2015121(火)

いつか来た道

軽部 謙介『検証 バブル失政』岩波書店 2015年
 本書はわが国に80年代後半に発生したバブルという経済現象がなぜ生じ崩れたのかという問題を、日銀の金融政策、大蔵省の銀行行政に焦点を当てて、「金融緩和の長期化がバブルの要因」、「米国の圧力」の二つのテーマを中心に検証している。検討されている資料は、情報公開法や独自の経路で入手された公文書、関係者の日記、手記、備忘録などである。また、米国の大統領図書館からも資料は収集されている。
 ・1989年12月29日の大納会で、株価は3万8915円87銭をつけた。89年の東証平均一部の平均株価は1年間で29%上昇した。評論家の中には「株価は5万円を目指す」などと囃すものもいた。政治家も、官僚も、日銀マンも、メディアも、市井の人々も、つまりはほとんどの日本人が、この繁栄は、来年も、そしてそれからもずっと続くと思っていた。(同書338ページより)
・日銀の副総裁だった三重野は米国への怒りをこう表現した。「自分の国の要求を国際協調の名の下に押し付けて来ている」「米国は自分の利益を非常に大きく考えて、それを他国に要求するというきらいがあった。これはやっぱり苦々しいなという感じはずっと持っていました」(同書385ページより)
・バブルを振り返って「経済の過熱を抑えるために公定歩合を上げたかったが、物価が落ち着いていたのでできなかった」という弁明と、「デフレ脱却が最優先なので、いまは出口政策を語るのは時期尚早だ」という主張が相似形にならないという保証はない。(同書385ページより)
エピローグで軽部さんは、バブルの経験を生かし今後の国際社会でのわが国のあり方を論じています。ご指摘の通り、統治機構を変革していかねばならないという点は、重要な論点でしょう。また、米国と今後どう付き合っていくのかということも、わが国の大きな問題であることは間違いないと思います。ではどのようにという、次の段階を見通すための知見は、残念ながらわが国においては今後の課題ではないでしょうか。でも、バブルに多くの日本人が踊らされていた時期にも日本の学者の中には、日本賛美論に警鐘を発していた方がいたことも、わたしは知っています。まずは、このような先達の仕事をていねいに検討することが、今のわが国の閉塞状況を打開する契機につながっていくのではと考えました。

教育がバブルの教訓を生かすとすると、同調圧力に対して一定の距離を保ちさまざまな人々と交流しながら、自らじっくりちゃんと考えた後に断固行動できる人材を育成していくことが、今後のわが国の発展を左右するのではないかとも思いました。






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