2019年11月8日(金)
海鮮カレー特集
こんにちは、サンサーラです。
今週末(11月9~10日)のお知らせです。
今回は海鮮メニュー特集です。
①海鮮3種盛りプレートⒶ 1550円
牡蠣(かき)、秋鮭、エビ 3種の素材を3種の味で楽しめるワンプレートです。
海鮮3種盛りプレートⒷ 1400円
エビ、秋鮭、あさり の3種。牡蠣の苦手な方はこちらを。
②海鮮Wプレート 1300~1400円
エビ、牡蠣、秋鮭の3種のうち、2種を選びます。
③かすべ65 700円
常連さまには、おなじみ。かすべの唐揚げスパイス和え
。
④タコと玉ねぎのパコラ 500円
インド風のスパイスかき揚げ。
⑤ケララフィッシュ 1200円
秋鮭を素材に使った、ココナッツミルク風味のカレー。
是非お試しください。
今週末(11月9~10日)のお知らせです。
今回は海鮮メニュー特集です。
①海鮮3種盛りプレートⒶ 1550円
牡蠣(かき)、秋鮭、エビ 3種の素材を3種の味で楽しめるワンプレートです。
海鮮3種盛りプレートⒷ 1400円
エビ、秋鮭、あさり の3種。牡蠣の苦手な方はこちらを。
②海鮮Wプレート 1300~1400円
エビ、牡蠣、秋鮭の3種のうち、2種を選びます。
③かすべ65 700円
常連さまには、おなじみ。かすべの唐揚げスパイス和え
。
④タコと玉ねぎのパコラ 500円
インド風のスパイスかき揚げ。
⑤ケララフィッシュ 1200円
秋鮭を素材に使った、ココナッツミルク風味のカレー。
是非お試しください。
2019年11月8日(金)
2015年インド・スリランカ旅行記・17
旅行記×41
ホームステイ3日目。
7:00起床。
今回はラリットと一緒に海老を買いに魚市場へ行った。
肉や魚はスリランカでは非常に高価である。
日本で例えるなら、ずばり正月に食べるカニ。
特別なハレの日に食べる高級食材ということである。
参考までに物価の比較をしてみよう。
●ミネラルウォーター 1リットル1本 70スリランカルピー(約65日本円)
●コロンボの安宿の宿泊代 2500(2300)
●コロンボの庶民的な食堂で食べたカレー定食 500(460)
●缶ビール350ml 1缶260(240)
●カツオ 大1尾 650(600)
●野菜(玉ねぎ、じゃがいも)計1kg 95(87)
●鶏肉 1kg 350 (320)
●エビ 1kg 1000(920)
魚やエビが高価、ということが伝わっただろうか。
魚市場での支払いは、全て私の負担である。
ホームステイ先に余計な金銭的な負担をかけたくない、という思いがあったからだ。
もし私が海鮮料理を食べたいときは、その調達費用は私が負担し、調理をママが行うという取り決めであった。
スリランカに来て海鮮料理ばかり食べているのは理由がある。
私がリクエストしたからである。
私は自分でカレー屋を経営していて、同業の他店に海鮮料理のメニューが少ないことに気が付いていた。
北海道においてスリランカカレーを提供するカレー店は少数派であるし、海鮮料理をやる店も少ない。
鮮度管理など確かに海鮮料理はリスクがつきものだが、うまくやれば他店との差別化ができるのではないか。
また南インド・ケララ州の魚カレーを自分の店で提供したところ、予想外に評判がよかったのでスリランカのレシピも学びたい、と考えたのである。
ラリットと私が中庭でエビの皮むきをしていると、見知らぬ男が家の中に入ってきた。
男は中庭に生えている4メートルくらいの高さがあるココナッツの樹につかまり、猿のように素早いスピードで頂上まで登って行った。
男はココナッツの実を鉈(なた)で切り落としていく。
ドスン。ドスン。
鈍い音を立てココナッツの実が地面へ落下。
合計4個落ちてきた。
「彼は誰なんですか?」
ラリットに聞くと、専門の職人つまり、ココナッツ落としのプロだという。
世の中には色々な職業があるものだと感心する。
そのうちの1個を次女オサンディが割り、ガリガリと中の果肉を削り始めた。
スリランカのカレーつくりは、ココナッツ削りから始まるのである。
昼食は、
エビのデビル(赤唐辛子の辛い炒め物)
キュウリのサラダ
ダルカレー
ママはスリランカ特有の赤米を炊いてくれた。
昼食後に私はアイスクリームが急に食べたくなり、中心街へ行くことにした。
スーパーマーケットの店内で、家族みんなと食べようと思った私が特大のバニラアイスを買おうとすると、付き添いの次男イシャンが「こんなに大きいの買うの?」と驚いている。
家に帰ると子供たちがワッと群がり、猛烈な勢いでアイスを食べ始めた。
よく話を聞くと、この家には冷凍庫がない、というのが理由だった。
タイミングよく子供たち全員が家に集まってきている。
もし何か理由があるとすれば、外国からの客、つまり私なのだろう。
特に働いている長男サハン、次男イシャンは日本からお客様が来る、ということを知っていて予定を調整してくれたようなのである。
ラリットの不在時は、彼ら兄弟が私の細かい世話を見てくれた。
残念ながら、3人の姉妹とは、あまりコミュニケーションがなかった。
4女ギトゥミニ(4歳)とは少しだけ関りがあった。
ギトゥミニは裏庭にある鳥小屋に餌を運ぶのが仕事だった。
私も面白がって小鳥の餌やりを一緒になってやっていた。
天真爛漫のギトゥミニは、いつも全裸で部屋の中をウロウロしている。
いわゆる裸族である!
