2019年10月27日(日)
2015年インド旅行記⑤
旅行記×41
私の泊まっていた安宿とシャンとスニの働く高級ブティックは同じ通りに並んでいる。
店番をしていたシャンが散歩中の私をみつけ、外に飛び出してきた。
「店の中に入ってこいよ!日本語に興味があるんだ。少し教えてくれないか」
「いいよ」
私は店内に入り、日本語教室が始まった。
HELLO.
HOW ARE YOU?
WHAT IS YOUR NAME?
簡単な挨拶文を英語から日本語に翻訳し、アルファベットに起こして彼が読めるようにした。
kon nichiwaコンニチハ。
ogenki desukaオゲンキデスカ。
Anata no onamae waアナタノオナマエハ。
しばらく日本語教室の真似事をしたあと、彼が思い出したように言った。
「今晩予定空いていないか?俺の仕事が終わったら、病院に一緒に行こう」
「病院?」
「妹が体調を崩して入院しているのさ。付き合ってくれよ」
スニ以外に妹が2人いるらしい。
それにしてもだ。
何故外国人の私が、彼の妹の見舞いに付き合わなければならないのか?
??????????????????????
疑問を感じつつも、好奇心が先立ってしまう。
インド人の生活を覗き見るチャンスだと思った。
特に夜の予定がなかったので、結局彼に付き合うことにした。
待ち合わせの時間PM7:00。
宿の玄関前にシャンはオートバイで現われた。
私はオートバイの後部座席にまたがり、彼の妹がいるという病院に向かった。
病院はエルナクラム(新市街)の市立病院。大きい病院だった。
面会の受付を終え、シャンの妹が入院しているドミトリー(大部屋)に入った。
20人ほどの女性がベッドに横たわっており、シャンの妹がその中にいた。
シャンの母親も付き添いでいたので挨拶する。
シャンは母親に「日本から来た友人」という説明をしているようだった。
母親は息子の話を大きくうなずきながら聞き、私に向かってにっこり微笑んだ。
ベッドに横たわった妹は弱々しい声で私に見舞いの礼を言った。
「わざわざ来てくれて、ありがとう」
彼らの会話は英語ではなかったので、私は頭の中で都合よく解釈していた。
シャンがジャンパーの内ポケットから、あるものを取り出した。
それは見覚えのある、封が切られた日本のチョコレート。
私が彼に頼まれ、渋々プレゼントしたものだ。
ところが彼はそのチョコに、ほとんど手を付けていなかったようだ。
そして彼はチョコを一粒つまみ、
「ここにいる日本の友人からもらった」と言って妹に与えた。
「THANK YOU」妹は私に向かって言い、チョコを口にした。
シャンはもう一度チョコを一粒取り出し、今度は自分の母親に渡そうとした。
受け取った母親は自分では食べようとせず、隣のベッドに横たわっている女性に与えた。
母親はシャンからチョコを箱ごと受け取り、周囲の患者にチョコを配り始めた。
30分ほど経ったろうか、シャンが椅子から立ち上がり、「そろそろ戻ろうか」と私に告げた。
帰ろうとして病室内を歩き始めると、
THANK YOU!
THANK YOU!
THANK YOU!
色々な方角から女性の声が聞こえてきた。
これらの声は私に向けられているようなのだ。
そもそも私は何もしていない。
なんとも恥ずかしい気分になり、
「いやいや~YOU ARE WELCOMEどういたしまして~」
私は合掌のポーズをしながら、足早に病室を立ち去った。
つづく
店番をしていたシャンが散歩中の私をみつけ、外に飛び出してきた。
「店の中に入ってこいよ!日本語に興味があるんだ。少し教えてくれないか」
「いいよ」
私は店内に入り、日本語教室が始まった。
HELLO.
HOW ARE YOU?
WHAT IS YOUR NAME?
