2019年12月13日(金)
ターリー カレー定食
2019年12月6日(金)
海鮮特集
2019年12月4日(水)
クリスマスオードブル
こんにちは、サンサーラです。
毎年恒例になっております、クリスマスオードブルの紹介をさせていただきます。
チキンビリヤニ&オードブル
5500円(税込み 2人前)
受け渡し12月23日(月)~25日(水)
受け渡し時間 17:00~20:00
12月20日(金)までの予約受付です。
●チキンビリヤニ(南インドの炊き込みご飯)
●チャパティ(全粒粉の薄焼きパン×2枚)
●ビリヤニ用カレー
〇タンドリーチキン
〇ラム挽肉ケバブ
〇ピクルス
〇野菜のスパイス炒め
〇シーフードパコラ(インド風天ぷら)
以上がセット内容となっております。
※商品の一部に変更の可能性がありますことを、予めご了承ください。
毎年恒例になっております、クリスマスオードブルの紹介をさせていただきます。
チキンビリヤニ&オードブル
5500円(税込み 2人前)
受け渡し12月23日(月)~25日(水)
受け渡し時間 17:00~20:00
12月20日(金)までの予約受付です。
●チキンビリヤニ(南インドの炊き込みご飯)
●チャパティ(全粒粉の薄焼きパン×2枚)
●ビリヤニ用カレー
〇タンドリーチキン
〇ラム挽肉ケバブ
〇ピクルス
〇野菜のスパイス炒め
〇シーフードパコラ(インド風天ぷら)
以上がセット内容となっております。
※商品の一部に変更の可能性がありますことを、予めご了承ください。
2019年12月2日(月)
2018年インド・スリランカ旅行記・21
旅行記×41
7月某日 PM22:00頃。
帯広市内の屋台でカレー屋のおっさんとフランスの若者が、めんどくさい政治談議をしていた。
酔った私が質問したのは、第二次世界大戦中のフランスの「ヴィシー政権」について。
なぜビンセントが沈黙し「この話は、フランス国内ではタブー」と言ったのか。
ビンセントが言葉を選びながら説明を始めた。
タブーである一番の理由は、ユダヤ問題が関係しているのだという。
「ユダヤだって!?」
それは知らなかった。
私の無知のなせる質問だったのだ。
彼の説明によると、ヴィシー政権時代に、ナチスの強制ではなく、フランス人自身でユダヤ人狩りを行い、ホロコーストのため強制収容所に送り込んだのが問題なのである。
忌まわしい歴史の暗部ということらしい。
「最近になって、大統領も公式にユダヤ民族に対して謝罪をしました」
(後日調べてわかったことだが、2012年オランド大統領が確かに公式に謝罪していた)
すっかり空気が重たくなってしまった。
「・・・ビンセント。家に戻って飲みなおそうか?」
「そうですね」
翌朝になり、迎えに来た男性にお礼を言って、ビンセントと別れた。
そして1週間後。
知床からビンセントが戻ってきた。
また要領よくヒッチハイクをして、帯広の私の店まで自力でやってきた。
今回も私の所で一泊することになった。
この日は営業中だったので、彼には店の中で好きにいてもらった。
「せっかくなので食べていきます。お金も払います」
「そうだな。労働の対価として、今回は受け取ろう」
ビンセントは、ポークビンダルーとチーズクルチャを食べた。
「本場ゴアより、うまいだろ?」
ポークビンダルーは私たちが知り合った場所インド・ゴア州の名物カレーなのだ。
私が冗談を言ったら、彼は右手の親指を立てていた。
翌朝
朝食を用意している間、ビンセントは手紙を日本語で書いていた。
「ヒッチハイクでお世話になった人に送ります。日本語の文章が間違っていないか、ちょっと見てもらえませんか?」
「いいよ」
私は作業の手を休め、彼の手紙を読み始めた。
漢字も使って日本語で書いてある。
一年しか日本に滞在していないのに、たいしたものだ。
だが、日本語としては怪しい言葉遣いや表現が見受けられた。
手紙を受け取った人は完璧な文章を読むよりも、間違った表現や文字があったほうが「外国人が日本語で一生懸命に手紙を書いた」リアリティを感じるし、嬉しいのではないだろうか、と私は思った。
私は明らかな漢字の誤り以外の訂正をせず、手紙を返した。
「ビンセント、ばっちりだ。完璧。これで出しなよ」
