前には4、5人の地元の若者が集まり始め、マルコスと談笑し始めた。
私はロビーのソファに腰掛け、彼らのやりとりを眺めていた。
言葉は現地語マラヤーラムだ。
知らない言語だから、彼らが何を話しているか、私はさっぱりわからない。
言葉の意味はわからないが、音韻に美しい響きを感じた。
私は音楽を聴いているような気分で彼らの会話に耳を傾けていた。
ここケララ州では、インドの標準語と呼ばれるヒンディー語を話す人を見たことがなかった。
私が日本から持ってきたタミル語で書かれた会話本を彼らに見せても、誰もきちんと発音ができない。
この中で隣のタミルナドゥ州の言語をまともに理解できる人はいなかった。
州が変われば言語が大きく変わる。
私はインドが他民族国家であることを実感するのだった。
若者たちが去り、ロビーには私とマルコスの2人になった。
ひとしきり雑談を終えた後、彼は真剣な表情で言った。
「君は日本でレストランを経営しているよね?俺を日本に連れて行ってくれないか」
私は諭すように言った。
「マルコス。君は料理人じゃないだろう。無理だよ」
「地元の料理学校へ行って勉強するからさ、だめかな」
私の店は、まだ軌道に乗ったとは言えない状況である。
彼のことは大好きだが、安請け合いはできないのだ。
「残念だが難しいよ」
「・・・わかった。もし俺に何か手伝えることがあったら言ってくれよ」
「わかった、マルコス。また後でね」
私は部屋に戻った。
私に対して何かと親切にしてくれる彼に、私は何もしてやれないのはもどかしい気分だった。
しかし私の力で彼のために出来ることはない。
厳しい現実であった。
つづく
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