「服を着なさい、何度言ったらわかるんだ」と叱るラリット。
言いつけを守らず、おしりを叩かれて泣くギトゥミニ。
ラリットについて、私の文章を読んでくれている読者には、おちゃめなオジサンという印象を持たれているかもしれない。
そこは彼の個性のほんの一部分であり、6人の子供の将来について、いつも考えている穏やかで常識的な人間である。
ギトゥミニに対しても愛情ゆえの行動、と私は見ていた。
夕食は、
エビカレー
ダルカレー
ブロッコリーと南瓜のテルダーラ(炒め物)
赤米
2食連続でエビ料理が食卓に並んだ。
私の滞在期間中は、ほぼ連日で食卓に海鮮料理が出てくる。
毎日ご馳走が食卓に並び、子供たちは嬉しかっただろう。
盆と正月とクリスマスが同時にやって来た感覚なのか?と想像した。
いつも私は食事を終えると、速やかに離れの自室に戻ることにしていた。
客人である私が食べ終わらないと、子供たちが食事にありつけないからだ。
私が食事を始めると、子供たちは部屋に戻ってしまう。
「ママ、美味しかった。またあとで」
と言って、私はいったん自分の部屋に戻るのである。
ラリットやママに聞いたわけではない。
空気を読むのは日本人の得意技である。
ホームステイで不思議に感じたことがあった。
日本のように家族全員で揃って食事をする所をほとんど見たことがなかった。
子供たちは帰宅した順に食事をしていく。
ママはその都度、食事を用意している。
これは大変だ。
ママは家事に忙殺されて、一日中家にいる。
彼女には自由な時間があるのだろうか。
今日は面白い光景を目にした。
長男サハンが帰宅し、リビングの椅子に腰掛けた。
テーブルに食事が置かれている。
ママの横に座っているサハンが、いきなり口を大きく開けた。
なんとママが食事を手に取り、その手で直接サハンの口に入れている。
サハンは赤ん坊ではない、24歳の成人男性である。
なんともディープな親子関係である。
日本人の感覚とあまりにも違うので、私は少しショックを受けた。
見ているこちらが目のやり場に困る光景だ。
だが、2人とも幸せそうな表情をしているのが印象的だった。
就寝前に私はママに、いつも何時に寝ているのか、聞いてみた。
「そうねえ、就寝は12時くらいかな。起床は朝5時ね」
「毎日ですか?」
「毎日よ。」
当たり前じゃない、とママは不思議そうな顔をしていた。
つづく
7:00起床。
今回はラリットと一緒に海老を買いに魚市場へ行った。
肉や魚はスリランカでは非常に高価である。
日本で例えるなら、ずばり正月に食べるカニ。
特別なハレの日に食べる高級食材ということである。
参考までに物価の比較をしてみよう。
●ミネラルウォーター 1リットル1本 70スリランカルピー(約65日本円)
●コロンボの安宿の宿泊代 2500(2300)
●コロンボの庶民的な食堂で食べたカレー定食 500(460)
●缶ビール350ml 1缶260(240)
●カツオ 大1尾 650(600)
●野菜(玉ねぎ、じゃがいも)計1kg 95(87)
●鶏肉 1kg 350 (320)
●エビ 1kg 1000(920)
魚やエビが高価、ということが伝わっただろうか。
魚市場での支払いは、全て私の負担である。
ホームステイ先に余計な金銭的な負担をかけたくない、という思いがあったからだ。
もし私が海鮮料理を食べたいときは、その調達費用は私が負担し、調理をママが行うという取り決めであった。
スリランカに来て海鮮料理ばかり食べているのは理由がある。
私がリクエストしたからである。
私は自分でカレー屋を経営していて、同業の他店に海鮮料理のメニューが少ないことに気が付いていた。
北海道においてスリランカカレーを提供するカレー店は少数派であるし、海鮮料理をやる店も少ない。
鮮度管理など確かに海鮮料理はリスクがつきものだが、うまくやれば他店との差別化ができるのではないか。
また南インド・ケララ州の魚カレーを自分の店で提供したところ、予想外に評判がよかったのでスリランカのレシピも学びたい、と考えたのである。
ラリットと私が中庭でエビの皮むきをしていると、見知らぬ男が家の中に入ってきた。
男は中庭に生えている4メートルくらいの高さがあるココナッツの樹につかまり、猿のように素早いスピードで頂上まで登って行った。
男はココナッツの実を鉈(なた)で切り落としていく。
ドスン。ドスン。
鈍い音を立てココナッツの実が地面へ落下。
合計4個落ちてきた。
「彼は誰なんですか?」
ラリットに聞くと、専門の職人つまり、ココナッツ落としのプロだという。
世の中には色々な職業があるものだと感心する。
そのうちの1個を次女オサンディが割り、ガリガリと中の果肉を削り始めた。
スリランカのカレーつくりは、ココナッツ削りから始まるのである。
昼食は、
エビのデビル(赤唐辛子の辛い炒め物)
キュウリのサラダ
ダルカレー
ママはスリランカ特有の赤米を炊いてくれた。
昼食後に私はアイスクリームが急に食べたくなり、中心街へ行くことにした。
スーパーマーケットの店内で、家族みんなと食べようと思った私が特大のバニラアイスを買おうとすると、付き添いの次男イシャンが「こんなに大きいの買うの?」と驚いている。
家に帰ると子供たちがワッと群がり、猛烈な勢いでアイスを食べ始めた。
よく話を聞くと、この家には冷凍庫がない、というのが理由だった。
タイミングよく子供たち全員が家に集まってきている。
もし何か理由があるとすれば、外国からの客、つまり私なのだろう。
特に働いている長男サハン、次男イシャンは日本からお客様が来る、ということを知っていて予定を調整してくれたようなのである。
ラリットの不在時は、彼ら兄弟が私の細かい世話を見てくれた。
残念ながら、3人の姉妹とは、あまりコミュニケーションがなかった。
4女ギトゥミニ(4歳)とは少しだけ関りがあった。
ギトゥミニは裏庭にある鳥小屋に餌を運ぶのが仕事だった。
私も面白がって小鳥の餌やりを一緒になってやっていた。
天真爛漫のギトゥミニは、いつも全裸で部屋の中をウロウロしている。
いわゆる裸族である!