「本当?ありがとう」
朝食をとりながら、彼は本日中に札幌方面に行きたいと言ってきた。
「店の営業もあるし、さすがに札幌は無理だな。次の休みまで待てるなら連れていくけど。それまで帯広にいてもいいぞ?」
「青森のねぷた祭りに行きたいので、スケジュール的に難しいです」
「そうか、じゃあしょうがないな」
「それにあと2週間で日本の滞在は終わり。フランスに帰らなければなりません」
「時間がないんだな。さて、どうするかな・・・」
しばらくスマホに触れたあと、ビンセントは十勝清水に行く、と言い出した。
「ここは峠越えで札幌方面に向かうドライバーが多いと思う。ヒッチハイクしやすい」
スマホを見ながら、彼はこういうことを言う。
本当に頭がキレる若者だ。
「なるほど。確かに都市部よりも可能性があるな。そうだ!JRで十勝清水までいける」
私がネットでJRの運航ダイヤを調べてみたら、最寄り駅から1時間後に十勝清水行きの列車が出発することがわかった。
開店前の準備を慌ただしく終えて、車で駅に向かった。
車中での会話。
「なぜ日本人は、私にお金を払わせないのでしょうか?」
ビンセントがヒッチハイクで同乗中、その時々の運転手は飲み物や食べ物を彼に無償で与え、ホテルの宿泊代まで援助してくれた人がいたのだという。
私にはよく理解できる。
彼にお金を払わせなかった人たちの気持ちが。
「もしあなたがフランスに来たら、自分の支払いは必ずさせられます」
納得いかない表情のビンセント。
「そうか。でも私が旅をしたアジアや中南米は同じだったよ」
「どちらと?日本?フランス?」
「日本とだよ」
「そうなんですか・・・」
彼はショックを受けている様子。
列車が定刻通り到着し、ここでお別れ。
「いつかまた来たいですね、帯広に」
ビンセントはこの街を気に入ってくれたようだ。
「ああ、いつでも。官僚になって出世したら私をフランスに呼んでくれよ、文化交流とかの口実でさ。あはははは」
ハグしたあと、彼は列車に乗った。
見えなくなるまで手を振り続ける。
私はビンセントが北海道に行きたいと連絡をくれたとき、彼の面倒を徹底的にみようと決めた。
かつて自分自身が東南アジアや中南米で、たくさんの人たちに助けてもらい旅をしたことを思い出したのだ。
今度は私の番だ。
私が旅人の世話をする番が回ってきたのだ。
今まで自分が旅先で受けた恩を今回はビンセントに少し返しておこう。
ビンセントがフランスに戻ったら、北海道の話や帯広の話をするのだろうか?
もし彼の話を聞いたフランス人が北海道に興味を持ってくれて、遊びにきてくれたら面白いな。
そしてビンセントも、いつの日かフランスに来た旅人の面倒をみるかもしれない。
そうなったら面白いな!
そんなことを考えると、私は愉快でたまらない気分になってくるのだ。
誰かが誰かに善意のバトンを手渡していくように、世界はグルグル回っている。
そんな世界もある。
私は信じている。
2018年インド・スリランカ旅行記 終わり
長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
特に、最初から続けて読んでくださった、あなた。
感謝してます、ありがとう。
合掌
帯広市内の屋台でカレー屋のおっさんとフランスの若者が、めんどくさい政治談議をしていた。
酔った私が質問したのは、第二次世界大戦中のフランスの「ヴィシー政権」について。
なぜビンセントが沈黙し「この話は、フランス国内ではタブー」と言ったのか。
ビンセントが言葉を選びながら説明を始めた。
タブーである一番の理由は、ユダヤ問題が関係しているのだという。
「ユダヤだって!?」
それは知らなかった。
私の無知のなせる質問だったのだ。
彼の説明によると、ヴィシー政権時代に、ナチスの強制ではなく、フランス人自身でユダヤ人狩りを行い、ホロコーストのため強制収容所に送り込んだのが問題なのである。
忌まわしい歴史の暗部ということらしい。
「最近になって、大統領も公式にユダヤ民族に対して謝罪をしました」
(後日調べてわかったことだが、2012年オランド大統領が確かに公式に謝罪していた)
すっかり空気が重たくなってしまった。
「・・・ビンセント。家に戻って飲みなおそうか?」
