旅行記(41)


2019117(木)

2015年インド・スリランカ旅行記・16


2015年インド・スリランカ旅行記・16

ホームステイの2日目。
朝7:00に起こされ、私は長男サハンと一緒に魚市場に出向いた。
市場はラリットの自宅から近くにあることを事前に聞いてたので、可能なら行ってみたいとレイコさんにリクエストしていたが、こちらの家族に伝わっていたようだ。

本日の食材として、カツオとイカを調達した。
日中ラリットは夜勤のため朝は不在。
ママから料理指南を受ける。
朝食はダル(レンズ豆)カレーとイカゲソのテルダーラ(スパイス炒め)ロティ(パン)
ドゥシャンティより呼びやすいので、許可をもらってママと呼ぶことにした。
彼女は片言の英語がわかるので、コミュニケーションは意外にも良好。
そういえば、スリランカの公用語シンハラで、すぐに覚えた言葉が二つある。

「ホンダイ」
英語のgood,日本語の良い、という意味。
体調はいいか?料理は美味しいか?この家の意心地はよいか?などの質問に、
私が「ホンダイ、ホンダイ」と言っておけば、周囲も安心し何も問題はないのである。

「アッティ」
英語のenough,日本語の十分な、という意味。
スリランカで家庭料理を食べるときに使うと効果的だ。
ママの盛りつけは、カレーはもちろん、ご飯の量が非常に多い。
これはスリランカ流のおもてなし、なのだと思う。
初日は何もわからなくてビックリしたが、日本人の感覚で残しては悪いと思い、無理に全部食べた。
この状況が毎日続くのはマズイと考えた私が、ラリットに教えてもらった単語である。

ママが私の料理を盛りつけ始めたら、「アッティ、ママ。アッティ」と伝えて量をセーブしてもらう。
紅茶タイムも一日の中で頻繁にあるので、「紅茶飲む?」のお誘いも
「アッティ、ママ。サンキュー。レイター(後で)」と言っておく。
私が「アッティ」と言い始めると、
「もう、いいの?そう・・・」
ママは少し残念そうな表情をする。
彼女は実をいうと私と同い年、なんと子供が6人もいる。

父 ラリット(53歳:2015年当時)
母 ドゥシャンティ(47)

長男 サハン(24)
次男 イシャン(22)
長女 マダラ(18)
次女 オサンディ(17)
三女 タルシカ(15)
四女 ギトゥミニ(4)

お昼ごろに見学した料理レシピをノートにまとめようとして、ダイニングテーブル上の筆記用具を探す。
「あれ、ないぞ?」
私が日本から持ってきたボールペンがない。
確かテーブルの上に置いておいたはずだが・・・変だな、どこかで落としたのだろうか。
「ねえママ、私のボールペン知らない?黒い色の」
ママは首を振っている。
彼女からボールペンを借りるが、ボールの滑りが悪くインクがなかなか出てこない。
かなり筆圧を高くしないと文字が書けないのはストレスを感じた。

長男次男が帰省で戻ってきていて在宅中である。
長女次女3女が学校から戻ってきた。
4女は就学年齢に達していないため家にいる。
子供全員がリビングに揃っていた。
話し声や笑い声が増え、家の中が賑やかになった。

夜勤明けのラリットが帰宅した。
彼の胸ポケットには、私のボールペンが刺さっていた!
「ラリット。そのペンは私のですよ」
「このペンは書きやすいね」と言って、私に返してくれた。

「ちょっと、ママ?」
私はママに話しかけた。
「あら、どうしたの」
「昨日の夜、ママにお土産渡したよね。まだみんなに渡していないの?」

私はホームステイ先に手土産を持参したほうが、あとあと良好な人間関係を構築するのに役立つのではないか、と考えていた。
レイコさんに事前に相談しており、
「お菓子と文房具がいいと思います。きっと喜ばれますよ」とアドバイスを受けていた。
しかし・・・お土産は直接本人に渡さなければならない。
インドで手痛い失敗を犯し学んだ教訓だったが、また私は繰り返していたようだ。

「ああ、忘れてた」
ママの屈託のない笑顔。
土産を独り占めするつもりではなく、本当に忘れていたようである。
疑い深い自分を少し反省し、ママに頼みごとをした。
「お土産をここに持って来てくれませんか?私から、みんなに配ります」

ママが寝室からビニール袋に入った荷物をリビングへ持ってきた。
間違いなく私が日本から持参したお土産だ。
「ラリット、あなたへのお土産。これは日本製のペンです」
そう言って彼にはボールペンとシャープペンが切り替わるペン(日本円で1,000円くらい)を渡した。
「おおーこれはいいな!書き味も素晴らしい」

