2019年11月11日(月)
2015年インド・スリランカ旅行記・20
旅行記×41
ホームステイ6日目の昼食。
ママ最後の料理は、キュウリのカレーだった。
キュウリは日本よりもサイズが大きくて、スイカのような模様がある。
どんな味なのか想像できなかったが、意表をついて抜群に美味しかった。
スライスしたキュウリはなめらかな舌触りで、メロンのような香りもココナッツミルクのカレーにとても合う。
今回の旅では海鮮系の料理を食べる機会が多かったが、野菜カレーも勉強することがたくさんありそうである。
ママ、美味しい料理をありがとう。
約束の時間に、スリーウィラー(スリランカの3輪タクシー)が私を迎えに来た。
「これを持っていきなさい」
ラリットから、お土産を受け取った。
ウンバラカダと呼ばれるカツオの天日干しである。
細かく砕いて豆や野菜のカレーに入れ、旨味調味料として使用する。
子供たち全員とラリット夫妻の家族総出で見送りをしてくれた。
「みなさん、ありがとう。お元気で」
走り出したスリーウィラーから振り返って日本語で叫んだ。
手をいっぱい振って、ラリット一家とお別れした。
涙は出なかったが、少し感傷的な気分になった。
5分ほど走り、着いたのがキンスリーの経営するゲストハウス。
ヒッカドゥワ滞在の最後の夜は、一観光客として気ままに過ごしてみたかった。
ホームパーティーで知り合いになったペーターがロビーにいた。
挨拶して、しばし世間話をする。
前日にスリヤンガと会ったときに「明日の晩に泊まるホテルを探しているですが」
と相談したところ、彼から大笑いされた。
「ホームパーティーのあった晩の会話を覚えていないの?キンスリーが部屋が一つ空いているから、泊まっていいよって」
「私は何と言っていたのでしょう?」
「あなたは・・・ラッキーだ!ぜひお願いします、って言ってたよ」
「そんな会話があったなんて、全く記憶にないです。ああ良かった。あはは」
そんな重要な話がされていたとは、あの時は酔っぱらっていて全く気づかなかった。
夕食はスリヤンガ夫妻がゲストハウスに来てくれて、地元の人たちがよく食べに来るという店に連れて行ってもらい、コッティをご馳走になった。
コッティは水で溶いた小麦粉を野菜や肉と混ぜ、お好み焼きのように焼いた後、スキッパーでバラバラにして食べる炒飯のような外見の料理だ。
少し油っぽくジャンクな料理だけれども、ビールを飲みながら一緒に食べると最高にウマい!
この店は繁盛店なので、ひっきりなしにオーダーが入る。
厨房からリズミカルな音が聞こえてくる。
スキッパーの刃が鉄板とぶつかり、料理人が音楽を奏でるようにタタタン・タタタン・カッカッカッと心地よい作業音を鳴らしている。
翌日の昼。
フライトの関係で、その日のうちにコロンボに移動しなければならない。
その前に、私には最後に行く場所が一つだけあった。
迎えに来たスリーウィラーの運転手に住所を伝え、目的地に向かった。
最後にもう一度、スリヤンガ宅で昼食を御馳走になるためだ。
本来のプランにはなかったのだが、あまりにも料理が美味しかったので、もう一度調理工程を見せてもらえませんか、と私がレイコさんにわがままを言ったのだ。
応じてくれて感謝である。
干し魚のカレー
空心菜、大根、しし唐のテルダーラ(野菜炒め)3種
パパダム(揚げた豆の煎餅)
ライスとカレー、副菜を混ぜながら食べる。
やっぱり美味しい。
レイコさんの手料理は、スリヤンガの母親直伝である。
彼いわく、完璧にスリランカの味になっているとのこと。
レイコさんは何度も彼の母親に教えを乞い、スリランカ人好みの味付けを習得したのだという。
「そうだ」
食事をしながら、私は大切なことを思い出した。
レイコさんにメッセージを伝えよう。
「ラリットさんが気になることを言ってましたよ」
「えっ?私のこと?」
「はい。スリヤンガの奥さんは地元の行事に積極的に顔を出している、周囲の評判がいいって」
「あら、彼はそんなことを言ってましたか。嬉しいですね」
「お世辞とかではなく、彼の本音だったと思います」
「スリランカの人たちは、私たち外国人居住者のことをよーく観察してます」
欧米人は個人のライフスタイルを追求するあまり、地元の人たちとの付き合いを避ける傾向があるらしい。
彼女がスリランカの地域社会に溶け込む努力をして、根を降ろして生きているのが、私にはしっかり伝わった。
コロンボ行きの列車が来る時間が近づいてきた。
スリヤンガの車でヒッカドゥワ駅まで送ってもらった。
「いつでも遊びに来てね。いつか、北海道のあなたの店に行ってみたいな」
ありがとう、スリヤンガ。
「是非北海道へ来てください。お世話になりました。また来ますね」
長かった旅も、そろそろ終わりである。
ヒッカドゥワで出会った人たちは、みんな感じの良い人たちばかりだった。
不快な思いは一度もなかった。
スリヤンガ夫妻を通じて人間関係が広がってくると、この街に情が湧いてくる。
滞在期間が長くなるほど居心地がどんどんよくなっていった。
スリランカに来る機会があれば、またヒッカドゥワに寄るんだろうな、と思った。
そして3年後に私はヒッカドゥワへ戻って来るのだが、それはまた別の話。
2015年インド・スリランカ旅行記 終わり
