旅行記(41)
2019年11月2日(土)
2015年インド旅行記⑪
旅行記×41
私は2週間ぶりにフォートコーチンに戻り、マルコスのいる安宿に直行した。
チェックインを終え、宿のロビーでスタッフと談笑していると、見覚えのある男が中に入ってきた。
「シャン!元気だった?」
「まぁね。ところで、この前の約束を覚えているか?」
「ん?なんだっけ」
「俺の実家で、飯を食べる話さ」
以前シャンとした会話。
彼が携帯で料理の画像を見せながら、「俺の母親の手料理は絶品だ」と自慢する。
それを見た私が、「これは美味しそうだ、一度食べてみたいね」と答えた。
どうという事はない、忘れていい世間話である。
しかし、彼はその時のやり取りをしっかり覚えていたのだ。
「ああ、思い出した」
「じゃあ、明日の昼食は俺の家で」
「了解。楽しみだ。・・・あれ?店はどうするの」
「スニが戻ってきているから、大丈夫だ」
「おおぉー、そうなのか!明日、彼女は店にいるんだね」
「そうだ。じゃあ、明日の昼に店で待ち合わせしよう」
翌日の昼時。
私はシャン達が働くブティックに出向いた。
店にはシャンとスニがいたのだが、どうも様子がおかしい。
二人は激しい口論の真っ最中なのだ。
「スニ!」
私の呼びかけに気づいた彼女は目を大きく見開き、私の顔を凝視する。
そして笑顔を取り戻した。
「戻ってきたのね」
スニには積もり積もった話が色々あるのだが、シャンが私をせかす。
「母親が料理を作って家で待っているから、早く行こう」
私は彼女の勤務シフトを確認した。
「明日は店にいるの?」
返事はイエス。
「明日買い物をここでするから、その時に話をしよう」
そう彼女に言って店から出た。
シャンのオートバイの後部座席にまたがり、出発する。
フォートコーチンからフェリーに乗り、彼の実家があるヴァイピーン島に渡る。
島といっても隣町に行くような感覚、10分くらいで到着。
オートバイは巨大コンビナートが並ぶ工業地帯を走り抜けていく。
ノーヘルで乗るオートバイは、爽快そのものだ。
途中の沿道では地元の若者が集まってチェスに興じているのを見かけた。
若者の一人が私と目が合い、手を振ってきた。
観光目的では絶対見ることが出来ないし、自分の意思ではないから見ることができた景色が、眼前に広がっている。
自分は何故ここにいるんだろう?
ここは一体どこなんだろう?
オートバイに乗りながら、そんな思いが交錯していく。
旅をしていて、一番ワクワクする瞬間だ。
オートバイはやがて、地元色の強い民家の密集したエリアに入った。
シャンは細い路地を器用な運転で通り抜け、出発から30分ほどで彼の実家に到着した。
玄関から入るとすぐにリビングになっており、シャンの母親と叔母に会い、挨拶をする。
叔母の家も近所らしい。
シャンに勧められ、リビングの椅子に腰をおろし周囲を見渡す。
祭壇にはキリスト像があり、そばに壮年男性の顔写真が飾られていた。
何も本人は言っていなかったが、シャンの父親と思われた。
リビングに隣接するキッチンに視線を向けると、ある人物が私の視界に入った。
髪は坊主頭、性別不明、年齢は十代と思われる人が、床に座り込んでいた。
天井を見上げている。
やがて動き出すが、自立歩行もままならないようだった。
移動するときは体を横たえ、手足をばたばたさせ、まるで泳ぐように床をはって動いていた。
言葉も話せないようだった。
「妹は病気なんだよ」
シャンが厳しい表情で言った。
「さあ、食事にしよう。母さんが御馳走を用意している」
シャンの母親と叔母が料理を運んできた。
魚のフライ料理。
魚カレー。
チャパティ。
ライス。
油控えめで塩加減もちょうどよい。
大切なお客をもてなすときは魚料理。
これがケララ地方の流儀だ。
「うーん。美味しいよ、シャン!」
あらためてインドの家庭料理は美味しい、と実感する。
「そうだろう?どんどん食べてくれよ」
自慢気な表情のシャン。
食事をたいらげた二人は、紅茶を飲んでしばし談笑。
「ああ満腹だ。少し昼寝をしたいから、あとで起こしてもらえないか」
そう言うなり彼は床に横になり、たちまちイビキをかいて眠り始めた。
私も満腹で眠気を感じていたが、昼寝をすることが許されなかった。
叔母が連れてきた甥っ子二人(おそらく小学校低学年くらい)が、私と遊ぼうと誘ってくるのだ。
おそらく彼らにとって私は、人生で始めて間近に接する外国人なのだろう。
興味津々の表情を浮かべ、目をキラキラさせて接してくるので、これは断れない。
最初はLEGOのような玩具で一緒に遊んで、飽きたようなので外に出てサッカーをした。
「ねえ、これ見てよ。面白いから!」
オートリキシャーが運転をミスって、田んぼに落ちて横転している。
暴れた野良牛に、ど突かれて逃げまわる男。
それを見ながらゲラゲラ笑う甥っ子たち。
次々とお勧め動画を私に見せてくる。
玄関前の軒先で携帯の面白動画を私に見せ、甥っ子たちはキャッキャと喜んでいる。
30分ほど彼らに付き合っていたが、さすがに疲れてしまった。
私は家の中に戻ろうとして、玄関のドアを開けた。