ママにはハンドクリーム(日本製)
子供たちにはボールペンや動物イラスト入りの文具を。(全て日本製)
4姉妹の表情が変わり、喜んでくれているのがわかった。
100均のチープな商品ではなく、多少値段が高くなっても日本製の正規商品とわかるものを土産で渡す。
私の小さなこだわりであった。

「みんなで食べてね」とカントリーマアム(クッキー)もついでに渡す。
バックパックの中に入れて運んだから、多少割れていたりしているだろうが、美味しければ何も問題はないだろう。

「明日、職場の飲み会があるのだが、このペンを持って行こうかな。みんなに自慢したいんだ」
ボールペンをカチカチと動かしながら、ラリットが言った。

「絶対だめだよ!」「盗まれるよ」
話を聞いていた子供たちが叫んだ。

つづく



2019116(水)

2015年インド・スリランカ旅行記・15


2015年インド・スリランカ旅行記・15

ホームステイ初日。

私はスリヤンガの自宅で昼食をごちそうになったあと、夕方になるまで雑談などしてのんびりさせてもらった。
「そろそろ行きましょう」
お茶を飲んでいたスリヤンガが立ち上がった。

私は彼の車に乗り、5分ほどでホームステイ宅に到着した。
古い2階建ての家屋の前に車が停まり、玄関から中年男性が出てきたので挨拶する。

ホストファミリーの主人、ラリットだ。
彼は私よりも年上だが、中肉中背で頭髪は白髪がなく若々しい印象を受けた。
現在外資系のホテルに勤務し、英語は堪能。
今回の滞在地・ヒッカドゥワは欧米人に人気のビーチリゾートなので、外国人向けの宿泊施設がたくさんある。

彼はスリヤンガの前職の先輩だった縁で、今回のホストファミリーを引き受けてくれたのだ。
仕事柄、外国人に慣れているということもある。
スリヤンガはラリットと軽く世間話をしたあと、「じゃあ頑張ってね。時々様子見に来るから」と言って帰って行った。




ラリットに家の中を案内してもらった。
1階が母屋。
玄関から入ってすぐに共用スペースがあり、家族はテレビをここで見る。
廊下はなく、次に居間兼食堂となっている。
居間にいた奥様のドゥシャンティに挨拶する。
この居間に子供部屋が3つと両親の寝室が隣接している。
興味深いのは、各部屋の仕切りにドアがなく、のれんが下がっているだけなのである。
一体プライバシーはどうなっているのか、と疑問を感じた。

居間から裏玄関を抜けて一度屋外に出ると、小さな中庭と二階に上がる階段があり、二階は客間となっている。
この客間が唯一この家でプライバシーが守られる空間である。
トイレ、浴室そしてベッドには蚊帳も用意されている。

私が荷物を二階に上げたあと中庭に下りてくると、短パンで上半身裸になったラリットが待っていた。
中庭は壁に囲まれているのだが、やたらと波音が大きいのが気になっていた。
「扉を開けてみなよ」
ラリットが笑っている。

「おおぉーーーーーーー凄い」
思わず叫んだ。
裏庭のドアを開けたら目の前が海と砂浜。
なんと、家から徒歩30秒でビーチだ。

「キレイだろ、海。一緒に泳ごう」
陽気なラリットである。
しかし私はインドでひいた風邪が治らず、鼻水が止まらない状況が続いていた。
だから正直気乗りはしない。

「でも私、海パン持って来てないのですが・・・」
私は遠まわしに断りを入れたつもりだったが、
「下着のまま入ればいいじゃないか。ここは観光客が来ない場所だ、ノープロブレム!」
ラリットは譲らない。

「いやいやいや・・・風邪をひいているから、またの機会にしたいのですが」
「ノープロブレム!問題ない。風邪なら私もひいているぞ!」
ラリットの顔をよく見たら、鼻水をたらしている。
「海水は健康にいいんだ、風邪も治るさ。さあ泳ごう」


「えーーーーーーーーーーーー!」


私はしぶしぶ服を脱ぎ、ラリットと一緒に海に入ることになった。
波は高くないし、水深もそれほどではなく、足が着くので安心だ。
水温は温く感じ、確かに彼の言うとおり気持ちがよかった。
結局10分ほど2人で海に入っていた。
海から上がった直後に大量の鼻水をかんだ。

