2019年11月26日(火)
2018年インド・スリランカ旅行記・15
旅行記×41
3月1日
ジャフナ滞在3日目の朝。
私の滞在していた安宿は、朝食つきのシステムだった。
一階の食堂で目玉焼きとトーストを食べていたら、長身の老人が私の対面の席に座った。
お互いの自己紹介、軽い世間話をした。
この老人はフランス国籍だが、「ジョンと呼んで」と言った。
ジョンはアメリカではよく聞く名前だけれど、フランスでも一般的なのだろうか。
どちらかと言えば、ジョンよりもジャンの方がフランスっぽいと思うのだが。
「今夜2階のロビーでコンサートがあるから、時間があれば見に来てね」
食事を終えたジョンが言った。
私はこの宿にミュージシャンが遊びに来るのかと思っていた。
夕方になった。
街歩きを終え宿に戻った私は、二階のロビーに向かった。
聴衆は10人くらい集まっている。
ステージ用の演台では、ジョンがギターを抱えて椅子に腰かけている。
彼自身が演奏者だったのか!
いったい、どのような音楽を演奏するのだろう。
ジョンは静謐で美しいメロディを爪弾いていく。
おそらくクラシック音楽、まるで教会で流れる音楽のようだと感じた。
彼は素人目に見ても、メチャクチャ演奏がうまい。
フレット(指板)間の指の移動が速く激しく動いているのだが、正確にしっかり押さえている。
とても難易度の高そうな曲を弾いていると感じるのだが、聴いていて演奏ミスがない。
ところが、途中でノイズが入った。
「ワンワンワン!ワンワンワン!」
演奏中に、外で野犬の群れがほえ始めたのだ。
「シャラーーーーーーーップ!!」
ジョンはハイレベルな演奏をしながら、野犬をたしなめる余裕があるのだ。
彼は3曲続けて演奏した。
「Johann Sebastian Bach」(バッハ)
演奏が終わった後、彼は作曲者を告げた。
聴衆はパラパラと、まばらな拍手。
ジョンが私を見ながら言った。
「日本から来た君のために、日本の曲を弾いてみよう」
♪さくら、さくら、弥生の空は見渡す限り・・・
彼は、さくらを超絶技巧で弾いていた。
ただメロディを爪弾くだけでなく、アルペジオやハーモ二クスといった高度な演奏技法で弾きまくり、途中で転調も入り、何度も同じメロディを繰り返すのだ。
こんな美しく激しい「さくら」を聞いたのは初めてだ。
「スゴイ、凄すぎる」
興奮する私。
他の聴衆も演奏に聞き入っている。
彼は間違いなく基礎的な練習をしっかり積んでいるし、もしかしたらプロのミュージシャンなのでは、と疑うほどの技術力を感じる。
演奏が終わり、割れんばかりの聴衆の拍手。
ジョンがプロ奏者だろうが、アマチュアだろうが、どうでもいい。
とにかく圧巻だった。
「すごい演奏でした。本当に感動しました」
感想をジョンに伝えた。
「実は日本には行ったことがないんだ。私の演奏は日本のさくらになっていましたか?」
彼は照れくさそうに聞いてくる。
「もちろん。日本のオリジナルよりも、よかったです」
「それは良かったな。聴いてくれて、ありがとう」
ジョンの熱演に触発されたのか、観客だった女性が彼からギターを受け取った。
二人の会話を聞いていると、彼女もフランス人。
女性はシャンソンを歌い始めた。
歌を聴きながら、自分もギターが弾けたらよかったのに、と少しだけ後悔する。
若い時の旅は、お金を節約するため安宿に泊まっていた。
現在はある程度自由に使えるお金があるから、もっと良い宿に泊まることはできる。
でも、こういう出会いが待っているから、安宿めぐりはやめられないのだ。
つづく
ジャフナ滞在3日目の朝。
私の滞在していた安宿は、朝食つきのシステムだった。
一階の食堂で目玉焼きとトーストを食べていたら、長身の老人が私の対面の席に座った。
お互いの自己紹介、軽い世間話をした。
この老人はフランス国籍だが、「ジョンと呼んで」と言った。
ジョンはアメリカではよく聞く名前だけれど、フランスでも一般的なのだろうか。
どちらかと言えば、ジョンよりもジャンの方がフランスっぽいと思うのだが。
「今夜2階のロビーでコンサートがあるから、時間があれば見に来てね」
食事を終えたジョンが言った。
私はこの宿にミュージシャンが遊びに来るのかと思っていた。
夕方になった。
街歩きを終え宿に戻った私は、二階のロビーに向かった。
聴衆は10人くらい集まっている。
ステージ用の演台では、ジョンがギターを抱えて椅子に腰かけている。
彼自身が演奏者だったのか!