「シャン。そろそろ戻ろう・・・」
シャンは大イビキをかいて、深く眠っていた。
彼の横にはいつの間にか坊主頭の妹が寄り添い、小さな寝息を立てていた。
妹の穏やかな表情は、とても幸せそうに見えた。
もう少し寝かしておくか・・・
そんなことを思っていたら、
台所から出てきたシャンの母親と目が合い、お互い微笑した。
つづく
チェックインを終え、宿のロビーでスタッフと談笑していると、見覚えのある男が中に入ってきた。
「シャン!元気だった?」
「まぁね。ところで、この前の約束を覚えているか?」
「ん?なんだっけ」
「俺の実家で、飯を食べる話さ」
以前シャンとした会話。
彼が携帯で料理の画像を見せながら、「俺の母親の手料理は絶品だ」と自慢する。
それを見た私が、「これは美味しそうだ、一度食べてみたいね」と答えた。
どうという事はない、忘れていい世間話である。
しかし、彼はその時のやり取りをしっかり覚えていたのだ。
「ああ、思い出した」
「じゃあ、明日の昼食は俺の家で」
「了解。楽しみだ。・・・あれ?店はどうするの」
「スニが戻ってきているから、大丈夫だ」
「おおぉー、そうなのか!明日、彼女は店にいるんだね」
「そうだ。じゃあ、明日の昼に店で待ち合わせしよう」
翌日の昼時。
私はシャン達が働くブティックに出向いた。
店にはシャンとスニがいたのだが、どうも様子がおかしい。
二人は激しい口論の真っ最中なのだ。
「スニ!」
私の呼びかけに気づいた彼女は目を大きく見開き、私の顔を凝視する。
そして笑顔を取り戻した。
「戻ってきたのね」
スニには積もり積もった話が色々あるのだが、シャンが私をせかす。
「母親が料理を作って家で待っているから、早く行こう」
私は彼女の勤務シフトを確認した。
「明日は店にいるの?」
返事はイエス。
「明日買い物をここでするから、その時に話をしよう」
そう彼女に言って店から出た。
シャンのオートバイの後部座席にまたがり、出発する。
フォートコーチンからフェリーに乗り、彼の実家があるヴァイピーン島に渡る。
島といっても隣町に行くような感覚、10分くらいで到着。
オートバイは巨大コンビナートが並ぶ工業地帯を走り抜けていく。
ノーヘルで乗るオートバイは、爽快そのものだ。
途中の沿道では地元の若者が集まってチェスに興じているのを見かけた。
若者の一人が私と目が合い、手を振ってきた。
観光目的では絶対見ることが出来ないし、自分の意思ではないから見ることができた景色が、眼前に広がっている。
自分は何故ここにいるんだろう?
ここは一体どこなんだろう?
オートバイに乗りながら、そんな思いが交錯していく。
旅をしていて、一番ワクワクする瞬間だ。
オートバイはやがて、地元色の強い民家の密集したエリアに入った。
シャンは細い路地を器用な運転で通り抜け、出発から30分ほどで彼の実家に到着した。
玄関から入るとすぐにリビングになっており、シャンの母親と叔母に会い、挨拶をする。
叔母の家も近所らしい。
シャンに勧められ、リビングの椅子に腰をおろし周囲を見渡す。
祭壇にはキリスト像があり、そばに壮年男性の顔写真が飾られていた。
何も本人は言っていなかったが、シャンの父親と思われた。
リビングに隣接するキッチンに視線を向けると、ある人物が私の視界に入った。
髪は坊主頭、性別不明、年齢は十代と思われる人が、床に座り込んでいた。
天井を見上げている。
やがて動き出すが、自立歩行もままならないようだった。
移動するときは体を横たえ、手足をばたばたさせ、まるで泳ぐように床をはって動いていた。
言葉も話せないようだった。
「妹は病気なんだよ」
シャンが厳しい表情で言った。
「さあ、食事にしよう。母さんが御馳走を用意している」
シャンの母親と叔母が料理を運んできた。
魚のフライ料理。
魚カレー。
チャパティ。
ライス。
油控えめで塩加減もちょうどよい。
大切なお客をもてなすときは魚料理。
これがケララ地方の流儀だ。
「うーん。美味しいよ、シャン!」
あらためてインドの家庭料理は美味しい、と実感する。
「そうだろう?どんどん食べてくれよ」
自慢気な表情のシャン。
食事をたいらげた二人は、紅茶を飲んでしばし談笑。
「ああ満腹だ。少し昼寝をしたいから、あとで起こしてもらえないか」
そう言うなり彼は床に横になり、たちまちイビキをかいて眠り始めた。
私も満腹で眠気を感じていたが、昼寝をすることが許されなかった。
叔母が連れてきた甥っ子二人(おそらく小学校低学年くらい)が、私と遊ぼうと誘ってくるのだ。
おそらく彼らにとって私は、人生で始めて間近に接する外国人なのだろう。
興味津々の表情を浮かべ、目をキラキラさせて接してくるので、これは断れない。
最初はLEGOのような玩具で一緒に遊んで、飽きたようなので外に出てサッカーをした。
「ねえ、これ見てよ。面白いから!」
オートリキシャーが運転をミスって、田んぼに落ちて横転している。
暴れた野良牛に、ど突かれて逃げまわる男。
それを見ながらゲラゲラ笑う甥っ子たち。
次々とお勧め動画を私に見せてくる。