夕食はドゥシャンティの横で邪魔にならないように気を遣いつつ、写真やメモをとったりしながら調理方法を観察した。
一番驚いたのは、まな板。
丸太を輪切りにスライスした素朴な板なのだが、断面がガタガタであった。
包丁も、あまり研いでいないようだ。
しかし、出来上がった料理は絶品なので、何も問題はないのである。

フィッシュカレー。
ココナッツロティ(薄焼きパン)
生のココナッツミルクや新鮮なスパイスを使っているので、シンプルな調理法であっても十分に美味しい。
家庭料理なので油は控えめであり、自分にはちょうどよかった。

目まぐるしい一日が終わり少し疲れてはいたが、陽気なラリット夫妻を見ていてホームステイ生活は、なんとかなりそうだと感じてきた。
そして不思議なことに、翌日から咳や鼻水の症状がピタリと出なくなった。


つづく



2019115(火)

2015年インド・スリランカ旅行記・14


2015年インド・スリランカ旅行記・14

列車がヒッカドゥワ駅へ到着したのは午前9時30分。
定刻より少し遅れたようだ。
駅前でウロウロしていると、身奇麗な痩身の男性が近づいてきて、私の名前を確認のために呼ぶ。
旅行代理店の社長・スリヤンガが迎えに来てくれたのだ。
彼の車に乗り、道中世間話をする。

彼の話す日本語はペラペラ。
アクセントも正確で聞きやすく、外国人特有の怪しいイントネーションの日本語ではなかった。
奥様が日本人ということもあり、普段から家庭で日本語を話すようにしているのだそうだ。
彼は会話していると頭脳明晰だとすぐわかった。

ホームステイ先に行く前に、スリヤンガの自宅に寄った。
スリヤンガの奥様レイコさん、娘さん2人に挨拶した。

レイコさんは、想像した通りの聡明な女性だった。
メールでホームステイの相談を何度もしたのだが、彼女からの返信のメールを読んでいてスリランカ料理に対する並々ならない熱量を文面から感じていた。
彼女に実際に会ってみて今回のホームステイはきっとうまくいく、と確信が深まった。
この旅行代理店は一般旅行者の対応のほかに、テレビ局がロケに来た時のコーディネーターもしているそうだ。
スリヤンガ・レイコ夫妻は日本語、英語、シンハラ語(スリランカの公用語)に堪能である。

レイコさんの友人・カオリさんが遊びに来ていたので、紹介してもらった。
関西出身の陽気な女性。
カオリさんもスリランカの男性と結婚し、近所に住んでいるのだ。
日本にいたときはアーユルヴェーダの店を経営されていたという経歴の持ち主。
こちらでも近い将来に店を持ちたいとのことである。

「これ、よかったら使ってください」
日本のカレー粉(こくまろ)をレイコさんへ土産として渡した。
「ありがとうございます!子供たちが喜びます」
とても喜んでくれたようである。

ちょうど昼時だったので食事をつくるところを見学させてもらった。
本来はそのままホームステイ宅に出向く予定だったが、私がリクエストして変更してもらった。
私はホームステイ宅で言葉のコミュニケーションがどこまで深くできるか心配だった。
料理に関する質問を日本語でレイコさんに事前にしておこう、と考えたのだ。

調理が始まった。
スリランカ料理の調理過程は、どうなっているのか?
私が特に気になっていたのは、カレー以外のおかず(副菜)が、どのくらい種類があり、どのように作っているのか。
私はスリランカ料理の全体像を大まかでよいから、知りたかったのである。

私は興奮しながら、夢中になってカメラのシャッターを切っていく。
にんにく、生姜、青唐辛子、玉ねぎをみじん切りにして、ココナッツオイルで炒めていき、カレーリーフで香りを加えていく。
これが料理のベースとなり、メインのカレーと副菜の料理を手際よく同時並行で進めていく。
時間の節約のため、仕込みで使う共通の食材を同時に処理していくのだ。

1時間ほどで料理が完成。
フィッシュカレー
ダル(レンズ豆)カレー
茄子のモージュ(揚げ茄子のスパイス和え)
インゲン豆のマッルン(ココナッツ蒸し煮)
空心菜のテルダーラ(スパイス炒め)
パパダム(揚げた豆の煎餅)
ライス

全員でテーブルを囲み、本物のスリランカカレーを手食で頂く。
最初はそれぞれの料理を個別に味わったあと、カレー・副菜・ライスを手で混ぜ合わせながら食べていく。
味わいが複雑になり、加速度的に美味しくなっていく。

