旅行記(41)
2019年11月12日(火)
2018年インド旅行記・1
旅行記×41
1月29日
3年ぶりの南インドとスリランカ、40日間の旅が始まった。
そのうちインドの旅は30日間の予定だ。
これだけの日数でも、時間が全然足りないと感じる。
私にとっては、少し駆け足気味の日程なのである。
インドは何度も旅しているので、国土の巨大さ広大さは理解しているつもりだ。
今回は南インド全州、つまりケララ、タミルナドゥ、カルナタカ、ゴア、アンドラプラデシュを訪問することに決めていた。
日本料理においても東西の味付けの違いはもちろん、各都道府県独特の料理がある。
当然、南インドも料理に地域性がある。
全ての州を回り、各州の料理の違いを体感したいという思いがあった。
私の南インドの旅は、ケララ州コーチンから始めるようにしている。
大好きな街だからというのもあるし、知り合いが何人か出来ているので、まず最初に彼らに会いたいからだ。
1月30日
コーチンに来て、まず最初に感じたこと。
そして、このあと何度も痛感したこと。
3年という月日は、物事を大きく変えてしまう。
前回の訪問時との大きな違い。
最初に私が気づいたのは、スマートフォン(スマホ)の爆発的な普及だ。
移動途中で見る人々の様子は、日本でもおなじみの光景。
どこへ行っても老若男女、みなシャカシャカとスマホへ指先を動かしている。
空港からフォートコーチンへの移動は、直行バスを利用する。
一番安く移動できる手段を迷わずに選択。
ここに来るのは通算4回目で、交通アクセスで悩むことは全くない。
目的地のフォートコーチンに到着後、最初に行うことは宿探しだ。
前回泊まった宿に向かったが満室だったので、スタッフに近くにある同じ経営者の宿を紹介してもらった。
フロントで宿泊代の交渉をするが、なかなか安くならない。
「私はあなたを知っていますよ。5年前に料理教室に参加した日本人です。私を覚えていませんか、ディプ?」
自分の名前を呼ばれ、男の顔色が変わった。
「思い出した!君は友人だ。わかった。宿代を安くしよう」
「以前のように、奥様から料理を習うことができますか」
私が相談すると「もちろん!」と快諾。
翌日から2日間また料理教室をやってもらえることになった。
「マルコスはいますか?」
ディプに聞いてみた。
「ノー」
ここで働いているわけではないようだ。
「彼に伝えておくよ。近いうちに彼が君に会いに来るだろう」
どこで誰が何をしているのか把握しているようだ。
部屋で小休止したあと、お土産を持参してスニが働く高級ブティックに向かった。
前回の訪問から、もう3年も経ったのか、早いものだ・・・
突然私が店にやってきたら驚くだろうと思い、彼らには事前に連絡していなかった。
シャンやスニはいるだろうか?
どちらかが店番をしているはずだ。
二人とも元気かな。
「あれ?」
おかしい。
以前あった場所に間違いなく来ていたのだが、店の看板が消えていた。
店内はもぬけの殻で、空きテナントになっていたのだ。
「ウソだろ!?」
つづく
3年ぶりの南インドとスリランカ、40日間の旅が始まった。
そのうちインドの旅は30日間の予定だ。
これだけの日数でも、時間が全然足りないと感じる。
私にとっては、少し駆け足気味の日程なのである。
インドは何度も旅しているので、国土の巨大さ広大さは理解しているつもりだ。
今回は南インド全州、つまりケララ、タミルナドゥ、カルナタカ、ゴア、アンドラプラデシュを訪問することに決めていた。
日本料理においても東西の味付けの違いはもちろん、各都道府県独特の料理がある。
当然、南インドも料理に地域性がある。
全ての州を回り、各州の料理の違いを体感したいという思いがあった。
私の南インドの旅は、ケララ州コーチンから始めるようにしている。
大好きな街だからというのもあるし、知り合いが何人か出来ているので、まず最初に彼らに会いたいからだ。
1月30日
コーチンに来て、まず最初に感じたこと。
そして、このあと何度も痛感したこと。
3年という月日は、物事を大きく変えてしまう。
前回の訪問時との大きな違い。
最初に私が気づいたのは、スマートフォン(スマホ)の爆発的な普及だ。
移動途中で見る人々の様子は、日本でもおなじみの光景。
どこへ行っても老若男女、みなシャカシャカとスマホへ指先を動かしている。
空港からフォートコーチンへの移動は、直行バスを利用する。
一番安く移動できる手段を迷わずに選択。
ここに来るのは通算4回目で、交通アクセスで悩むことは全くない。
目的地のフォートコーチンに到着後、最初に行うことは宿探しだ。
前回泊まった宿に向かったが満室だったので、スタッフに近くにある同じ経営者の宿を紹介してもらった。
フロントで宿泊代の交渉をするが、なかなか安くならない。
「私はあなたを知っていますよ。5年前に料理教室に参加した日本人です。私を覚えていませんか、ディプ?」
自分の名前を呼ばれ、男の顔色が変わった。
「思い出した!君は友人だ。わかった。宿代を安くしよう」
「以前のように、奥様から料理を習うことができますか」
私が相談すると「もちろん!」と快諾。
翌日から2日間また料理教室をやってもらえることになった。
「マルコスはいますか?」
ディプに聞いてみた。
「ノー」
ここで働いているわけではないようだ。
「彼に伝えておくよ。近いうちに彼が君に会いに来るだろう」
どこで誰が何をしているのか把握しているようだ。
部屋で小休止したあと、お土産を持参してスニが働く高級ブティックに向かった。
前回の訪問から、もう3年も経ったのか、早いものだ・・・
突然私が店にやってきたら驚くだろうと思い、彼らには事前に連絡していなかった。
シャンやスニはいるだろうか?