玄関前の軒先で携帯の面白動画を私に見せ、甥っ子たちはキャッキャと喜んでいる。
30分ほど彼らに付き合っていたが、さすがに疲れてしまった。
私は家の中に戻ろうとして、玄関のドアを開けた。
「シャン。そろそろ戻ろう・・・」
シャンは大イビキをかいて、深く眠っていた。
彼の横にはいつの間にか坊主頭の妹が寄り添い、小さな寝息を立てていた。
妹の穏やかな表情は、とても幸せそうに見えた。
もう少し寝かしておくか・・・
そんなことを思っていたら、
台所から出てきたシャンの母親と目が合い、お互い微笑した。
つづく
2019年11月1日(金)
2015年インド旅行記⑩
旅行記×41
マネーベルトの中に、パスポートが入っていない。
私は大急ぎで宿に戻った。
バックパックから荷物の中身を全て取り出し、ベッドの上に広げた。
貴重品を入れているポーチの中には、パスポートはなかった。
トラベラーズチェックや現金はなくなっていないので、盗難とは考えにくかった。
ベッドの下や洗面所など、思いあたる所を全て探したが見つからない。
もし紛失ということになれば、再発行の手続きが必要だが日数は相当かかると思われた。
チェンナイに日本領事館があるので、そこで手続きをすることになるのだろう。
私は5日後にスリランカに行き、現地でホームステイする予定となっていた。
最悪の場合、これはキャンセルになる。
手配しなければいけないことが山のようにある。
今後を想像して、私は憂鬱な気分になってきた。
管理人が戻ってきたら事情を説明し、宿を早々に出ようと思っていた。
落ち着かない気分で数時間過ごした。
夕方に管理人が戻ってきたので、事情を説明した。
「私のパスポートが見当たらないので探しています」
彼は笑い出した。
「パスポート?何言っているの。チェックインのとき、少し私が預かるって言ったでしょう」
「じゃあ、あなたが持っているの?」
彼は管理人部屋に行って、私のパスポートを持ってきた。
「いやあー、よかった、よかった」
「そうだな。わははは」
私の早とちりであった。
「何かあったのかい?」
自分の部屋に戻ろうとすると、隣部屋の白人カップルから声をかけられた。
各部屋(コテージ)の玄関前にはテーブルとイスが置いてあり、二人はそこでくつろいでいた。
私とマネージャーのやり取りが聞こえたので、気になって声をかけてきたのだ。
事の顛末を二人に話したところ、大笑いされた。
「それは大変だったね。よかったら一緒に飲まないか?」
男性はグラスを私に差し出し、ビールを注いだ。
ビールはゴアで飲んで以来、2週間ぶりだった。
気が緩んだのか酔いが進む。
お互いの自己紹介をする。
彼らはイスラエルからの旅行者で、コヴァラムに1週間滞在しているという。
男性は30代前半くらいの年齢で、山羊の様な長いあごひげをした2m近くの大男。
本国ではユースチームで、バスケットボールのコーチをしているらしい。
有名な選手だったのかもしれない。
彼によるとバスケットは、イスラエルではメジャーなスポーツなのだという。
女性は20代後半くらい、小柄で鼻にピアスをしていたのが印象的だった。
二人と話していて、日本のことをよく知っている、と感じた。
日本語の挨拶をしてくるのにも驚かされた。
東日本大震災や原発事故も話題になった。
それにくらべ、私はどうなのか。
ヘブライ語なんて全くわからない。
死海のことを覚えていたので、その話をしたくらいだろうか。
自分はイスラエルのことを何も知らないな、と痛感した。
少し恥ずかしい気分だった。
テーブルの上のスケッチブックに目が留まる。
インド人男性のイラストが、独特のタッチで描かれていた。
「これは、あなたが描いたのですか?」
私が尋ねたところ、彼女がイエス、と言う。
スケッチブックを見せてもらうことにした。
パラパラめくっていく。
インドの街並み。
チャイを売る男。
犬。
サリーを着たインド女性。
絵具で彩色しているページもあった。
スケッチの隅に、日付と場所が英語で書かれていた。
彼女が楽しんで旅をしているのが伝わるイラストだった。
しばらく眺めたあと、私は彼女に質問した。
「あなたはアーティストなのですか?」
彼女は笑って答えた。
「ありがとう。でもノーよ」
私はその後買出しに出かけ、ビールを大量購入し、三人でちょっとした宴会となった。
彼女が夕食で、イスラエルの家庭料理をふるまってくれた。
豆と野菜を香辛料で炒めたトマトベースの料理で、パンをつけて食べる。
優しく素朴な味わいが印象に残った。
私が「美味しい、美味しい」と言いながらバクバク食べているのを、彼女は嬉しそうな表情で見ていた。
深夜まで続いた宴会は、酒と料理がなくなり、自然にお開きとなった。
翌朝、私はバスでトリヴァンドラムに戻り、コーチン行きのバスに乗った。
インドで滞在できる日数も残りわずかとなっていた。
やれることは、ほぼ出来たという満足感があった。
私の気持ちは既に、次の旅行先スリランカに向かっている。
しかし、やり残したことが一つだけあり、それだけがひっかかっていた。
スニ。
今度こそ、彼女に会えるのだろうか?