いったい、どのような音楽を演奏するのだろう。
ジョンは静謐で美しいメロディを爪弾いていく。
おそらくクラシック音楽、まるで教会で流れる音楽のようだと感じた。
彼は素人目に見ても、メチャクチャ演奏がうまい。
フレット(指板)間の指の移動が速く激しく動いているのだが、正確にしっかり押さえている。
とても難易度の高そうな曲を弾いていると感じるのだが、聴いていて演奏ミスがない。
ところが、途中でノイズが入った。
「ワンワンワン!ワンワンワン!」
演奏中に、外で野犬の群れがほえ始めたのだ。
「シャラーーーーーーーップ!!」
ジョンはハイレベルな演奏をしながら、野犬をたしなめる余裕があるのだ。
彼は3曲続けて演奏した。
「Johann Sebastian Bach」(バッハ)
演奏が終わった後、彼は作曲者を告げた。
聴衆はパラパラと、まばらな拍手。
ジョンが私を見ながら言った。
「日本から来た君のために、日本の曲を弾いてみよう」
♪さくら、さくら、弥生の空は見渡す限り・・・
彼は、さくらを超絶技巧で弾いていた。
ただメロディを爪弾くだけでなく、アルペジオやハーモ二クスといった高度な演奏技法で弾きまくり、途中で転調も入り、何度も同じメロディを繰り返すのだ。
こんな美しく激しい「さくら」を聞いたのは初めてだ。
「スゴイ、凄すぎる」
興奮する私。
他の聴衆も演奏に聞き入っている。
彼は間違いなく基礎的な練習をしっかり積んでいるし、もしかしたらプロのミュージシャンなのでは、と疑うほどの技術力を感じる。
演奏が終わり、割れんばかりの聴衆の拍手。
ジョンがプロ奏者だろうが、アマチュアだろうが、どうでもいい。
とにかく圧巻だった。
「すごい演奏でした。本当に感動しました」
感想をジョンに伝えた。
「実は日本には行ったことがないんだ。私の演奏は日本のさくらになっていましたか?」
彼は照れくさそうに聞いてくる。
「もちろん。日本のオリジナルよりも、よかったです」
「それは良かったな。聴いてくれて、ありがとう」
ジョンの熱演に触発されたのか、観客だった女性が彼からギターを受け取った。
二人の会話を聞いていると、彼女もフランス人。
女性はシャンソンを歌い始めた。
歌を聴きながら、自分もギターが弾けたらよかったのに、と少しだけ後悔する。
若い時の旅は、お金を節約するため安宿に泊まっていた。
現在はある程度自由に使えるお金があるから、もっと良い宿に泊まることはできる。
でも、こういう出会いが待っているから、安宿めぐりはやめられないのだ。
つづく
2019年11月25日(月)
2018年インド・スリランカ旅行記・14
旅行記×41
スリランカを旅行していて気が付くことがある。
シンハラ語とタミル語。
必ず公共の場所では、この2つの言語が並んで表記されているのだ。
先住民シンハラ人と南インドからやってきたタミル人は、つい10年ほど前までスリランカ国内で戦争をしていた。
スリランカ北部は、タミル人が多く住むエリアである。
その主要都市ジャフナへの訪問。
今回の旅の目的の一つだった。
私はスリランカに住むタミル人が作るカレーに興味があった。
今まで食べてきたスリランカカレーと何が違うのか確かめたかったのだ。
2月27日
ジャフナは実際訪れてみると活気のある街で、内戦時ここが激戦地だったとは信じられなかった。
トラヴィダ様式のヒンドゥー教の寺院が目立ち、仏教の寺院を全くみかけない。
南インドからジャフナに来ると、あまりに街の雰囲気が似ているため違う国に来た感じがしない。