「そうですね」
翌朝になり、迎えに来た男性にお礼を言って、ビンセントと別れた。
そして1週間後。
知床からビンセントが戻ってきた。
また要領よくヒッチハイクをして、帯広の私の店まで自力でやってきた。
今回も私の所で一泊することになった。
この日は営業中だったので、彼には店の中で好きにいてもらった。
「せっかくなので食べていきます。お金も払います」
「そうだな。労働の対価として、今回は受け取ろう」
ビンセントは、ポークビンダルーとチーズクルチャを食べた。
「本場ゴアより、うまいだろ?」
ポークビンダルーは私たちが知り合った場所インド・ゴア州の名物カレーなのだ。
私が冗談を言ったら、彼は右手の親指を立てていた。
翌朝
朝食を用意している間、ビンセントは手紙を日本語で書いていた。
「ヒッチハイクでお世話になった人に送ります。日本語の文章が間違っていないか、ちょっと見てもらえませんか?」
「いいよ」
私は作業の手を休め、彼の手紙を読み始めた。
漢字も使って日本語で書いてある。
一年しか日本に滞在していないのに、たいしたものだ。
だが、日本語としては怪しい言葉遣いや表現が見受けられた。
手紙を受け取った人は完璧な文章を読むよりも、間違った表現や文字があったほうが「外国人が日本語で一生懸命に手紙を書いた」リアリティを感じるし、嬉しいのではないだろうか、と私は思った。
私は明らかな漢字の誤り以外の訂正をせず、手紙を返した。
「ビンセント、ばっちりだ。完璧。これで出しなよ」
「本当?ありがとう」
朝食をとりながら、彼は本日中に札幌方面に行きたいと言ってきた。
「店の営業もあるし、さすがに札幌は無理だな。次の休みまで待てるなら連れていくけど。それまで帯広にいてもいいぞ?」
「青森のねぷた祭りに行きたいので、スケジュール的に難しいです」
「そうか、じゃあしょうがないな」
「それにあと2週間で日本の滞在は終わり。フランスに帰らなければなりません」
「時間がないんだな。さて、どうするかな・・・」
しばらくスマホに触れたあと、ビンセントは十勝清水に行く、と言い出した。
「ここは峠越えで札幌方面に向かうドライバーが多いと思う。ヒッチハイクしやすい」
スマホを見ながら、彼はこういうことを言う。
本当に頭がキレる若者だ。
「なるほど。確かに都市部よりも可能性があるな。そうだ!JRで十勝清水までいける」
私がネットでJRの運航ダイヤを調べてみたら、最寄り駅から1時間後に十勝清水行きの列車が出発することがわかった。
開店前の準備を慌ただしく終えて、車で駅に向かった。
車中での会話。
「なぜ日本人は、私にお金を払わせないのでしょうか?」
ビンセントがヒッチハイクで同乗中、その時々の運転手は飲み物や食べ物を彼に無償で与え、ホテルの宿泊代まで援助してくれた人がいたのだという。
私にはよく理解できる。
彼にお金を払わせなかった人たちの気持ちが。
「もしあなたがフランスに来たら、自分の支払いは必ずさせられます」
納得いかない表情のビンセント。
「そうか。でも私が旅をしたアジアや中南米は同じだったよ」
「どちらと?日本?フランス?」
「日本とだよ」
「そうなんですか・・・」
彼はショックを受けている様子。
列車が定刻通り到着し、ここでお別れ。
「いつかまた来たいですね、帯広に」
ビンセントはこの街を気に入ってくれたようだ。
「ああ、いつでも。官僚になって出世したら私をフランスに呼んでくれよ、文化交流とかの口実でさ。あはははは」
ハグしたあと、彼は列車に乗った。
見えなくなるまで手を振り続ける。
私はビンセントが北海道に行きたいと連絡をくれたとき、彼の面倒を徹底的にみようと決めた。
かつて自分自身が東南アジアや中南米で、たくさんの人たちに助けてもらい旅をしたことを思い出したのだ。
今度は私の番だ。
私が旅人の世話をする番が回ってきたのだ。
今まで自分が旅先で受けた恩を今回はビンセントに少し返しておこう。
ビンセントがフランスに戻ったら、北海道の話や帯広の話をするのだろうか?
もし彼の話を聞いたフランス人が北海道に興味を持ってくれて、遊びにきてくれたら面白いな。
そしてビンセントも、いつの日かフランスに来た旅人の面倒をみるかもしれない。
そうなったら面白いな!