つづく
私は大急ぎで宿に戻った。
バックパックから荷物の中身を全て取り出し、ベッドの上に広げた。
貴重品を入れているポーチの中には、パスポートはなかった。
トラベラーズチェックや現金はなくなっていないので、盗難とは考えにくかった。
ベッドの下や洗面所など、思いあたる所を全て探したが見つからない。
もし紛失ということになれば、再発行の手続きが必要だが日数は相当かかると思われた。
チェンナイに日本領事館があるので、そこで手続きをすることになるのだろう。
私は5日後にスリランカに行き、現地でホームステイする予定となっていた。
最悪の場合、これはキャンセルになる。
手配しなければいけないことが山のようにある。
今後を想像して、私は憂鬱な気分になってきた。
管理人が戻ってきたら事情を説明し、宿を早々に出ようと思っていた。
落ち着かない気分で数時間過ごした。
夕方に管理人が戻ってきたので、事情を説明した。
「私のパスポートが見当たらないので探しています」
彼は笑い出した。
「パスポート?何言っているの。チェックインのとき、少し私が預かるって言ったでしょう」
「じゃあ、あなたが持っているの?」
彼は管理人部屋に行って、私のパスポートを持ってきた。
「いやあー、よかった、よかった」
「そうだな。わははは」
私の早とちりであった。
「何かあったのかい?」
自分の部屋に戻ろうとすると、隣部屋の白人カップルから声をかけられた。
各部屋(コテージ)の玄関前にはテーブルとイスが置いてあり、二人はそこでくつろいでいた。
私とマネージャーのやり取りが聞こえたので、気になって声をかけてきたのだ。
事の顛末を二人に話したところ、大笑いされた。
「それは大変だったね。よかったら一緒に飲まないか?」
男性はグラスを私に差し出し、ビールを注いだ。
ビールはゴアで飲んで以来、2週間ぶりだった。
気が緩んだのか酔いが進む。
お互いの自己紹介をする。
彼らはイスラエルからの旅行者で、コヴァラムに1週間滞在しているという。
男性は30代前半くらいの年齢で、山羊の様な長いあごひげをした2m近くの大男。
本国ではユースチームで、バスケットボールのコーチをしているらしい。
有名な選手だったのかもしれない。
彼によるとバスケットは、イスラエルではメジャーなスポーツなのだという。
女性は20代後半くらい、小柄で鼻にピアスをしていたのが印象的だった。
二人と話していて、日本のことをよく知っている、と感じた。
日本語の挨拶をしてくるのにも驚かされた。
東日本大震災や原発事故も話題になった。
それにくらべ、私はどうなのか。
ヘブライ語なんて全くわからない。
死海のことを覚えていたので、その話をしたくらいだろうか。
自分はイスラエルのことを何も知らないな、と痛感した。
少し恥ずかしい気分だった。
テーブルの上のスケッチブックに目が留まる。
インド人男性のイラストが、独特のタッチで描かれていた。
「これは、あなたが描いたのですか?」
私が尋ねたところ、彼女がイエス、と言う。
スケッチブックを見せてもらうことにした。
パラパラめくっていく。
インドの街並み。
チャイを売る男。
犬。
サリーを着たインド女性。
絵具で彩色しているページもあった。
スケッチの隅に、日付と場所が英語で書かれていた。
彼女が楽しんで旅をしているのが伝わるイラストだった。
しばらく眺めたあと、私は彼女に質問した。
「あなたはアーティストなのですか?」
彼女は笑って答えた。
「ありがとう。でもノーよ」
私はその後買出しに出かけ、ビールを大量購入し、三人でちょっとした宴会となった。
彼女が夕食で、イスラエルの家庭料理をふるまってくれた。
豆と野菜を香辛料で炒めたトマトベースの料理で、パンをつけて食べる。
優しく素朴な味わいが印象に残った。
私が「美味しい、美味しい」と言いながらバクバク食べているのを、彼女は嬉しそうな表情で見ていた。
深夜まで続いた宴会は、酒と料理がなくなり、自然にお開きとなった。
翌朝、私はバスでトリヴァンドラムに戻り、コーチン行きのバスに乗った。
インドで滞在できる日数も残りわずかとなっていた。
やれることは、ほぼ出来たという満足感があった。
私の気持ちは既に、次の旅行先スリランカに向かっている。
しかし、やり残したことが一つだけあり、それだけがひっかかっていた。
スニ。
今度こそ、彼女に会えるのだろうか?
つづく
2019年10月31日(木)
2015年インド旅行記⑨
旅行記×41
ケララ州に戻った私は、コーチンに戻る前に、トリヴァンドラムに滞在することにした。
トリヴァンドラムはケララの州都ではあるものの、小ぢんまりした印象を受ける街だ。
バスの移動が続いて疲れが溜まっていたので、安宿はやめて中級のビジネスホテルに泊まることにした。
ホテルのフロントには、細面で神経質そうな雰囲気の男性マネージャーがいた。
料金前払いのシステムだと彼が言うので、私はインドにおける最高額の紙幣1000ルピー(2019年現在は廃止)を出した。
「!!!」
マネージャーの顔色が変わり、他の細かい紙幣がないか聞いてきた。
どうやら、お釣りが足りないようだ。
「ノー。これしかないです」
私は首を振った。
しかし、これは演技である。
本当のことを言えば、私は細かい紙幣を持っていた。
とぼけて出さなかったのだ。
この1000ルピーは、とても使いにくい紙幣だ。
航空機や鉄道のチケット、そして宿代といった大きな買い物の支払いでしか使う機会がない。
日本の紙幣には存在しないが、使っていて5万円札や10万円札のような感覚があった。
インド国内における普段の買い物は、100・50・10ルピーの紙幣で用を足すのがほとんどである。
その中でも最も使い勝手がよかったのは10ルピー札だった。
食事、リキシャーの運賃、チャイ、ミネラルウォーターなどを買うとき、とても重宝するのだ。
