2019年10月28日(月)
2015年インド旅行記⑥
旅行記×41
私の次の行き先は、ゴアと決めていた。
インドは想像以上に広大な大陸である。
陸路で移動すると時間が膨大にかかることを、私は経験上わかっていた。
ゴア州に行く途中に通過するカルナタカ州も南インドである。
本当はこちらにも立ち寄りたかったのだが、時間の都合上今回の旅ではあきらめ、空路で直接ゴア州にアクセスすることにした。
宿の近くに旅行代理店があったので、翌日発のパンジム(ゴアの州都)行きの航空機チケットを購入した。
このチケットには問題が一つあった。
フライトの時間が早朝5:30だったのだ。
宿に戻りマルコスに相談したところ、4:00に宿を出発しないと間に合わないと言う。
この早朝時間に空港まで行ける公共交通機関はない。
「ちょっと待ってて。友人にオートリキシャーの運転手がいるから」
マルコスはそう言って、携帯電話で運転手と話し始めた。
「運転手は800(ルピー)と言っているが、構わないか?」
今までリキシャーの移動に800ルピーは使ったことがない金額だが、空港まで1時間近くかかることや早朝の時間帯でもあり、法外な金額と思えなかった。
「それで構わないよ」
これで手配が全て終わり一安心、あとは食事だ。
私は行きつけのレストランに向かった。
フォートコーチン滞在中は、毎日のように通っていた。
前回訪問時から、私にとってお気に入りの店だったのだ。
見晴らしのよい2階席に座り、食事とドリンクをオーダーする。
食事をしながら、価格も味も以前と変わっていないと感じた。
私はカレー屋の店主になったので、自分の作るカレーが本場と比較して味はどうなのか常日頃関心を持っている。
こちらインドの飲食店では、自分の店で出しているメニューと同じものを注文し、本場の料理人が作るものと、自分の店で作るものとを比較していた。
自分の作る味とほとんど同じだと感じたり、違いのあるものは、どこが違うのか探るように食べていた。
しかし、この店はお客が全然来ない。
価格設定が観光客用なので、地元のインド人は最初から来ない。
頼みの綱である欧米人観光客が全然来ないのだ。
味が良くても、それだけでは生き残れない。
自分も飲食店を経営しているので、この切ない状況は痛いほどよくわかる。
商売の厳しさはインドも日本も変わらない。
つくづく実感した。
食事を終えた私は荷物をバックパックにまとめ、早めに就寝した。
目覚まし時計で起床し、宿の玄関前に立った。
早朝4:00。
まだ周囲は真っ暗だ。
時間きっかりにオートリキシャーが迎えに来た。
運転手が車から降りてきて、わざわざマルコスを部屋まで呼びに行った。
マルコスは眠たげな目をこすりながら見送りをしてくれた。
1時間ほどの長距離ドライブ。
抜け道なのだろうか、運転手は狭い道を好んで走っていく。
やがて幹線道路に入り、リキシャーのスピードが上がっていった。
運転手はテンションが高く、気合が入っているようだった。
リキシャーの運賃相場は、近場のチョイ乗りで30~50ルピーだった。
だから今回のドライブは、一回でおそらく通常の一日以上の稼ぎができる、彼にとっては大チャンスなのである。
30分ほど走り続けたあと、運転手は行きつけのチャイ屋に寄った。
こんな早朝の時間でも営業している店があるのだ。
「まだフライトまで余裕がある。一休みしよう」
インドの朝焼けを見ながら飲んだチャイの味は格別だった。
チャイをすすりながら運転手は言った。
「マルコスは昔、神学校に通っていた。そして将来は神父になるはずだった」
彼は確かに献身的なところがあった。
それは神学校で培われたのだろうか。
だが彼は現在安宿のマネージャーで、毎日コマネズミのようにパタパタ動き回り働いている。
私は核心に触れる質問をした。
「何故マルコスは神父にならなかったのですか?」
彼は質問には答えず、「本人に会ったとき、聞いてみたらどうだ」と言った。
「本人に・・・ですか」
チャイを飲み終えたあと、10分ほどで空港に到着。
空港前で約束の金800ルピーを運転手に支払った。
彼は両手で紙幣を受け取ると頭上に高々とあげ、神への感謝を口にしていた。
やはり、インド人には大金なのである。
私は空港のロビーでフライトを待ちながら、マルコスの過去について思いをめぐらせていた。
彼の過去に何があったのだろうか。
私は彼に関する一つの情報を思い出した。
前回のインド訪問時にマルコスと出会い、帰国後facebookの申請をして繋がった。
Facebookの個人プロフィール欄には、自分の信仰する宗教を記入する欄がある。
彼の宗教欄には「無宗教」と書いてあったのだ。
神父を志していた人間が、わざわざ「無宗教」と書くからには、相当の理由があるのに違いない。
信仰を捨てる決定的な出来事があったのだろうか。
これは大変デリケートな問題で、不用意に踏み込んでいいものではない。
私は彼に質問することはないだろうな、と思った。
他人に対して無遠慮に聞いてはいけないことがある。
それは日本でも、インドでも同じである。
つづく