簡単な挨拶文を英語から日本語に翻訳し、アルファベットに起こして彼が読めるようにした。
kon nichiwaコンニチハ。
ogenki desukaオゲンキデスカ。
Anata no onamae waアナタノオナマエハ。
しばらく日本語教室の真似事をしたあと、彼が思い出したように言った。
「今晩予定空いていないか?俺の仕事が終わったら、病院に一緒に行こう」
「病院?」
「妹が体調を崩して入院しているのさ。付き合ってくれよ」
スニ以外に妹が2人いるらしい。
それにしてもだ。
何故外国人の私が、彼の妹の見舞いに付き合わなければならないのか?
??????????????????????
疑問を感じつつも、好奇心が先立ってしまう。
インド人の生活を覗き見るチャンスだと思った。
特に夜の予定がなかったので、結局彼に付き合うことにした。
待ち合わせの時間PM7:00。
宿の玄関前にシャンはオートバイで現われた。
私はオートバイの後部座席にまたがり、彼の妹がいるという病院に向かった。
病院はエルナクラム(新市街)の市立病院。大きい病院だった。
面会の受付を終え、シャンの妹が入院しているドミトリー(大部屋)に入った。
20人ほどの女性がベッドに横たわっており、シャンの妹がその中にいた。
シャンの母親も付き添いでいたので挨拶する。
シャンは母親に「日本から来た友人」という説明をしているようだった。
母親は息子の話を大きくうなずきながら聞き、私に向かってにっこり微笑んだ。
ベッドに横たわった妹は弱々しい声で私に見舞いの礼を言った。
「わざわざ来てくれて、ありがとう」
彼らの会話は英語ではなかったので、私は頭の中で都合よく解釈していた。
シャンがジャンパーの内ポケットから、あるものを取り出した。
それは見覚えのある、封が切られた日本のチョコレート。
私が彼に頼まれ、渋々プレゼントしたものだ。
ところが彼はそのチョコに、ほとんど手を付けていなかったようだ。
そして彼はチョコを一粒つまみ、
「ここにいる日本の友人からもらった」と言って妹に与えた。
「THANK YOU」妹は私に向かって言い、チョコを口にした。
シャンはもう一度チョコを一粒取り出し、今度は自分の母親に渡そうとした。
受け取った母親は自分では食べようとせず、隣のベッドに横たわっている女性に与えた。
母親はシャンからチョコを箱ごと受け取り、周囲の患者にチョコを配り始めた。
30分ほど経ったろうか、シャンが椅子から立ち上がり、「そろそろ戻ろうか」と私に告げた。
帰ろうとして病室内を歩き始めると、
THANK YOU!
THANK YOU!
THANK YOU!
色々な方角から女性の声が聞こえてきた。
これらの声は私に向けられているようなのだ。
そもそも私は何もしていない。
なんとも恥ずかしい気分になり、
「いやいや~YOU ARE WELCOMEどういたしまして~」
私は合掌のポーズをしながら、足早に病室を立ち去った。
つづく
2019年10月26日(土)
2015年インド旅行記④
旅行記×41
コーチンにはまた戻ってくるので、今回の滞在は短くしようと決めた。
今のうちに、やれることをやってしまおうと、私は精力的に本来の仕事をこなそうと動き始めた。
スパイスや食器の買い付けをして日本へ発送し、出来るだけ現地の味を覚えておくため、レストランや食堂でのカレーの食べ歩きを行っていた。
こうした本来の仕事は別に、最も優先順位が高かったのが、風邪薬の調達であった。
私は日本にいる頃に既に風邪の兆候を感じていたが、熱がなく鼻水だけの症状だったので甘く考えていた。
インドに着いたあと咳が急に出始め、鼻水も止まらなくなっていた。
日本から持ってきた薬は効き目が弱く、症状の改善がみられなかった。
インドの風邪はインドの薬で治すしかない。
私は薬局に出向き、症状をジェスチャーで訴え、処方された錠剤をミネラルウォーターで流し込んだ。
