20191129(金)

2018年インド・スリランカ旅行記・18


2018年インド・スリランカ旅行記・18

3月5日

ヒッカドゥワ滞在最終日。
「レイコさんが時間の都合がついたって言っていたよ、遊びにいきましょう」
カオリさんと二人で、スリヤンガ宅に向かった。

「もう3年も経ちましたか?1年くらいかと思っていました」
レイコさんが笑って迎えてくれた。
お土産にS&Bゴールデンカレーを渡した。
前回と同じでカレーがお土産だったけれど、受け取った彼女は嬉しそうな表情。

スリヤンガは仕事の都合で残念ながら会えなかった。
私が急にやってきたのだから、それは仕方がない。
レイコさんは昼食を私のために用意してくれていて感謝しかない。
彼女の作る伝統的なスリランカ料理は、素晴らしく美味しかった。

まずレイコさんに、前回のホームステイのお礼を言った。
「私の店でスリランカの家庭料理を提供していますが、とても評判がいいです。
お世話になり、ありがとうございました」
レイコさんはとても喜んでくれた。
「その後、プロの料理人はこちらへ訪問していますか?」
と私が聞くと、
「料理を習いに来た人が何人かいましたが、プロとは言っていませんでしたね」

私の旅の話の中で、北部の町・ジャフナの話は、特にレイコさんの興味を引いたようである。
彼女もスリヤンガも、ジャフナには今まで一度も行ったことがないそうだ。
戦争が終わって10年も経っているのに、まだ恐怖感が残っているのだろうか。
「戦争の爪痕は、まだ残っているようでしたか」と彼女から聞かれる。
「いえ、観光客としてなら、感じることはないですね、ただ・・・」
「何か気になることでも?」
「タミル人の他に、シンハラ人もたくさん住んでいる感じでした」
「ああ、それは政府がシンハラ人に、ジャフナへの移住を勧めているからです」
博識な彼女はスリランカのことなら、なんでも知っている。

私は以前から感じていた疑問を彼女に尋ねてみることにした。
「タミル側から不満分子というか、戦争をもう一度起こそうという動きはないのですか」
「それは、もうないと思います」
断言するレイコさん。
「なぜですか」
「戦争の指導者が全員殺されて内戦が終結しています。末端の兵士達は厭戦気分で戦争をやめたがっていましたから」
「そうなんですか、すっきりしました」
彼女は本当になんでも知っている。

「ジャフナで色々食べたのですが、南インドそっくりでしたね」
私はスリランカ北部・タミル料理の感想を言った。
「ヌワラエリアが面白いと思いますよ。植民地時代に強制労働で連れてこられたタミル人の子孫が結構住んでいて、食文化もシンハラ人のものとミックスしているようです」
と、レイコさんが教えてくれた。
紅茶で有名なヌワラエリアだが、私は料理の勉強のため、将来ここを訪問することになりそうだ。
「いやーー勉強になります。それは興味深いですね」
彼女は本当になんでも知っている。

レイコさんから、いつまでもスリランカの話を聞いていたい気分だったが、コロンボ行きのバスに乗らなければならない。
ありがとう、レイコさん。

レイコさんに別れを告げ、カオリさんの車でバス亭まで送ってもらった。
「またヒッカドゥワに遊びにきてくださいね」
ありがとう、カオリさん。
お世話になったカオリさんに深々と日本式お辞儀をしたら、ニコニコ笑って手を振っていた。
「じゃあ、また来ますね!」



やはり、またスリランカに来なくてはならないようだ。
スリランカ料理の勉強は終わりそうもない。
知れば知るほどわからないことが増え、調べなければいけないことが増えていく。
でも、そこがいい。
自分が好きでやっている仕事だから。

つづく



20191128(木)

2018年インド・スリランカ旅行記・17


2018年インド・スリランカ旅行記・17

3月3日

ヒッカドゥワでの滞在中、私はカオリさんの部屋にちょくちょく顔を出し、世間話につきあってもらった。
日本語でたっぷり会話ができるのが心地よいし、カオリさんは関西出身ということもあって、サービス精神旺盛で話をして楽しいのだ。

