200827(木)

味噌汁の具

♪あの人 この人 外人だって~
    みんないるのさ おふくろが~♪

千昌夫の「味噌汁のうた」です

子供の頃、朝目覚めると台所からおふくろが味噌汁に入れるネギを刻む音が聞こえていた

そして今朝のようにしばれる朝は
あったか~い味噌汁が美味しいんだなぁ
と、しばし日本人であることに喜びを感じている

さて、みなさんの好きな味噌汁の具は何でしょう?

俺の好きな味噌汁の具ベストスリーは

「たち」「しじみ」「たまねぎとたまご」かな?

タ行が多いのはたまたまナノダ・・





200824(月)

正義

父の名は「正義(まさよし)」と言います
たぶん爺ちゃんが我が子に正義の味方になって欲しくて付けたのでしょう

別に結婚式の親族紹介ではないので、父の名はどうでも良いし
ましてや本当の名前は「正義」ではない  (妙な入り方になってしまった…)


昨夜ある温泉のサウナに入っていると、いきなり「ごるあ~~~」という叫び声があがった
どうやら前の人(おじさん)が振り上げたタオルが後ろの人(若い人)に当ったらしい
サウナの中には10人ほどの人がいたが、後ろの人が「このジジイー」と言って前の人をど突いたものだから、室内は一気に緊張感が走った
そこで1人の老人が「やめなさい」と声を掛けたのだが、若者は「てめえには関係ねえだろ!首を突っ込んで責任とれるのか~~」と睨みつけた
それを見てサウナからは1人2人と人が出て行った

俺は(ちょっとあんたら迷惑だからやめろよ!)と心の中で1回つぶやいてから
「公共の場なんだから少し考えたらどうですか?」と言った

しばらくして男達はバラバラに外に出て行った


数年前にはこんな事があった

帯広の駅前を車で通りかかった時に、高校生が制服を着たままタバコを吸っていた
俺は車を駐め、その高校生の所まで歩いて行き「お前らタバコやめろよ」と注意した
高校生はちょっと睨み返したが、タバコを捨て足でもみ消して去って行った
その時の連れは「そんなことに関わるのは危険だし、今どきの高校生はナイフを持っている奴もいるので逆に刺される可能性もある」的な事を言っていた

でも俺はいつもそういう場面で黙っていられない性質(たち)なのである

正義を振りかざすわけでもヒーローになりたいわけでもないけれど、黙って見過ごせないのである

ケンカの仲裁に入った人が刺されたりという事件をよく耳にする
でも見過ごすことの出来ない性格なのである…困ったものだ…










2008131(木)

缶詰

漬物大好きなんです

秋になるともちろん自分で数種類の漬物を漬けます
今どき、お茶と漬物でホッと一息つけちゃう

それにしても最近はスーパーの漬物コーナーが広くなったね
いったい何種類置いてあるんだろう

その一方で妙に狭くなってしまったのが缶詰コーナー
少数精鋭といえば格好良いが、どうみても元気がない
しかも売れているのは新興勢力のツナ缶

子供の頃熱を出した時に母親が買って来てくれた「ももの缶詰」や
父親が晩酌の時に、もったいぶりながらマヨネーズをつけて食べていた「アスパラガス」等はあまり売れていないようである

でも缶詰といえば何と言っても忘れられないのは

鮭缶

    しかもたけのこ入り

おんぼろ下宿生活をしていた学生時代
ちょっとお金のある時に買った「たけのこ入り鮭缶」
もう、たけのこが入っているだけで豪華な逸品だった

日本酒の一升瓶を立てて、たけのこ入り鮭缶を食べるのがプチ贅沢だったなぁ

(でも時々赤貝の缶詰にも浮気をしていた…)

さて、皆さんの好きな缶詰は?
そして思い出の缶詰は何ですか?












2008128(月)

最後に食べる物

子供の頃、日曜日に両親と帯広に出かけると
昼時には必ずラーメンを食べに連れて行ってくれた
嬉しかったんだよね…外食イコール贅沢だったからね

あれから約40年
今では息子に「ラーメンでも食べに行こうか?」と聞くと
「え~っラーメン?」などと言う(この贅沢者め!)

「じゃあ何がいい?」と尋ねると
「何でもいいけど」と返ってくる

そうなんです 父と外食するといっても
今これが食べたいというものが考えつかないんです


  「食べ物が豊富すぎる世の中」


いつでもほんの…ほんのちょっとお金を出すと
どんな物でも食べれる時代なんです

じゃ、あえて聞きます

  明日世界が滅亡するという日

    さあ、最後の最後にあなたは何を食べる?



2008124(木)

ローソク

降ってますね~
どれくらい積もるのでしょう?


確か昭和42年頃だったろうか
もう朝なのに夜のような暗さはまるで皆既日食のようだった
前日から降り続いた雪が
当時住んでいた平屋の住宅の屋根まで積もってしまったのだ
我が家はスッポリと雪の中に埋まってしまった

当然玄関のドアなんて開くはずもない
父は台所の窓からトンネルを掘って地上に抜け出し
玄関まで長いトンネルを掘って、ようやく家族は外に出る事が出来た

当時は大雪になるとよく停電になった
そして停電といえばローソクの明かりを頼りにすることもしばしばあった
その日も停電が復旧する見込みがなく
夜はローソクの頼りない灯りをあてにするしかなかった

その日の夕食は暗くても食べられるようにと母が考え
日中から揚げを煮込んで「おいなりさん」を作った

夜が来て、ローソクの火を灯し
家族4人で「おいなりさん」の食事が始まった
ライフラインが麻痺しているというのに、俺はなぜか嬉しかった
その夜、父と母はいつもより優しかった
「おいなりさん」も美味しかったけれど
俺はローソクの灯りにとてもワクワクしていた

あれからローソクの灯が好きになったのかな…

今朝の雪と昨夜立ち寄った実家の食卓に
あの頃のまんまの「おいなりさん」が並んでいたので
思い出してちょっと書いてみた








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