ジャフナに観光客が増えてきたのも、ここ最近のことらしい。
しかし、欧米人観光客は街を歩いても全然見かけなかった。
ところがロンリープラネット(英語の旅行ガイド)に載っている安宿に行ったところ、欧米人がたくさん宿泊していた。
宿のオーナーに伝統的なジャフナ料理のレストランを紹介してもらい、夕食に行ってみた。
メニューを開き、私は驚愕する。
見覚えのあるインド料理の名前が、ズラリとメニュー表に並んでいるのだ。
スリランカ特有の料理名が見当たらない。
パラックパニール(ほうれん草カレー)
チャパティ(全粒粉の薄焼きパン)
ファルーダ(アイスクリーム)
「これは完全にインド料理だよな・・・」
狐につままれた気分で食事をとった。
2月28日
町の中心部を歩いていると、店の看板に大きくミールスの絵が描いてある食堂をみつけた。
ミールスは南インドでは、おなじみのカレー定食である。
店内に入り、オーダーしてみる。
テーブルの上にバナナの葉が敷かれ、接客係がやってきてカレーや副菜を次々盛りつけていく。
南インドと全く同じ味ではないが、見た目は完全に同じ。
多少の差異はあるが、料理という点でジャフナは南インドとほぼ同じということなんだろう。
宿のオーナーが夕食を宿で用意できると言っていたのを思い出した。
私は宿に戻り、オーナーに尋ねた。
「夕食はジャフナ料理なのですか」
「もちろん、そうだ」と言うので調理してもらった。
豆カレー
エビカレー
プーリー(小麦粉を餃子の皮状に伸ばし、油で揚げたもの)
バナナ
食べてみたら、今まで自分が食べてきた南インド料理と微妙に味付けが違う気がするのだ。
自分の部屋に戻り、街の本屋で買ったジャフナ料理のレシピ本を開いてみる。
私も一応プロなので、スリランカにしろインドにしろ、スパイスの配合やレシピを見れば、おおよその味の想像がつく。
ジャフナ料理のスパイス配合はインド料理によく似ているが、使っているスパイスの種類に微妙な違いがあるようだ。
しかし本を読んでも、これがジャフナ料理だ、という確信がつかめない。
一体どういうことなのか、謎が深まるばかりだ。
そもそも数日の滞在で、その土地の料理をわかった気になってはいけない、ということなのだろう。
前回の旅のように、ホームステイをしながら、じっくり調理法を見ていくしかないかもしれない。
つづく
シンハラ語とタミル語。
必ず公共の場所では、この2つの言語が並んで表記されているのだ。
先住民シンハラ人と南インドからやってきたタミル人は、つい10年ほど前までスリランカ国内で戦争をしていた。
スリランカ北部は、タミル人が多く住むエリアである。
その主要都市ジャフナへの訪問。
今回の旅の目的の一つだった。
私はスリランカに住むタミル人が作るカレーに興味があった。
今まで食べてきたスリランカカレーと何が違うのか確かめたかったのだ。
2月27日
ジャフナは実際訪れてみると活気のある街で、内戦時ここが激戦地だったとは信じられなかった。
トラヴィダ様式のヒンドゥー教の寺院が目立ち、仏教の寺院を全くみかけない。
南インドからジャフナに来ると、あまりに街の雰囲気が似ているため違う国に来た感じがしない。
ジャフナに観光客が増えてきたのも、ここ最近のことらしい。
しかし、欧米人観光客は街を歩いても全然見かけなかった。
ところがロンリープラネット(英語の旅行ガイド)に載っている安宿に行ったところ、欧米人がたくさん宿泊していた。