どちらかが店番をしているはずだ。
二人とも元気かな。
「あれ?」
おかしい。
以前あった場所に間違いなく来ていたのだが、店の看板が消えていた。
店内はもぬけの殻で、空きテナントになっていたのだ。
「ウソだろ!?」
つづく
2019年11月11日(月)
2015年インド・スリランカ旅行記・20
旅行記×41
ホームステイ6日目の昼食。
ママ最後の料理は、キュウリのカレーだった。
キュウリは日本よりもサイズが大きくて、スイカのような模様がある。
どんな味なのか想像できなかったが、意表をついて抜群に美味しかった。
スライスしたキュウリはなめらかな舌触りで、メロンのような香りもココナッツミルクのカレーにとても合う。
今回の旅では海鮮系の料理を食べる機会が多かったが、野菜カレーも勉強することがたくさんありそうである。
ママ、美味しい料理をありがとう。
約束の時間に、スリーウィラー(スリランカの3輪タクシー)が私を迎えに来た。
「これを持っていきなさい」
ラリットから、お土産を受け取った。
ウンバラカダと呼ばれるカツオの天日干しである。
細かく砕いて豆や野菜のカレーに入れ、旨味調味料として使用する。
子供たち全員とラリット夫妻の家族総出で見送りをしてくれた。
「みなさん、ありがとう。お元気で」
走り出したスリーウィラーから振り返って日本語で叫んだ。
手をいっぱい振って、ラリット一家とお別れした。
涙は出なかったが、少し感傷的な気分になった。
5分ほど走り、着いたのがキンスリーの経営するゲストハウス。
ヒッカドゥワ滞在の最後の夜は、一観光客として気ままに過ごしてみたかった。
ホームパーティーで知り合いになったペーターがロビーにいた。
挨拶して、しばし世間話をする。
前日にスリヤンガと会ったときに「明日の晩に泊まるホテルを探しているですが」
と相談したところ、彼から大笑いされた。
「ホームパーティーのあった晩の会話を覚えていないの?キンスリーが部屋が一つ空いているから、泊まっていいよって」
「私は何と言っていたのでしょう?」
「あなたは・・・ラッキーだ!ぜひお願いします、って言ってたよ」
「そんな会話があったなんて、全く記憶にないです。ああ良かった。あはは」
そんな重要な話がされていたとは、あの時は酔っぱらっていて全く気づかなかった。
夕食はスリヤンガ夫妻がゲストハウスに来てくれて、地元の人たちがよく食べに来るという店に連れて行ってもらい、コッティをご馳走になった。
コッティは水で溶いた小麦粉を野菜や肉と混ぜ、お好み焼きのように焼いた後、スキッパーでバラバラにして食べる炒飯のような外見の料理だ。
少し油っぽくジャンクな料理だけれども、ビールを飲みながら一緒に食べると最高にウマい!
この店は繁盛店なので、ひっきりなしにオーダーが入る。
厨房からリズミカルな音が聞こえてくる。
スキッパーの刃が鉄板とぶつかり、料理人が音楽を奏でるようにタタタン・タタタン・カッカッカッと心地よい作業音を鳴らしている。
翌日の昼。
フライトの関係で、その日のうちにコロンボに移動しなければならない。
その前に、私には最後に行く場所が一つだけあった。
迎えに来たスリーウィラーの運転手に住所を伝え、目的地に向かった。
最後にもう一度、スリヤンガ宅で昼食を御馳走になるためだ。
本来のプランにはなかったのだが、あまりにも料理が美味しかったので、もう一度調理工程を見せてもらえませんか、と私がレイコさんにわがままを言ったのだ。
応じてくれて感謝である。
干し魚のカレー
空心菜、大根、しし唐のテルダーラ(野菜炒め)3種
パパダム(揚げた豆の煎餅)
ライスとカレー、副菜を混ぜながら食べる。
やっぱり美味しい。
レイコさんの手料理は、スリヤンガの母親直伝である。
彼いわく、完璧にスリランカの味になっているとのこと。
レイコさんは何度も彼の母親に教えを乞い、スリランカ人好みの味付けを習得したのだという。
「そうだ」
食事をしながら、私は大切なことを思い出した。
レイコさんにメッセージを伝えよう。
「ラリットさんが気になることを言ってましたよ」
「えっ?私のこと?」
「はい。スリヤンガの奥さんは地元の行事に積極的に顔を出している、周囲の評判がいいって」
「あら、彼はそんなことを言ってましたか。嬉しいですね」
「お世辞とかではなく、彼の本音だったと思います」
「スリランカの人たちは、私たち外国人居住者のことをよーく観察してます」
欧米人は個人のライフスタイルを追求するあまり、地元の人たちとの付き合いを避ける傾向があるらしい。
彼女がスリランカの地域社会に溶け込む努力をして、根を降ろして生きているのが、私にはしっかり伝わった。
コロンボ行きの列車が来る時間が近づいてきた。
スリヤンガの車でヒッカドゥワ駅まで送ってもらった。
「いつでも遊びに来てね。いつか、北海道のあなたの店に行ってみたいな」
ありがとう、スリヤンガ。
「是非北海道へ来てください。お世話になりました。また来ますね」
長かった旅も、そろそろ終わりである。
ヒッカドゥワで出会った人たちは、みんな感じの良い人たちばかりだった。