だから1000や500ルピー札が自分の所に廻ってきたら、できるだけ早く手放そうとするし、逆に10ルピー札は常に自分の手元にストックしておくよう意識していたのだ。
「そうですか・・・わかりました。お釣りを用意するまで少し待っていてください」
マネージャーが、ロビーの隅で控えていた小柄の中年男性を呼び出した。
この男性は、ラフな身なりから雑役夫と思われた。
「すみませんが、至急両替に行ってもらえませんか」
ここで雑役夫が、まさかのリアクションをする。
「そんなの無理だよ。嫌がられるのに決まっている。俺は行きたくねぇな」
現地語での会話だったが、彼は明らかに両替に行くのを渋っているのが見ていてわかった。
「行ってください」
「嫌だね。他の奴に頼めないのか?」
しばらく両者は押し問答をしていたが、とうとうマネージャーの堪忍袋の尾が切れてしまった。
「あんた、俺の言うことが聞けないのか!」
インド人がマジ切れするのを見たのは久し振りだ。
「今すぐ両替に行け。今すぐだッ!!」
そんなにヒステリックに叫ばなくてもいいのに、と思うくらいの大声だった。
雑役夫は飄々として聞いている。
「わかった、わかった。行けばいいんでしょ」
柳に風と受け流している。
緊迫した状況のはずだが、漫才やコントのように見えてしまう。
傍から見ていると、面白くてしょうがない二人のやりとり。
私は不謹慎ながらもニヤニヤした表情をしながら、事の推移を見守っていた。
雑役夫は私と目が合うとニヤッと笑い、ウインクをして出て行った。
「今の見ていただろう?参ったぜ」と言っているように感じた。
15分ほどロビーで待っていると、雑役夫が戻ってきてマネージャーに両替を渡した。
私がマネージャーから受け取った釣銭は、ホッチキスで無造作に止められた10ルピーの札束だった。
あれば便利な10ルピーだが、なんとも極端である。
こんな過剰さが、たまらなくインド的だ。
ホテルでは一悶着あったが、その後は変わったことも起きず食事を終え、就寝。
翌日になって急に気が変わり、コヴァラムに寄る事にした。
トリヴァンドラムからバスに乗って小一時間で行ける、ビーチリゾート地だ。
ここも以前に長期滞在したことがある所だった。
コヴァラムに着いて宿探しをするのだが、ピンと来る部屋がなかなか見つからない。
ウロウロしていると、客引きの男が寄って来て「いい宿があるから、俺について来い」と言う。
面倒くさくなっていた私は、男に言われるままついて行くことにした。
表通りから中に入り、細い小路を抜けると中庭のような広場があり、コテージが6個並んでいた。
とても静かな環境で、長期滞在に向きそうな宿だった。
別棟に調理場があり、キッチンや冷蔵庫を自由に使えるので自炊もできる。
私は一発でここが気に入り、泊まることを決めた。
客引きと思っていた男は、宿の管理人だった。
宿に荷物を置いた私は、海辺を散策することにした。
砂浜を歩いている最中に、違和感を感じた。
ズボンの中に入れているマネーベルト、貴重品を入れる腹巻。
いつもより軽い。
胸騒ぎがした。
手を入れてみても、あるはずのものがない。
命の次に大切な、パスポートがない。
つづく
トリヴァンドラムはケララの州都ではあるものの、小ぢんまりした印象を受ける街だ。
バスの移動が続いて疲れが溜まっていたので、安宿はやめて中級のビジネスホテルに泊まることにした。
ホテルのフロントには、細面で神経質そうな雰囲気の男性マネージャーがいた。
料金前払いのシステムだと彼が言うので、私はインドにおける最高額の紙幣1000ルピー(2019年現在は廃止)を出した。
「!!!」
マネージャーの顔色が変わり、他の細かい紙幣がないか聞いてきた。
どうやら、お釣りが足りないようだ。
「ノー。これしかないです」
私は首を振った。
しかし、これは演技である。
本当のことを言えば、私は細かい紙幣を持っていた。
とぼけて出さなかったのだ。
この1000ルピーは、とても使いにくい紙幣だ。
航空機や鉄道のチケット、そして宿代といった大きな買い物の支払いでしか使う機会がない。
日本の紙幣には存在しないが、使っていて5万円札や10万円札のような感覚があった。
インド国内における普段の買い物は、100・50・10ルピーの紙幣で用を足すのがほとんどである。
その中でも最も使い勝手がよかったのは10ルピー札だった。
食事、リキシャーの運賃、チャイ、ミネラルウォーターなどを買うとき、とても重宝するのだ。
だから1000や500ルピー札が自分の所に廻ってきたら、できるだけ早く手放そうとするし、逆に10ルピー札は常に自分の手元にストックしておくよう意識していたのだ。
「そうですか・・・わかりました。お釣りを用意するまで少し待っていてください」
マネージャーが、ロビーの隅で控えていた小柄の中年男性を呼び出した。
この男性は、ラフな身なりから雑役夫と思われた。
「すみませんが、至急両替に行ってもらえませんか」
ここで雑役夫が、まさかのリアクションをする。
「そんなの無理だよ。嫌がられるのに決まっている。俺は行きたくねぇな」
現地語での会話だったが、彼は明らかに両替に行くのを渋っているのが見ていてわかった。
「行ってください」
「嫌だね。他の奴に頼めないのか?」
しばらく両者は押し問答をしていたが、とうとうマネージャーの堪忍袋の尾が切れてしまった。
「あんた、俺の言うことが聞けないのか!」
インド人がマジ切れするのを見たのは久し振りだ。
「今すぐ両替に行け。今すぐだッ!!」
そんなにヒステリックに叫ばなくてもいいのに、と思うくらいの大声だった。
雑役夫は飄々として聞いている。
「わかった、わかった。行けばいいんでしょ」
柳に風と受け流している。
緊迫した状況のはずだが、漫才やコントのように見えてしまう。
傍から見ていると、面白くてしょうがない二人のやりとり。