宿のオーナーに伝統的なジャフナ料理のレストランを紹介してもらい、夕食に行ってみた。
メニューを開き、私は驚愕する。
見覚えのあるインド料理の名前が、ズラリとメニュー表に並んでいるのだ。
スリランカ特有の料理名が見当たらない。
パラックパニール(ほうれん草カレー)
チャパティ(全粒粉の薄焼きパン)
ファルーダ(アイスクリーム)
「これは完全にインド料理だよな・・・」
狐につままれた気分で食事をとった。
2月28日
町の中心部を歩いていると、店の看板に大きくミールスの絵が描いてある食堂をみつけた。
ミールスは南インドでは、おなじみのカレー定食である。
店内に入り、オーダーしてみる。
テーブルの上にバナナの葉が敷かれ、接客係がやってきてカレーや副菜を次々盛りつけていく。
南インドと全く同じ味ではないが、見た目は完全に同じ。
多少の差異はあるが、料理という点でジャフナは南インドとほぼ同じということなんだろう。
宿のオーナーが夕食を宿で用意できると言っていたのを思い出した。
私は宿に戻り、オーナーに尋ねた。
「夕食はジャフナ料理なのですか」
「もちろん、そうだ」と言うので調理してもらった。
豆カレー
エビカレー
プーリー(小麦粉を餃子の皮状に伸ばし、油で揚げたもの)
バナナ
食べてみたら、今まで自分が食べてきた南インド料理と微妙に味付けが違う気がするのだ。
自分の部屋に戻り、街の本屋で買ったジャフナ料理のレシピ本を開いてみる。
私も一応プロなので、スリランカにしろインドにしろ、スパイスの配合やレシピを見れば、おおよその味の想像がつく。
ジャフナ料理のスパイス配合はインド料理によく似ているが、使っているスパイスの種類に微妙な違いがあるようだ。
しかし本を読んでも、これがジャフナ料理だ、という確信がつかめない。
一体どういうことなのか、謎が深まるばかりだ。
そもそも数日の滞在で、その土地の料理をわかった気になってはいけない、ということなのだろう。
前回の旅のように、ホームステイをしながら、じっくり調理法を見ていくしかないかもしれない。
つづく
2019年11月24日(日)
2018年インド旅行記・13
旅行記×41
2月24日
昨日に引き続き、本日もスニと一緒に行動。
彼女は私のために、わざわざ休みを2日取ってくれたのである。
安宿のロビーに、約束の30分遅れでスニが現れた。
「ん?」
スニはいつも民族衣装を着ているのだが、私には今までと同じものに見えない。
一目で良質な生地を使っているのがわかり、模様も上品な感じだ。
今日の彼女の服装は「気合」が入っているのだ。
前日の会話で私が「明日高級ホテルで昼食したいので、付き合ってほしい」
と話したからかもしれない。
エルナクラム(新市街)へ移動し、二人で高級ホテルのレストランで食事。
私はミールスとエビカレーをオーダー。
メニューを見たスニが、野菜ビリヤニをオーダーする。
「昨日ビリヤニ食べたよね。また食べるの?」
確認する私。
「好きだから何回食べても平気」
スニの言葉に、あきれる私。
インド人にとってのビリヤニは、日本人の外食での寿司だ。
ハレの日のご馳走。
スニが執着するのも理解してあげないとな。
「ここのビリヤニは今一つね。少し脂っぽい」
ところが食事に不満を言うスニ。
おいおい・・・
それでも追加注文したアイスクリームを彼女は実に美味しそうに食べていた。
スイーツは別腹なのは、インド女性も同様だった。
「これからどうする?映画でも見るかい」
レストランを出たあとに私が言うと、スニは気乗りしないよう表情をしている。