「美味しいです!」
初めて食べたスリランカの魚カレーはもちろんのこと、特筆すべきは茄子のモージュ。
カリカリに素揚げした茄子にスパイスを加え、トマトやレモンの酸味を加えていく。
モージュはカレーやライスと混ぜながら食べると、あまりの美味しさに手が止まらなくなる。
レイコさんが一番おすすめしていた料理だったのが、このモージュ。
納得の美味しさだった。
日本に戻ったら、絶対に自分の店でメニューに加えようと思った。
それにしても、スリランカの家庭料理は日本人の味覚に本当に合う。

食事が終わった後、紅茶を飲みながらスリヤンガと世間話。
「今まで日本人のカレー屋は、何人ここに来ましたか?」と私が質問した。
「君で3人目だね」と彼が答える。
「どんな方たちだったんですか?」
「2人ともインドカレーの料理人で、現在お店は大人気になっているらしいね」
そしてスリヤンガは私の顔を凝視し「あなたも頑張らないと!」と言った。

うひゃあぁ。
プレッシャーを感じる!
「ハイ。がんばります」と答えるのが精一杯。
お尻の穴が、キューッと締まるような気がした!!


つづく



2019114(月)

2015年インド・スリランカ旅行記・13


2015年インド・スリランカ旅行記・13

私が次に向かった国はスリランカ。
今回の旅の最大の目的が、ここスリランカの一般家庭でホームステイをしながら、現地の料理を習得することだった。

私はカレー店開業前の2013年にスリランカを旅し、運よくチキンカレーの作り方を習うことができた。
帰国後にそのレシピを基にして作ったカレーは、カレー店開業後にリピートのお客様がつくことを実感した。
私は本格的にスリランカ料理を勉強しなければいけない、と思うようになっていた。
開業して1年半で店が軌道に乗る前であったが、早急に行動すべきと感じた。

私はインターネットで検索し、スリランカ在住の日本人が経営する旅行代理店がヒッカドゥワというリゾート地にあることを知った。
その旅行代理店がホームステイの斡旋等もしているようなので、住み込みで家庭料理を習うことが可能だろうか、とホームページにメールを送った。
すると、できます、との回答が返ってきた。
その後に何度かメールで打ち合わせをして、航空機やビザの手配を決めて日時を確定させ正式な依頼をした。
このような経緯で、5泊6日のホームステイで料理を習うことが決まった。

それにしても、である。
40歳を越えた外国人のおっさんが、6日間スリランカの一般家庭におしかけて、現地の料理を習うという予定なのだが・・・
私はホストファミリー達と上手くやっていけるのか、正直不安だった。





南インドからスリランカまでは空路で移動し、コロンボ市内にある駅前の安宿で一泊。
翌日。
AM6:50発のヒッカドゥワ行きの列車に乗るため、早起きして鉄道駅フォートに向かった。

早朝にもかかわらず、駅の構内は人で溢れていた。
日本の駅のように運航案内の電光掲示板はないし、アナウンスもない。
駅員に列車の到着レーンを確認したが私は不安が解消されず、近くにいた男に「ヒッカドゥワ行き、ここでいいの?」と確認した。
「大丈夫。ここでOKだよ」
「そうですか、ありがとう」

やがて列車が到着し、中に乗り込む。
向かい合わせの4人掛け座席のうち、一つを自分用として確保して一安心。
列車が動き出すと、先ほどの男が私の前に現れて「君に話があるんだ。あとで迎えに来るから私のところにきてほしい」と言って去っていった。

どういうことだ?
向かいの席に座る学生風の若い男性が、男が去ったあと私に言った。
「あなたは、あの男について行ってはダメだ」
「どうして?」
「あの男は悪い奴です」
「・・・わかったよ」

10分後に男が再び現れて「一緒に行こう」と言うが、私は「行かない」とキッパリ断ると無理強いすることなく去っていった。
一体何が目的だったんだろうか。
よく事情がわからないが、未然に危険を回避できたようである。
若者に「ありがとう、君のおかげで助かった」とお礼を言ったら、彼はうなずいて微笑した。

もし日本で同じような状況が起きていたら、周囲の人は助け船を出してきただろうか?
スリランカ人は親切だな、この若者は勇気があるな、と感心するのであった。

つづく



2019113(日)

2015年インド旅行記・12


2015年インド旅行記・12

インド滞在の最終日となった。
私はスニの勤務するブティックに向かった。
買い物を終えた後で荷物をまとめ、空港行きの直行バスに乗る予定だった。

ブティックで、しばらく物色する。
Tシャツ。
マグカップ。
布製バッグ。
コースター。
キッチュでカラフルな雑貨類は、エスニック色を残しつつ洗練されている。
やはり、この店は私の好みにドンピシャなのである。
土産というよりも自分の店のディスプレイ用として、今回も大量に買い込んでしまった。
しめて7000ルピー。