そんなことを考えると、私は愉快でたまらない気分になってくるのだ。
誰かが誰かに善意のバトンを手渡していくように、世界はグルグル回っている。
そんな世界もある。
私は信じている。
2018年インド・スリランカ旅行記 終わり
長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
特に、最初から続けて読んでくださった、あなた。
感謝してます、ありがとう。
合掌
2019年12月1日(日)
2018年インド・スリランカ旅行記・20
旅行記×41
以下は帰国後の余談である。
2018年7月下旬。
インド・スリランカの旅から戻り、4ヶ月が経過した。
季節は夏へと変わった。
私は地元の北海道・帯広市でカレー屋の営業をいつもの通り行っていた。
そんなある日のことである。
「おっ!」
facebookメッセンジャーにメールが入った。
送信元を見て、意外な人物からの連絡に驚く。
インド旅行中に出会った若者・ビンセントだ。
彼は東京の大学に留学している。
「来週北海道に遊びに行きます。あなたのお店に寄ります」
と、メールに書いてある。
そうか、あいつ北海道に遊びに行きたいって言ってたな。
本当に来るんだ。
安い飛行機のチケットが取れたのかな。
楽しみだ。
あと一週間あるな、と呑気に構えていたら、なんと連絡から3日後に彼は現れた。
ヒッチハイクで東京から陸路で北上し、青森から函館間をフェリーを使って、北海道の帯広まで来たという。
ヒッチハイクが予想以上にうまくいって、旅が早く進んだらしい。
北海道は函館から札幌まで行き、札幌で停車中の自動車の中から帯広ナンバーを探して、片っ端からドライバーに声をかけていったら、乗せてくれる親切なドライバーが現れたのだという。
帯広という漢字が読めるのか・・・ビンセントの頭のキレと行動力に驚嘆する私。
私の店がタイミングよく定休日だったので、久しぶりに繁華街に行き、彼のリクエストに応えジンギスカンを食べることにした。
食事をしながら、今後の予定をビンセントに聞く。
今日は私のところで一泊し、翌日知床へ向かうという。
「知床までヒッチハイクで行くつもりなの?」私が聞いた。
「今日ここまで送ってくれた方が、明日仕事で斜里まで行くので、また乗せてもらうことになっています」
「君はツイているな。斜里から知床は目の前だよ」
食事の会計時に、彼は自分の食べた分を払おうとするが、私は受け取らない。
ヒッチハイクで私に会いにきた若者に支払わせるわけにはいかない。
二次会は屋台で串揚げを食べる。
ビンセントはチーズの包み揚げが好みのようで、次から次へと追加オーダー。
酒も強く、気持ちよく飲んで食べてくれる。
以前彼との会話で日本の政治に興味があるといっていたことを思い出した。
詳しく話を聞いてみると、現代政治ではないようだ。
話が混み合ってきたので、彼はスマホの翻訳アプリを使って正確に伝えようとしていた。
どうやら幕末から明治時代の日本の政治に興味がある、と彼は言っているのだ。
なぜか?
日本史に詳しい人なら当然ご存じだろうが、フランスは幕末の日本に大きく関わっている。
特に幕府側の支援をしていたのがフランス。
薩長(薩摩藩・長州藩)の倒幕側を支援したのがイギリス。
「留学中に、これを勉強していました」と私にスマホの画面を見せる。
スマホの翻訳アプリで表示されているのが「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の文字。
ものすごくザックリ説明すると、明治時代に行われた仏教への弾圧運動である。
「凄いこと勉強しているな、ビックリだ。日本人でも理解していない人は多いと思う」
やはりインテリは考えていることが違う。
ならば、インテリのビンセント君に、あえて聞いてみよう。
「私は君の国、つまりフランスのヴィシー政権の時代に興味があるんだ。君はどう思っているの?」
ヴィシー政権とは、第二次世界大戦中のナチス占領下のフランスのことである。
私はこの時代のフランスについて、自国の若者がどのような教育を受けているか興味があったのだ。
欧米人にナチスについて触れることは失礼な行為だったかもしれない。
そして占領下の自国について質問されたら愉快な気分はしないだろう。
初対面の外国人には絶対しない質問だ。
でも大丈夫だろう。
ある程度の人間関係が両者にできていると、私は考えていた。
フランス人は議論好きだと噂を聞いているし、こうした踏み込んだやり取りの結果、人間関係がより深まるものだと思っていた。
それに、ここはビンセントの自国フランスではないし、自国語で話すわけではないので、政治的な話をしてもリスクは少ないのでは、と私は思ったのだ。
沈黙の時間が流れた。
騒がしい店の中での会話だから、聞こえていなかったかと思い、私は同じ台詞をもう一度繰り返した。
「大丈夫、聞こえています。あなたの言っていること、わかります」
