2019年11月17日(日)
2018年インド旅行記・6
旅行記×41
カルナタカ州西の港町マンガロールは食の都として知られており、海鮮料理が評判らしかった。
とても訪問を楽しみにしていたのだが、同じホテルでまる2日寝こんでしまうことになる。
バンガロールで崩した体調が戻らないのだ。
料理も軽食や果物、ルームサービスのスープ類しか体が受け付けない。
ここで長居を続けると、予約していたフライトに乗れない可能性が出てくる。
今回の旅の目的地に、ハイデラバードがあった。
インドはあまりにも広大なので、全て陸路で移動すると日程的に無理が生じてしまう。
ゴアからハイデラバード、ハイデラバードからチェンナイの区間を空路で移動するしかないと私は考えていた。
こうして国内線のフライトを予約して日時が確定していたため、一か所に長く滞在できない事情があった。
2月7日
マンガロール滞在最後の日。
バスの出発時間に少し余裕があったので、庶民的な食堂に行ってみた。
英語のメニューがないので、自分の隣で食べている客と同じものを出してほしい、と店員にリクエスト。
魚のフライがついた定食が出てきた。
2日ぶりに食べたスパイス料理は、とびきり美味しく感じ、強く印象に残った。
もっとマンガロールの料理を食べたかったな・・・
カルナタカ州の旅は途中で体調を崩してしまい、悔いが残る形で終わってしまった。
いつかまた、ここへ来よう。
マンガロールからゴアまでの区間は、想像以上に交通事情がよくなかった。
ゴア行のバスの本数が極端に少ないのだ。
うまくバスを乗り継いでも、当日中にはゴアには行けないことがわかってきた。
途中どこかでの一泊を覚悟した。
地図で見る分には近く見えても、現地に行くと道路事情が悪く、遠回りしたほうが目的地に早く着いてしまうことがある。
わかっていたとはいえ、インドの旅はなかなか思惑通りに進まない。
ゴアに向かう旅の途中、乗り継ぎのため寄った小さな町のバスターミナル。
私はベンチに腰掛け、バスの発車を待っていた。
「あなたは日本人ですか」
日本語で話しかけられた。
私の目の前に、長身の白人青年が立っていた。
フランス人の若者、ビンセントである。
彼もゴアに行く途中だったので同じバスに乗った。
彼は日本語で話したがっていたので、ある程度までは付き合い、意味が通じていない表情をしているときに英語で意味を補足した。
車内で日本語と英語のチャンポン会話が始まった。
ビンセントはフランス東部の都市、ストラスブール出身。
東京の大学に留学中で、日本語が半分くらいわかる。
彼は日本の政治や歴史に興味があるので、もっと深く勉強したくて留学を決めた。
フランスに戻ったら公務員試験を受ける予定となっており、将来官僚になるために勉強しているということだ。
「さっき日本語で話しかけてきたよね。なぜ、私が日本人だとわかったの?」
先ほど感じた疑問を彼に聞いてみた。
「一人で旅行している東洋人は、たいてい日本人です。他国の東洋人は必ずグループで行動しますから」
「そうなのか。そんな風に見えるんだ」
よく見ているな、と感心する。
結局、ゴカルナという田舎街で一泊することになった。
夕食をビンセントと一緒に取った。
「明日、南ゴアのパロレムに行こうと思っている」と私が言った。
「私も行ってみたいです。でも、ここにビーチがあるので2~3日滞在していきます」と彼が言うので、握手をして別れたのだった。
つづく
とても訪問を楽しみにしていたのだが、同じホテルでまる2日寝こんでしまうことになる。
バンガロールで崩した体調が戻らないのだ。
料理も軽食や果物、ルームサービスのスープ類しか体が受け付けない。
ここで長居を続けると、予約していたフライトに乗れない可能性が出てくる。
今回の旅の目的地に、ハイデラバードがあった。
インドはあまりにも広大なので、全て陸路で移動すると日程的に無理が生じてしまう。
ゴアからハイデラバード、ハイデラバードからチェンナイの区間を空路で移動するしかないと私は考えていた。
こうして国内線のフライトを予約して日時が確定していたため、一か所に長く滞在できない事情があった。
2月7日
マンガロール滞在最後の日。
バスの出発時間に少し余裕があったので、庶民的な食堂に行ってみた。
英語のメニューがないので、自分の隣で食べている客と同じものを出してほしい、と店員にリクエスト。
魚のフライがついた定食が出てきた。
2日ぶりに食べたスパイス料理は、とびきり美味しく感じ、強く印象に残った。
もっとマンガロールの料理を食べたかったな・・・
カルナタカ州の旅は途中で体調を崩してしまい、悔いが残る形で終わってしまった。
いつかまた、ここへ来よう。
マンガロールからゴアまでの区間は、想像以上に交通事情がよくなかった。
ゴア行のバスの本数が極端に少ないのだ。
うまくバスを乗り継いでも、当日中にはゴアには行けないことがわかってきた。
途中どこかでの一泊を覚悟した。
地図で見る分には近く見えても、現地に行くと道路事情が悪く、遠回りしたほうが目的地に早く着いてしまうことがある。
わかっていたとはいえ、インドの旅はなかなか思惑通りに進まない。
ゴアに向かう旅の途中、乗り継ぎのため寄った小さな町のバスターミナル。
私はベンチに腰掛け、バスの発車を待っていた。
「あなたは日本人ですか」
日本語で話しかけられた。
私の目の前に、長身の白人青年が立っていた。
フランス人の若者、ビンセントである。
彼もゴアに行く途中だったので同じバスに乗った。
彼は日本語で話したがっていたので、ある程度までは付き合い、意味が通じていない表情をしているときに英語で意味を補足した。
車内で日本語と英語のチャンポン会話が始まった。
ビンセントはフランス東部の都市、ストラスブール出身。
東京の大学に留学中で、日本語が半分くらいわかる。
彼は日本の政治や歴史に興味があるので、もっと深く勉強したくて留学を決めた。
フランスに戻ったら公務員試験を受ける予定となっており、将来官僚になるために勉強しているということだ。
「さっき日本語で話しかけてきたよね。なぜ、私が日本人だとわかったの?」
先ほど感じた疑問を彼に聞いてみた。
「一人で旅行している東洋人は、たいてい日本人です。他国の東洋人は必ずグループで行動しますから」
「そうなのか。そんな風に見えるんだ」
よく見ているな、と感心する。
結局、ゴカルナという田舎街で一泊することになった。
夕食をビンセントと一緒に取った。
「明日、南ゴアのパロレムに行こうと思っている」と私が言った。
「私も行ってみたいです。でも、ここにビーチがあるので2~3日滞在していきます」と彼が言うので、握手をして別れたのだった。
つづく
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