彼女から、夫であるキンスリーの話を色々聞くことができた。
キンスリーは筋トレが趣味である。
彼は私と年齢が同じなのだが、細マッチョでスタイルがよく、非常に若々しく見える。

「ちょっと聞いてくれます?キンスリーが私を最初にデートに誘ったとき、なんて言ったか」
おかしくてたまらない表情をするカオリさん。
「なんて言ったんですか、彼は」
「僕と一緒に浜辺でトレーニングしないか、よ」
「マジですかw」
「あっはは。ウケるでしょう?」
「それで、一緒にやったんですか。トレーニング」
「うん、でも毎朝6時から始まるのよ」
「マジですかwww」

カオリさんの話によると、キンスリーは苦労人だ。
今でこそ大きなゲストハウスの経営者だが、若いころイタリアで出稼ぎした金をもとに部屋2つの小さなゲストハウスを始めた。
彼の人柄が信用され、欧米からの長期客が増加し、少しずつ増築して現在の大きなゲストハウスになった。

そしてキンスリーは日本人が好きらしい。
他のシンハラ人と比較すると、彼の顔は濃くない。
子供のころ、日本人みたいな顔と言われ、彼は嬉しかったそうだ。
カオリさんと結婚したあと日本で生活した経験があるが、和食が全く合わなかったらしく、
いつも自分でカレーを作って食べていたようである。


夕方に、カオリさんが私の部屋をノックする。
「キンスリーがマトンカレー作ったから、食べに来ないかって言ってるよ」
マトンカレーだと!?
「行きます行きます。絶対行きます」
スリランカ人が作るマトンカレーは、今まで一度も食べたことがない。
まさに千載一遇のチャンスだ。

初めて目にするマトンカレー。
羊肉はキンスリーが、わざわざゴールの町まで買いに行ったそうだ。
ゴールはムスリム(イスラム教徒)人口の多い町だから、羊肉の需要があるのだ。

お皿にライスが乗り、マトンカレー、豆カレー、サラダが盛りつけられている。
これが目をひんむくくらい美味かった。
マトンカレーは、カルダモンとブラックペッパーが強烈に自己主張している。
臭み消しのジンジャーも良い風味だ。
「美味いよ!キンスリー、美味い」
夢中になってガツガツ食べていく。
キンスリーも満足気な表情で嬉しそう。

「どんなスパイスを使っているの?」
キンスリーに作り方を根掘り葉掘り聞いた。
これは絶対に店に戻ってから、メニューに加えなけらばならない。



3月4日

時間があったので観光地のゴールへ行った。
欧米人、アジアからも観光客がたくさん来ていた。
観光の見どころは城塞跡だが、周辺も含め半日あれば十分。
私が次回ゴールへ来るときは、観光ではなく、ムスリム料理を勉強するために訪問することになるだろう。

ゴールから戻った私は、宿の近くにあるスーパーマーケットへ出かけた。
外食に飽きてきたので、久しぶりに自炊をしようと思ったのだ。
夕食は久し振りにパスタを調理した。
香辛料は塩胡椒のみのシンプルな味付けだが、非常に美味しく感じた。
冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを出して、グビグビ飲む。

カオリさんがマトンカレーを持って部屋に遊びに来た。
「キンスリーが友達に自慢してたよ。俺のカレーは日本の料理人に褒められたって」
「そうなんだ。ほんとに美味しかったからね」

「そういえば、キンスリーは仕事があるはずなのに、なんか私の所にずっといようとするんだよね」
カオリさんは不思議そうな顔をする。
「そりゃそうですよ、久しぶりにカオリさんがスリランカに戻ってきたのだから」
「そう?」
「絶対そうですって」

スリランカではアーユルヴェーダの施設を立ち上げ、オフシーズンには南インドでヨガの修行をしている。
人生を謳歌する自由人のカオリさん。
前回の旅ではスリヤンガ・レイコ夫妻にお世話になったが、今回はキンスリー・カオリ夫妻と深く関わることになった。
人の縁とは、本当に面白いと思う。

つづく



20191127(水)