「ふふふっ。あなたは、ホントいいお客さんね」
笑うスニ。
店内で彼女としばらく話し込むこと、小一時間あまり。
最後に二人でゆっくり話ができて満足した。
彼女の夫が料理人だというので、次回訪問時に会わせてもらうことになった。
コーチンを再訪問する目的ができた。
これでインド滞在も心残りはない、宿に戻って荷物をまとめよう。
そう思った帰り間際に、私は大切な事を思い出した。

「そう言えば、シャンからお土産のチョコを受け取ったんだよね?」
「・・・うん」
彼女が喜んで礼を言ってくると思いきや、反応がおかしい。
表情が曇っている。
「2つよ」
「そうか、2袋だけか」
シャンの奴、約束を破ったな。まったく、あの野郎。
「ノー。違う。違うのよ」
彼女は首を振っている。

「TWO PIECES」
彼女が語気を強めて言った。
えっ、私の聞き間違いか?
「2切れって、どういうことだ?!」
「言葉の通りよ。ふ・た・き・れ」
「信じられない。本当なのか?」
「本当よ。シャンはチョコを全部自分で食べて、いくらか友人達にあげたんだと思うわ」
私の頭の中が混乱していく。
「彼は・・・私に、チョコはスニに渡しておくって、確かに言ったぞ」
「私には、チョコは自分が貰ったって言っていた。お前にも分けてやるって。それで2切れ」
「なんてこった・・・」
シャンは、私に嘘をついたのか?

「でも彼は君の家族だろう。私は、彼を信用したんだ」
つい、言い訳をしてしまった。
「ここはインド。日本とは違うのよ」
彼女は、また首を振った。
「インドでは、家族も信用できないの?」
反論してしまったが、私にはわかっていた。
彼女の言うことが、100%正しい。
何故なら、ここはインド。
日本の常識が通用しない国なのだ。
つまり、私は油断していたのだ。

「ついでに言うと、私は兄が大嫌いなのよ」
「そうなのか」
「昨日、私が兄と口論していたのを見ていたでしょう?」
「ああ」
「前日に彼は店を無断欠勤したのよ。そのせいで、私は一日中店番だった。だから怒っていたのよ」
「それは彼が絶対に悪いね」
シャンに対するイメージが、どんどんネガティブに変わっていく。

「そもそも、あなたは私の友人であって、シャンは関係ないでしょう。
あなたは彼と遊んでばかり。全く気に入らないわ」
これは八つ当たり、という気がしないでもない。
そもそも彼女とは、会えるかどうか、わからない状況だったのだから。

深刻な顔をした私を見て、言い過ぎた、といった表情をする彼女。
「とにかく。今度お土産を持ってきたときは、必ず私に直接渡してね」
「…ハイ。わかりました。ゴメンね、スニ」
「直接よ。忘れないでね」
彼女が笑顔で言ってくれたので、少し救われた気分になった。
「なるべく早くコーチンに戻ってきてね」
「うん、わかったよ。それじゃあ、またね」
「またね」
私はスニのブティックを後にした。


私の心に、モヤモヤした感情が渦巻いている。
シャンは嘘をついて、私を裏切った。
彼に対して大きな失望を感じた。
お土産の中身を彼に見せたのが、決定的にまずかったような気がする。
でも、それがあったせいで彼の妹の病院に見舞いに行くことになり、面白い経験ができた。
その他にも彼のお陰で得がたい経験が色々出来たのは事実なのだ。
だから彼を否定したくない気持ちも残っている。
そして彼を家族だからといって盲目的に信じてしまった自分自身の責任も感じる。

なによりも残念だったのは、スニにお土産のチョコを渡せなかったことだ。
結婚のお祝いだったのに。
喜んで受け取ってもらえると思ったのに。
彼女には本当に悪いことをした。
この件に関してシャンに詰問しても、後味は悪くなるだけで状況は何も変わらない。
どっちにしろ、チョコはもう戻ってこないのだ。

英語のアンビバレントambivalent。
一人の人間に対して抱く、愛情と憎しみが同居する感情。
まさに、シャンに対する私の気持ちだった。
この感情はスリランカに行ったあとも続き、私が日本に戻ったあとも消えることがなかった。


インド編 おわり
スリランカ編へ つづく



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sansara
旅が好き、音楽が好き、そしてカレーが大好きで、カレー店を始めることになりました。どうぞよろしくお願いします。

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