不快な思いは一度もなかった。
スリヤンガ夫妻を通じて人間関係が広がってくると、この街に情が湧いてくる。
滞在期間が長くなるほど居心地がどんどんよくなっていった。
スリランカに来る機会があれば、またヒッカドゥワに寄るんだろうな、と思った。
そして3年後に私はヒッカドゥワへ戻って来るのだが、それはまた別の話。
2015年インド・スリランカ旅行記 終わり
ママ最後の料理は、キュウリのカレーだった。
キュウリは日本よりもサイズが大きくて、スイカのような模様がある。
どんな味なのか想像できなかったが、意表をついて抜群に美味しかった。
スライスしたキュウリはなめらかな舌触りで、メロンのような香りもココナッツミルクのカレーにとても合う。
今回の旅では海鮮系の料理を食べる機会が多かったが、野菜カレーも勉強することがたくさんありそうである。
ママ、美味しい料理をありがとう。
約束の時間に、スリーウィラー(スリランカの3輪タクシー)が私を迎えに来た。
「これを持っていきなさい」
ラリットから、お土産を受け取った。
ウンバラカダと呼ばれるカツオの天日干しである。
細かく砕いて豆や野菜のカレーに入れ、旨味調味料として使用する。
子供たち全員とラリット夫妻の家族総出で見送りをしてくれた。
「みなさん、ありがとう。お元気で」
走り出したスリーウィラーから振り返って日本語で叫んだ。
手をいっぱい振って、ラリット一家とお別れした。
涙は出なかったが、少し感傷的な気分になった。
5分ほど走り、着いたのがキンスリーの経営するゲストハウス。
ヒッカドゥワ滞在の最後の夜は、一観光客として気ままに過ごしてみたかった。
ホームパーティーで知り合いになったペーターがロビーにいた。
挨拶して、しばし世間話をする。
前日にスリヤンガと会ったときに「明日の晩に泊まるホテルを探しているですが」
と相談したところ、彼から大笑いされた。
「ホームパーティーのあった晩の会話を覚えていないの?キンスリーが部屋が一つ空いているから、泊まっていいよって」
「私は何と言っていたのでしょう?」
「あなたは・・・ラッキーだ!ぜひお願いします、って言ってたよ」
「そんな会話があったなんて、全く記憶にないです。ああ良かった。あはは」
そんな重要な話がされていたとは、あの時は酔っぱらっていて全く気づかなかった。
夕食はスリヤンガ夫妻がゲストハウスに来てくれて、地元の人たちがよく食べに来るという店に連れて行ってもらい、コッティをご馳走になった。
コッティは水で溶いた小麦粉を野菜や肉と混ぜ、お好み焼きのように焼いた後、スキッパーでバラバラにして食べる炒飯のような外見の料理だ。
少し油っぽくジャンクな料理だけれども、ビールを飲みながら一緒に食べると最高にウマい!
この店は繁盛店なので、ひっきりなしにオーダーが入る。
厨房からリズミカルな音が聞こえてくる。
スキッパーの刃が鉄板とぶつかり、料理人が音楽を奏でるようにタタタン・タタタン・カッカッカッと心地よい作業音を鳴らしている。
翌日の昼。
フライトの関係で、その日のうちにコロンボに移動しなければならない。
その前に、私には最後に行く場所が一つだけあった。
迎えに来たスリーウィラーの運転手に住所を伝え、目的地に向かった。
最後にもう一度、スリヤンガ宅で昼食を御馳走になるためだ。
本来のプランにはなかったのだが、あまりにも料理が美味しかったので、もう一度調理工程を見せてもらえませんか、と私がレイコさんにわがままを言ったのだ。
応じてくれて感謝である。
干し魚のカレー
空心菜、大根、しし唐のテルダーラ(野菜炒め)3種
パパダム(揚げた豆の煎餅)
ライスとカレー、副菜を混ぜながら食べる。
やっぱり美味しい。
レイコさんの手料理は、スリヤンガの母親直伝である。
彼いわく、完璧にスリランカの味になっているとのこと。
レイコさんは何度も彼の母親に教えを乞い、スリランカ人好みの味付けを習得したのだという。
「そうだ」
食事をしながら、私は大切なことを思い出した。
レイコさんにメッセージを伝えよう。
「ラリットさんが気になることを言ってましたよ」
「えっ?私のこと?」
「はい。スリヤンガの奥さんは地元の行事に積極的に顔を出している、周囲の評判がいいって」
「あら、彼はそんなことを言ってましたか。嬉しいですね」
「お世辞とかではなく、彼の本音だったと思います」
「スリランカの人たちは、私たち外国人居住者のことをよーく観察してます」
欧米人は個人のライフスタイルを追求するあまり、地元の人たちとの付き合いを避ける傾向があるらしい。
彼女がスリランカの地域社会に溶け込む努力をして、根を降ろして生きているのが、私にはしっかり伝わった。
コロンボ行きの列車が来る時間が近づいてきた。
スリヤンガの車でヒッカドゥワ駅まで送ってもらった。
「いつでも遊びに来てね。いつか、北海道のあなたの店に行ってみたいな」
ありがとう、スリヤンガ。
「是非北海道へ来てください。お世話になりました。また来ますね」
長かった旅も、そろそろ終わりである。
ヒッカドゥワで出会った人たちは、みんな感じの良い人たちばかりだった。