私は不謹慎ながらもニヤニヤした表情をしながら、事の推移を見守っていた。
雑役夫は私と目が合うとニヤッと笑い、ウインクをして出て行った。
「今の見ていただろう?参ったぜ」と言っているように感じた。
15分ほどロビーで待っていると、雑役夫が戻ってきてマネージャーに両替を渡した。
私がマネージャーから受け取った釣銭は、ホッチキスで無造作に止められた10ルピーの札束だった。
あれば便利な10ルピーだが、なんとも極端である。
こんな過剰さが、たまらなくインド的だ。
ホテルでは一悶着あったが、その後は変わったことも起きず食事を終え、就寝。
翌日になって急に気が変わり、コヴァラムに寄る事にした。
トリヴァンドラムからバスに乗って小一時間で行ける、ビーチリゾート地だ。
ここも以前に長期滞在したことがある所だった。
コヴァラムに着いて宿探しをするのだが、ピンと来る部屋がなかなか見つからない。
ウロウロしていると、客引きの男が寄って来て「いい宿があるから、俺について来い」と言う。
面倒くさくなっていた私は、男に言われるままついて行くことにした。
表通りから中に入り、細い小路を抜けると中庭のような広場があり、コテージが6個並んでいた。
とても静かな環境で、長期滞在に向きそうな宿だった。
別棟に調理場があり、キッチンや冷蔵庫を自由に使えるので自炊もできる。
私は一発でここが気に入り、泊まることを決めた。
客引きと思っていた男は、宿の管理人だった。
宿に荷物を置いた私は、海辺を散策することにした。
砂浜を歩いている最中に、違和感を感じた。
ズボンの中に入れているマネーベルト、貴重品を入れる腹巻。
いつもより軽い。
胸騒ぎがした。
手を入れてみても、あるはずのものがない。
命の次に大切な、パスポートがない。
つづく
2019年10月30日(水)
2015年インド旅行記⑧
旅行記×41
南インド最大の街チェンナイにやってきたが、私は気分が今ひとつ乗らない。
散策するには街の規模が大きすぎるし、尋常ではない人の多さに辟易してくる。
都会は買い物には便利だが、長く滞在する気分になれなかった。
私はチェンナイで料理本の購入や有名レストランでの食事をしたあと、バスに乗って以前訪問したことのあるマハーバリプラムへ向かった。
マハーバリプラムは、チェンナイから南に60kmほど下った小さな町だ。
石窟の町として知られ、世界遺産の史跡がある。
石細工のアクセサリーや石像が定番の土産品となっている。
ビーチが目の前にあり、欧米人の旅行者が多い観光地でもある。
都会のように洗練されていない分、土着的で地元色が強い印象を受ける。
前回訪問時に長期滞在していたこともあり、私にとって思い入れのある町だった。
バスから降りた私は、バススタンド近くの食堂で、カレー定食・ミールスを注文した。
テーブルの上にバナナの葉がはらりと敷かれ、数種類のカレーや副菜、米が次々と盛られていく。
私はぎこちない手つきでカレーを米と混ぜ合わせ、手ですくい上げながら口に運ぶ。
辛味。甘味。酸味。
サラサラの米に複数のカレーの味が混ざり、どんどん味が立体的になっていく。
南インドに来てよかった、と実感する瞬間だ。
食事を終えた私は安宿の客引きにつかまり、あっさりと宿を決めた。
荷物を部屋に置き散策をしていると、私を呼び止める声。
「おい、アンタ」
土産物店の入り口に座り込んでいた、六十代くらいの男が叫んでいる。
どうせ呼び込みだ。
興味もないし、と通り過ぎようとした瞬間、
「アンタは以前に見たことがある。随分前だが、ここに来たことがあるだろう?」
親父は気になる台詞を言った。
確かに1999年の旅で訪問していたから、2度目の訪問だ。
この親父が本当に私を記憶していたとは思えなかった。
こんな客引きをされたのは初めてだったし、直感的にこの親父は面白い人だと感じた。
私は足を止め、親父の話に付き合うことにした。
店内には、シバ・ガネーシャ・ラクシュミ・クリシュナ・・・
ヒンズー教の神々が石像として数多く陳列されていた。
親父の作品以外に、土産用として価格の安い作者不詳の小さな石像も揃えてある。
その小さい石像を手に取り眺めていると、
「アンタはインドの神では誰が好きなのか」
と親父が聞いてくる。
「やっぱり、商売の神であるガネーシャですかね」
と私は答えた。
「ベリーグッド。私が作ったガネーシャの石像はこれだよ」
棚から石像を取って、私に手渡す。
安物と比較すると、彫りが細かいのが一目でわかった。
「これは立派な石像ですね。製作には時間がかかったのでしょう?」
「そう、2週間かかったな。他の私の作品を見たいか?」
そう言って、次から次へと私に自作の石像を見せていく親父。
「ほおおー!これはスゴイですね」
「ありがとう。チャイでも飲むか?」
「はっきり言って、これはワシの最高傑作だと思うな」
チャイを飲みながら親父が指差したのは、全長1メートルの黒光りしたガネーシャ像。
製作に3ヶ月かかったという、親父の渾身作だ。
よく見ると、体中に小さい文字で経文が彫られている。
確かに素晴らしい出来だ。
しかし価格は日本円で20万円相当、と非常に高額な商品だった。
これだけ石像が大きいと重さも半端ではなく、手荷物として携行できるものではない。
「ちゃんと木箱に入れて国際郵便で日本へ送る。ノープロブレムだ」
親父の頭の中では、私とのやりとりは大きな商談成立に向かっているようで、異様なほどテンションが高い。
「どうするんだ?」
どうする、と言われても・・・
もともと私は買う気が全くないのである。
「せっかくですが、無理です。そんな大きな石像は必要ありません」
「そうか・・・」
憑き物が落ちたようになり、ガックリうなだれる親父。
それを見ていた私は、申し訳ないような気分になってしまった。
「じゃあ、これを一つ・・・」
私は作者不詳の小さなガネーシャの石像を一つ買った。