考え込んでいるビンセント。
「じゃあ、なぜ・・・」
「どう説明すればよいのか、考えていました」
「・・・」
「この話題は、フランス国内ではタブーなのです」
深刻な表情でビンセントが答えた。
「タブー?」
私はやはり、地雷を踏んでしまったようである。
つづく
2018年7月下旬。
インド・スリランカの旅から戻り、4ヶ月が経過した。
季節は夏へと変わった。
私は地元の北海道・帯広市でカレー屋の営業をいつもの通り行っていた。
そんなある日のことである。
「おっ!」
facebookメッセンジャーにメールが入った。
送信元を見て、意外な人物からの連絡に驚く。
インド旅行中に出会った若者・ビンセントだ。
彼は東京の大学に留学している。
「来週北海道に遊びに行きます。あなたのお店に寄ります」
と、メールに書いてある。
そうか、あいつ北海道に遊びに行きたいって言ってたな。
本当に来るんだ。
安い飛行機のチケットが取れたのかな。
楽しみだ。
あと一週間あるな、と呑気に構えていたら、なんと連絡から3日後に彼は現れた。
ヒッチハイクで東京から陸路で北上し、青森から函館間をフェリーを使って、北海道の帯広まで来たという。
ヒッチハイクが予想以上にうまくいって、旅が早く進んだらしい。
北海道は函館から札幌まで行き、札幌で停車中の自動車の中から帯広ナンバーを探して、片っ端からドライバーに声をかけていったら、乗せてくれる親切なドライバーが現れたのだという。
帯広という漢字が読めるのか・・・ビンセントの頭のキレと行動力に驚嘆する私。
私の店がタイミングよく定休日だったので、久しぶりに繁華街に行き、彼のリクエストに応えジンギスカンを食べることにした。
食事をしながら、今後の予定をビンセントに聞く。
今日は私のところで一泊し、翌日知床へ向かうという。
「知床までヒッチハイクで行くつもりなの?」私が聞いた。
「今日ここまで送ってくれた方が、明日仕事で斜里まで行くので、また乗せてもらうことになっています」
「君はツイているな。斜里から知床は目の前だよ」
食事の会計時に、彼は自分の食べた分を払おうとするが、私は受け取らない。
ヒッチハイクで私に会いにきた若者に支払わせるわけにはいかない。
二次会は屋台で串揚げを食べる。
ビンセントはチーズの包み揚げが好みのようで、次から次へと追加オーダー。
酒も強く、気持ちよく飲んで食べてくれる。
以前彼との会話で日本の政治に興味があるといっていたことを思い出した。
詳しく話を聞いてみると、現代政治ではないようだ。
話が混み合ってきたので、彼はスマホの翻訳アプリを使って正確に伝えようとしていた。
どうやら幕末から明治時代の日本の政治に興味がある、と彼は言っているのだ。
なぜか?
日本史に詳しい人なら当然ご存じだろうが、フランスは幕末の日本に大きく関わっている。
特に幕府側の支援をしていたのがフランス。
薩長(薩摩藩・長州藩)の倒幕側を支援したのがイギリス。
「留学中に、これを勉強していました」と私にスマホの画面を見せる。
スマホの翻訳アプリで表示されているのが「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の文字。
ものすごくザックリ説明すると、明治時代に行われた仏教への弾圧運動である。
「凄いこと勉強しているな、ビックリだ。日本人でも理解していない人は多いと思う」
やはりインテリは考えていることが違う。
ならば、インテリのビンセント君に、あえて聞いてみよう。
「私は君の国、つまりフランスのヴィシー政権の時代に興味があるんだ。君はどう思っているの?」
ヴィシー政権とは、第二次世界大戦中のナチス占領下のフランスのことである。
私はこの時代のフランスについて、自国の若者がどのような教育を受けているか興味があったのだ。
欧米人にナチスについて触れることは失礼な行為だったかもしれない。
そして占領下の自国について質問されたら愉快な気分はしないだろう。
初対面の外国人には絶対しない質問だ。
でも大丈夫だろう。
ある程度の人間関係が両者にできていると、私は考えていた。
フランス人は議論好きだと噂を聞いているし、こうした踏み込んだやり取りの結果、人間関係がより深まるものだと思っていた。
それに、ここはビンセントの自国フランスではないし、自国語で話すわけではないので、政治的な話をしてもリスクは少ないのでは、と私は思ったのだ。
沈黙の時間が流れた。
騒がしい店の中での会話だから、聞こえていなかったかと思い、私は同じ台詞をもう一度繰り返した。
「大丈夫、聞こえています。あなたの言っていること、わかります」
考え込んでいるビンセント。
「じゃあ、なぜ・・・」
「どう説明すればよいのか、考えていました」
「・・・」
「この話題は、フランス国内ではタブーなのです」
深刻な表情でビンセントが答えた。
「タブー?」
私はやはり、地雷を踏んでしまったようである。
つづく