「服を着なさい、何度言ったらわかるんだ」と叱るラリット。
言いつけを守らず、おしりを叩かれて泣くギトゥミニ。
ラリットについて、私の文章を読んでくれている読者には、おちゃめなオジサンという印象を持たれているかもしれない。
そこは彼の個性のほんの一部分であり、6人の子供の将来について、いつも考えている穏やかで常識的な人間である。
ギトゥミニに対しても愛情ゆえの行動、と私は見ていた。
夕食は、
エビカレー
ダルカレー
ブロッコリーと南瓜のテルダーラ(炒め物)
赤米
2食連続でエビ料理が食卓に並んだ。
私の滞在期間中は、ほぼ連日で食卓に海鮮料理が出てくる。
毎日ご馳走が食卓に並び、子供たちは嬉しかっただろう。
盆と正月とクリスマスが同時にやって来た感覚なのか?と想像した。
いつも私は食事を終えると、速やかに離れの自室に戻ることにしていた。
客人である私が食べ終わらないと、子供たちが食事にありつけないからだ。
私が食事を始めると、子供たちは部屋に戻ってしまう。
「ママ、美味しかった。またあとで」
と言って、私はいったん自分の部屋に戻るのである。
ラリットやママに聞いたわけではない。
空気を読むのは日本人の得意技である。
ホームステイで不思議に感じたことがあった。
日本のように家族全員で揃って食事をする所をほとんど見たことがなかった。
子供たちは帰宅した順に食事をしていく。
ママはその都度、食事を用意している。
これは大変だ。
ママは家事に忙殺されて、一日中家にいる。
彼女には自由な時間があるのだろうか。
今日は面白い光景を目にした。
長男サハンが帰宅し、リビングの椅子に腰掛けた。
テーブルに食事が置かれている。
ママの横に座っているサハンが、いきなり口を大きく開けた。
なんとママが食事を手に取り、その手で直接サハンの口に入れている。
サハンは赤ん坊ではない、24歳の成人男性である。
なんともディープな親子関係である。
日本人の感覚とあまりにも違うので、私は少しショックを受けた。
見ているこちらが目のやり場に困る光景だ。
だが、2人とも幸せそうな表情をしているのが印象的だった。
就寝前に私はママに、いつも何時に寝ているのか、聞いてみた。
「そうねえ、就寝は12時くらいかな。起床は朝5時ね」
「毎日ですか?」
「毎日よ。」
当たり前じゃない、とママは不思議そうな顔をしていた。
つづく
2019年11月7日(木)
2015年インド・スリランカ旅行記・16
旅行記×41
ホームステイの2日目。
朝7:00に起こされ、私は長男サハンと一緒に魚市場に出向いた。
市場はラリットの自宅から近くにあることを事前に聞いてたので、可能なら行ってみたいとレイコさんにリクエストしていたが、こちらの家族に伝わっていたようだ。
本日の食材として、カツオとイカを調達した。
日中ラリットは夜勤のため朝は不在。
ママから料理指南を受ける。
朝食はダル(レンズ豆)カレーとイカゲソのテルダーラ(スパイス炒め)ロティ(パン)
ドゥシャンティより呼びやすいので、許可をもらってママと呼ぶことにした。
彼女は片言の英語がわかるので、コミュニケーションは意外にも良好。
そういえば、スリランカの公用語シンハラで、すぐに覚えた言葉が二つある。
「ホンダイ」
英語のgood,日本語の良い、という意味。
体調はいいか?料理は美味しいか?この家の意心地はよいか?などの質問に、
私が「ホンダイ、ホンダイ」と言っておけば、周囲も安心し何も問題はないのである。
「アッティ」
英語のenough,日本語の十分な、という意味。
スリランカで家庭料理を食べるときに使うと効果的だ。
ママの盛りつけは、カレーはもちろん、ご飯の量が非常に多い。
これはスリランカ流のおもてなし、なのだと思う。
初日は何もわからなくてビックリしたが、日本人の感覚で残しては悪いと思い、無理に全部食べた。
この状況が毎日続くのはマズイと考えた私が、ラリットに教えてもらった単語である。
ママが私の料理を盛りつけ始めたら、「アッティ、ママ。アッティ」と伝えて量をセーブしてもらう。
紅茶タイムも一日の中で頻繁にあるので、「紅茶飲む?」のお誘いも
「アッティ、ママ。サンキュー。レイター(後で)」と言っておく。
私が「アッティ」と言い始めると、
「もう、いいの?そう・・・」
ママは少し残念そうな表情をする。
彼女は実をいうと私と同い年、なんと子供が6人もいる。
父 ラリット(53歳:2015年当時)
母 ドゥシャンティ(47)
長男 サハン(24)
次男 イシャン(22)
長女 マダラ(18)
次女 オサンディ(17)
三女 タルシカ(15)
四女 ギトゥミニ(4)
お昼ごろに見学した料理レシピをノートにまとめようとして、ダイニングテーブル上の筆記用具を探す。
「あれ、ないぞ?」
私が日本から持ってきたボールペンがない。
確かテーブルの上に置いておいたはずだが・・・変だな、どこかで落としたのだろうか。
「ねえママ、私のボールペン知らない?黒い色の」
ママは首を振っている。
彼女からボールペンを借りるが、ボールの滑りが悪くインクがなかなか出てこない。
かなり筆圧を高くしないと文字が書けないのはストレスを感じた。
長男次男が帰省で戻ってきていて在宅中である。
長女次女3女が学校から戻ってきた。
4女は就学年齢に達していないため家にいる。
子供全員がリビングに揃っていた。
話し声や笑い声が増え、家の中が賑やかになった。
夜勤明けのラリットが帰宅した。
彼の胸ポケットには、私のボールペンが刺さっていた!