つづく
散策するには街の規模が大きすぎるし、尋常ではない人の多さに辟易してくる。
都会は買い物には便利だが、長く滞在する気分になれなかった。
私はチェンナイで料理本の購入や有名レストランでの食事をしたあと、バスに乗って以前訪問したことのあるマハーバリプラムへ向かった。
マハーバリプラムは、チェンナイから南に60kmほど下った小さな町だ。
石窟の町として知られ、世界遺産の史跡がある。
石細工のアクセサリーや石像が定番の土産品となっている。
ビーチが目の前にあり、欧米人の旅行者が多い観光地でもある。
都会のように洗練されていない分、土着的で地元色が強い印象を受ける。
前回訪問時に長期滞在していたこともあり、私にとって思い入れのある町だった。
バスから降りた私は、バススタンド近くの食堂で、カレー定食・ミールスを注文した。
テーブルの上にバナナの葉がはらりと敷かれ、数種類のカレーや副菜、米が次々と盛られていく。
私はぎこちない手つきでカレーを米と混ぜ合わせ、手ですくい上げながら口に運ぶ。
辛味。甘味。酸味。
サラサラの米に複数のカレーの味が混ざり、どんどん味が立体的になっていく。
南インドに来てよかった、と実感する瞬間だ。
食事を終えた私は安宿の客引きにつかまり、あっさりと宿を決めた。
荷物を部屋に置き散策をしていると、私を呼び止める声。
「おい、アンタ」
土産物店の入り口に座り込んでいた、六十代くらいの男が叫んでいる。
どうせ呼び込みだ。
興味もないし、と通り過ぎようとした瞬間、
「アンタは以前に見たことがある。随分前だが、ここに来たことがあるだろう?」
親父は気になる台詞を言った。
確かに1999年の旅で訪問していたから、2度目の訪問だ。
この親父が本当に私を記憶していたとは思えなかった。
こんな客引きをされたのは初めてだったし、直感的にこの親父は面白い人だと感じた。
私は足を止め、親父の話に付き合うことにした。
店内には、シバ・ガネーシャ・ラクシュミ・クリシュナ・・・
ヒンズー教の神々が石像として数多く陳列されていた。
親父の作品以外に、土産用として価格の安い作者不詳の小さな石像も揃えてある。
その小さい石像を手に取り眺めていると、
「アンタはインドの神では誰が好きなのか」
と親父が聞いてくる。
「やっぱり、商売の神であるガネーシャですかね」
と私は答えた。
「ベリーグッド。私が作ったガネーシャの石像はこれだよ」
棚から石像を取って、私に手渡す。
安物と比較すると、彫りが細かいのが一目でわかった。
「これは立派な石像ですね。製作には時間がかかったのでしょう?」
「そう、2週間かかったな。他の私の作品を見たいか?」
そう言って、次から次へと私に自作の石像を見せていく親父。
「ほおおー!これはスゴイですね」
「ありがとう。チャイでも飲むか?」
「はっきり言って、これはワシの最高傑作だと思うな」
チャイを飲みながら親父が指差したのは、全長1メートルの黒光りしたガネーシャ像。
製作に3ヶ月かかったという、親父の渾身作だ。
よく見ると、体中に小さい文字で経文が彫られている。
確かに素晴らしい出来だ。
しかし価格は日本円で20万円相当、と非常に高額な商品だった。
これだけ石像が大きいと重さも半端ではなく、手荷物として携行できるものではない。
「ちゃんと木箱に入れて国際郵便で日本へ送る。ノープロブレムだ」
親父の頭の中では、私とのやりとりは大きな商談成立に向かっているようで、異様なほどテンションが高い。
「どうするんだ?」
どうする、と言われても・・・
もともと私は買う気が全くないのである。
「せっかくですが、無理です。そんな大きな石像は必要ありません」
「そうか・・・」
憑き物が落ちたようになり、ガックリうなだれる親父。
それを見ていた私は、申し訳ないような気分になってしまった。
「じゃあ、これを一つ・・・」
私は作者不詳の小さなガネーシャの石像を一つ買った。
つづく
2019年10月29日(火)
2015年インド旅行記⑦
旅行記×41
かつて、ヒッピーの聖地と呼ばれたゴア。
海外から多数の観光客が訪れる、インドでも有数のビーチリゾート地である。
レイブと呼ばれるパーティーが毎夜いたるところで開催されており、このレイブ目当てにゴアを訪問する人も多いようだ。
また酒が免税となっているので、他州から酒好きのインド人が集まってくる。
私がゴアに来た目的。それは・・・
ビーチで寝そべり、水着姿の女性を見て鼻の下を伸ばすため・・・ではない。
私がゴアに来た目的。それは・・・
安いビールを昼間から飲んで上機嫌になるため・・・ではない。
私がゴアに来た目的は、あくまでも料理である。
インドでは禁忌とされる牛や豚の肉を使った料理、ビネガーを使った調理法。
ゴアは植民地時代にイギリスではなく、ポルトガルの統治下に置かれ、その影響が料理にも現れているのである。
私は、インドの中でも際立って個性的なゴア料理を一度本場で食べて見たい、と日本にいる頃から思っていたのだ。
しかし・・・
私が食事をしていたのは、地元の若者で混み合うファーストフード店の中であった!
インドの滞在が1週間を過ぎてくると、そろそろ香辛料の効いた料理以外のものを食べたくなってくる。
日本にいる頃には、めったに口にしないハンバーガー。
チキンナゲット。フライドポテト。コーラ。付属品のケチャップの下品な味。
異国の地で食べると何故か懐かしく感じられ、美味しいこと、美味しいこと。
2日連続でゴアでの昼飯は、ハンバーガーなのであった。
夕食はさすがに郷土料理を食べに行った。
ポークビンダルーといった日本でも知られた豚肉カレーや、エビやイカを使った海鮮料理を食べた。
どこのレストランに行っても、シャクティというカレーがオススメになっていた。
日本では聞いたことのない名前だった。
こちらの名物なのだろうか?