この後しばらく私の旅では、新しい街に着いて宿を決めたら、すぐ最寄の薬局に行って薬を買う、という状態がしばらく続くのであった。
一仕事終えて宿に戻ると、フロントにマネージャーのマルコスがいた。
マルコスは30代前半と思われる年齢で肌は黒く、細身の男性だ。
流暢な英語を話し、頭の回転も速い。
宿泊客に非常に親切な対応をするので、多くの欧米人旅行者達から信頼されていた。
前回のコーチン訪問時では、彼の仲介で料理の先生を紹介してもらった。
だから今回の宿も、彼のいるところにしようと最初から決めていたのだ。
マルコスは心配そうな表情で私に声をかけた。
「調子が悪そうに見えるが、薬は飲んだのかい」
「さっき飲んだばかりだが、あまり効いていないようだ」
「よく効く薬があるから、試してみるといい」
そう言って彼が戸棚から取り出したのは、ホコリのかぶった栄養ドリンクサイズの瓶だった。
瓶の中には紫色の液体が入っており、ラベルには全く読めない文字と怪しげなイラストが描かれている。
「えっ・・・これは・・・これを飲むのか?本当に飲まなきゃだめか」
「効くんだって。試しに飲んでみるから」と彼は封を開けた。
漢方薬のような香りが広がった。
グビ。
「問題ない。もちろん飲むよね?」
彼は瓶を私に手渡した。
「わかった・・・」
勇気を振り絞って飲む。
あれ?意外と飲める。
子供の頃に飲んだ風邪薬シロップのような味がした。
やがて宿の玄関前には4、5人の地元の若者が集まり始め、マルコスと談笑し始めた。
私はロビーのソファに腰掛け、彼らのやりとりを眺めていた。
言葉は現地語マラヤーラムだ。
知らない言語だから、彼らが何を話しているか、私はさっぱりわからない。
言葉の意味はわからないが、音韻に美しい響きを感じた。
私は音楽を聴いているような気分で彼らの会話に耳を傾けていた。
ここケララ州では、インドの標準語と呼ばれるヒンディー語を話す人を見たことがなかった。
私が日本から持ってきたタミル語で書かれた会話本を彼らに見せても、誰もきちんと発音ができない。
この中で隣のタミルナドゥ州の言語をまともに理解できる人はいなかった。
州が変われば言語が大きく変わる。
私はインドが他民族国家であることを実感するのだった。
若者たちが去り、ロビーには私とマルコスの2人になった。
ひとしきり雑談を終えた後、彼は真剣な表情で言った。
「君は日本でレストランを経営しているよね?俺を日本に連れて行ってくれないか」
私は諭すように言った。
「マルコス。君は料理人じゃないだろう。無理だよ」
「地元の料理学校へ行って勉強するからさ、だめかな」
私の店は、まだ軌道に乗ったとは言えない状況である。
彼のことは大好きだが、安請け合いはできないのだ。
「残念だが難しいよ」
「・・・わかった。もし俺に何か手伝えることがあったら言ってくれよ」
「わかった、マルコス。また後でね」
私は部屋に戻った。
私に対して何かと親切にしてくれる彼に、私は何もしてやれないのはもどかしい気分だった。
しかし私の力で彼のために出来ることはない。
厳しい現実であった。
つづく
今のうちに、やれることをやってしまおうと、私は精力的に本来の仕事をこなそうと動き始めた。
スパイスや食器の買い付けをして日本へ発送し、出来るだけ現地の味を覚えておくため、レストランや食堂でのカレーの食べ歩きを行っていた。
こうした本来の仕事は別に、最も優先順位が高かったのが、風邪薬の調達であった。
私は日本にいる頃に既に風邪の兆候を感じていたが、熱がなく鼻水だけの症状だったので甘く考えていた。
インドに着いたあと咳が急に出始め、鼻水も止まらなくなっていた。
日本から持ってきた薬は効き目が弱く、症状の改善がみられなかった。
インドの風邪はインドの薬で治すしかない。
私は薬局に出向き、症状をジェスチャーで訴え、処方された錠剤をミネラルウォーターで流し込んだ。
この後しばらく私の旅では、新しい街に着いて宿を決めたら、すぐ最寄の薬局に行って薬を買う、という状態がしばらく続くのであった。