「ラリット。そのペンは私のですよ」
「このペンは書きやすいね」と言って、私に返してくれた。
「ちょっと、ママ?」
私はママに話しかけた。
「あら、どうしたの」
「昨日の夜、ママにお土産渡したよね。まだみんなに渡していないの?」
私はホームステイ先に手土産を持参したほうが、あとあと良好な人間関係を構築するのに役立つのではないか、と考えていた。
レイコさんに事前に相談しており、
「お菓子と文房具がいいと思います。きっと喜ばれますよ」とアドバイスを受けていた。
しかし・・・お土産は直接本人に渡さなければならない。
インドで手痛い失敗を犯し学んだ教訓だったが、また私は繰り返していたようだ。
「ああ、忘れてた」
ママの屈託のない笑顔。
土産を独り占めするつもりではなく、本当に忘れていたようである。
疑い深い自分を少し反省し、ママに頼みごとをした。
「お土産をここに持って来てくれませんか?私から、みんなに配ります」
ママが寝室からビニール袋に入った荷物をリビングへ持ってきた。
間違いなく私が日本から持参したお土産だ。
「ラリット、あなたへのお土産。これは日本製のペンです」
そう言って彼にはボールペンとシャープペンが切り替わるペン(日本円で1,000円くらい)を渡した。
「おおーこれはいいな!書き味も素晴らしい」
ママにはハンドクリーム(日本製)
子供たちにはボールペンや動物イラスト入りの文具を。(全て日本製)
4姉妹の表情が変わり、喜んでくれているのがわかった。
100均のチープな商品ではなく、多少値段が高くなっても日本製の正規商品とわかるものを土産で渡す。
私の小さなこだわりであった。
「みんなで食べてね」とカントリーマアム(クッキー)もついでに渡す。
バックパックの中に入れて運んだから、多少割れていたりしているだろうが、美味しければ何も問題はないだろう。
「明日、職場の飲み会があるのだが、このペンを持って行こうかな。みんなに自慢したいんだ」
ボールペンをカチカチと動かしながら、ラリットが言った。
「絶対だめだよ!」「盗まれるよ」
話を聞いていた子供たちが叫んだ。
つづく
朝7:00に起こされ、私は長男サハンと一緒に魚市場に出向いた。
市場はラリットの自宅から近くにあることを事前に聞いてたので、可能なら行ってみたいとレイコさんにリクエストしていたが、こちらの家族に伝わっていたようだ。
本日の食材として、カツオとイカを調達した。
日中ラリットは夜勤のため朝は不在。
ママから料理指南を受ける。
朝食はダル(レンズ豆)カレーとイカゲソのテルダーラ(スパイス炒め)ロティ(パン)
ドゥシャンティより呼びやすいので、許可をもらってママと呼ぶことにした。
彼女は片言の英語がわかるので、コミュニケーションは意外にも良好。
そういえば、スリランカの公用語シンハラで、すぐに覚えた言葉が二つある。
「ホンダイ」
英語のgood,日本語の良い、という意味。
体調はいいか?料理は美味しいか?この家の意心地はよいか?などの質問に、
私が「ホンダイ、ホンダイ」と言っておけば、周囲も安心し何も問題はないのである。
「アッティ」
英語のenough,日本語の十分な、という意味。
スリランカで家庭料理を食べるときに使うと効果的だ。
ママの盛りつけは、カレーはもちろん、ご飯の量が非常に多い。
これはスリランカ流のおもてなし、なのだと思う。
初日は何もわからなくてビックリしたが、日本人の感覚で残しては悪いと思い、無理に全部食べた。
この状況が毎日続くのはマズイと考えた私が、ラリットに教えてもらった単語である。
ママが私の料理を盛りつけ始めたら、「アッティ、ママ。アッティ」と伝えて量をセーブしてもらう。
紅茶タイムも一日の中で頻繁にあるので、「紅茶飲む?」のお誘いも
「アッティ、ママ。サンキュー。レイター(後で)」と言っておく。
私が「アッティ」と言い始めると、
「もう、いいの?そう・・・」
ママは少し残念そうな表情をする。
彼女は実をいうと私と同い年、なんと子供が6人もいる。
父 ラリット(53歳:2015年当時)
母 ドゥシャンティ(47)
長男 サハン(24)
次男 イシャン(22)
長女 マダラ(18)
次女 オサンディ(17)
三女 タルシカ(15)
四女 ギトゥミニ(4)
お昼ごろに見学した料理レシピをノートにまとめようとして、ダイニングテーブル上の筆記用具を探す。
「あれ、ないぞ?」
私が日本から持ってきたボールペンがない。
確かテーブルの上に置いておいたはずだが・・・変だな、どこかで落としたのだろうか。
「ねえママ、私のボールペン知らない?黒い色の」
ママは首を振っている。
彼女からボールペンを借りるが、ボールの滑りが悪くインクがなかなか出てこない。
かなり筆圧を高くしないと文字が書けないのはストレスを感じた。
長男次男が帰省で戻ってきていて在宅中である。
長女次女3女が学校から戻ってきた。
4女は就学年齢に達していないため家にいる。
子供全員がリビングに揃っていた。
話し声や笑い声が増え、家の中が賑やかになった。
夜勤明けのラリットが帰宅した。
彼の胸ポケットには、私のボールペンが刺さっていた!