気になったので注文し食べてみたところ、今まで食べたことのない形容のし難い味。
しかも抜群に美味しく、私は衝撃を受けた。
日本で知られていないだけで、まだインドには無数の美味しい料理が存在するのだ、と実感できた。
これらの料理はスパイシーでとても辛いのだが、暑い気温の中でビールを飲みながら食べていると辛さも気にならなくなってくるのが不思議だ。
また食堂やレストランで提供されているカレー定食に発見があった。
ステンレス製の大皿の上にはたくさんの小皿が置かれ、中には色々な味付けのカレー料理が入っている。
南インドでは「ミールス」と呼ばれるもので菜食料理がメインなのだが、ここゴアでは「ターリー」と表示されており、具材に魚料理や肉が入っていた。
確かにゴアのカレーにはココナッツミルクやカレーリーフ(ハーブの一種・南インド料理で多用する)が使われており、南インド料理と共通する部分を感じるのだが、スパイスの使い方や素材が菜食にこだわらない点は、はっきり区別できそうだ。
やはり現地に来て、初めてわかることがある。
アンジュナビーチ・オールドゴア・州都パナジと滞在したあと、私はゴア南部の都市マルガオに向かった。
次の目的地は南インド・タミルナドゥ州の州都チェンナイと決めていた。
マルガオ発で、チェンナイへ直行する鉄道列車があるのだ。
マルガオは交通の要所ではあるが典型的な地方都市といった趣きで、観光客らしい欧米人を全くみかけない。
宿を決めた後で散策していると掘っ立て小屋が目に止まった。
BOOKSの看板があり、興味本位で中に入ってみた。
店内にはかなり良質の料理本が並べられており、私は大興奮。
料理本は現地でしか買えないものがあるので、本の内容と著者のプロフィールをチェックして大量購入する。
ゴア出身の著者が、ゴア料理の本を書いている。
当たり前のことだが、大切なことだ。
そして計量の数値(現地の料理本は、ざっくりした表示が多い)が明確で、調理の経過が詳しく説明されている本は、再現の成功率が高くなる。
なお、ここで買った料理本は、現在私がゴア料理を作る上で大いに参考にさせてもらっている。
やがて旅行代理店をみつけ、ふらりと中に入った。
「翌日発のチェンナイ行き。エアコン付き2等寝台を予約してください」
私は受付の女性に告げた。
外国人に接客するのは初めてだったのだろうか。
ずいぶん女性は慌てていたようだった。
すぐ手続きが済むと思っていたが、結局30分以上待たされチケットを購入した。
宿への帰り道に、パンジムで食べたのと同じファーストフード店があるのを発見する。
チェーン店だったのか。
店の前で逡巡する。
「あれ、美味しかったよなあ・・・」
私はまたしてもハンバーガーにパクつくのであった。
つづく
海外から多数の観光客が訪れる、インドでも有数のビーチリゾート地である。
レイブと呼ばれるパーティーが毎夜いたるところで開催されており、このレイブ目当てにゴアを訪問する人も多いようだ。
また酒が免税となっているので、他州から酒好きのインド人が集まってくる。
私がゴアに来た目的。それは・・・
ビーチで寝そべり、水着姿の女性を見て鼻の下を伸ばすため・・・ではない。
私がゴアに来た目的。それは・・・
安いビールを昼間から飲んで上機嫌になるため・・・ではない。
私がゴアに来た目的は、あくまでも料理である。
インドでは禁忌とされる牛や豚の肉を使った料理、ビネガーを使った調理法。
ゴアは植民地時代にイギリスではなく、ポルトガルの統治下に置かれ、その影響が料理にも現れているのである。
私は、インドの中でも際立って個性的なゴア料理を一度本場で食べて見たい、と日本にいる頃から思っていたのだ。
しかし・・・
私が食事をしていたのは、地元の若者で混み合うファーストフード店の中であった!
インドの滞在が1週間を過ぎてくると、そろそろ香辛料の効いた料理以外のものを食べたくなってくる。
日本にいる頃には、めったに口にしないハンバーガー。
チキンナゲット。フライドポテト。コーラ。付属品のケチャップの下品な味。
異国の地で食べると何故か懐かしく感じられ、美味しいこと、美味しいこと。
2日連続でゴアでの昼飯は、ハンバーガーなのであった。
夕食はさすがに郷土料理を食べに行った。
ポークビンダルーといった日本でも知られた豚肉カレーや、エビやイカを使った海鮮料理を食べた。
どこのレストランに行っても、シャクティというカレーがオススメになっていた。
日本では聞いたことのない名前だった。
こちらの名物なのだろうか?
気になったので注文し食べてみたところ、今まで食べたことのない形容のし難い味。
しかも抜群に美味しく、私は衝撃を受けた。
日本で知られていないだけで、まだインドには無数の美味しい料理が存在するのだ、と実感できた。
これらの料理はスパイシーでとても辛いのだが、暑い気温の中でビールを飲みながら食べていると辛さも気にならなくなってくるのが不思議だ。
また食堂やレストランで提供されているカレー定食に発見があった。
ステンレス製の大皿の上にはたくさんの小皿が置かれ、中には色々な味付けのカレー料理が入っている。
南インドでは「ミールス」と呼ばれるもので菜食料理がメインなのだが、ここゴアでは「ターリー」と表示されており、具材に魚料理や肉が入っていた。
確かにゴアのカレーにはココナッツミルクやカレーリーフ(ハーブの一種・南インド料理で多用する)が使われており、南インド料理と共通する部分を感じるのだが、スパイスの使い方や素材が菜食にこだわらない点は、はっきり区別できそうだ。
やはり現地に来て、初めてわかることがある。
アンジュナビーチ・オールドゴア・州都パナジと滞在したあと、私はゴア南部の都市マルガオに向かった。
次の目的地は南インド・タミルナドゥ州の州都チェンナイと決めていた。
マルガオ発で、チェンナイへ直行する鉄道列車があるのだ。
マルガオは交通の要所ではあるが典型的な地方都市といった趣きで、観光客らしい欧米人を全くみかけない。
宿を決めた後で散策していると掘っ立て小屋が目に止まった。
BOOKSの看板があり、興味本位で中に入ってみた。
店内にはかなり良質の料理本が並べられており、私は大興奮。
料理本は現地でしか買えないものがあるので、本の内容と著者のプロフィールをチェックして大量購入する。
ゴア出身の著者が、ゴア料理の本を書いている。
当たり前のことだが、大切なことだ。
そして計量の数値(現地の料理本は、ざっくりした表示が多い)が明確で、調理の経過が詳しく説明されている本は、再現の成功率が高くなる。
なお、ここで買った料理本は、現在私がゴア料理を作る上で大いに参考にさせてもらっている。
やがて旅行代理店をみつけ、ふらりと中に入った。
「翌日発のチェンナイ行き。エアコン付き2等寝台を予約してください」
私は受付の女性に告げた。
外国人に接客するのは初めてだったのだろうか。
ずいぶん女性は慌てていたようだった。
すぐ手続きが済むと思っていたが、結局30分以上待たされチケットを購入した。
宿への帰り道に、パンジムで食べたのと同じファーストフード店があるのを発見する。
チェーン店だったのか。
店の前で逡巡する。
「あれ、美味しかったよなあ・・・」
私はまたしてもハンバーガーにパクつくのであった。
つづく