2010年3月15日(月)
♪15年。。。♪
出来事、教育×10
平成6年6月27日、娘が生まれた日です。
その日の、帯広の最高気温が36℃、
とても暑い一日でした。
未明に、妻が破水しました。
まだ、20代、お産に立ち会う事にしていました。
早速、病院へ行きました
私の手を握る、妻の手が力を増します。
それから、数時間、やっと生まれました。
ただ、看護婦さんの顔はもう覚えていませんが、
「先生。」といった瞬間、
何かが、起こっているのだと気がつきました。
そういえば、テレビで見ると、
生まれてすぐに、産声をあげます。
ところが、全く泣きません。
一人の看護士が、なんとストップウオッチのような
物を、出してきました。
先生に時間を告げるようです。
処置がされている様子です。
とにかく、時間が過ぎていきます。
妻は、痛みと薬で、意識も低下していたと思います。
3分、小児科の医師を呼んだようです。
その時、初めて、娘の顔を見ました。
特に、普通の赤ちゃんです。
5分、看護士が先生に、30秒ごとに
時間を告げます。
小児科の医師が3人来ました。
銀紙の大きな風呂敷のような物をもって
赤ちゃんを、くるみ、分娩室から
走り去りました。
すぐに小児科に、運ばれました。
これは、大変な事が、起きているのだと
思いました。
小児科の、ICUで、10人位の
先生たちに囲まれています。
一人の先生が、厚い本を取り出して、
皆に、話しかけている様子です。
首をふる先生もいらっしゃいました。
妻に対しての、慰めの言葉を考え出しました。
どちらも、初孫なので、母親、義母にも、
その緊張感は伝わりました。
その間、私は、先生たちと、
全く、話が出来ませんでした。
時間ばかりが過ぎます。
一人の看護士が出てきました。
すかさず、「赤ちゃんは?」
と聞きましたが、処置中です。
と答えるばかりでした。
とにかく、赤ちゃんは無事なのか、
助かるのか知りたいのです。
先生に、呼ばれた時は、
まず最初に、「生きていますか?」
の問いかけに、「別室でお話します。」
もう、これは、諦めるしかないと思いました。
私も、トイレに駆け込みました。
破水してから、12時間が経っています。
たくさんの、器械がある保育器の中に、
娘はいました。
泣き声は聞こえませんが、
手で、小さな足を触ると暖かいです。
その時、流した涙は、
一生のうちで流した事のないものでした。
妻との対面も、出来ました。
妻が先に、退院しました。
数日後、の私と先生の対面で、
「脳に障害が残る」という可能性も
指摘されました。
それでも、元気に育って欲しい気持ちには
変わりはありません。
後で、気がついた事は、
育児の準備中、妻は、軽いうつ病にかかりました。
始めての子、の場合、珍しい事ではないようでしたが、
妊娠後期、薬を飲んでいました。
軽い、睡眠薬も同時に服用していました。
何らかの、薬の影響が胎児にあったようです。
母乳を飲ませることも、制限されました。
私がもっと、妻の相談に乗ってあげれば
後悔はたくさんありました。
母子手帳には、仮死状態、蘇生の文字があります。
その後、何事も無く、成長してくれました。
あれから、15年の月日が経ちました。
無事に、今日、娘は中学を卒業しました。
たくさんの、バレーボールの寄せ書き、
大切に箱に入った物を頂きました。
初めて、買い与えたトイプードルの「白」
余程気に入った様子です。
楽しい時も苦しいと時も「白」がそばにいてくれます。
もう本当の家族です。
卒業式には、私は出ませんでした。
今日は、ホワイトデー
通信簿と、花束、くれました。
そして、言った言葉が「3年間有難う。」
でした。
想像もしていない事に驚きましたが、
今、娘に期待する事は親としては
ありません。
目配り、気配りが、いずれ心配りに。
その時まで、親は、支えてあげなければならないかもしれません。
今まで、支えて頂いた友達、先生、皆さんに
感謝しています。
思い多き一日でした♪