「ラリット。そのペンは私のですよ」
「このペンは書きやすいね」と言って、私に返してくれた。
「ちょっと、ママ?」
私はママに話しかけた。
「あら、どうしたの」
「昨日の夜、ママにお土産渡したよね。まだみんなに渡していないの?」
私はホームステイ先に手土産を持参したほうが、あとあと良好な人間関係を構築するのに役立つのではないか、と考えていた。
レイコさんに事前に相談しており、
「お菓子と文房具がいいと思います。きっと喜ばれますよ」とアドバイスを受けていた。
しかし・・・お土産は直接本人に渡さなければならない。
インドで手痛い失敗を犯し学んだ教訓だったが、また私は繰り返していたようだ。
「ああ、忘れてた」
ママの屈託のない笑顔。
土産を独り占めするつもりではなく、本当に忘れていたようである。
疑い深い自分を少し反省し、ママに頼みごとをした。
「お土産をここに持って来てくれませんか?私から、みんなに配ります」
ママが寝室からビニール袋に入った荷物をリビングへ持ってきた。
間違いなく私が日本から持参したお土産だ。
「ラリット、あなたへのお土産。これは日本製のペンです」
そう言って彼にはボールペンとシャープペンが切り替わるペン(日本円で1,000円くらい)を渡した。
「おおーこれはいいな!書き味も素晴らしい」
ママにはハンドクリーム(日本製)
子供たちにはボールペンや動物イラスト入りの文具を。(全て日本製)
4姉妹の表情が変わり、喜んでくれているのがわかった。
100均のチープな商品ではなく、多少値段が高くなっても日本製の正規商品とわかるものを土産で渡す。
私の小さなこだわりであった。
「みんなで食べてね」とカントリーマアム(クッキー)もついでに渡す。
バックパックの中に入れて運んだから、多少割れていたりしているだろうが、美味しければ何も問題はないだろう。
「明日、職場の飲み会があるのだが、このペンを持って行こうかな。みんなに自慢したいんだ」
ボールペンをカチカチと動かしながら、ラリットが言った。
「絶対だめだよ!」「盗まれるよ」
話を聞いていた子供たちが叫んだ。
つづく
2019年11月6日(水)
2015年インド・スリランカ旅行記・15
旅行記×41
ホームステイ初日。
私はスリヤンガの自宅で昼食をごちそうになったあと、夕方になるまで雑談などしてのんびりさせてもらった。
「そろそろ行きましょう」
お茶を飲んでいたスリヤンガが立ち上がった。
私は彼の車に乗り、5分ほどでホームステイ宅に到着した。
古い2階建ての家屋の前に車が停まり、玄関から中年男性が出てきたので挨拶する。
ホストファミリーの主人、ラリットだ。
彼は私よりも年上だが、中肉中背で頭髪は白髪がなく若々しい印象を受けた。
現在外資系のホテルに勤務し、英語は堪能。
今回の滞在地・ヒッカドゥワは欧米人に人気のビーチリゾートなので、外国人向けの宿泊施設がたくさんある。
彼はスリヤンガの前職の先輩だった縁で、今回のホストファミリーを引き受けてくれたのだ。
仕事柄、外国人に慣れているということもある。
スリヤンガはラリットと軽く世間話をしたあと、「じゃあ頑張ってね。時々様子見に来るから」と言って帰って行った。
ラリットに家の中を案内してもらった。
1階が母屋。
玄関から入ってすぐに共用スペースがあり、家族はテレビをここで見る。
廊下はなく、次に居間兼食堂となっている。
居間にいた奥様のドゥシャンティに挨拶する。
この居間に子供部屋が3つと両親の寝室が隣接している。
興味深いのは、各部屋の仕切りにドアがなく、のれんが下がっているだけなのである。
一体プライバシーはどうなっているのか、と疑問を感じた。
居間から裏玄関を抜けて一度屋外に出ると、小さな中庭と二階に上がる階段があり、二階は客間となっている。
この客間が唯一この家でプライバシーが守られる空間である。
トイレ、浴室そしてベッドには蚊帳も用意されている。
私が荷物を二階に上げたあと中庭に下りてくると、短パンで上半身裸になったラリットが待っていた。
中庭は壁に囲まれているのだが、やたらと波音が大きいのが気になっていた。
「扉を開けてみなよ」
ラリットが笑っている。
「おおぉーーーーーーー凄い」
思わず叫んだ。
裏庭のドアを開けたら目の前が海と砂浜。
なんと、家から徒歩30秒でビーチだ。
「キレイだろ、海。一緒に泳ごう」
陽気なラリットである。
しかし私はインドでひいた風邪が治らず、鼻水が止まらない状況が続いていた。
だから正直気乗りはしない。
「でも私、海パン持って来てないのですが・・・」
私は遠まわしに断りを入れたつもりだったが、
「下着のまま入ればいいじゃないか。ここは観光客が来ない場所だ、ノープロブレム!」
ラリットは譲らない。
「いやいやいや・・・風邪をひいているから、またの機会にしたいのですが」
「ノープロブレム!問題ない。風邪なら私もひいているぞ!」