2018年インド・スリランカ旅行記・16


2018年インド・スリランカ旅行記・16

3月2日

北部の町ジャフナから東海岸のトリンコマリーに行くか迷ったが、結局キャンディに南下することにした。

キャンディの訪問は2回目。
街のシンボルであるキャンディ湖を眺めながら、この後の旅の日程をどうするか悩む。
ヌワラエリアは紅茶で有名な町で、一度は訪問しておきたいと考えていた。
しかし、なぜか気乗りがしなかった。
「そうだ」
私は前回の旅でゴールを訪問したかったが、結局行けなかったことを思い出した。
南西部の町ゴール。

あれ?
ゴールってヒッカドゥワの隣町だったはずだ。
とりあえず前回ホームステイでお世話になった町、ヒッカドゥワに行ってみようか。
決めた。
ヒッカドゥワに行こう。

「キンスリーの宿に泊まりたいので、連絡先を知っていたら教えてくれませんか?」
レイコさんに、スマホからメールを送ってみた。
彼女はヒッカドゥワ在住で夫婦で旅行代理店を経営している。
3年前にホームステイの件で大変お世話になった人だ。
キンスリーはレイコさんの知人であり、私も彼と面識があった。
せっかくなら、知り合いがやっている宿に泊まろうと思ったのだ。

すぐに返信が来た。
キンスリーのゲストハウスは満室らしいが、新しく作った宿に空きがあるかもしれない。
直接カオリさんに聞いてみてください、と彼女の携帯番号が書いてあった。
カオリさんも3年前に会っていて面識がある。
彼女はキンスリーの奥様だから、直接話をしたほうが早い。

「大丈夫。空いていますよ」
早速カオリさんに電話して、泊まれることを確認。
彼女が私のことを覚えてくれていて一安心する。
キャンディからコロンボ経由で、その日のうちにヒッカドゥワへ移動する。
到着後はスリーウィラー(3輪タクシー)を捕まえて、キンスリーのゲストハウスに向かう。

ここでカオリさんと待ち合わせ。
私のことはスタッフに話が伝わっているようで、ロビーで待っているよう言われる。
私の到着をスタッフから連絡を受け、カオリさんが現れて再会を果たす。
「もう3年たったの?早いねー」ニコニコ笑っている。
彼女の車に乗り、新しい宿へ移動。

「あなたはタイミングがいいよ、ホントに」とカオリさんが言う。
実は彼女、ヨガの修行のため南インドに長期滞在中なのだが、たまたまスリランカに戻ってきていたのだ。
「そうですね。でも世の中には偶然はなく、全てが必然という考えもある。
ここでカオリさんと会うのは必然かも」
私は知ったかぶりのスピリチュアル思想を開陳した。
「あっははは。そうかもねー」
笑うカオリさん。

到着したのは3階建ての豪奢な建物。
1階はアーユルヴェーダの施設。
3年前に彼女が語っていた夢は実現されていたのだ。
今はオフシーズンなので、施設は閉鎖されており、スタッフも帰しているのだという。
2階3階が客室となっているが、本来は施設の営業期間にスタッフが使用する部屋らしい。
客室の総数は全部で4室。

私の部屋は3階だった。
客室の間取りは、入口からすぐに10畳以上の広さがある寝室があり、ダブルベッドが置いてある。
寝室はエアコン完備である。
浴室はトイレが一体式だが、4畳半くらいの広さがある。
もう一部屋が20畳くらいあるリビングなのだが、外に面する壁がなく、常に外気に触れる開放的な空間となっている。
カウンターやキッチンも備わっており、4人掛けテーブルが置いてある。
一人で泊まるには十分すぎる広さの部屋である。
個人的に嬉しかったのはキッチンと冷蔵庫があったこと。
自分で料理ができて、冷えたビールがいつでも飲めるのは非常にありがたい。

カオリさんとキンスリーの部屋が2階となっていて、3階にいく通路は必ずこの部屋の前を通ることになっている。
しかも通路に接しているリビングには窓がなく、格子状の木枠があるだけで誰か部屋にいたら丸見えなのだ。


カオリさんが部屋にいたので、お土産を渡しにいった。
S&Bゴールデンカレー(辛口)
成田空港に行く途中に寄ったコンビニで、これしか売っていなかったのだ!
「あはは!カレー屋さんだけに、お土産もカレーなのね」