「映画・・・それよりも戻って色々話しましょうよ」
私の宿の2階が食堂になっているので、そこでおしゃべりしようと提案された。
彼女は既婚女性が外国人男性と二人で映画はマズイ、と思ったのかもしれない。
「じゃあ、戻ろうか」
私の宿に戻り、スニ先生の料理教室が始まった。
「ケララ伝統の卵カレーの作り方~♪」
上機嫌な彼女は歌うようにレシピの内容を口に出し、私のノートに書いていく。
そのピンクのボールペン・・・
彼女が持っているペンは私が昨日プレゼントしたものだ。
早速使ってくれて嬉しく感じる。
料理教室の次は、写真の撮影会だ。
スニはブロマイド写真のようなポーズをとり、自分の写真をとってくれという。
撮影後に彼女のスマホに写真を送った。
楽しそうに笑う彼女の表情を見て、私も嬉しかった。
他愛のない話をしていたら、気がつくと夕方になっていた。
「食事の準備をするので、そろそろ帰ります」
「2日間楽しかった。ありがとう、スニ」
「うん。またコーチンに来たときは連絡してね」
宿から外に出て、リキシャーに乗ったスニを見えなくなるまで手を振って見送る。
スニは帰っていった。
自分の妻が2日間も私と遊んで、スニの夫はどう思っているのか?
今回の訪問でスニに会ったときに、彼女の夫を紹介してもらうのが本来のスジだろう。
しかし、そうはならなかった。
スニの夫は、私が彼女と会っていることを知らない。
なぜなら、スニの結婚生活は破綻しており、現在夫と別居をしているからだ。
「夫はヒドイ人。この生活に耐えられない」
今回の旅行前に彼女からメールで何度か相談(というよりも愚痴)を受けたことがあって、そのたびに「何とか、やり直せないのかい?」と返信していた。
暴力なのか、浮気なのか、金銭トラブルなのか。
スニが具体的に語ろうとしないので何が問題なのか、よくわからない。
詳しい事情がメールではわからないし、「旦那と別れて新しい人生を始めたらどうか」とは無責任過ぎて言えない。
その後彼女から「結局、夫と別居することになりました」とメールがあった。
彼女の夫は料理人だと聞いていたので、本当は会って色々話を聞いてみたかった。
残念ながら、その希望はもう叶わない。
今回彼女と会っているとき、私はこの話題には一切触れていない。
また彼女から話し出すこともなかった。
彼女が今どのような生活をしているのかは、詳しくはわからない。
おそらく金銭的な不安もあるだろうし、別居ということで周囲の目も気になるだろう。
彼女は現在、何かとシンドイ毎日なのではないのか?と想像はしていた。
次に彼女と会うときは、どうなっているのか?
状況が好転していればよいのだが、としか言えない。
彼女に対して私の出来ること・・・
色々考えてみたけれど、現実的に私に出来ることはほとんどない、と感じた。
彼女と会ったときに、楽しい時間を一緒に過ごすこと。
これくらいしか思いつかなかった。
だから、いつかまたコーチンに来る機会があれば、私はきっとスニに会うのだろう。
つづく
昨日に引き続き、本日もスニと一緒に行動。
彼女は私のために、わざわざ休みを2日取ってくれたのである。
安宿のロビーに、約束の30分遅れでスニが現れた。
「ん?」
スニはいつも民族衣装を着ているのだが、私には今までと同じものに見えない。
一目で良質な生地を使っているのがわかり、模様も上品な感じだ。
今日の彼女の服装は「気合」が入っているのだ。
前日の会話で私が「明日高級ホテルで昼食したいので、付き合ってほしい」