不快な思いは一度もなかった。
スリヤンガ夫妻を通じて人間関係が広がってくると、この街に情が湧いてくる。
滞在期間が長くなるほど居心地がどんどんよくなっていった。
スリランカに来る機会があれば、またヒッカドゥワに寄るんだろうな、と思った。
そして3年後に私はヒッカドゥワへ戻って来るのだが、それはまた別の話。
2015年インド・スリランカ旅行記 終わり
2019年11月10日(日)
2015年インド・スリランカ旅行記・19
旅行記×41
ホームステイ5日目の朝は小雨だった。
朝食を終えた後、ママが私に提案する。
「あなた、仏教徒よね。まだお寺にお参りに行ってないでしょう?近くにあるので行ってみたら」
次男イシャンと4女ギトゥミニと私の3人で、地元の人たちが参拝する寺に向かった。
もちろんギトゥミニは全裸ではなく、可愛らしいワンピースを着ている。
線路に沿って、時には線路の上を歩く。
私たちだけでなく、地元の人たちも同じように線路の上を歩いている。
踏み切りもない。
日本ではありえない光景。
のんきな感じが南国的でとてもいい。
15分くらいでお寺に着いた。
雨の中にもかかわらず、屋外の仏塔では真摯に手を合わせ祈っている参拝客を多く見かける。
私は自分が仏教徒と思っているが、信心の度合いが随分違う。
寺の中に入り、仏像を拝む。
相場をイシャンに聞いた後に、気持ち多めにお布施をした。
拝観を終えて、魂が浄化されたような気分になった。
昼時にスリヤンガが私の様子を見に、ラリット宅に現れた。
「どう?料理の勉強うまくいってますか」
笑いながら聞いてくる。
「ママの作る料理はとても美味しい。この人に習うことが出来て、私は幸運だった」
そう私が答えたのは、本心だったからである。
ママのおかげで、スリランカの伝統的な料理を色々な調理法で見ることが出来た。
できるだけ多くの料理を、遠い日本からやって来た私に見てもらおう。
彼女はかなり考えて、毎日の献立を用意していたのだと思う。
「ねえ、スリヤンガ。シンハラ語で今私が言ったことを、彼女に正確に伝えてもらえないかな?」
「わかった」
スリヤンガはママに話しかけた。
ママは私のほうを見ながら嬉しそうにうなずくのを見て、このホームステイは成功だったと感じた。
この日の昼食はスリヤンガの実家で、彼の母親の料理をいただく。
うなるほど美味しい。
特にアンブルティヤル(魚の煮付け)が絶品だった。
燻製のような香りと酸味、黒コショウの辛味が一体となっている。
初めて食べる味だったが、ライスと混ぜると抜群の相性で食べ始めたら止まらなくなる。
同じように見える家庭料理でも、各家庭で微妙に味付けが異なることを実感できた。
これを知れたのも大きな収穫だった。
この食事の機会も、スリヤンガが気を効かせてくれてセットしたのだろう。
ラリット宅に戻り、ホームステイ最後の晩。
夕食は私がチキンカレーを作り、ラリット一家に振る舞うことになっていた。
私が市場で鶏肉を調達して、ママに下処理を頼んだ。
ママはいつも通り、スリランカの味付けでカレーを作る。
そして私はママの横で、別のカレーを作り始める。
私には秘密兵器があった。
日本から持ち込んだカレー粉「ハウスこくまろ」である。
なぜ「こくまろ」なのか?
成田空港に行く前に寄ったコンビニでは、こくまろしか売っていなかったのだ!
「ママ、日本とスリランカのカレーの食べ比べをしましょう」
昔、私がTVで良く見ていた「ウルルン滞在記」
日本人タレントが海外で一週間ほどホストファミリーたちにお世話になり、異文化コミュニケーションを楽しむ、という当時の人気番組だ。
お世話になった日本人は滞在最終日の夜に何かお返しをする、という演出があった。
日本食を作って、ホストファミリーに食べてもらうパターンが多かったような気がする。
コレの真似を私は一回やってみたかった。
調理が終わり、お互いのカレーを味見した。
ママのチキンカレーは相変わらず美味しい。
「あれ?」
ママは珍しく、私のカレーを本格的に食べ始めた。
本来であれば、先に夫、次に子供たち、一番最後に食事をするのがママのはずなのだ。
私がママが食事をするところを一度も見たことがなかったので、「いつ食べているの?」と聞いたら彼女が教えてくれたのである。
この日本カレーは本当に美味しいと感じてくれたようである。
「子供たちが全部食べてしまうから、その前に少し食べておきたいのよね」
タイミングよく帰宅したラリットも実食に参加。
「めちゃくちゃ美味いな、コレ」と言っている。
2人とも手で日本のカレーを食べている光景は、見ていて不思議な気分だった。
「ねえ、この日本のカレー用のスパイスは、どこで手に入るのかしら?」
ママが興味深々に私に尋ねる。
「うーーーん。日本ではどこでも買えるのですが、スリランカでは・・・ちょっとわかりません」
「そう・・・」残念そうな表情のママ。
日本式カレーがスリランカの人たちに受け入れてもらえたようで嬉しかった。
だが、私は玉ねぎと鶏肉を炒めた後に、水を入れてカレールゥを放り込んだだけである。
これが料理と言えるのか?