やはりカオリさんは、面白い人だ!
迷ったけれど、ヒッカドゥワに来てよかった。
旅の日数は残り少なくなっているが、意心地がいいので、ここでのんびりしようと決めた。


つづく



20191126(火)

2018年インド・スリランカ旅行記・15


2018年インド・スリランカ旅行記・15

3月1日

ジャフナ滞在3日目の朝。
私の滞在していた安宿は、朝食つきのシステムだった。
一階の食堂で目玉焼きとトーストを食べていたら、長身の老人が私の対面の席に座った。
お互いの自己紹介、軽い世間話をした。
この老人はフランス国籍だが、「ジョンと呼んで」と言った。

ジョンはアメリカではよく聞く名前だけれど、フランスでも一般的なのだろうか。
どちらかと言えば、ジョンよりもジャンの方がフランスっぽいと思うのだが。
「今夜2階のロビーでコンサートがあるから、時間があれば見に来てね」
食事を終えたジョンが言った。
私はこの宿にミュージシャンが遊びに来るのかと思っていた。


夕方になった。
街歩きを終え宿に戻った私は、二階のロビーに向かった。
聴衆は10人くらい集まっている。
ステージ用の演台では、ジョンがギターを抱えて椅子に腰かけている。
彼自身が演奏者だったのか!
いったい、どのような音楽を演奏するのだろう。

ジョンは静謐で美しいメロディを爪弾いていく。
おそらくクラシック音楽、まるで教会で流れる音楽のようだと感じた。
彼は素人目に見ても、メチャクチャ演奏がうまい。
フレット(指板)間の指の移動が速く激しく動いているのだが、正確にしっかり押さえている。
とても難易度の高そうな曲を弾いていると感じるのだが、聴いていて演奏ミスがない。
ところが、途中でノイズが入った。

「ワンワンワン!ワンワンワン!」
演奏中に、外で野犬の群れがほえ始めたのだ。

「シャラーーーーーーーップ!!」
ジョンはハイレベルな演奏をしながら、野犬をたしなめる余裕があるのだ。
彼は3曲続けて演奏した。
「Johann Sebastian Bach」(バッハ)
演奏が終わった後、彼は作曲者を告げた。
聴衆はパラパラと、まばらな拍手。


ジョンが私を見ながら言った。
「日本から来た君のために、日本の曲を弾いてみよう」

♪さくら、さくら、弥生の空は見渡す限り・・・

彼は、さくらを超絶技巧で弾いていた。
ただメロディを爪弾くだけでなく、アルペジオやハーモ二クスといった高度な演奏技法で弾きまくり、途中で転調も入り、何度も同じメロディを繰り返すのだ。
こんな美しく激しい「さくら」を聞いたのは初めてだ。

「スゴイ、凄すぎる」
興奮する私。
他の聴衆も演奏に聞き入っている。

彼は間違いなく基礎的な練習をしっかり積んでいるし、もしかしたらプロのミュージシャンなのでは、と疑うほどの技術力を感じる。
演奏が終わり、割れんばかりの聴衆の拍手。
ジョンがプロ奏者だろうが、アマチュアだろうが、どうでもいい。
とにかく圧巻だった。

「すごい演奏でした。本当に感動しました」
感想をジョンに伝えた。
「実は日本には行ったことがないんだ。私の演奏は日本のさくらになっていましたか?」
彼は照れくさそうに聞いてくる。
「もちろん。日本のオリジナルよりも、よかったです」
「それは良かったな。聴いてくれて、ありがとう」

ジョンの熱演に触発されたのか、観客だった女性が彼からギターを受け取った。
二人の会話を聞いていると、彼女もフランス人。
女性はシャンソンを歌い始めた。
歌を聴きながら、自分もギターが弾けたらよかったのに、と少しだけ後悔する。

若い時の旅は、お金を節約するため安宿に泊まっていた。
現在はある程度自由に使えるお金があるから、もっと良い宿に泊まることはできる。
でも、こういう出会いが待っているから、安宿めぐりはやめられないのだ。

つづく



20191125(月)