インドは想像以上に広大な大陸である。
陸路で移動すると時間が膨大にかかることを、私は経験上わかっていた。
ゴア州に行く途中に通過するカルナタカ州も南インドである。
本当はこちらにも立ち寄りたかったのだが、時間の都合上今回の旅ではあきらめ、空路で直接ゴア州にアクセスすることにした。
宿の近くに旅行代理店があったので、翌日発のパンジム(ゴアの州都)行きの航空機チケットを購入した。
このチケットには問題が一つあった。
フライトの時間が早朝5:30だったのだ。
宿に戻りマルコスに相談したところ、4:00に宿を出発しないと間に合わないと言う。
この早朝時間に空港まで行ける公共交通機関はない。
「ちょっと待ってて。友人にオートリキシャーの運転手がいるから」
マルコスはそう言って、携帯電話で運転手と話し始めた。
「運転手は800(ルピー)と言っているが、構わないか?」
今までリキシャーの移動に800ルピーは使ったことがない金額だが、空港まで1時間近くかかることや早朝の時間帯でもあり、法外な金額と思えなかった。
「それで構わないよ」
これで手配が全て終わり一安心、あとは食事だ。
私は行きつけのレストランに向かった。
フォートコーチン滞在中は、毎日のように通っていた。
前回訪問時から、私にとってお気に入りの店だったのだ。
見晴らしのよい2階席に座り、食事とドリンクをオーダーする。
食事をしながら、価格も味も以前と変わっていないと感じた。
私はカレー屋の店主になったので、自分の作るカレーが本場と比較して味はどうなのか常日頃関心を持っている。
こちらインドの飲食店では、自分の店で出しているメニューと同じものを注文し、本場の料理人が作るものと、自分の店で作るものとを比較していた。
自分の作る味とほとんど同じだと感じたり、違いのあるものは、どこが違うのか探るように食べていた。
しかし、この店はお客が全然来ない。
価格設定が観光客用なので、地元のインド人は最初から来ない。
頼みの綱である欧米人観光客が全然来ないのだ。
味が良くても、それだけでは生き残れない。
自分も飲食店を経営しているので、この切ない状況は痛いほどよくわかる。
商売の厳しさはインドも日本も変わらない。
つくづく実感した。
食事を終えた私は荷物をバックパックにまとめ、早めに就寝した。
目覚まし時計で起床し、宿の玄関前に立った。
早朝4:00。
まだ周囲は真っ暗だ。
時間きっかりにオートリキシャーが迎えに来た。
運転手が車から降りてきて、わざわざマルコスを部屋まで呼びに行った。
マルコスは眠たげな目をこすりながら見送りをしてくれた。
1時間ほどの長距離ドライブ。
抜け道なのだろうか、運転手は狭い道を好んで走っていく。
やがて幹線道路に入り、リキシャーのスピードが上がっていった。
運転手はテンションが高く、気合が入っているようだった。
リキシャーの運賃相場は、近場のチョイ乗りで30~50ルピーだった。
だから今回のドライブは、一回でおそらく通常の一日以上の稼ぎができる、彼にとっては大チャンスなのである。
30分ほど走り続けたあと、運転手は行きつけのチャイ屋に寄った。
こんな早朝の時間でも営業している店があるのだ。
「まだフライトまで余裕がある。一休みしよう」
インドの朝焼けを見ながら飲んだチャイの味は格別だった。
チャイをすすりながら運転手は言った。
「マルコスは昔、神学校に通っていた。そして将来は神父になるはずだった」
彼は確かに献身的なところがあった。
それは神学校で培われたのだろうか。
だが彼は現在安宿のマネージャーで、毎日コマネズミのようにパタパタ動き回り働いている。
私は核心に触れる質問をした。
「何故マルコスは神父にならなかったのですか?」
彼は質問には答えず、「本人に会ったとき、聞いてみたらどうだ」と言った。
「本人に・・・ですか」
チャイを飲み終えたあと、10分ほどで空港に到着。
空港前で約束の金800ルピーを運転手に支払った。
彼は両手で紙幣を受け取ると頭上に高々とあげ、神への感謝を口にしていた。
やはり、インド人には大金なのである。
私は空港のロビーでフライトを待ちながら、マルコスの過去について思いをめぐらせていた。
彼の過去に何があったのだろうか。
私は彼に関する一つの情報を思い出した。
前回のインド訪問時にマルコスと出会い、帰国後facebookの申請をして繋がった。
Facebookの個人プロフィール欄には、自分の信仰する宗教を記入する欄がある。
彼の宗教欄には「無宗教」と書いてあったのだ。
神父を志していた人間が、わざわざ「無宗教」と書くからには、相当の理由があるのに違いない。
信仰を捨てる決定的な出来事があったのだろうか。
これは大変デリケートな問題で、不用意に踏み込んでいいものではない。
私は彼に質問することはないだろうな、と思った。
他人に対して無遠慮に聞いてはいけないことがある。
それは日本でも、インドでも同じである。
つづく
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