一仕事終えて宿に戻ると、フロントにマネージャーのマルコスがいた。
マルコスは30代前半と思われる年齢で肌は黒く、細身の男性だ。
流暢な英語を話し、頭の回転も速い。
宿泊客に非常に親切な対応をするので、多くの欧米人旅行者達から信頼されていた。
前回のコーチン訪問時では、彼の仲介で料理の先生を紹介してもらった。
だから今回の宿も、彼のいるところにしようと最初から決めていたのだ。
マルコスは心配そうな表情で私に声をかけた。
「調子が悪そうに見えるが、薬は飲んだのかい」
「さっき飲んだばかりだが、あまり効いていないようだ」
「よく効く薬があるから、試してみるといい」
そう言って彼が戸棚から取り出したのは、ホコリのかぶった栄養ドリンクサイズの瓶だった。
瓶の中には紫色の液体が入っており、ラベルには全く読めない文字と怪しげなイラストが描かれている。
「えっ・・・これは・・・これを飲むのか?本当に飲まなきゃだめか」
「効くんだって。試しに飲んでみるから」と彼は封を開けた。
漢方薬のような香りが広がった。
グビ。
「問題ない。もちろん飲むよね?」
彼は瓶を私に手渡した。
「わかった・・・」
勇気を振り絞って飲む。
あれ?意外と飲める。
子供の頃に飲んだ風邪薬シロップのような味がした。
やがて宿の玄関前には4、5人の地元の若者が集まり始め、マルコスと談笑し始めた。
私はロビーのソファに腰掛け、彼らのやりとりを眺めていた。
言葉は現地語マラヤーラムだ。
知らない言語だから、彼らが何を話しているか、私はさっぱりわからない。
言葉の意味はわからないが、音韻に美しい響きを感じた。
私は音楽を聴いているような気分で彼らの会話に耳を傾けていた。
ここケララ州では、インドの標準語と呼ばれるヒンディー語を話す人を見たことがなかった。
私が日本から持ってきたタミル語で書かれた会話本を彼らに見せても、誰もきちんと発音ができない。
この中で隣のタミルナドゥ州の言語をまともに理解できる人はいなかった。
州が変われば言語が大きく変わる。
私はインドが他民族国家であることを実感するのだった。
若者たちが去り、ロビーには私とマルコスの2人になった。
ひとしきり雑談を終えた後、彼は真剣な表情で言った。
「君は日本でレストランを経営しているよね?俺を日本に連れて行ってくれないか」
私は諭すように言った。
「マルコス。君は料理人じゃないだろう。無理だよ」
「地元の料理学校へ行って勉強するからさ、だめかな」
私の店は、まだ軌道に乗ったとは言えない状況である。
彼のことは大好きだが、安請け合いはできないのだ。
「残念だが難しいよ」
「・・・わかった。もし俺に何か手伝えることがあったら言ってくれよ」
「わかった、マルコス。また後でね」
私は部屋に戻った。
私に対して何かと親切にしてくれる彼に、私は何もしてやれないのはもどかしい気分だった。
しかし私の力で彼のために出来ることはない。
厳しい現実であった。
つづく
2019年10月25日(金)
ミールスあります
こんにちは、サンサーラです。
今週末(10月26~27日)のお知らせです。
①今週末は、ミールスmeals 1500円(数量限定)を提供いたします。
ミールスはカトリと呼ばれる小皿がたくさん乗った、南インドのカレー定食です。
メインのカレー2種の他に、南インドの代表的な菜食カレー2種サンバル・ラッサム、ピクルス、ヨーグルト、野菜炒め、パパドがセット内容となります。
②今回の特別カレー
●ポークビンダルー 1100円
辛さと酸味の豚肉煮込みカレー
③かぼちゃのスリランカカレー(ハーフサイズ) 350円
サイドメニューとして用意しました。
もう一品ほしいときに便利。
是非お試しください。
今週末(10月26~27日)のお知らせです。
①今週末は、ミールスmeals 1500円(数量限定)を提供いたします。
ミールスはカトリと呼ばれる小皿がたくさん乗った、南インドのカレー定食です。
