201612(土)

新年を迎えまして、早々に目から鱗が落ちました

元森絵里子『語られない「子ども」の近代 年少者保護制度の歴史社会学』勁草書房2014年

子どもと何らかの理由で関わっておられる方々は、「目の前の子どもとはどういう存在なのだろうか」(同書より)と一度は疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。また、「尊重と統制、放任と系統、保護主義と責任主義、保護と自律、配慮と手続き」(同書より)といった関わり方の方法論をめぐって多重の振り子のように自らの内に葛藤を積み重ねてきているのではないでしょうか。ご同情申し上げます。実は、僕がそうです(笑い)。それらの原因のひとつは、子どもとはどういう存在かよくわからないのに、子どもという言葉を自明なものとして使っているからなのではないでしょうか。このアポリアを考えるために、上記の作品は最高です。とくに、子どもと職業的に関わっておられる方々にはお薦めです。きっと、読了後は子どもとの関係を構築する上で新しい地平線を開くきっかけを手に入れられるのではないでしょうか。しっかり読めば、終章まで到達可能な専門書です。

・「子ども」とは何か-。「子ども」と「大人」の境とは何か-。私たちは、しばしばこの疑問に取りつかれる。だが、そもそも「子ども」とは何かは、一義的に定義できるのだろうか。私たちは、「子ども」とは何かという問いに、確固たる答えを持ってきたのだろうか。(同書より)
・今後どのように年少者を語り、どのように処遇していくか考えるためにも、目の前の「子ども」に対する「まなざし」が歴史的かつ言説上構築されたものであり、現在もそれが制度に組み込まれていること、と同時にその外部が潜在していることを、自覚することから始めるしかない。結局、特定の意味論を前提に、「子どもの揺らぎ」という感傷的・衝撃的な物言いをするのではなく、私たちの言葉や実践が一枚岩ではないという事実を、一つひとつ見ていく必要があるのである。(同書より)

本書は下記の通り章立てされています。
はしがき
序 章「子ども」の近代を問い直す
第Ⅰ部 「子ども」の近代とはいかなるものか
第一章 教育の「児童」・司法の「少年」
-「子ども」の近代の成立とその内部の差異
第二章 「児童」の構築・放置される外部
-「子ども」の近代の成立をめぐる身体と言葉
第Ⅱ部 年少者へのまなざしの複層性
第三章 労働力から「児童」へ?
-工場法成立過程に見る「児童」の成立の裏側
第四章 フィクションとしての「未成年」
-未成年者飲酒禁止法制定過程に見るだらしない「子ども/大人」語り
第五章 自由意志なき性的な身体-公娼制問題に見る「子ども」論の欠如
終 章 語られない年少者像・語り続けられる「子ども」
あとがき

みなさま、どうぞ、今年も当ブログをよろしくお願いします。






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