ちょっと申し訳ない気分も・・・正直ある。
つづく
朝食を終えた後、ママが私に提案する。
「あなた、仏教徒よね。まだお寺にお参りに行ってないでしょう?近くにあるので行ってみたら」
次男イシャンと4女ギトゥミニと私の3人で、地元の人たちが参拝する寺に向かった。
もちろんギトゥミニは全裸ではなく、可愛らしいワンピースを着ている。
線路に沿って、時には線路の上を歩く。
私たちだけでなく、地元の人たちも同じように線路の上を歩いている。
踏み切りもない。
日本ではありえない光景。
のんきな感じが南国的でとてもいい。
15分くらいでお寺に着いた。
雨の中にもかかわらず、屋外の仏塔では真摯に手を合わせ祈っている参拝客を多く見かける。
私は自分が仏教徒と思っているが、信心の度合いが随分違う。
寺の中に入り、仏像を拝む。
相場をイシャンに聞いた後に、気持ち多めにお布施をした。
拝観を終えて、魂が浄化されたような気分になった。
昼時にスリヤンガが私の様子を見に、ラリット宅に現れた。
「どう?料理の勉強うまくいってますか」
笑いながら聞いてくる。
「ママの作る料理はとても美味しい。この人に習うことが出来て、私は幸運だった」
そう私が答えたのは、本心だったからである。
ママのおかげで、スリランカの伝統的な料理を色々な調理法で見ることが出来た。
できるだけ多くの料理を、遠い日本からやって来た私に見てもらおう。
彼女はかなり考えて、毎日の献立を用意していたのだと思う。
「ねえ、スリヤンガ。シンハラ語で今私が言ったことを、彼女に正確に伝えてもらえないかな?」
「わかった」
スリヤンガはママに話しかけた。
ママは私のほうを見ながら嬉しそうにうなずくのを見て、このホームステイは成功だったと感じた。
この日の昼食はスリヤンガの実家で、彼の母親の料理をいただく。
うなるほど美味しい。
特にアンブルティヤル(魚の煮付け)が絶品だった。
燻製のような香りと酸味、黒コショウの辛味が一体となっている。
初めて食べる味だったが、ライスと混ぜると抜群の相性で食べ始めたら止まらなくなる。
同じように見える家庭料理でも、各家庭で微妙に味付けが異なることを実感できた。
これを知れたのも大きな収穫だった。
この食事の機会も、スリヤンガが気を効かせてくれてセットしたのだろう。
ラリット宅に戻り、ホームステイ最後の晩。
夕食は私がチキンカレーを作り、ラリット一家に振る舞うことになっていた。
私が市場で鶏肉を調達して、ママに下処理を頼んだ。
ママはいつも通り、スリランカの味付けでカレーを作る。
そして私はママの横で、別のカレーを作り始める。
私には秘密兵器があった。
日本から持ち込んだカレー粉「ハウスこくまろ」である。
なぜ「こくまろ」なのか?
成田空港に行く前に寄ったコンビニでは、こくまろしか売っていなかったのだ!
「ママ、日本とスリランカのカレーの食べ比べをしましょう」
昔、私がTVで良く見ていた「ウルルン滞在記」
日本人タレントが海外で一週間ほどホストファミリーたちにお世話になり、異文化コミュニケーションを楽しむ、という当時の人気番組だ。
お世話になった日本人は滞在最終日の夜に何かお返しをする、という演出があった。
日本食を作って、ホストファミリーに食べてもらうパターンが多かったような気がする。
コレの真似を私は一回やってみたかった。
調理が終わり、お互いのカレーを味見した。
ママのチキンカレーは相変わらず美味しい。
「あれ?」
ママは珍しく、私のカレーを本格的に食べ始めた。
本来であれば、先に夫、次に子供たち、一番最後に食事をするのがママのはずなのだ。
私がママが食事をするところを一度も見たことがなかったので、「いつ食べているの?」と聞いたら彼女が教えてくれたのである。
この日本カレーは本当に美味しいと感じてくれたようである。
「子供たちが全部食べてしまうから、その前に少し食べておきたいのよね」
タイミングよく帰宅したラリットも実食に参加。
「めちゃくちゃ美味いな、コレ」と言っている。
2人とも手で日本のカレーを食べている光景は、見ていて不思議な気分だった。
「ねえ、この日本のカレー用のスパイスは、どこで手に入るのかしら?」
ママが興味深々に私に尋ねる。
「うーーーん。日本ではどこでも買えるのですが、スリランカでは・・・ちょっとわかりません」
「そう・・・」残念そうな表情のママ。
日本式カレーがスリランカの人たちに受け入れてもらえたようで嬉しかった。
だが、私は玉ねぎと鶏肉を炒めた後に、水を入れてカレールゥを放り込んだだけである。
これが料理と言えるのか?
ちょっと申し訳ない気分も・・・正直ある。
つづく
2019年11月9日(土)
2015年インド・スリランカ旅行記・18
旅行記×41
ホームステイの4日目。
朝食はキリバット。
祝い事に炊くココナッツ風味のライスだ。
四角のバットにライスを移した後に表面を平にならし、冷めたら角型にカットして出す。
これにポルサンボル(唐辛子と鰹節のふりかけ)をつけて食べる。
ママは私のために特別な料理を見せてくれた。
この日の夕方は、私に重大なミッションが託されていた。
出張料理である。
私が日本でインド料理の店をしているということで、スリヤンガの自宅へ出向き、パーティー用の食事を私が用意することになったのだ。
しかも他にお客さんも呼ぶので、合計8人分を用意しなければならない。
スリヤンガの話によると、意外にもスリランカ人がインド料理を食べる機会はほとんどないのだという。
外食を頻繁に行く習慣がないかわりに、近所の仲間と家で食事を共にするのが多いらしい。
そんな訳で久し振りにインド料理を食べたい、というスリヤンガのリクエストに私が応えたのである。
よく考えると、そもそも料理人が日本人の私でいいのか?