ラリットの顔をよく見たら、鼻水をたらしている。
「海水は健康にいいんだ、風邪も治るさ。さあ泳ごう」
「えーーーーーーーーーーーー!」
私はしぶしぶ服を脱ぎ、ラリットと一緒に海に入ることになった。
波は高くないし、水深もそれほどではなく、足が着くので安心だ。
水温は温く感じ、確かに彼の言うとおり気持ちがよかった。
結局10分ほど2人で海に入っていた。
海から上がった直後に大量の鼻水をかんだ。
夕食はドゥシャンティの横で邪魔にならないように気を遣いつつ、写真やメモをとったりしながら調理方法を観察した。
一番驚いたのは、まな板。
丸太を輪切りにスライスした素朴な板なのだが、断面がガタガタであった。
包丁も、あまり研いでいないようだ。
しかし、出来上がった料理は絶品なので、何も問題はないのである。
フィッシュカレー。
ココナッツロティ(薄焼きパン)
生のココナッツミルクや新鮮なスパイスを使っているので、シンプルな調理法であっても十分に美味しい。
家庭料理なので油は控えめであり、自分にはちょうどよかった。
目まぐるしい一日が終わり少し疲れてはいたが、陽気なラリット夫妻を見ていてホームステイ生活は、なんとかなりそうだと感じてきた。
そして不思議なことに、翌日から咳や鼻水の症状がピタリと出なくなった。
つづく
私はスリヤンガの自宅で昼食をごちそうになったあと、夕方になるまで雑談などしてのんびりさせてもらった。
「そろそろ行きましょう」
お茶を飲んでいたスリヤンガが立ち上がった。
私は彼の車に乗り、5分ほどでホームステイ宅に到着した。
古い2階建ての家屋の前に車が停まり、玄関から中年男性が出てきたので挨拶する。
ホストファミリーの主人、ラリットだ。
彼は私よりも年上だが、中肉中背で頭髪は白髪がなく若々しい印象を受けた。
現在外資系のホテルに勤務し、英語は堪能。
今回の滞在地・ヒッカドゥワは欧米人に人気のビーチリゾートなので、外国人向けの宿泊施設がたくさんある。
彼はスリヤンガの前職の先輩だった縁で、今回のホストファミリーを引き受けてくれたのだ。
仕事柄、外国人に慣れているということもある。
スリヤンガはラリットと軽く世間話をしたあと、「じゃあ頑張ってね。時々様子見に来るから」と言って帰って行った。
ラリットに家の中を案内してもらった。
1階が母屋。
玄関から入ってすぐに共用スペースがあり、家族はテレビをここで見る。
廊下はなく、次に居間兼食堂となっている。
居間にいた奥様のドゥシャンティに挨拶する。
この居間に子供部屋が3つと両親の寝室が隣接している。
興味深いのは、各部屋の仕切りにドアがなく、のれんが下がっているだけなのである。
一体プライバシーはどうなっているのか、と疑問を感じた。
居間から裏玄関を抜けて一度屋外に出ると、小さな中庭と二階に上がる階段があり、二階は客間となっている。
この客間が唯一この家でプライバシーが守られる空間である。
トイレ、浴室そしてベッドには蚊帳も用意されている。
私が荷物を二階に上げたあと中庭に下りてくると、短パンで上半身裸になったラリットが待っていた。
中庭は壁に囲まれているのだが、やたらと波音が大きいのが気になっていた。
「扉を開けてみなよ」
ラリットが笑っている。
「おおぉーーーーーーー凄い」
思わず叫んだ。
裏庭のドアを開けたら目の前が海と砂浜。
なんと、家から徒歩30秒でビーチだ。
「キレイだろ、海。一緒に泳ごう」
陽気なラリットである。
しかし私はインドでひいた風邪が治らず、鼻水が止まらない状況が続いていた。
だから正直気乗りはしない。
「でも私、海パン持って来てないのですが・・・」
私は遠まわしに断りを入れたつもりだったが、
「下着のまま入ればいいじゃないか。ここは観光客が来ない場所だ、ノープロブレム!」
ラリットは譲らない。
「いやいやいや・・・風邪をひいているから、またの機会にしたいのですが」
「ノープロブレム!問題ない。風邪なら私もひいているぞ!」
ラリットの顔をよく見たら、鼻水をたらしている。
「海水は健康にいいんだ、風邪も治るさ。さあ泳ごう」
「えーーーーーーーーーーーー!」
私はしぶしぶ服を脱ぎ、ラリットと一緒に海に入ることになった。
波は高くないし、水深もそれほどではなく、足が着くので安心だ。
水温は温く感じ、確かに彼の言うとおり気持ちがよかった。
結局10分ほど2人で海に入っていた。
海から上がった直後に大量の鼻水をかんだ。
夕食はドゥシャンティの横で邪魔にならないように気を遣いつつ、写真やメモをとったりしながら調理方法を観察した。
一番驚いたのは、まな板。
丸太を輪切りにスライスした素朴な板なのだが、断面がガタガタであった。
包丁も、あまり研いでいないようだ。
しかし、出来上がった料理は絶品なので、何も問題はないのである。
フィッシュカレー。
ココナッツロティ(薄焼きパン)