2018年インド・スリランカ旅行記・14


2018年インド・スリランカ旅行記・14

スリランカを旅行していて気が付くことがある。
シンハラ語とタミル語。
必ず公共の場所では、この2つの言語が並んで表記されているのだ。
先住民シンハラ人と南インドからやってきたタミル人は、つい10年ほど前までスリランカ国内で戦争をしていた。

スリランカ北部は、タミル人が多く住むエリアである。
その主要都市ジャフナへの訪問。
今回の旅の目的の一つだった。
私はスリランカに住むタミル人が作るカレーに興味があった。
今まで食べてきたスリランカカレーと何が違うのか確かめたかったのだ。



2月27日
ジャフナは実際訪れてみると活気のある街で、内戦時ここが激戦地だったとは信じられなかった。
トラヴィダ様式のヒンドゥー教の寺院が目立ち、仏教の寺院を全くみかけない。
南インドからジャフナに来ると、あまりに街の雰囲気が似ているため違う国に来た感じがしない。

ジャフナに観光客が増えてきたのも、ここ最近のことらしい。
しかし、欧米人観光客は街を歩いても全然見かけなかった。
ところがロンリープラネット(英語の旅行ガイド)に載っている安宿に行ったところ、欧米人がたくさん宿泊していた。

宿のオーナーに伝統的なジャフナ料理のレストランを紹介してもらい、夕食に行ってみた。
メニューを開き、私は驚愕する。
見覚えのあるインド料理の名前が、ズラリとメニュー表に並んでいるのだ。
スリランカ特有の料理名が見当たらない。

パラックパニール(ほうれん草カレー)
チャパティ(全粒粉の薄焼きパン)
ファルーダ(アイスクリーム)
「これは完全にインド料理だよな・・・」
狐につままれた気分で食事をとった。



2月28日

町の中心部を歩いていると、店の看板に大きくミールスの絵が描いてある食堂をみつけた。
ミールスは南インドでは、おなじみのカレー定食である。
店内に入り、オーダーしてみる。
テーブルの上にバナナの葉が敷かれ、接客係がやってきてカレーや副菜を次々盛りつけていく。
南インドと全く同じ味ではないが、見た目は完全に同じ。
多少の差異はあるが、料理という点でジャフナは南インドとほぼ同じということなんだろう。

宿のオーナーが夕食を宿で用意できると言っていたのを思い出した。
私は宿に戻り、オーナーに尋ねた。
「夕食はジャフナ料理なのですか」
「もちろん、そうだ」と言うので調理してもらった。

豆カレー
エビカレー
プーリー(小麦粉を餃子の皮状に伸ばし、油で揚げたもの)
バナナ
食べてみたら、今まで自分が食べてきた南インド料理と微妙に味付けが違う気がするのだ。

自分の部屋に戻り、街の本屋で買ったジャフナ料理のレシピ本を開いてみる。
私も一応プロなので、スリランカにしろインドにしろ、スパイスの配合やレシピを見れば、おおよその味の想像がつく。

ジャフナ料理のスパイス配合はインド料理によく似ているが、使っているスパイスの種類に微妙な違いがあるようだ。
しかし本を読んでも、これがジャフナ料理だ、という確信がつかめない。
一体どういうことなのか、謎が深まるばかりだ。

そもそも数日の滞在で、その土地の料理をわかった気になってはいけない、ということなのだろう。
前回の旅のように、ホームステイをしながら、じっくり調理法を見ていくしかないかもしれない。

つづく



<<
>>




 ABOUT
sansara
旅が好き、音楽が好き、そしてカレーが大好きで、カレー店を始めることになりました。どうぞよろしくお願いします。

性別
年齢50代
エリア帯広市
属性事業者
 GUIDE
SPICE CURRY&CAFE SANSARA(サンサーラ)
住所帯広市西16条北1丁目1-112(北一線通り)
TEL0155-35-5799
営業11:30 - 15:00
ラストオーダー 各30分前
17:00 - 20:30
定休木・金曜日(祝日営業)
 MENU
 ブログカテゴリ
 カウンター
2014-02-17から
155,185hit
今日:22
昨日:28


戻る