メインのカレー2種の他に、南インドの代表的な菜食カレー2種サンバル・ラッサム、ピクルス、ヨーグルト、野菜炒め、パパドがセット内容となります。
②今回の特別カレー
●ポークビンダルー 1100円
辛さと酸味の豚肉煮込みカレー
③かぼちゃのスリランカカレー(ハーフサイズ) 350円
サイドメニューとして用意しました。
もう一品ほしいときに便利。
是非お試しください。
2019年10月25日(金)
2015年インド旅行記③
旅行記×41
高級ブティックの店員シャンは、スニの兄だった。
私はシャンに尋ねた。
「彼女は、店にいないのですか」
「結婚式を終えたばかりだからな。忙しいんだよ」
「いつお店に戻ってくるのか、わかりませんか?」
「はっきりとしたことは、わからない」
「2~3週間後なら、彼女は店に戻ってきているかな」
これは私の旅行計画でコーチンから出て南インドを一通り廻ったあと、もう一度コーチンに戻ってくる、という計算があったからだ。
「その位の時期なら、多分戻ってきている」
スニは早くお土産を受け取った方が喜んでくれるだろう。
他人ならともかく、彼女の兄なら信用しても大丈夫だろう。
私はチョコレートがぎっしり詰まった土産袋を店内レジ前にあったテーブルに置いた。
「じゃあ、これを彼女に会ったら渡してもらえませんか。結婚祝いとして持ってきたのです」
「日本のチョコレートだって?ちょっと見せてもらっていいかな」
シャンは土産袋からチョコを取り出した。
キットカット抹茶味。
アルフォート(ホワイト)。
チョコパイ。
ポッキー。
きのこの山。
テーブル上には日本製の菓子類が広げられた。
彼は目を輝かせ、手にとってパッケージを眺めていた。
一通り眺め終わったあとに、神妙な表情で彼は言った。
「わかった。彼女に渡しておく。ところで・・・」
「ん?」
「この中のチョコで、君が一番美味しいと思うのはどれだ?」
何故そんな質問をするのか。
そのとき、私はたまたまアルフォートが目に入ったので、適当な気分で「これかな」と指差した。
「それ、俺が食べてもいいかな」
「えーーーっ!」
彼には頼み事をした借りがあるので、一つくらいは要求を受け入れよう、と思った。
「OK。じゃあ、君にあげる。残りは彼女に渡してくれよ」
私がそう言った瞬間に彼はチョコの封を切り、一粒取り出し、口の中に放り込んだ。
「うーん!!すげえ美味いな、日本のチョコ!君も食べるか」
もともと、それは私の買ったものではないか。
「いや、私はいいから。残りは彼女に渡しておいてくれよ。頼むよ」
とりあえず土産の件はシャンに預けて終了とし、私は宿に戻った。
スニに会えなかったのは残念だった。
帰りの飛行機の関係で再度コーチンに戻ってくる予定となっていたので、その時にコンタクトをとってみようと思った。
つづく
私はシャンに尋ねた。
「彼女は、店にいないのですか」
「結婚式を終えたばかりだからな。忙しいんだよ」
「いつお店に戻ってくるのか、わかりませんか?」
「はっきりとしたことは、わからない」
「2~3週間後なら、彼女は店に戻ってきているかな」
これは私の旅行計画でコーチンから出て南インドを一通り廻ったあと、もう一度コーチンに戻ってくる、という計算があったからだ。
「その位の時期なら、多分戻ってきている」
スニは早くお土産を受け取った方が喜んでくれるだろう。
他人ならともかく、彼女の兄なら信用しても大丈夫だろう。
私はチョコレートがぎっしり詰まった土産袋を店内レジ前にあったテーブルに置いた。
「じゃあ、これを彼女に会ったら渡してもらえませんか。結婚祝いとして持ってきたのです」
「日本のチョコレートだって?ちょっと見せてもらっていいかな」
シャンは土産袋からチョコを取り出した。
キットカット抹茶味。
アルフォート(ホワイト)。
チョコパイ。
ポッキー。
きのこの山。
テーブル上には日本製の菓子類が広げられた。
彼は目を輝かせ、手にとってパッケージを眺めていた。
一通り眺め終わったあとに、神妙な表情で彼は言った。