生のココナッツミルクや新鮮なスパイスを使っているので、シンプルな調理法であっても十分に美味しい。
家庭料理なので油は控えめであり、自分にはちょうどよかった。
目まぐるしい一日が終わり少し疲れてはいたが、陽気なラリット夫妻を見ていてホームステイ生活は、なんとかなりそうだと感じてきた。
そして不思議なことに、翌日から咳や鼻水の症状がピタリと出なくなった。
つづく
2019年11月5日(火)
2015年インド・スリランカ旅行記・14
旅行記×41
列車がヒッカドゥワ駅へ到着したのは午前9時30分。
定刻より少し遅れたようだ。
駅前でウロウロしていると、身奇麗な痩身の男性が近づいてきて、私の名前を確認のために呼ぶ。
旅行代理店の社長・スリヤンガが迎えに来てくれたのだ。
彼の車に乗り、道中世間話をする。
彼の話す日本語はペラペラ。
アクセントも正確で聞きやすく、外国人特有の怪しいイントネーションの日本語ではなかった。
奥様が日本人ということもあり、普段から家庭で日本語を話すようにしているのだそうだ。
彼は会話していると頭脳明晰だとすぐわかった。
ホームステイ先に行く前に、スリヤンガの自宅に寄った。
スリヤンガの奥様レイコさん、娘さん2人に挨拶した。
レイコさんは、想像した通りの聡明な女性だった。
メールでホームステイの相談を何度もしたのだが、彼女からの返信のメールを読んでいてスリランカ料理に対する並々ならない熱量を文面から感じていた。
彼女に実際に会ってみて今回のホームステイはきっとうまくいく、と確信が深まった。
この旅行代理店は一般旅行者の対応のほかに、テレビ局がロケに来た時のコーディネーターもしているそうだ。
スリヤンガ・レイコ夫妻は日本語、英語、シンハラ語(スリランカの公用語)に堪能である。
レイコさんの友人・カオリさんが遊びに来ていたので、紹介してもらった。
関西出身の陽気な女性。
カオリさんもスリランカの男性と結婚し、近所に住んでいるのだ。
日本にいたときはアーユルヴェーダの店を経営されていたという経歴の持ち主。
こちらでも近い将来に店を持ちたいとのことである。
「これ、よかったら使ってください」
日本のカレー粉(こくまろ)をレイコさんへ土産として渡した。
「ありがとうございます!子供たちが喜びます」
とても喜んでくれたようである。
ちょうど昼時だったので食事をつくるところを見学させてもらった。
本来はそのままホームステイ宅に出向く予定だったが、私がリクエストして変更してもらった。
私はホームステイ宅で言葉のコミュニケーションがどこまで深くできるか心配だった。
料理に関する質問を日本語でレイコさんに事前にしておこう、と考えたのだ。
調理が始まった。
スリランカ料理の調理過程は、どうなっているのか?
私が特に気になっていたのは、カレー以外のおかず(副菜)が、どのくらい種類があり、どのように作っているのか。
私はスリランカ料理の全体像を大まかでよいから、知りたかったのである。
私は興奮しながら、夢中になってカメラのシャッターを切っていく。
にんにく、生姜、青唐辛子、玉ねぎをみじん切りにして、ココナッツオイルで炒めていき、カレーリーフで香りを加えていく。
これが料理のベースとなり、メインのカレーと副菜の料理を手際よく同時並行で進めていく。
時間の節約のため、仕込みで使う共通の食材を同時に処理していくのだ。
1時間ほどで料理が完成。
フィッシュカレー
ダル(レンズ豆)カレー
茄子のモージュ(揚げ茄子のスパイス和え)
インゲン豆のマッルン(ココナッツ蒸し煮)
空心菜のテルダーラ(スパイス炒め)
パパダム(揚げた豆の煎餅)
ライス
全員でテーブルを囲み、本物のスリランカカレーを手食で頂く。
最初はそれぞれの料理を個別に味わったあと、カレー・副菜・ライスを手で混ぜ合わせながら食べていく。
味わいが複雑になり、加速度的に美味しくなっていく。
「美味しいです!」
初めて食べたスリランカの魚カレーはもちろんのこと、特筆すべきは茄子のモージュ。
カリカリに素揚げした茄子にスパイスを加え、トマトやレモンの酸味を加えていく。
モージュはカレーやライスと混ぜながら食べると、あまりの美味しさに手が止まらなくなる。
レイコさんが一番おすすめしていた料理だったのが、このモージュ。
納得の美味しさだった。
日本に戻ったら、絶対に自分の店でメニューに加えようと思った。
それにしても、スリランカの家庭料理は日本人の味覚に本当に合う。
食事が終わった後、紅茶を飲みながらスリヤンガと世間話。
「今まで日本人のカレー屋は、何人ここに来ましたか?」と私が質問した。
「君で3人目だね」と彼が答える。
「どんな方たちだったんですか?」
「2人ともインドカレーの料理人で、現在お店は大人気になっているらしいね」
そしてスリヤンガは私の顔を凝視し「あなたも頑張らないと!」と言った。
うひゃあぁ。
プレッシャーを感じる!
