2019106(日)

大思想家

ハンナ・アーレント
『全体主義の起原2 帝国主義』みすず書房 2017年

 文明と野蛮との間の対立と敵意は歴史的関心事以上のものである。文明が発達すればするほど、文明が生んだ世界が完全に人間の故郷となればなるほど、人間の技術が築いたこの「人工的」建物で人間が居心地よく落ち着くようになればなるほど、ますます人間は、自分が造り出したり手を加えたりしてないものに対して神経を尖らせ、大地や生命自体のように神秘的な不可解な仕方でさりげなく存在するものすべてを野蛮だと見なしたがるようになる。普通ならばわれわれの生活のこのような根源的な「自然の」領域は、われわれが私生活と呼ぶところでのみ意味を持つのであり、その中でわれわれは誕生や死に見舞われ、また友情とか共感とか愛などによって多かれ少なかれ不充分ではあろうとも単なる人間存在という贈り物になんとか甘んじようと努力するのである。この領域で決定的なもの、もしくは何らかの意味を持つものは何であれ、われわれ自身もしくは他の人間の行為や活動の結果ではない。われわれの知る通り、ローマ人このかた高度に発展した公的生活は、この私的領域全体に深い不信の念を抱いてきた。人間が造らなかったもの、造ることのできないもの、しかもそれからは人間が決して自由になれないものに対する一種の憎悪である。政治的にはこの憎悪は、われわれの一人一人が他人に真似のできない、変えることのできない、その人だけの独自性を持つことに対する不満という形で最も明瞭に示される。文明社会はこれらをすべて私生活の領域に追いやってしまった。なぜなら、すべての人間存在の個々に具わるこの独自性は、公的生活に対する不断の脅威となるからである―公的生活は万人がその前に平等である法に立脚することに断固として固執するのに対し、私的領域は多様性と無限の相違という事実にやはり断固として根を下ろしているのだから。平等とは所与の事実ではない。(324page~325page)

 地球全体を隈なくつなぎ合わせ包み込んでしまった文明世界は、内的崩壊の過程の中で、数百万という数え切れぬほどの人間を未開部族や文明に無縁の野蛮人と本質的には同じ生活状態に突き落とすことによって、あたかも自分自身のうちから野蛮人を生み出しているかのようである。(328page)






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