「わかった。彼女に渡しておく。ところで・・・」
「ん?」
「この中のチョコで、君が一番美味しいと思うのはどれだ?」
何故そんな質問をするのか。
そのとき、私はたまたまアルフォートが目に入ったので、適当な気分で「これかな」と指差した。
「それ、俺が食べてもいいかな」
「えーーーっ!」
彼には頼み事をした借りがあるので、一つくらいは要求を受け入れよう、と思った。
「OK。じゃあ、君にあげる。残りは彼女に渡してくれよ」
私がそう言った瞬間に彼はチョコの封を切り、一粒取り出し、口の中に放り込んだ。
「うーん!!すげえ美味いな、日本のチョコ!君も食べるか」
もともと、それは私の買ったものではないか。
「いや、私はいいから。残りは彼女に渡しておいてくれよ。頼むよ」
とりあえず土産の件はシャンに預けて終了とし、私は宿に戻った。
スニに会えなかったのは残念だった。
帰りの飛行機の関係で再度コーチンに戻ってくる予定となっていたので、その時にコンタクトをとってみようと思った。
つづく
2019年10月24日(木)
2015年インド旅行記②
旅行記×41
2015年2月某日。
私はインドとスリランカへ行くことを決め、航空チケットやビザの手配を終えていた。
出発も間近に迫ったある日、facebook画面を開いていたら、スニからチャットが入った。
私がインドに行くことを告げたら、彼女は驚くに違いない。
私はメッセージを入れた。
「今月、インドに行くよ。またコーチンに行くので、あなたと会えると思う」
彼女から返答。
「それはいい知らせね。私、結婚することにしたのよ。私の結婚式に出席する?」
「えーっ!そうなの。おめでとう!!」
驚かせるつもりだった私が逆に驚いてしまった。
インド人の結婚式に参列。
なんという魅力的な誘いだろう。
想像しただけでワクワクする。
しかし結婚式の日取りは、私がインドに到着予定前となっていた。
格安航空券は購入手続きをしたあとの日時変更が難しい。
「スニ、結婚式の出席は難しい。もう航空券の日時変更は出来ないと思う」
「それは残念ね」
「せめて何かお祝いを持って行きたいが、何か欲しい物がないかな」
「うーん・・・何がいいかしら」
「じゃあ、お土産として君の大好きなチョコレートをたくさん持っていく、というのはどう?」
以前した会話の中で、彼女が甘いもの、特にチョコレートが大好きだというのを覚えていたのだ。
「あっ、それがいい!日本のチョコをたくさんもらえるのね。楽しみだわ」
「山盛りのチョコをインドに持っていくから、待っていてね」
会話のあと、私は近所にあるスーパーに出向き、大量の菓子を購入したのだった。
そして2015年2月17日。
2年半ぶりのインドである。
コーチン国際空港で入国手続きを終え、直行バスを使ってフォートコーチンに向かった。
今回の旅の目的は当然料理の勉強なのだが、友人にお土産を渡すというミッションも加わった。
旅先での新しい出会いは素晴らしいが、見知った友人たちと再会するのも、また楽しいものだ。
高揚した気分で1時間ほどバスに揺られ、終点のフォートコーチンに到着した。
街全体が醸し出すひなびた雰囲気は、以前と何も変わらない印象を受けた。
インドの街は常に人が密集して、やたらと騒がしい場所がほとんどだ。
しかし、フォートコーチンは少し違う。
ここにいると時間がゆっくり流れているように感じ、ストレスをあまり感じない。
あらためて自分は、この街が好きだと感じた。
街を歩くと欧米人、そして地元インド人の旅行者が大変多いことがわかる。
人気の観光地なのであるが、ほどよく田舎で騒がしくないという点が、多くの旅行者に
好まれているのだろう。
前回の旅で長期宿泊した安宿に直行した。
運良く空室があり、宿はあっさりと決まった。
荷物を部屋に置いて身軽になった私は、菓子の詰まった土産袋を持ち、スニの働いているブティックに向かった。
彼女は店にいないかもしれないが、お店の人に聞けば連絡くらいとれるだろう、と思っていた。