インド料理を日本人が作り、スリランカ人が食べる。
なんともシュールな状況ではないだろうか。
でも、私もプロ料理人のはしくれである。
彼らの期待には全力で応えたい。
気合を入れて料理を作ることにした。
ホームパーティーの参加者は以下の通り。
スリヤンガ一家4名
カオリさん(レイコさんの友人)
キンスリー(筋トレ大好きのマッチョ、カオリさんの夫でゲストハウスの経営者)
ペーター (スリランカが大好きで毎年通いつめ、いつもキンスリーの経営するゲストハウスに長期滞在しているドイツ人)
私を含めて計8名。
スリヤンガが夕方に、私を迎えに来た。
スリヤンガ宅のリビングで談笑していると、調達を依頼していた食材が届き、私の調理が始まった。
一人ですべて作業するには圧倒的に時間が足りないので、レイコさんとカオリさんに協力をお願いした。
二人には小麦粉をこねてもらってサモサの皮を伸ばしたり、チャパティを成形してもらった。
新鮮なカレーリーフを気兼ねなく、ふんだんに使える。
カレーリーフの葉を油の中に入れると、ゴマのような特有の香りが広がり、ウットリしてくる。
ココナッツミルクは搾りたての生だ。
香りが抜群によい。
またスパイスの鮮度がよく、これもまた香りが素晴らしい。
最高の素材で料理ができる快感を味わう。
2時間後に完成。
結局、私は自分の店でよく出しているレパートリーを作った。
南インド・ケララ地方のチキンカレー
南インド・ケララ地方の野菜シチュー
サブジ(野菜のスパイス炒め)
サモサ(マッシュポテトの揚げ餃子)
チャパティ(全粒粉の薄焼きパン)
鶏肉が余ったので唐揚げ
レモンライス
食事が始まると日本語・英語・シンハラ語が入り乱れる空間。
冷えたビールがやたらと美味しく感じる。
私はビールをどんどん喉に流し込む。
ビールのあとはアラックというココナッツの蒸留酒をグビグビ飲む。
一仕事を終えた安堵感からか、酔いの回りが速く感じられた。
酔ったせいで自分がどのような会話をしていたのか、記憶が定かではない。
でも、隣の席だったペーターに「美味いよ、君の料理」とほめられて嬉しかったことだけは覚えている。
つづく
朝食はキリバット。
祝い事に炊くココナッツ風味のライスだ。
四角のバットにライスを移した後に表面を平にならし、冷めたら角型にカットして出す。
これにポルサンボル(唐辛子と鰹節のふりかけ)をつけて食べる。
ママは私のために特別な料理を見せてくれた。
この日の夕方は、私に重大なミッションが託されていた。
出張料理である。
私が日本でインド料理の店をしているということで、スリヤンガの自宅へ出向き、パーティー用の食事を私が用意することになったのだ。
しかも他にお客さんも呼ぶので、合計8人分を用意しなければならない。
スリヤンガの話によると、意外にもスリランカ人がインド料理を食べる機会はほとんどないのだという。
外食を頻繁に行く習慣がないかわりに、近所の仲間と家で食事を共にするのが多いらしい。
そんな訳で久し振りにインド料理を食べたい、というスリヤンガのリクエストに私が応えたのである。
よく考えると、そもそも料理人が日本人の私でいいのか?
インド料理を日本人が作り、スリランカ人が食べる。
なんともシュールな状況ではないだろうか。
でも、私もプロ料理人のはしくれである。
彼らの期待には全力で応えたい。
気合を入れて料理を作ることにした。
ホームパーティーの参加者は以下の通り。
スリヤンガ一家4名
カオリさん(レイコさんの友人)
キンスリー(筋トレ大好きのマッチョ、カオリさんの夫でゲストハウスの経営者)
ペーター (スリランカが大好きで毎年通いつめ、いつもキンスリーの経営するゲストハウスに長期滞在しているドイツ人)
私を含めて計8名。
スリヤンガが夕方に、私を迎えに来た。
スリヤンガ宅のリビングで談笑していると、調達を依頼していた食材が届き、私の調理が始まった。
一人ですべて作業するには圧倒的に時間が足りないので、レイコさんとカオリさんに協力をお願いした。
二人には小麦粉をこねてもらってサモサの皮を伸ばしたり、チャパティを成形してもらった。
新鮮なカレーリーフを気兼ねなく、ふんだんに使える。
カレーリーフの葉を油の中に入れると、ゴマのような特有の香りが広がり、ウットリしてくる。
ココナッツミルクは搾りたての生だ。
香りが抜群によい。
またスパイスの鮮度がよく、これもまた香りが素晴らしい。
最高の素材で料理ができる快感を味わう。
2時間後に完成。
結局、私は自分の店でよく出しているレパートリーを作った。
南インド・ケララ地方のチキンカレー
南インド・ケララ地方の野菜シチュー
サブジ(野菜のスパイス炒め)
サモサ(マッシュポテトの揚げ餃子)
チャパティ(全粒粉の薄焼きパン)
鶏肉が余ったので唐揚げ
レモンライス
食事が始まると日本語・英語・シンハラ語が入り乱れる空間。
冷えたビールがやたらと美味しく感じる。
私はビールをどんどん喉に流し込む。
ビールのあとはアラックというココナッツの蒸留酒をグビグビ飲む。
一仕事を終えた安堵感からか、酔いの回りが速く感じられた。
酔ったせいで自分がどのような会話をしていたのか、記憶が定かではない。
でも、隣の席だったペーターに「美味いよ、君の料理」とほめられて嬉しかったことだけは覚えている。
つづく
2019年11月8日(金)
2015年インド・スリランカ旅行記・17
旅行記×41
ホームステイ3日目。
7:00起床。
今回はラリットと一緒に海老を買いに魚市場へ行った。
肉や魚はスリランカでは非常に高価である。
日本で例えるなら、ずばり正月に食べるカニ。
特別なハレの日に食べる高級食材ということである。
参考までに物価の比較をしてみよう。
●ミネラルウォーター 1リットル1本 70スリランカルピー(約65日本円)
●コロンボの安宿の宿泊代 2500(2300)