ママ最後の料理は、キュウリのカレーだった。
キュウリは日本よりもサイズが大きくて、スイカのような模様がある。
どんな味なのか想像できなかったが、意表をついて抜群に美味しかった。
スライスしたキュウリはなめらかな舌触りで、メロンのような香りもココナッツミルクのカレーにとても合う。
今回の旅では海鮮系の料理を食べる機会が多かったが、野菜カレーも勉強することがたくさんありそうである。
ママ、美味しい料理をありがとう。
約束の時間に、スリーウィラー(スリランカの3輪タクシー)が私を迎えに来た。
「これを持っていきなさい」
ラリットから、お土産を受け取った。
ウンバラカダと呼ばれるカツオの天日干しである。
細かく砕いて豆や野菜のカレーに入れ、旨味調味料として使用する。
子供たち全員とラリット夫妻の家族総出で見送りをしてくれた。
「みなさん、ありがとう。お元気で」
走り出したスリーウィラーから振り返って日本語で叫んだ。
手をいっぱい振って、ラリット一家とお別れした。
涙は出なかったが、少し感傷的な気分になった。
5分ほど走り、着いたのがキンスリーの経営するゲストハウス。
ヒッカドゥワ滞在の最後の夜は、一観光客として気ままに過ごしてみたかった。
ホームパーティーで知り合いになったペーターがロビーにいた。
挨拶して、しばし世間話をする。
前日にスリヤンガと会ったときに「明日の晩に泊まるホテルを探しているですが」
と相談したところ、彼から大笑いされた。
「ホームパーティーのあった晩の会話を覚えていないの?キンスリーが部屋が一つ空いているから、泊まっていいよって」
「私は何と言っていたのでしょう?」
「あなたは・・・ラッキーだ!ぜひお願いします、って言ってたよ」
「そんな会話があったなんて、全く記憶にないです。ああ良かった。あはは」
そんな重要な話がされていたとは、あの時は酔っぱらっていて全く気づかなかった。
夕食はスリヤンガ夫妻がゲストハウスに来てくれて、地元の人たちがよく食べに来るという店に連れて行ってもらい、コッティをご馳走になった。
コッティは水で溶いた小麦粉を野菜や肉と混ぜ、お好み焼きのように焼いた後、スキッパーでバラバラにして食べる炒飯のような外見の料理だ。
少し油っぽくジャンクな料理だけれども、ビールを飲みながら一緒に食べると最高にウマい!
この店は繁盛店なので、ひっきりなしにオーダーが入る。
厨房からリズミカルな音が聞こえてくる。
スキッパーの刃が鉄板とぶつかり、料理人が音楽を奏でるようにタタタン・タタタン・カッカッカッと心地よい作業音を鳴らしている。
翌日の昼。
フライトの関係で、その日のうちにコロンボに移動しなければならない。
その前に、私には最後に行く場所が一つだけあった。
迎えに来たスリーウィラーの運転手に住所を伝え、目的地に向かった。
最後にもう一度、スリヤンガ宅で昼食を御馳走になるためだ。
本来のプランにはなかったのだが、あまりにも料理が美味しかったので、もう一度調理工程を見せてもらえませんか、と私がレイコさんにわがままを言ったのだ。
応じてくれて感謝である。
干し魚のカレー
空心菜、大根、しし唐のテルダーラ(野菜炒め)3種
パパダム(揚げた豆の煎餅)
ライスとカレー、副菜を混ぜながら食べる。
やっぱり美味しい。
レイコさんの手料理は、スリヤンガの母親直伝である。
彼いわく、完璧にスリランカの味になっているとのこと。
レイコさんは何度も彼の母親に教えを乞い、スリランカ人好みの味付けを習得したのだという。
「そうだ」
食事をしながら、私は大切なことを思い出した。
レイコさんにメッセージを伝えよう。
「ラリットさんが気になることを言ってましたよ」
「えっ?私のこと?」
「はい。スリヤンガの奥さんは地元の行事に積極的に顔を出している、周囲の評判がいいって」
「あら、彼はそんなことを言ってましたか。嬉しいですね」
「お世辞とかではなく、彼の本音だったと思います」
「スリランカの人たちは、私たち外国人居住者のことをよーく観察してます」
欧米人は個人のライフスタイルを追求するあまり、地元の人たちとの付き合いを避ける傾向があるらしい。
彼女がスリランカの地域社会に溶け込む努力をして、根を降ろして生きているのが、私にはしっかり伝わった。
コロンボ行きの列車が来る時間が近づいてきた。
スリヤンガの車でヒッカドゥワ駅まで送ってもらった。
「いつでも遊びに来てね。いつか、北海道のあなたの店に行ってみたいな」
ありがとう、スリヤンガ。
「是非北海道へ来てください。お世話になりました。また来ますね」
長かった旅も、そろそろ終わりである。
ヒッカドゥワで出会った人たちは、みんな感じの良い人たちばかりだった。
不快な思いは一度もなかった。
スリヤンガ夫妻を通じて人間関係が広がってくると、この街に情が湧いてくる。
滞在期間が長くなるほど居心地がどんどんよくなっていった。
スリランカに来る機会があれば、またヒッカドゥワに寄るんだろうな、と思った。
そして3年後に私はヒッカドゥワへ戻って来るのだが、それはまた別の話。
2015年インド・スリランカ旅行記 終わり
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