店内にはヒゲを蓄えた20代後半と思われる男性店員がいたが、やはり彼女はいないようだった。
店員に尋ねる。
「ここのスタッフ、スニに会いたいのですが」
店員は警戒心たっぷりの表情で私をじろじろ眺めた。
「なぜ彼女の名前を知っている?君は何者だ」
私は日本から来た旅行者で、2年半前に一度ここに来ており、そのとき彼女と知り合いになったと説明した。
「君はスニの友人なのか?」
私に確認する。
私は「そうだ」と強い口調で答えた。
店員の表情が柔和になった。
「俺はシャン。スニは俺の妹だ」
つづく
私はインドとスリランカへ行くことを決め、航空チケットやビザの手配を終えていた。
出発も間近に迫ったある日、facebook画面を開いていたら、スニからチャットが入った。
私がインドに行くことを告げたら、彼女は驚くに違いない。
私はメッセージを入れた。
「今月、インドに行くよ。またコーチンに行くので、あなたと会えると思う」
彼女から返答。
「それはいい知らせね。私、結婚することにしたのよ。私の結婚式に出席する?」
「えーっ!そうなの。おめでとう!!」
驚かせるつもりだった私が逆に驚いてしまった。
インド人の結婚式に参列。
なんという魅力的な誘いだろう。
想像しただけでワクワクする。
しかし結婚式の日取りは、私がインドに到着予定前となっていた。
格安航空券は購入手続きをしたあとの日時変更が難しい。
「スニ、結婚式の出席は難しい。もう航空券の日時変更は出来ないと思う」
「それは残念ね」
「せめて何かお祝いを持って行きたいが、何か欲しい物がないかな」
「うーん・・・何がいいかしら」
「じゃあ、お土産として君の大好きなチョコレートをたくさん持っていく、というのはどう?」
以前した会話の中で、彼女が甘いもの、特にチョコレートが大好きだというのを覚えていたのだ。
「あっ、それがいい!日本のチョコをたくさんもらえるのね。楽しみだわ」
「山盛りのチョコをインドに持っていくから、待っていてね」
会話のあと、私は近所にあるスーパーに出向き、大量の菓子を購入したのだった。
そして2015年2月17日。
2年半ぶりのインドである。
コーチン国際空港で入国手続きを終え、直行バスを使ってフォートコーチンに向かった。
今回の旅の目的は当然料理の勉強なのだが、友人にお土産を渡すというミッションも加わった。
旅先での新しい出会いは素晴らしいが、見知った友人たちと再会するのも、また楽しいものだ。
高揚した気分で1時間ほどバスに揺られ、終点のフォートコーチンに到着した。
街全体が醸し出すひなびた雰囲気は、以前と何も変わらない印象を受けた。
インドの街は常に人が密集して、やたらと騒がしい場所がほとんどだ。
しかし、フォートコーチンは少し違う。
ここにいると時間がゆっくり流れているように感じ、ストレスをあまり感じない。
あらためて自分は、この街が好きだと感じた。
街を歩くと欧米人、そして地元インド人の旅行者が大変多いことがわかる。
人気の観光地なのであるが、ほどよく田舎で騒がしくないという点が、多くの旅行者に
好まれているのだろう。
前回の旅で長期宿泊した安宿に直行した。
運良く空室があり、宿はあっさりと決まった。
荷物を部屋に置いて身軽になった私は、菓子の詰まった土産袋を持ち、スニの働いているブティックに向かった。
彼女は店にいないかもしれないが、お店の人に聞けば連絡くらいとれるだろう、と思っていた。
店内にはヒゲを蓄えた20代後半と思われる男性店員がいたが、やはり彼女はいないようだった。
店員に尋ねる。
「ここのスタッフ、スニに会いたいのですが」
店員は警戒心たっぷりの表情で私をじろじろ眺めた。
「なぜ彼女の名前を知っている?君は何者だ」
私は日本から来た旅行者で、2年半前に一度ここに来ており、そのとき彼女と知り合いになったと説明した。
「君はスニの友人なのか?」
私に確認する。
私は「そうだ」と強い口調で答えた。
店員の表情が柔和になった。
「俺はシャン。スニは俺の妹だ」
つづく