その日の、帯広の最高気温が36℃、
とても暑い一日でした。
未明に、妻が破水しました。
まだ、20代、お産に立ち会う事にしていました。
早速、病院へ行きました
私の手を握る、妻の手が力を増します。
それから、数時間、やっと生まれました。
ただ、看護婦さんの顔はもう覚えていませんが、
「先生。」といった瞬間、
何かが、起こっているのだと気がつきました。
そういえば、テレビで見ると、
生まれてすぐに、産声をあげます。
ところが、全く泣きません。
一人の看護士が、なんとストップウオッチのような
物を、出してきました。
先生に時間を告げるようです。
処置がされている様子です。
とにかく、時間が過ぎていきます。
妻は、痛みと薬で、意識も低下していたと思います。
3分、小児科の医師を呼んだようです。
その時、初めて、娘の顔を見ました。
特に、普通の赤ちゃんです。
5分、看護士が先生に、30秒ごとに
時間を告げます。
小児科の医師が3人来ました。
銀紙の大きな風呂敷のような物をもって
赤ちゃんを、くるみ、分娩室から
走り去りました。
すぐに小児科に、運ばれました。
これは、大変な事が、起きているのだと
思いました。
小児科の、ICUで、10人位の
先生たちに囲まれています。
一人の先生が、厚い本を取り出して、
皆に、話しかけている様子です。
首をふる先生もいらっしゃいました。
妻に対しての、慰めの言葉を考え出しました。
どちらも、初孫なので、母親、義母にも、
その緊張感は伝わりました。
その間、私は、先生たちと、
全く、話が出来ませんでした。
時間ばかりが過ぎます。
一人の看護士が出てきました。
すかさず、「赤ちゃんは?」
と聞きましたが、処置中です。
と答えるばかりでした。
とにかく、赤ちゃんは無事なのか、
助かるのか知りたいのです。
先生に、呼ばれた時は、
まず最初に、「生きていますか?」
の問いかけに、「別室でお話します。」
もう、これは、諦めるしかないと思いました。
私も、トイレに駆け込みました。
破水してから、12時間が経っています。
たくさんの、器械がある保育器の中に、
娘はいました。
泣き声は聞こえませんが、
手で、小さな足を触ると暖かいです。
その時、流した涙は、
一生のうちで流した事のないものでした。
妻との対面も、出来ました。
妻が先に、退院しました。
数日後、の私と先生の対面で、
「脳に障害が残る」という可能性も
指摘されました。
それでも、元気に育って欲しい気持ちには
変わりはありません。
後で、気がついた事は、
育児の準備中、妻は、軽いうつ病にかかりました。
始めての子、の場合、珍しい事ではないようでしたが、
妊娠後期、薬を飲んでいました。
軽い、睡眠薬も同時に服用していました。
何らかの、薬の影響が胎児にあったようです。
母乳を飲ませることも、制限されました。
私がもっと、妻の相談に乗ってあげれば
後悔はたくさんありました。
母子手帳には、仮死状態、蘇生の文字があります。
その後、何事も無く、成長してくれました。
あれから、15年の月日が経ちました。
無事に、今日、娘は中学を卒業しました。
たくさんの、バレーボールの寄せ書き、
大切に箱に入った物を頂きました。
初めて、買い与えたトイプードルの「白」
余程気に入った様子です。
楽しい時も苦しいと時も「白」がそばにいてくれます。
もう本当の家族です。
卒業式には、私は出ませんでした。
今日は、ホワイトデー
通信簿と、花束、くれました。
そして、言った言葉が「3年間有難う。」
でした。
想像もしていない事に驚きましたが、
今、娘に期待する事は親としては
ありません。
目配り、気配りが、いずれ心配りに。
その時まで、親は、支えてあげなければならないかもしれません。
今まで、支えて頂いた友達、先生、皆さんに
感謝しています。
思い多き一日でした♪
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