と話したからかもしれない。
エルナクラム(新市街)へ移動し、二人で高級ホテルのレストランで食事。
私はミールスとエビカレーをオーダー。
メニューを見たスニが、野菜ビリヤニをオーダーする。
「昨日ビリヤニ食べたよね。また食べるの?」
確認する私。
「好きだから何回食べても平気」
スニの言葉に、あきれる私。
インド人にとってのビリヤニは、日本人の外食での寿司だ。
ハレの日のご馳走。
スニが執着するのも理解してあげないとな。
「ここのビリヤニは今一つね。少し脂っぽい」
ところが食事に不満を言うスニ。
おいおい・・・
それでも追加注文したアイスクリームを彼女は実に美味しそうに食べていた。
スイーツは別腹なのは、インド女性も同様だった。
「これからどうする?映画でも見るかい」
レストランを出たあとに私が言うと、スニは気乗りしないよう表情をしている。
「映画・・・それよりも戻って色々話しましょうよ」
私の宿の2階が食堂になっているので、そこでおしゃべりしようと提案された。
彼女は既婚女性が外国人男性と二人で映画はマズイ、と思ったのかもしれない。
「じゃあ、戻ろうか」
私の宿に戻り、スニ先生の料理教室が始まった。
「ケララ伝統の卵カレーの作り方~♪」
上機嫌な彼女は歌うようにレシピの内容を口に出し、私のノートに書いていく。
そのピンクのボールペン・・・
彼女が持っているペンは私が昨日プレゼントしたものだ。
早速使ってくれて嬉しく感じる。
料理教室の次は、写真の撮影会だ。
スニはブロマイド写真のようなポーズをとり、自分の写真をとってくれという。
撮影後に彼女のスマホに写真を送った。
楽しそうに笑う彼女の表情を見て、私も嬉しかった。
他愛のない話をしていたら、気がつくと夕方になっていた。
「食事の準備をするので、そろそろ帰ります」
「2日間楽しかった。ありがとう、スニ」
「うん。またコーチンに来たときは連絡してね」
宿から外に出て、リキシャーに乗ったスニを見えなくなるまで手を振って見送る。
スニは帰っていった。
自分の妻が2日間も私と遊んで、スニの夫はどう思っているのか?
今回の訪問でスニに会ったときに、彼女の夫を紹介してもらうのが本来のスジだろう。
しかし、そうはならなかった。
スニの夫は、私が彼女と会っていることを知らない。
なぜなら、スニの結婚生活は破綻しており、現在夫と別居をしているからだ。
「夫はヒドイ人。この生活に耐えられない」
今回の旅行前に彼女からメールで何度か相談(というよりも愚痴)を受けたことがあって、そのたびに「何とか、やり直せないのかい?」と返信していた。
暴力なのか、浮気なのか、金銭トラブルなのか。
スニが具体的に語ろうとしないので何が問題なのか、よくわからない。
詳しい事情がメールではわからないし、「旦那と別れて新しい人生を始めたらどうか」とは無責任過ぎて言えない。
その後彼女から「結局、夫と別居することになりました」とメールがあった。
彼女の夫は料理人だと聞いていたので、本当は会って色々話を聞いてみたかった。
残念ながら、その希望はもう叶わない。
今回彼女と会っているとき、私はこの話題には一切触れていない。
また彼女から話し出すこともなかった。
彼女が今どのような生活をしているのかは、詳しくはわからない。
おそらく金銭的な不安もあるだろうし、別居ということで周囲の目も気になるだろう。
彼女は現在、何かとシンドイ毎日なのではないのか?と想像はしていた。
次に彼女と会うときは、どうなっているのか?