「ハイ。がんばります」と答えるのが精一杯。
お尻の穴が、キューッと締まるような気がした!!
つづく
定刻より少し遅れたようだ。
駅前でウロウロしていると、身奇麗な痩身の男性が近づいてきて、私の名前を確認のために呼ぶ。
旅行代理店の社長・スリヤンガが迎えに来てくれたのだ。
彼の車に乗り、道中世間話をする。
彼の話す日本語はペラペラ。
アクセントも正確で聞きやすく、外国人特有の怪しいイントネーションの日本語ではなかった。
奥様が日本人ということもあり、普段から家庭で日本語を話すようにしているのだそうだ。
彼は会話していると頭脳明晰だとすぐわかった。
ホームステイ先に行く前に、スリヤンガの自宅に寄った。
スリヤンガの奥様レイコさん、娘さん2人に挨拶した。
レイコさんは、想像した通りの聡明な女性だった。
メールでホームステイの相談を何度もしたのだが、彼女からの返信のメールを読んでいてスリランカ料理に対する並々ならない熱量を文面から感じていた。
彼女に実際に会ってみて今回のホームステイはきっとうまくいく、と確信が深まった。
この旅行代理店は一般旅行者の対応のほかに、テレビ局がロケに来た時のコーディネーターもしているそうだ。
スリヤンガ・レイコ夫妻は日本語、英語、シンハラ語(スリランカの公用語)に堪能である。
レイコさんの友人・カオリさんが遊びに来ていたので、紹介してもらった。
関西出身の陽気な女性。
カオリさんもスリランカの男性と結婚し、近所に住んでいるのだ。
日本にいたときはアーユルヴェーダの店を経営されていたという経歴の持ち主。
こちらでも近い将来に店を持ちたいとのことである。
「これ、よかったら使ってください」
日本のカレー粉(こくまろ)をレイコさんへ土産として渡した。
「ありがとうございます!子供たちが喜びます」
とても喜んでくれたようである。
ちょうど昼時だったので食事をつくるところを見学させてもらった。
本来はそのままホームステイ宅に出向く予定だったが、私がリクエストして変更してもらった。
私はホームステイ宅で言葉のコミュニケーションがどこまで深くできるか心配だった。
料理に関する質問を日本語でレイコさんに事前にしておこう、と考えたのだ。
調理が始まった。
スリランカ料理の調理過程は、どうなっているのか?
私が特に気になっていたのは、カレー以外のおかず(副菜)が、どのくらい種類があり、どのように作っているのか。
私はスリランカ料理の全体像を大まかでよいから、知りたかったのである。
私は興奮しながら、夢中になってカメラのシャッターを切っていく。
にんにく、生姜、青唐辛子、玉ねぎをみじん切りにして、ココナッツオイルで炒めていき、カレーリーフで香りを加えていく。
これが料理のベースとなり、メインのカレーと副菜の料理を手際よく同時並行で進めていく。
時間の節約のため、仕込みで使う共通の食材を同時に処理していくのだ。
1時間ほどで料理が完成。
フィッシュカレー
ダル(レンズ豆)カレー
茄子のモージュ(揚げ茄子のスパイス和え)
インゲン豆のマッルン(ココナッツ蒸し煮)
空心菜のテルダーラ(スパイス炒め)
パパダム(揚げた豆の煎餅)
ライス
全員でテーブルを囲み、本物のスリランカカレーを手食で頂く。
最初はそれぞれの料理を個別に味わったあと、カレー・副菜・ライスを手で混ぜ合わせながら食べていく。
味わいが複雑になり、加速度的に美味しくなっていく。
「美味しいです!」
初めて食べたスリランカの魚カレーはもちろんのこと、特筆すべきは茄子のモージュ。
カリカリに素揚げした茄子にスパイスを加え、トマトやレモンの酸味を加えていく。
モージュはカレーやライスと混ぜながら食べると、あまりの美味しさに手が止まらなくなる。
レイコさんが一番おすすめしていた料理だったのが、このモージュ。
納得の美味しさだった。
日本に戻ったら、絶対に自分の店でメニューに加えようと思った。
それにしても、スリランカの家庭料理は日本人の味覚に本当に合う。
食事が終わった後、紅茶を飲みながらスリヤンガと世間話。
「今まで日本人のカレー屋は、何人ここに来ましたか?」と私が質問した。
「君で3人目だね」と彼が答える。
「どんな方たちだったんですか?」
「2人ともインドカレーの料理人で、現在お店は大人気になっているらしいね」
そしてスリヤンガは私の顔を凝視し「あなたも頑張らないと!」と言った。
うひゃあぁ。
プレッシャーを感じる!
「ハイ。がんばります」と答えるのが精一杯。
お尻の穴が、キューッと締まるような気がした!!
つづく