●コロンボの庶民的な食堂で食べたカレー定食 500(460)
●缶ビール350ml 1缶260(240)
●カツオ 大1尾 650(600)
●野菜(玉ねぎ、じゃがいも)計1kg 95(87)
●鶏肉 1kg 350 (320)
●エビ 1kg 1000(920)
魚やエビが高価、ということが伝わっただろうか。
魚市場での支払いは、全て私の負担である。
ホームステイ先に余計な金銭的な負担をかけたくない、という思いがあったからだ。
もし私が海鮮料理を食べたいときは、その調達費用は私が負担し、調理をママが行うという取り決めであった。
スリランカに来て海鮮料理ばかり食べているのは理由がある。
私がリクエストしたからである。
私は自分でカレー屋を経営していて、同業の他店に海鮮料理のメニューが少ないことに気が付いていた。
北海道においてスリランカカレーを提供するカレー店は少数派であるし、海鮮料理をやる店も少ない。
鮮度管理など確かに海鮮料理はリスクがつきものだが、うまくやれば他店との差別化ができるのではないか。
また南インド・ケララ州の魚カレーを自分の店で提供したところ、予想外に評判がよかったのでスリランカのレシピも学びたい、と考えたのである。
ラリットと私が中庭でエビの皮むきをしていると、見知らぬ男が家の中に入ってきた。
男は中庭に生えている4メートルくらいの高さがあるココナッツの樹につかまり、猿のように素早いスピードで頂上まで登って行った。
男はココナッツの実を鉈(なた)で切り落としていく。
ドスン。ドスン。
鈍い音を立てココナッツの実が地面へ落下。
合計4個落ちてきた。
「彼は誰なんですか?」
ラリットに聞くと、専門の職人つまり、ココナッツ落としのプロだという。
世の中には色々な職業があるものだと感心する。
そのうちの1個を次女オサンディが割り、ガリガリと中の果肉を削り始めた。
スリランカのカレーつくりは、ココナッツ削りから始まるのである。
昼食は、
エビのデビル(赤唐辛子の辛い炒め物)
キュウリのサラダ
ダルカレー
ママはスリランカ特有の赤米を炊いてくれた。
昼食後に私はアイスクリームが急に食べたくなり、中心街へ行くことにした。
スーパーマーケットの店内で、家族みんなと食べようと思った私が特大のバニラアイスを買おうとすると、付き添いの次男イシャンが「こんなに大きいの買うの?」と驚いている。
家に帰ると子供たちがワッと群がり、猛烈な勢いでアイスを食べ始めた。
よく話を聞くと、この家には冷凍庫がない、というのが理由だった。
タイミングよく子供たち全員が家に集まってきている。
もし何か理由があるとすれば、外国からの客、つまり私なのだろう。
特に働いている長男サハン、次男イシャンは日本からお客様が来る、ということを知っていて予定を調整してくれたようなのである。
ラリットの不在時は、彼ら兄弟が私の細かい世話を見てくれた。
残念ながら、3人の姉妹とは、あまりコミュニケーションがなかった。
4女ギトゥミニ(4歳)とは少しだけ関りがあった。
ギトゥミニは裏庭にある鳥小屋に餌を運ぶのが仕事だった。
私も面白がって小鳥の餌やりを一緒になってやっていた。
天真爛漫のギトゥミニは、いつも全裸で部屋の中をウロウロしている。
いわゆる裸族である!
「服を着なさい、何度言ったらわかるんだ」と叱るラリット。
言いつけを守らず、おしりを叩かれて泣くギトゥミニ。
ラリットについて、私の文章を読んでくれている読者には、おちゃめなオジサンという印象を持たれているかもしれない。
そこは彼の個性のほんの一部分であり、6人の子供の将来について、いつも考えている穏やかで常識的な人間である。
ギトゥミニに対しても愛情ゆえの行動、と私は見ていた。
夕食は、
エビカレー
ダルカレー
ブロッコリーと南瓜のテルダーラ(炒め物)
赤米
2食連続でエビ料理が食卓に並んだ。
私の滞在期間中は、ほぼ連日で食卓に海鮮料理が出てくる。
毎日ご馳走が食卓に並び、子供たちは嬉しかっただろう。
盆と正月とクリスマスが同時にやって来た感覚なのか?と想像した。
いつも私は食事を終えると、速やかに離れの自室に戻ることにしていた。
客人である私が食べ終わらないと、子供たちが食事にありつけないからだ。
私が食事を始めると、子供たちは部屋に戻ってしまう。
「ママ、美味しかった。またあとで」
と言って、私はいったん自分の部屋に戻るのである。
ラリットやママに聞いたわけではない。
空気を読むのは日本人の得意技である。
ホームステイで不思議に感じたことがあった。
日本のように家族全員で揃って食事をする所をほとんど見たことがなかった。
子供たちは帰宅した順に食事をしていく。
ママはその都度、食事を用意している。
これは大変だ。
ママは家事に忙殺されて、一日中家にいる。
彼女には自由な時間があるのだろうか。
今日は面白い光景を目にした。
長男サハンが帰宅し、リビングの椅子に腰掛けた。
テーブルに食事が置かれている。
ママの横に座っているサハンが、いきなり口を大きく開けた。
なんとママが食事を手に取り、その手で直接サハンの口に入れている。
サハンは赤ん坊ではない、24歳の成人男性である。
なんともディープな親子関係である。
日本人の感覚とあまりにも違うので、私は少しショックを受けた。
見ているこちらが目のやり場に困る光景だ。
だが、2人とも幸せそうな表情をしているのが印象的だった。
就寝前に私はママに、いつも何時に寝ているのか、聞いてみた。
「そうねえ、就寝は12時くらいかな。起床は朝5時ね」
「毎日ですか?」
「毎日よ。」
当たり前じゃない、とママは不思議そうな顔をしていた。
つづく
7:00起床。
今回はラリットと一緒に海老を買いに魚市場へ行った。
肉や魚はスリランカでは非常に高価である。
日本で例えるなら、ずばり正月に食べるカニ。
特別なハレの日に食べる高級食材ということである。