状況が好転していればよいのだが、としか言えない。
彼女に対して私の出来ること・・・
色々考えてみたけれど、現実的に私に出来ることはほとんどない、と感じた。
彼女と会ったときに、楽しい時間を一緒に過ごすこと。
これくらいしか思いつかなかった。
だから、いつかまたコーチンに来る機会があれば、私はきっとスニに会うのだろう。
つづく
2019年11月23日(土)
2018年インド旅行記・12
旅行記×41
2月22日
コーチンに戻って最初に行ったのは問屋街。
食器とスパイスの買い付けが目的である。
問屋街は初めてではないので、すぐに金物屋は見つかり食器のオーダーを行う。
その場で梱包してもらい、エルナクラム中央郵便局で発送の手配を行った。
チェンナイでたらい回しにされたのがウソのように、実にスムーズに手配が進行し、あっという間に発送業務が終了した。
翌日、約束通りスニと再会した。
彼女は私の安宿のロビーまで、わざわざ出向いてくれた。
「君が言っていた通り、お土産を直接あなたに渡します」
チョコレートがたくさん入ったビニール袋を彼女に手渡した。
「そうそう、直接ね」と言って彼女は笑う。
「日本人は約束を守るでしょう?」
ドヤ顔の私。
「日本人じゃなくて、あなたが、よ」
スニは我慢ができず、袋の中身を外に出して確認を始めた。
キットカット2種詰め合わせ ファミリーパック
明治チョコ3種詰め合わせ ファミリーパック
きのこの山&たけのこの里 ファミリーパック
コアラのマーチ ファミリーパック
ブルボン アルフォート(ホワイトチョコクッキー)
グリコ ポッキー
スニが希望していた通り、山盛りのチョコレートである。
そしてピンク色のボールペンをプレゼントした。
サイズは小さいが、シャープペンとボールペンが切り替わるペンだ。
「やった!やった!」
スニは大喜び。
その場でチョコの封を切り、食べ始めた。
マルコスやシャンも同じようなリアクションだったけれど、インド人は本当にせっかちだ。
スニは満面の笑みで「美味しいー」を連発。
今回は無事お土産を渡せてよかった、よかった。
「これからどうする?」と聞く私に、「海を見にいきましょう」と答えるスニ。
「海?」
宿から10分ほど歩き、海岸へ。
海岸沿いの遊歩道を二人で歩いていく。
「♪~」
チョコを食べながら、上機嫌で歩くスニ。
インド人女性と一緒に並んで歩いている私。
まるでデートをしているような不思議な気分になってくる。
海が正面に見えるベンチに座って世間話をする。
「君の勤めていたブティックがなくなっていたよ」
と私が言った。
「そうね、あの店は値段が高かったから・・・コーチンとゴアの支店が閉鎖されたわ」
「そうなんだ。で、君は今働いているの?」
「ええ、今は医療事務の仕事をしているのよ」
「そうか、それはよかった」
私は空腹を感じていた。
「スニ。お昼ごはんは、ビリヤニを食べに行こう。確かムスリム街にお店あるよね?」
「わかったわ、行きましょう」
リキシャーに乗るが、なかなか走り出さない。
スニとドライバーが長々と話し込んでいる。
ようやく走りはじめたと思ったら、立派な店構えの店の前でリキシャーは止まった。
店の看板には、シルク、ジュエリーと大きく書いてあり、嫌な予感がしてきた。
ここはレストランではなく、高級土産物店だった。
高級土産物店!
私がここフォートコーチンで一番行きたくない所だ。
「スニ・・・なぜ?」なぜなんだー!
「まぁまぁ、とりあえず店に入りましょう」
彼女になだめられて店内へ。
スニは店主と現地語マラヤラムで談笑。
私にスタッフが近づいてきて、お土産の売り込みが始まった。
絨毯。
仏像。
やたらと細かい細工の置物。
スタッフは私が外国人なので値段の高いものばかり勧めてくる。
私の心は1ミリも動かない。
買う気がないものの、何度も売り込みを断っていくのはストレスが溜まる。
「もう、疲れたよ」
店員に聞こえない程度の小声でスニに苦情を言った。
「ドライバーの彼は、私たちが店に入っただけでコミッション(手数料)を土産店の店主からもらっているのよ。少し協力してあげて」
「うーーん・・・わかった。でも買わないからね」
スニは観光地コーチンで長く暮らしているので、リキシャードライバーが経済的に恵まれていないと知っている。
だから彼女は頼まれたら断れない。
買う気が全くない土産物店巡りに5軒付き合わされ、ビリヤニ屋にようやく着いたのは1時間半後のことであった。
つづく
コーチンに戻って最初に行ったのは問屋街。
食器とスパイスの買い付けが目的である。
問屋街は初めてではないので、すぐに金物屋は見つかり食器のオーダーを行う。
その場で梱包してもらい、エルナクラム中央郵便局で発送の手配を行った。
チェンナイでたらい回しにされたのがウソのように、実にスムーズに手配が進行し、あっという間に発送業務が終了した。
翌日、約束通りスニと再会した。
彼女は私の安宿のロビーまで、わざわざ出向いてくれた。
「君が言っていた通り、お土産を直接あなたに渡します」
チョコレートがたくさん入ったビニール袋を彼女に手渡した。
「そうそう、直接ね」と言って彼女は笑う。
「日本人は約束を守るでしょう?」
ドヤ顔の私。
「日本人じゃなくて、あなたが、よ」
スニは我慢ができず、袋の中身を外に出して確認を始めた。
キットカット2種詰め合わせ ファミリーパック
明治チョコ3種詰め合わせ ファミリーパック
きのこの山&たけのこの里 ファミリーパック
コアラのマーチ ファミリーパック
ブルボン アルフォート(ホワイトチョコクッキー)
グリコ ポッキー
スニが希望していた通り、山盛りのチョコレートである。
そしてピンク色のボールペンをプレゼントした。
サイズは小さいが、シャープペンとボールペンが切り替わるペンだ。
「やった!やった!」
スニは大喜び。
その場でチョコの封を切り、食べ始めた。
マルコスやシャンも同じようなリアクションだったけれど、インド人は本当にせっかちだ。
スニは満面の笑みで「美味しいー」を連発。
今回は無事お土産を渡せてよかった、よかった。
「これからどうする?」と聞く私に、「海を見にいきましょう」と答えるスニ。
「海?」
宿から10分ほど歩き、海岸へ。
海岸沿いの遊歩道を二人で歩いていく。
「♪~」
チョコを食べながら、上機嫌で歩くスニ。
インド人女性と一緒に並んで歩いている私。
まるでデートをしているような不思議な気分になってくる。
海が正面に見えるベンチに座って世間話をする。
「君の勤めていたブティックがなくなっていたよ」
と私が言った。
「そうね、あの店は値段が高かったから・・・コーチンとゴアの支店が閉鎖されたわ」
「そうなんだ。で、君は今働いているの?」
「ええ、今は医療事務の仕事をしているのよ」
「そうか、それはよかった」
私は空腹を感じていた。
「スニ。お昼ごはんは、ビリヤニを食べに行こう。確かムスリム街にお店あるよね?」
「わかったわ、行きましょう」
リキシャーに乗るが、なかなか走り出さない。
スニとドライバーが長々と話し込んでいる。
ようやく走りはじめたと思ったら、立派な店構えの店の前でリキシャーは止まった。
店の看板には、シルク、ジュエリーと大きく書いてあり、嫌な予感がしてきた。
ここはレストランではなく、高級土産物店だった。
高級土産物店!
私がここフォートコーチンで一番行きたくない所だ。
「スニ・・・なぜ?」なぜなんだー!
「まぁまぁ、とりあえず店に入りましょう」
彼女になだめられて店内へ。
スニは店主と現地語マラヤラムで談笑。
私にスタッフが近づいてきて、お土産の売り込みが始まった。
絨毯。
仏像。
やたらと細かい細工の置物。
スタッフは私が外国人なので値段の高いものばかり勧めてくる。
私の心は1ミリも動かない。
買う気がないものの、何度も売り込みを断っていくのはストレスが溜まる。
「もう、疲れたよ」
店員に聞こえない程度の小声でスニに苦情を言った。
「ドライバーの彼は、私たちが店に入っただけでコミッション(手数料)を土産店の店主からもらっているのよ。少し協力してあげて」
「うーーん・・・わかった。でも買わないからね」
スニは観光地コーチンで長く暮らしているので、リキシャードライバーが経済的に恵まれていないと知っている。
だから彼女は頼まれたら断れない。
買う気が全くない土産物店巡りに5軒付き合わされ、ビリヤニ屋にようやく着いたのは1時間半後のことであった。
つづく