参考までに物価の比較をしてみよう。
●ミネラルウォーター 1リットル1本 70スリランカルピー(約65日本円)
●コロンボの安宿の宿泊代 2500(2300)
●コロンボの庶民的な食堂で食べたカレー定食 500(460)
●缶ビール350ml 1缶260(240)
●カツオ 大1尾 650(600)
●野菜(玉ねぎ、じゃがいも)計1kg 95(87)
●鶏肉 1kg 350 (320)
●エビ 1kg 1000(920)
魚やエビが高価、ということが伝わっただろうか。
魚市場での支払いは、全て私の負担である。
ホームステイ先に余計な金銭的な負担をかけたくない、という思いがあったからだ。
もし私が海鮮料理を食べたいときは、その調達費用は私が負担し、調理をママが行うという取り決めであった。
スリランカに来て海鮮料理ばかり食べているのは理由がある。
私がリクエストしたからである。
私は自分でカレー屋を経営していて、同業の他店に海鮮料理のメニューが少ないことに気が付いていた。
北海道においてスリランカカレーを提供するカレー店は少数派であるし、海鮮料理をやる店も少ない。
鮮度管理など確かに海鮮料理はリスクがつきものだが、うまくやれば他店との差別化ができるのではないか。
また南インド・ケララ州の魚カレーを自分の店で提供したところ、予想外に評判がよかったのでスリランカのレシピも学びたい、と考えたのである。
ラリットと私が中庭でエビの皮むきをしていると、見知らぬ男が家の中に入ってきた。
男は中庭に生えている4メートルくらいの高さがあるココナッツの樹につかまり、猿のように素早いスピードで頂上まで登って行った。
男はココナッツの実を鉈(なた)で切り落としていく。
ドスン。ドスン。
鈍い音を立てココナッツの実が地面へ落下。
合計4個落ちてきた。
「彼は誰なんですか?」
ラリットに聞くと、専門の職人つまり、ココナッツ落としのプロだという。
世の中には色々な職業があるものだと感心する。
そのうちの1個を次女オサンディが割り、ガリガリと中の果肉を削り始めた。
スリランカのカレーつくりは、ココナッツ削りから始まるのである。
昼食は、
エビのデビル(赤唐辛子の辛い炒め物)
キュウリのサラダ
ダルカレー
ママはスリランカ特有の赤米を炊いてくれた。
昼食後に私はアイスクリームが急に食べたくなり、中心街へ行くことにした。
スーパーマーケットの店内で、家族みんなと食べようと思った私が特大のバニラアイスを買おうとすると、付き添いの次男イシャンが「こんなに大きいの買うの?」と驚いている。
家に帰ると子供たちがワッと群がり、猛烈な勢いでアイスを食べ始めた。
よく話を聞くと、この家には冷凍庫がない、というのが理由だった。
タイミングよく子供たち全員が家に集まってきている。
もし何か理由があるとすれば、外国からの客、つまり私なのだろう。
特に働いている長男サハン、次男イシャンは日本からお客様が来る、ということを知っていて予定を調整してくれたようなのである。
ラリットの不在時は、彼ら兄弟が私の細かい世話を見てくれた。
残念ながら、3人の姉妹とは、あまりコミュニケーションがなかった。
4女ギトゥミニ(4歳)とは少しだけ関りがあった。
ギトゥミニは裏庭にある鳥小屋に餌を運ぶのが仕事だった。
私も面白がって小鳥の餌やりを一緒になってやっていた。
天真爛漫のギトゥミニは、いつも全裸で部屋の中をウロウロしている。
いわゆる裸族である!
「服を着なさい、何度言ったらわかるんだ」と叱るラリット。
言いつけを守らず、おしりを叩かれて泣くギトゥミニ。
ラリットについて、私の文章を読んでくれている読者には、おちゃめなオジサンという印象を持たれているかもしれない。
そこは彼の個性のほんの一部分であり、6人の子供の将来について、いつも考えている穏やかで常識的な人間である。
ギトゥミニに対しても愛情ゆえの行動、と私は見ていた。
夕食は、
エビカレー
ダルカレー
ブロッコリーと南瓜のテルダーラ(炒め物)
赤米
2食連続でエビ料理が食卓に並んだ。
私の滞在期間中は、ほぼ連日で食卓に海鮮料理が出てくる。
毎日ご馳走が食卓に並び、子供たちは嬉しかっただろう。
盆と正月とクリスマスが同時にやって来た感覚なのか?と想像した。
いつも私は食事を終えると、速やかに離れの自室に戻ることにしていた。
客人である私が食べ終わらないと、子供たちが食事にありつけないからだ。
私が食事を始めると、子供たちは部屋に戻ってしまう。
「ママ、美味しかった。またあとで」
と言って、私はいったん自分の部屋に戻るのである。
ラリットやママに聞いたわけではない。
空気を読むのは日本人の得意技である。
ホームステイで不思議に感じたことがあった。
日本のように家族全員で揃って食事をする所をほとんど見たことがなかった。
子供たちは帰宅した順に食事をしていく。
ママはその都度、食事を用意している。
これは大変だ。
ママは家事に忙殺されて、一日中家にいる。
彼女には自由な時間があるのだろうか。
今日は面白い光景を目にした。
長男サハンが帰宅し、リビングの椅子に腰掛けた。
テーブルに食事が置かれている。
ママの横に座っているサハンが、いきなり口を大きく開けた。
なんとママが食事を手に取り、その手で直接サハンの口に入れている。
サハンは赤ん坊ではない、24歳の成人男性である。
なんともディープな親子関係である。
日本人の感覚とあまりにも違うので、私は少しショックを受けた。
見ているこちらが目のやり場に困る光景だ。
だが、2人とも幸せそうな表情をしているのが印象的だった。
就寝前に私はママに、いつも何時に寝ているのか、聞いてみた。
「そうねえ、就寝は12時くらいかな。起床は朝5時ね」
「毎日ですか?」
「毎日よ。」
当たり前じゃない、とママは不思議そうな顔をしていた。
つづく